第四十一話:友のため、我のため
始まりは一発の弾丸だ。顔を出した青年兵が頭を撃ち抜かれた。
「……!? 狙撃だ!」
ローレンシア兵の反応は早かった。瞬時に身を隠して敵の位置を探す。音の方角から考えるに廃墟の屋上から狙われており、結晶の反射や鏡を使って敵の位置を探るというのは教本どおりで間違っていない。
誤算は、敵の動きがあまりにも小柄でかつ速かったことだ。
「お、屋上……! 来ます!」
赤黒いコートを羽織った傭兵が駆け抜ける。兵士は言われるがままに頭上へ発砲した。だが小柄な影はすぐに廃墟へ隠れてしまい、どこにいるのか分からなくなってしまう。
兵士はこのような相手を知っていた。まるで悪名高き第二〇小隊の傭兵・ミシャのような動き。だがミシャは狙撃銃を扱わない。ならばこの相手は一体誰だ。この戦場には、いったい何人の化け物がいるのだ。
「墓場に帰れよ亡霊が……!」
一瞬だけ見えた人影に向かって発砲するも手応えはない。黒い煙が視界をふさぎ、赤く染まった空がローレンシア兵を笑い、道端に倒れた仲間の死体が、早く帰れ、亡霊に手を出すな、と怨嗟の声をあげる。
お返しとばかりに違う場所から銃声が響き、一発の弾丸が肩をかすめた。
「くっ……、敵は北西、数は一人だけだ! 落ち着いて対処を――」
「おいっ、どうした!?」
傷口から生えた結晶がみるみるうちに成長した。人々が夜に怯え、世界から文明が失われた原因、結晶化現象だ。結晶で形成されたナターシャの弾はかすめただけで致命傷となり、一度体内に入れば傷口から結晶に変わっていく。
結晶が新たなる種となって結晶を生み、兵士の肌を突き破ってなおも肥大化する。急成長する結晶はそのまま宿主を飲み込み、歪な塊へと変貌した。
「ひっ……!」
ぐらりと傾く結晶。人だった何かは地面にぶつかり砕け散る。
仲間の壮絶な最期を目の当たりにしたローレンシア兵は、怯えた表情で後ずさった。その死に様は今まで彼が見た中でも特に異質であった。軍人としての栄誉も誇りもなく、死体すら残らぬまま結晶となって散り、遺品を持ち帰ることも叶わない。
遺物とは人が生み出した叡智である。夜風と共に失われ、今もなお解明できない謎の力を、とある神秘学者は魔法と呼んだ。
「誰一人、この戦場からは逃がさない」
ナターシャは機械的に指を動かした。彼女の瞳にぬくもりはない。ここに立つのは一人の傭兵だ。友のために料理を作る少女でもなければ、ガラクタに埋もれて文句を言う少女でもない。任務のため、そして亡き友人のために、全ての温情を捨ててローレンシア兵を撃ち抜こう。
ナターシャは走った。場所を変え続けねば簡単に囲まれてしまうから。考えてから動いては遅く、考えずに動けば殺される。一方的に見える戦いの裏で、少女もまた必死であった。
だが、四方八方をローレンシア兵に囲まれながらも、不思議とナターシャの体は軽かった。今なら星天の神々すら掴めるかもしれない。まさに羽が生えたような気分だ。もしくは体を縛る重力が消えてしまったような心地だ。高く、遠く、空の上へ、消えた友人の元へ、手が届きそうだった。
「こんなものか……ローレンシアァ!」
少女は吠えた。その声には明確な怒りが含まれている。この程度の者たちにリリィは殺された。故郷に帰ることを楽しみにしていた彼女が、その小さな望みも果たせぬまま死んだのだ。ナターシャの拳には自然と力が込められた。
撃って、走って、殺し続けた。彼らの血がせめてもの弔いとなるように。リリィを撃った敵兵は誰かわからないが、全て撃ち殺せば問題ないだろう。銃声と叫び声が戦場に響く。少女が動くたびに、音は一つずつ減っていく。
(きっと神様はくそったれな世界から目を背けたくて夜空に逃げたのね)
気付けば敵の小隊は全滅していた。戦場に残る歪な結晶たちと、それらを冷めたような顔で戦場を見下ろす少女。命の消えた戦場でナターシャは息を整える。
「どこかに隠れている敵兵はいないかしら」
ナターシャの瞳孔がキューッと縮まっていく。ねずみ一匹逃すつもりはない。右へ、左へ、光なき水晶のような瞳は戦場を見渡した。近くに人影はない。物音もしない。彼女の瞳に敵兵は映らない。本当に終わりか。見落としは、ないか。
ぐるり、と少女の首が曲がった。彼女の視線は少し離れた場所にある、結晶の柱に注がれた。
「なんだ、まだいるじゃない」
殺意のこもった瞳でナターシャは銃を構える。
○
一連の惨状を見ていた者がいた。ホルクスの右腕であり狙撃の名手・イサークだ。
(あのような傭兵は資料にない。いったい何者だ?)
ローレンシアの一個小隊がたった一人の傭兵に全滅された。もちろんイサークは黙って見ていたわけではなく、隙があれば狙撃をしようと試みた。だが常に動き続けるナターシャを廃墟や結晶の間から狙うのは難しい。しかもナターシャばかりに集中するわけにもいかず、イサークが目を離せばソロモンが自由になる。苦悩の末、イサークはソロモンを抑えることを優先した。結果がこの有り様だ。
選択を誤ったとは思っていない。しかし、この惨状を前にすると、兵の犠牲は自分の責任ではないかと錯覚する。
(本当に傭兵とは忌々しい連中だ。長く積み重ねた我らの努力を、個の力でくつがえす。そんなことが、あってなるものか)
イサークの照準がナターシャを探す。激しい戦いが繰り広げられた戦場は煙と瓦礫で視界が悪く、沈みかけた太陽が結晶に反射するせいでまともに目を開けられない。
戦場には歪な結晶がならんでいる。あれらはすべて元人間だ。仲間が結晶に飲み込まれる光景を思い出して、イサークはわき上がる吐き気を我慢した。
(くそ、どこに隠れた? これだから廃墟での戦闘は嫌いなのだ)
小隊が全滅した今ならば敵も立ち止まるはずだ。仲間の犠牲によって生まれた隙。これを逃しては兵に顔むけができない。
肌がひりつくような感覚が走った。誰かに狙われた時に感じられる独特の寒気だ。
イサークは寒気のした場所へ照準を向ける。いた。赤黒いコートを着た傭兵が、イサークに結晶銃を構えている。
「この距離で気付いたのか!?」
イサークが思わず叫ぶ。イサークが立つ結晶の柱から傭兵のいる廃墟まで、いったいどれほど距離が離れているというのだ。ナターシャに対して発砲したならばいざ知らず、肉眼では決して視認できないほどの遠さだ。
(反射光で気付いたのか? いや、今考えるべきは……)
引き伸ばされた時間の中でイサークは計算をする。自分が撃つのが早いか、敵が撃つのが早いか。まだ照準の中央に捉えられていない自分と、先に構えていた敵の傭兵。照準越しに二人の視線が交差する。神経質なイサークの瞳と、水晶のように輝く少女の瞳。
イサークの判断は早かった。このまま撃ち合えば自分は負ける。彼の脳裏には、頭を撃ち抜かれて結晶化する自分の姿がよぎった。気圧されたという方が正しいかもしれない。足を踏み外せば真っ逆さまに落ちてしまう状況において、イサークは迷わずに体をひねった。
少女が銃を撃った。イサークは未だ回避態勢のまま。撃たないと選択した時点で反撃は不可。避けるのも間に合わない。
瞬間、イサークの左目が光を放つ。ナターシャの持つ結晶銃と同じ、遺物特有の神秘と呼ぶべき光だ。
「舐めるなよ小娘がァア!」
彼は殴るように右腕を回し、その腕につけられた手甲をなすりつけるように振るった。ナターシャの弾が見えたわけではない。彼の左目に埋め込まれた義眼の遺物が、脅威的な動体視力を生み、敵の弾道を見切ったのだ。
ギャリギャリと嫌な音を出しながら手甲が削られる。だがイサークの肌を貫くには至らず、ナターシャの結晶弾は奥の柱に命中した。
無理な態勢で避けたイサークは結晶の足場から落ちた。視界の上下が反転する最中、敵の傭兵が目を丸くする様子が見える。結果的には負けたような格好だが、イサークが感じたのは一矢報いてやったような達成感だ。
「……ふん」
刃の分厚い特注ナイフを結晶に突き立て、速度を殺すイサーク。悔しさの混じった表情で彼は鼻を鳴らした。
○
東、南、と街の各地で戦いが繰り広げられる中。研究者・ベルノアは城壁からナターシャの様子を観察していた。
「おはーっ、あの遺物は凄いな。結晶が世界に吹き始めた頃、百年戦争の産物か? 機構から考えるに、夜風を克服しようとした過程で偶然生まれたのかもしれないな。だぁーくそっ、やはり月明かりの森で手に入れておきたかったぜ」
彼は興奮した様子で独り言を話す。戦場でもつい考え事をしてしまうのは研究者としての性だ。イヴァンへの報告もそっちのけにして、彼はナターシャの遺物を考察した。新たなる遺物をぶら下げられたベルノアはとても幸せそうな様子だ。
しかし、彼の思考はふいに中断される。
「ん、んん?」
ベルノアは遠くに動く大きな影を捉えた。見覚えのある多足。統率の取れた動き。旗が二つ揺れている。何度も戦場で目にした旗。
「あー……まずいな。敵さんの援軍だ」
第二軍軍団長・シモンと、ローレンシアの元帥・アーノルフ閣下の旗印だ。




