第三十話:未来に乾杯
傭兵国シザーランドのとある酒場で、前途有望な少年少女がたのしそうに騒いでいた。今日は全員の傭兵見習い卒業を祝う食事会である。
ナターシャは大国の兵士に襲われながらも生きて初任務から帰還することができた。リリィは良い小隊に巡り会えたらしく、傭兵の立ち振舞いから街の暮らし方まで教えてもらったそうだ。イグニチャフは同期主席の大男と同じ小隊に仮配属され、あれよこれよと怒られながらも何とか任務を成功した。故に、今日から全員が一人前の傭兵である。
席に座っているのはナターシャとリリィ、イグニチャフの三人だけであり、変態小太りことドットルは用事があるため居ない。
何にせよ今日はめでたい日だ。飲んだくれ神父が酒を片手に持ち上げた。
「無事に全員の卒業を祝って、かんぱーい!」
騒がしい祝賀会が始まった。少ない給金を三人で出し合っているため、豪華な食卓とはいえないだろう。しかし、自分たちで稼いだ金で飲む酒はこれ以上ない贅沢であった。以前はよく訓練後に集まったのだが、初任務やそれぞれの用事で最近はご無沙汰だったため、こうして同期と騒ぎながら食事をするのが随分と久しぶりに感じられる。
鶏ガラのスープと少し固めのパン。乱暴に薄めた酒も今夜だけは高級酒に生まれ変わる。ナターシャは適当に注文した揚げ物をひょいひょいと自分の皿に取った。
「んーっ、しあわせ。ヌークポウでは食べられなかった味だわ」
「あたしは前から気になっていたんだけど、ナターシャって移動都市の出身なの?」
「生まれは違うけど、数年間暮らしていたわ。ヌークポウを知っているの?」
「もちろん! 都市から都市へ渡る巨大船なんて浪漫の塊じゃん! 世界中から旅人が集い、道無き道を友と行く……いいなぁ」
「そんなに良いもんじゃないよ。どこに行ってもサビ臭いし、食事も美味しくない。揺れがすごいから揚げ物もできない。鼠に服を食べられることだって日常茶飯事よ」
「夢がないなぁ」
「現実なんてそんなものね。リリィの故郷はどんな場所だったの?」
「あたしの?」
リリィはあごに人差し指をあてながら考えた。
「あたしは商業国の首都、カップルフルトの出身なんだけど、どんな場所って聞かれると困るなぁ。誇れるような場所は一つもない街だったからさ」
「あぁ、金融都市ね。私も何度か行ったことがあるよ」
「ひどい街だったでしょ」
「ヌークポウが天国に思えたわ」
「正直でよろしい。商業国の首都だから脂ぎった商人ばかり集まっちゃうんだ。でもね、その商業国に次の任務で行くことになったの。たしか荷物を運ぶ輸送任務だったよね、イグニチャフ」
すでにジョッキを二つ空にした飲んだくれが顔を向けた。少し顔が赤くなっている。
「あぁ、商業国パルグリムが各地から銃を集めているらしくてな。俺たちの小隊に輸送の護衛任務が命じられたんだ。長旅になるだろうな」
「俺たちの小隊ってことは、二人は同じ隊になったの?」
「俺とリリィは第一九〇小隊だぜ。こいつがどうしても俺と同じ隊が良いって言うんだよ」
「記憶までボケたんじゃない飲んだくれ。そもそも、第一九〇小隊はあたしが初任務でお世話になった小隊だよ。イグニチャフが勝手に付いてきたんじゃん」
「俺には神のお告げがあったのさ。第一九〇小隊で運命の出会いが待ってるってな」
「下心丸出しだね、不純な動機だ」
「お前だって男漁りだろ」
二人はたまたま同じ小隊を希望したらしい。仲が良さそうで何よりである。ナターシャは機嫌良さそうに肉を頬張った。あふれる肉汁が彼女の幸福感を満たしてくれる。やはり、肉だ。肉が世界を平和にするのだ。
「それじゃあ、リリィは久しぶりに祖国へ里帰りってわけね」
「特に思い入れもないけど、折角だし実家に顔を出してみようかな」
「帰る場所があるってのは良いことだぜ。俺なんて教会を追放されたから帰れないんだ」
「追放? 酔って問題でも起こしたの?」
「いいや、星天教にも色々と宗派があってな、他の宗派と揉め事になって、気が付いたら相手のお偉いさんをぶん殴っていたんだ」
「何をどうしたら神父が喧嘩沙汰を起こすのよ」
「俺も世界の荒波に飲まれちまったのさ」
元神父が大口を開けて笑った。イグニチャフにも意外とお茶目なところがあったようだ。リリィが「なーにが世界の荒波だよ」と笑っていた。
二人とも深く追及しなかった。秘密にしたい過去は誰にだって存在する。ナターシャも森での生活はジャンク屋以外に話していないし、隣に座るリリィだって語らない過去の一つや二つはあるはずだ。
酒が回れば口も回る。イグニチャフが一気飲みを披露したり、リリィが初任務の内容を語ったり。酒がはじけ、言葉がはじけ、視界がほんのりと揺らぐ。仄かな酩酊感と和やかな雰囲気。こんな晩餐も悪くない。
ふわふわと浮かぶような幸せに浸っていると、向こうの席から近づいてくる男がいた。傭兵の隊服を軽く着崩しており、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべている。鷲飼いの狩人に所属し、集落の掟で傭兵を志願したナナトだ。
「やっほー、ナターシャちゃん。こんなところで何やってんの? もしかして俺に会いたかった?」
「残念ながら私の隣はリリィで埋まっているの。他をあたりなさい」
「あちゃー先客がいたか。それは仕方ないな」
ナナトはそう言いつつも、何食わぬ顔でイグニチャフの隣に座った。飲んだくれ神父も流石に驚いたような顔をする。
「よろしくねーイグニッち。俺は狩人見習いのナナトだ」
「俺のことを知っているのか?」
「君たちは有名だからねぇ。イグニチャフとドットルの二人組を知らない傭兵見習いは居ないと思うよ? はい、かんぱーいっ!」
「お、おお? かんぱい?」
戸惑いながら乾杯するイグニチャフ。最初は気圧されている様子だったが、酒を交わせばあっという間に打ち解けたようだ。ナナトは人と仲良くなる天才であるらしく、気付けば男二人で肩を組みながら笑っていた。
そんな男たちを横目に、少女二人は顔を寄せ合って小さく会話をする。
(ちょっとナターシャ、いつの間にナナトと仲良くなったの!?)
(仲が良いってほどじゃないけど、前に整備士を紹介してもらったの。というか、え、リリィはもしかしてナナトを狙っているの?)
(ちがうちがう、コネだよ、コネ。あいつは顔が異常に広いから、仲良くなればきっと良い男を紹介してくれるに違いない)
(そういうことか。頑張ってね)
(頑張ってね、じゃなくてナターシャも頑張るのー!)
こそこそと耳元で話し合う二人。下心しかないリリィに呆れていると、ナナトがにこやかな笑顔で話しかけてきた。
「そういえばナターシャは羽無しちゃんに会えた?」
「その節はどうも、無事会えたわ。しかも同郷の友達だったからびっくりした」
「へぇー、そうなんだ! あの子って一匹狼な雰囲気があるじゃん? だから同世代の君ならって師匠も紹介したんだけど、世界は案外狭いね」
イグニチャフのペースに合わせて結構飲んでいるはずなのだが、ナナトは全く酔っているように見えなかった。もっとも、素面でも酔っているような態度で話しかけてくるため、違いが分からないだけかもしれない。
「あっ、リリィちゃんも初めましてー。ナターシャの親友をやらせてもらってるナナトでーす」
「ご丁寧にどーも、同じく親友のリリィでーす」
「おいおい、俺を差し置いて友を語ろうなんて許せないな。共に銃を磨き合った仲だぜ?」
「リリィ以外は黙っていなさい。あなた達は親友というよりも、悪友の一歩手前じゃないかしら?」
「あっはは、君たちは訓練時も有名だったよ。そういえばあの変態くんはいないの?」
ドットルが変態であることは周知の事実だった。
「あいつも誘ったんだが用事があるらしいぜ。なんか初任務が終わってから忙しそうなんだよなぁ」
「用事なら仕方がないなー。ぜひ初任務はどうだったかを聞きたかったんだけど……」
ピクリ、とナターシャの眉が動いた。反応は一瞬。表情には出さない。せっかくの酒を不味くしたくないからだ。血生臭い話を好んで聞くような奴はいないだろう。ナターシャは今の雰囲気を気に入っており、せめて今夜だけでも楽しく飲み明かそうと決めていた。
ふと、ナナトは第三三部隊の結末を知っているのかもしれないと思った。相変わらず表情が読めない男だが、彼は鷲飼いの狩人である。独自の情報網を持っていてもおかしくないだろう。
「まぁいいや。聞いたよイグニッち、初任務は大変だったんだってね?」
「大男の野郎が好き勝手にあばれるからよぉ、そのたびに俺が助けてやったんだぜ。今頃あいつも感謝しているだろうな」
「あれっ、イグニッちの失敗で敵に見つかりかけたって聞いたけど?」
「情報の行き違いはよくあることだ」
あれほど沢山あった料理もいつの間にか無くなっており、ちびちびとお酒を飲みながら同期たちの話に耳を傾けた。ナナトも既に配属先を決めているらしい。いわく、先輩狩人が所属していた小隊に入るのだとか。つまりコネだ。イグニチャフとリリィは先ほど聞いたとおり同じ小隊へ。ドットルはこの場にいないため分からないが、彼も配属先を決めているかもしれない。
先を越されてどうということはない。しかし、じわじわと急かされるような不安に襲われた。自分だけが取り残されているような錯覚だ。
「さっきはあんな風に言ったけどね」
ふと、男二人には聞こえないぐらいの大きさで、リリィが話を切り出した。
「あたし、結構楽しみにしているんだ」
「里帰り?」
「うん。カップルフルトに妹を残してきたから、元気にしているか心配なんだよ」
「じゃあ立派な傭兵になった姿を見せてあげないとね」
冷たい風が吹き込んだ。誰かが酒場の窓を開けたのだろう。渓谷の地下深くから昇った風が、封晶ランプを揺らしている。砂岩ヒトデが縮こまり、思わず少女も縮こまり。先無き未来が窓の外に広がった。
太く、短く。誇りのために生きる傭兵たち。ここにいるのはその卵。少女たちの前には無数の道が開かれている。今しか選べない道も、ある。後悔のない選択は不可能であり、ましてや傭兵の道に栄光はない。たくさん悩んで、自分がどうありたいかを考えて、いずれくる後悔に覚悟をし、彼女たちは前に進む。
今日はそんな少年少女のささやかな祝賀会だ。




