第三十九話:少年は生にしがみつく
ディエゴにとって初めての実戦だった。幼馴染を探すために故郷を出て、商業国で汚い大人にもまれて、あれよこれよと必死に生きているうちに、いつの間にか大国の兵士になっていた。
ディエゴは馬鹿だ。それは彼自身が一番よくわかっている。ホルクスから作戦について知らされたとき、ディエゴはようやく「認められた」のだと喜んだ。イサーク上官に連れられて船に乗ったときは、自分こそが物語の主人公になったような気分だった。
「ハッ、ハァ、どこだよ隊長、部下を置いて行きやがって」
戦場を走るディエゴ。防護マスクのせいで息苦しい。吸い込んだ空気が肺を焼く。真っ黒な煙がいたる所から昇り、独りぼっちの少年の影が瓦礫に落ちる。
認められた?
馬鹿を言え。
ホルクスたちに置いていかれて、味方の死体がつくった道を走る姿の、一体どこが認められたというのだ。自分は何もしていない。何も成せず、何者にも成れず、無力感と焦燥感で頭が一杯になる。
機動船での戦闘はイサークの指示に従えば動けた。古城での戦いが始まってからも、必死に上官のあとを追いかけた。
しかし、傭兵の救援部隊が現れた途端にホルクスたちの目が変わった。ホルクスだけではない。イサークも、周りの先輩たちも、誰もが顔つきを変えた。彼らは硝煙の香りに酔った獣だ。ディエゴは独り、戦場に取り残された。
「うぉっとと……あぶね、なんだこれ」
足元には結晶が転がっていた。
正確には、結晶化した人間の腕だ。ディエゴは顔をあげる。少し離れた場所に人が倒れていた。
おそるおそる亡骸の防護マスクを外してみると、死んでいるのは小隊長だった。ディエゴが入隊時から世話になった人だ。肩から先が結晶化しており、倒れた拍子に腕が砕けたのだろう。落ちくぼんだ瞳が動いたような気がして、ディエゴは反射的に体を反らせた。
「なんだよ、これ」
よく見れば同じような死体がいくつも転がっていた。どれもが頭を撃ち抜かれて結晶化している。ここで何が起きたのかディエゴにはわからない。しかし、彼らの顔が恐怖に歪んでいることだけは理解できた。
ここは、人が人の姿のまま死ぬことも許されぬ場所だ。
いつのまにかディエゴの呼吸がひどく乱れていた。モヤがかかったように脳の判断力が失われ、夢ではないかと疑うように、何度も小隊長の死体に目を向ける。そこに戦士はいない。ここは戦士の死に場所ではない。
ディエゴは走った。どこに行けばいいかわからないけれど、とにかく走った。立ち止まればあの死体のような結晶になってしまうような気がしたのだ。防護マスクを顔につけ、銃を抱きかかえて、瓦礫と結晶の街道を死にものぐるいで走った。
小銃の音が聞こえてくる。続けて誰かの叫び声。びくりと肩を震わせて、にぎった指に力を込めた。壁から生えた結晶がひどい顔を映している。銃声が少しずつ大きくなった。死神の足音はパパラパパラと軽快なようだ。
「俺はっ、まだ、死なねーぞ……!」
ここは地獄だ。
いつか自分の部隊をもって幼馴染の捜索をする。そんな願いすらも、銃を握っていると忘れてしまいそうだった。
○
城内で身を潜めていた二人の傭兵は、こっそりと窓から外の様子をうかがった。
「見てイグニチャフ、救援が来たんだ。どうやら私たちの悪運は高いみたいだよ」
「おぉ……やはり星天の神々はみておられたのか……ありがたい、我らが星の子に寵愛を下さった」
「神父をやめても祈りはとどくんだね」
「我らが神は偉大なり。ほら、リリィも祈っておけ」
二人はありがたそうに手を重ねた。彼女たちの祈りにどれほどの効果があるのかは定かでないが、事実として救援部隊は間に合った。まずはそのことに感謝だ。
「あっちこっちで煙があがっている。四個小隊ぐらいかな? シザーランドは予想より多くの部隊を出してくれたみたいだね」
「新人隊員を失うのは惜しかったってわけか。俺たちも随分と期待されているみたいだ」
「いやぁ、輸送していた物資が目当てだと思うけどね」
「俺たちの命が物資よりも軽いっていうのか!?」
「残念ながら世の中はそういうものだよ。あっ、ほら、またあそこで爆発した。今のうちに早く脱出しようよ」
「待て、まだ祈りが終わっていない。きちんと最後まで続けなければ俺たちの声は届かないんだ」
「そんなもん、ちょちょいのちょいっと終わらせたらいいのさ」
「そんなもん!?」
イグニチャフは天を仰いだ。どうか不信心な少女に神のご加護があらんことを。
二人はイヴァン小隊が来ていることを知らない。ましてや、たった五人でローレンシア軍と戦っていること、更にはナターシャがこの戦場にいることなんて知る由もない。
様々な思惑が入り乱れる中、二人は城の出口を目指した。
「先輩たちの死体は回収できないよね……」
「諦めるしかない、な」
「そっか……」
第一九〇小隊はリリィが初任務からお世話になった小隊だ。イグニチャフも短い間だが色々と教えてもらった。さよならを告げるにはあまりにも早い。せめてシザーランドの地で眠らせてあげたかった。
二人は恐る恐る城門をくぐる。周囲に敵影はなく、絶望的と思われた包囲網が解除されていた。第二〇小隊が注意を集めているおかげだ。
「もう狙っていないかもしれないけれど、先輩を撃った狙撃手には気をつけて。できる限り屋内を進もう」
「わかったぜ」
城に来たときは逃げるのに必死で周りを見る余裕がなかったが、この街は廃都でありながらも綺麗であった。白を基調にした街並みは人が消えても清廉とした雰囲気をかもし出す。いたるところに白十字の紋章が刻まれており、よく観察すると教会にも掲げられている。
「ここって星天教の宗教都市だったのかな?」
「いや、紋章の形が違う。似ている部分もあるから無関係ではないかもしれんが、少なくとも星天教ではない」
「詳しいね、流石は元神父だ」
二人は廃教会の中を走る。内部はひどく荒廃していた。割れた窓ガラスが散乱し、古い木の香りが防護マスク越しに鼻腔をくすぐり、礼拝堂の椅子もほとんどが腐り落ちている。昔はここもたくさんの参拝者が訪れたのだろう。朽ちた女神像はうつろな瞳で二人を見守った。
「神は違えど心は同じ。どうか我々にご加護を」
「尻が軽いよ元神父。他宗教にこびを売ってないで早く走りな」
「リリィには信仰心について一度教えないといけないな」
「パルグリム人は現実主義なのさ」
ステンドグラス越しに見る空は、光が反射して血に染まったように赤かった。もっとも、外に出たら本当に赤い空が広がっているかもしれない。ここはとっくに非現実的な場所に変わっている。
進むにつれて硝煙の匂いも強くなった。戦場が近いのだろう。風に混じって濃厚な血の匂いも漂ってくる。離れたところから聞こえる小銃の音は味方のものだろうか。パラパラと軽快な音がなるたびに誰かの叫び声が聞こえた。
さらに幾つかの廃墟を抜け、二つ目の廃教会に入ったときのことだ。リリィは急に立ち止まった。
「……っ! 止まって!」
緊迫したリリィの声が響き、彼女は警告すると同時に銃を向けた。
彼女の前には、ちょうど廃教会へ入るローレンシア兵の姿があった。防護マスク越しで表情がわからないが、相手も驚いたような気配が感じられる。
(なぜ一人? 囮か?)
戦場で出会ってしまった三人。動けたのはリリィだけで、他の二人は反応が遅れた。
リリィは逡巡する。敵はまだ銃を構えていない。捕虜にできればローレンシアの情報を手に入れられるだろう。なぜ自分たちを襲ったのか、どこから情報を手に入れたのかが分かるかもしれない。このまま捕らえるべきか、それとも慈悲をかけずに殺すべきか。
ナターシャならば迷わずに撃ち殺していただろう。イヴァンやソロモンたちは捕虜という考えすら浮かばないかもしれない。
しかし、リリィとイグニチャフは初任務しか経験のない新人隊員であり、このような状況で無抵抗な敵を殺すべきかの判断は下せないでいた。
(敵意は感じられないから、捕虜にできる可能性は充分高いよね。それに、有益な情報が得られれば私たちが襲われたことにも価値があったと――)
リリィの脳裏に、第一九〇小隊の先輩たちが浮かんだ。もう二度と会えぬ人たちの顔だ。仲間を救えなかった無念や悔しさ、ローレンシア兵に対する恨み、そして理不尽な世界に対する怒りが少女の中からあふれ出し、彼女の迷いを断ち切った。
「いや、殺すべきかな」
リリィは拳銃を握りなおした。
○
銃口を向けられたローレンシア兵――ディエゴは焦った。
(どっ、ど、どうする……? こいつ今、殺すって言ったよな!?)
相手が新人隊員だったように、ディエゴもまた新兵である。銃を向けられたときの対処法なんてイサーク上官は教えてくれなかった。どうしたら良いかわからずに目が泳ぐ。
「まっ、待て……! 撃つな、ほら!」
ディエゴは抱えていた突撃銃を捨てた。抵抗の意思がないことを示せば助かると思った。自分ならば無抵抗な相手を殺さない。声から察するに相手も同年代の少女と思われる。
「……あなた、機動船に乗っていたんだよね?」
「あぁ、そうだ」
「そっか。じゃあ無理だね」
ディエゴは初めて少女の顔を見た。そして、防護マスク越しに映る彼女の瞳が、殺意でどろどろに濁っているのだと気付いて身を震わせた。あれは、言葉では止まらない目だ。理屈が通じない人間の顔だ。
殺される。死にたくない。自分にはやり残したことがある。軍人になんかならなかれば良かった。商業国にいかなければ良かった。ヌークポウを、出なければ良かった。
ディエゴの頭が真っ白になった。最後に浮かんだのは後悔と幼馴染の顔。
リリィの指に力が込められた。向かい合って十歩ほどの距離だ。避けられる、はずもなく。
乾いた発砲音が廃教会に木霊する。
(外れた……!?)
殺されると確信していたディエゴは驚いたように目を丸くし、銃を撃った少女もまた、自らが外したことに衝撃を受けた。弾丸はディエゴの左腕をかすめ、奥のステンドグラスを割る。よろめくディエゴ。だが致命傷には至らない。
すでにリリィの腕は限界を迎えていたのだ。繰り返し砲弾を運び、ろくに休息も取れず、ほとんど気力だけで持ちこたえていたが故に、肝心な場面で外してしまった。
リリィはすぐに次の弾を発砲する。しかし、よろめいた拍子に地面を転がったディエゴをうまく狙うことができない。彼もまた必死であった。ようやく見えた光明、これを逃せば殺されると本能で理解している。
ディエゴは本当に必死だった。そもそも、人を撃ったことが一度もないのだ。初めての戦場で、世話になった人の死を目の当たりにして、自分と同じぐらいの少女に殺されかけて。
何度も地面を転がり、腐った椅子を盾にした。腕から伝わる振動が死の恐怖を与えた。正気を失った少年少女。二人を動かすのは生存本能である。生きたいと強く願った者が勝つ。考えて動いたわけではない。
「うァアア……! くっそぉ……!」
少年は自分が叫んでいることすら気付いていないだろう。死に物狂いで逃げ回り、泥と涙でぐちゃぐちゃになりながらも生きようとした。
「俺は……まだ死ねないんだよ……っ、あいつを、助けるまでは……!」
気付けば、ディエゴは腰にさした拳銃を発砲していた。
たった一発。空虚な音だ。
気付けば、リリィは撃たれていた。
狙われたのは腹部。たった一発が、致命傷になる。
「……あ」
顔を白くした少女は拳銃を支える力すら入らなくなり、やがて膝から崩れ落ちた。




