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第三十六話:朽ちた聖城の籠城戦

 

 “朽ちた聖城(せいじょう)”は結晶によって地図から消えた街の一つだ。宗教国家の前線基地であったが、結晶風の発生によって百年戦争が終結し、同時に朽ちた聖城も滅びてしまった。かつては難攻不落の城塞都市だったらしいが、今となっては見る影もない。


 そんな城下町に激しい銃声が響きわたる。救援がくるまでの時間を稼ごうとする第一九〇小隊と、彼らを追いたてるローレンシア軍だ。百年戦争よりも以前に建てられた街であり、機動船で入るには複雑な構造をしているため、船は街の外に停泊している。

 休みなく続く籠城戦。いつ救援が来るかもわからないリリィたち。疲労は限界に達していた。


「隊長! 左が突破されそうだ!」

「あたしがいきます!」

「よしっ、リリィは援護! イグニチャフは弾の補充だ!」

「りょ、了解! どれぐらい必要ですか!?」

「持てるだけ全部持ってこい! ここが突破されたらもう後がないぞ……!」


 城門が最後の砦だ。周囲に敷かれた包囲網が首を絞めるように狭まる。逃げ場はない。戦う力も残されていない。血に飢えた狼の牙が、眼前にまで迫っていた。

 状況の悪さをもう一つ語るならば、第一九〇小隊の機動船を操縦していた傭兵が、船から降りる際に撃たれてしまった。仮に城から脱出できたとしても船の操縦は不可能だ。新人二人と先輩隊員、小隊長の四人となったリリィたちに対し、ホルクス軍の損耗は軽微である。


 リリィたちはまさに孤軍奮闘と呼べる戦いをみせた。聖城の内部が複雑なのも幸いした。


「弾はまだか……!? もう尽きそうだぞ……!」

「かつて英雄は人の糞尿を大砲で飛ばしたそうだ! お前も見習ったらどうだ?」

「そいつは良いことを聞いた! 糞やろうどもにお見舞いしてやるか……!」


 隊長と先輩隊員のふざけた会話を聞き流すリリィ。彼女はせっせと砲弾を詰めた。救援部隊が到着するまでの時間を稼ぐため、少しでも多く大砲を放つのだ。


「重っ……むり、もう……」


 彼女の細腕が言うことを聞かずに震えた。疲労によって視界が明滅し、もしくは白っぽくかすんで、結晶の反射光がいつもよりも眩しく見える。今にも閉じそうなまぶたを上げ、高台から見下ろす光景はまさに地獄。リリィは肩で息をしながら、灰と結晶の大地をにらみつけた。


 駄目なのだ。いくら奮闘しようとも、どれほど大砲を撃っても、圧倒的な物量差の前ではどうにもならない。救援が来るまでに自分たちは全滅する。新兵のリリィにだって、その程度の戦況は読むことができた。

 英雄と呼ばれる人たちはどのように不可能を乗り越えたのだろうか。敵に包囲された状況で彼らは笑ったのだろうか。


 弾の補充へ行ったイグニチャフは未だ帰らず。リリィは無意識に舌打ちをする。時間はあまり経っていないはずなのだが、あまりにも状況が悪すぎるせいで余計に長く感じられた。苛立たしいのはリリィだけではなく、先輩隊員も不機嫌そうな声を上げた。


「鬱陶しいな……手榴弾をくれ隊長! あいつらの隠れ場所を吹き飛ばしてやる!」


 城下町は結晶化現象(エトーシス)が進んでいるため、非常に攻めづらい形状になっている。それはリリィたちも同じことがいえるわけで、互いに決定打を与えられずにいた。地面から好き勝手に生えた結晶が防壁となり、両者の弾を通さないのである。


 硬直状態といえば聞こえが良いが、実際にはじわじわとリリィたちが不利だ。弾が尽きれば時間切れ。それまでに救援が間に合うか。それともローレンシアの飢えた狼に食い破られるか。


「おい隊長! 返事ぐらいしやがれ――」


 先輩の言葉が途中で消えた。まさか、と隊長に目を向ける。


 隊長はすでに死んでいた。頭部を撃ち抜かれた彼は呆然とした顔で空を見上げている。ドクドクと流れ続ける血。声をあげる間もなく即死したのだ。

 リリィは顔を青くした。これは狙撃だ。しかも、恐ろしいほどに腕の立つ狙撃兵によるものだ。つまり、自分は今、敵の目の前で馬鹿みたいに体を晒しているような状態なのだ。

 敵の狙撃兵は嘲笑いながら照準を合わせるだろう。もしくは、仕事をこなすように、淡々と引き金に指をかけるだろう。


 動け。立ち上がって走るのだ。わかっているのに、リリィの足は動かない。


「リリィ! 一旦なかに隠れるぞ! 腰抜かしてないで立ち上がれ!」


 先輩に引っ張りあげられて、ようやくリリィは走った。高台から古城内へ一直線に目指す。


 ――パシュン。


 前を走る先輩の体が、転がり落ちた。腹を抜かれたのだ。彼は地面から見上げるように叫んだ。血と空気が混じり合い、喉を潰したような声だった。


「立ち止まるなっ、走れ……!」


 戦場という極限状態に陥った時、生きたいという願望、限界を超えた生存本能が脳のリミッターを外し、人の領域から逸脱した力を手にする場合がある。それは英雄たちの中でもごく僅かな者だけが発揮する、人の想いから生まれた神秘の力だ。少女の瞳に赤い光が宿る。片鱗とすら呼べないほど小さく、まばたきを一度でもすれば消えてしまいそうな光だが、少女は間違いなく限界を超えた。


 リリィは振り返ったとき、狙撃手の姿を瞬時に見つけた。本来は見えないはずの遠い人影だ。引き伸ばされた時間の中で、二人は確かに目を合わせた。

 リリィがいる高台よりも大きな建物は城以外にない。本来ならば狙撃できない位置。しかし、長い時間を経て巨大化した結晶の柱が街の中央付近に生えている。そして、柱の側面にある不自然な人影。


 奴が狙撃手だ。ローレンシア特有の防護服を着て、結晶の柱にフックでぶら下がり、小さなとっかかりを足場にして狙撃する。リリィは逃げるよりも、そんなことが可能なのかという感心が先に浮かんだ。遅れて、足が動き出す。ゆっくりと進む時間の中。これは間に合わない、と冷静な脳が答えをはじき出した。


「こんの、馬鹿……!」


 ぐんっ、と右手が引っ張られた。リリィがいた場所を弾丸が突き抜ける。

 体勢を崩したリリィは転がるように古城内部へ入った。受け止められたおかげで大した怪我はなく、彼女は咳き込みながら立ち上がる。


「ケホッ……ハァ……ありがとう、イグニチャフ……」

「あぁ、それよりどうなっている……? どうして先輩が撃たれているんだ?」

「そうだ……助けないと……!」


 イグニチャフは慌てて彼女の手をつかんだ。


「ちょ、馬鹿! 何があったか知らないが、先輩は背中から撃たれていたんだ。あの怪我では助からないだろ」


 イグニチャフは高台に目を向けた。先輩はうつ伏せのままピクリとも動かない。神父という仕事柄、人の死に何度も関わってきた。故に、助からない人間の独特な匂いを知っている。


(くそ……隊長までやられたのかよ……! どうする、逃げるか? いや、外に出ても撃たれるだけだ、救援を待つべきか……いや……)


 イグニチャフも混乱している。リリィが前で取り乱さないよう気丈に振る舞っているだけだ。心の中では逃げたくて仕方がない。


 戦いは覚悟していた。長生きできないであろうことも承知の上で立っている。いつか命が尽きる瞬間まで、己のために戦うのが傭兵だ。ただ、“その時”があまりにも早かっただけである。


 こんな時にするべきことは一つ。

 イグニチャフはおもむろに首飾りをにぎった。


「……何をしているの?」

「祈りの準備だ。こうなったら神頼みさ」

「星天教の信徒じゃなくても助けてくれるかな?」

「我らが神は寛大だぜ」

「敵が同じ星天教だった場合でも?」

「……たぶん大丈夫だ」


 祈るイグニチャフを横目にしながら、リリィは外の様子をうかがった。こちらからの牽制がなくなった結果、敵は好き勝手に砲撃をしてくる。


「まずいよイグニチャフっ、このままじゃ崩れてしまうかも!」

「……」

「ねぇ、祈りも大切だけど、今は逃げるべきだよ」

「しっ、静かに。もう少しで主神と繋がりそうなんだ」

「主神と繋がりそう」

「そうだ、もう少し……」


 リリィは逃げる準備を始めた。辺りに散らばっていた弾をかき集め、手榴弾の数を確認し、外を警戒しつつ退路を探す。その間、イグニチャフは天に祈りを捧げていた。


(逃げるって、どこに? 城は包囲済みだし、たぶん地下水路も塞がれているし、そもそも逃げ道なんて……)


 リリィは壁にもたれ掛かり、両膝をかかえてイグニチャフを見つめた。祈る姿は様になり、もしも神様がいるならば本当に助けてくれそうな気がする。錯覚に過ぎない。だが、リリィの心は少しだけ落ち着いた。

 背中から絶え間なく伝わる砲撃の揺れ。近くで結晶が崩れ落ちる音。徐々に近付く狼の遠吠え。


(神様がいるなら救ってみせてよ)


 この世に神はいるか。答えを知る者はいないが、少なくとも、救いがないのは確かだ。善行を積み重ねても自己満足にしかならず、生き残るための免罪符にはならない。砲撃の粉塵にまみれる少女に、神は手を差し伸べない。

 されど、神はいなくとも英雄は存在する。


「……あれ?」


 いつの間にか砲撃が止んだ。イグニチャフの祈りが届いたのだろうか。否、そんなことはない。リリィは窓から顔を出した。狙撃手は結晶柱から消えており、地上の敵部隊も波がひいたように撤退した。


「あっ、まさか……!」


 遠く、シザーランドの旗が見える。鷲の紋章は傭兵の証。八本足の機動船がすさまじい速さで走っていた。黒銀の船はシザーランドなら誰でも知る「彼ら」の船だ。シザーランドの二大英雄。ルーロ戦争の生き残り、第二〇小隊の旗印。


 結晶を越えて、救援部隊が現れた。




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