第二十七話:埃まみれの再会
道のいたるところから蒸気が噴出し、溶鉱炉の火が洞窟の天井を赤く照らす。ここが整備士の楽園、溶鉄通りだ。あっという間に汗が吹き出そうな熱気に包まれ、体格の良い職人たちが忙しなく行き来する。
そんな溶鉄通りの奥、いくつもの曲がり角を通った先に件の店はあった。店といっても看板は何も掲げられておらず、壁には無数のヒビが走り、なんとか店の体裁を保っているような状態だ。今にも崩れそうな屋根には落蛍の花が咲き、崖沿いには壊れた昇降機が寂しげに揺れている。
「狩人から破門になった整備士、ね。どこまでが本当か怪しいわ」
ナターシャは奇妙な予感がした。なぜそう感じたかと聞かれると答えられないのだが、この寂れた光景に既視感を覚えるのだ。喉に骨が引っ掛かったような違和感を感じながら、ナターシャは店の扉を開いた。
「誰かいるかしら?」
あまり客が寄り付かないのだろう。入ると同時に埃の匂いがした。銃器が雑多に積み重ねられ、かすれた設計図が床に散乱している。とても店と呼べる状態ではない。
ナターシャの声が聞こえたのか、店の奥から人の気配がした。「ガシャン」と何かを蹴り飛ばすような音が聞こえ、やがて、ブカブカの作業着を着た少女がごみ山から現れた。
「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思っていたぜ」
鷲飼いの狩人から破門にされ、羽を失った整備士と揶揄される少女。かつて、ヌークポウの地下でジャンク屋を営んだ少女。
「……うそ、リンベル? 灰被りのリンベル??」
「そうさ、リンベルだ。灰被っているのは私じゃなくて店だけどな」
「どうしてここに? ヌークポウにいるはずじゃないの?」
「そりゃあ、ナターシャが寂しがるかと思って追いかけんだ。大変だったんだぜ? 流石の私でもシザーランドへ来るには金も時間もかかっちまった」
けらけらと笑うたびに薄灰色の髪が揺れた。間違いなくリンベルだ。灰被りのジャンク屋。移動都市で幾度となく世話になった友人。途端に懐かしさが込み上げてくる。
「……夢を見ているみたい」
「おいおい、そんなに感激されると照れるな」
「その少しむかつく態度も間違いなくリンベルだわ。相変わらず埃まみれだし、あえて辺鄙な場所に店を構える変わり者なところも変わっていない」
「ひどい言われようだとは思わないか?」
「残念ながら全て事実よ」
そりゃ確かに、とリンベルは肩をすくめた。
「あなたが鷲飼いの狩人だったなんて知らなかったわ」
「破門者がわざわざ自己紹介をしないからな。まぁ破門と言っても一族と仲違いしたわけじゃないし、私が勝手に出ていったからむしろ心配をかけているだろう。私が着ているこの遺物も『破門者は狩人装束を着ることができないから餞別だ』って渡してくれたんだぜ」
「たしかにリンベルが狩人装束を着ている姿は想像できないわ」
「そうだろう? もちろん一族のみんなには感謝をしているけどな」
「……リンベルが素直だ」
「私も久々の再会に感激しているんだ」
それはないだろう、と内心でつっこんだ。
「それで、私に会いたくて来たんじゃないだろ。また銃の整備か?」
「うん、今回はこれよ」
ナターシャは背負っていた結晶銃を下ろそうとした。しかし、あまりにも机が散らかっているせいで置く場所がない。ナターシャが困ったように見つめると、意図を察したリンベルが机の物を適当にどかした。
「……いいかげん片付けたらどうなの」
「これでも前よりはマシなんだ。それよりも見せてくれよ」
「壊さないでね。私の第二の相棒なんだけど、今回の任務で少し無茶な使い方をしたから見てもらいたいの」
「ふーん、どれどれ……」
結晶銃を受け取った瞬間、リンベルの目が変わった。ナターシャをそっちのけにして、結晶銃の機構を興味深そうに観察している。銃身を覗き込みながらぶつぶつと呟く姿は少し異様だ。ナターシャにとっては見慣れた光景であるが、それが逆に懐かしさを感じさせた。
一心不乱に銃を弄るリンベルと、手持ち無沙汰に店の商品で遊ぶナターシャ。店内が更に散らかったのは言うまでもない。ナターシャは「ガラクタばかりね」と言いながらもどこか楽しげな様子だった。
やがて、リンベルは結晶銃を机に置いて、感慨深げに大きく息を吐いた。
「……こいつは凄いな!! 大気中の結晶を凝縮して弾に変えているのか? どうなっているのか検討もつかないぜ。しかも特殊な形状から考えるに一点物。世界に一つしかない狙撃銃か。うん、良いな。すごく良い銃だ」
「あなたの感想じゃなくて、整備が必要かを聞きたいんだけど」
「今回の任務による整備、という意味なら必要ないぜ。所々に歪みがあるけれど、これはずっと昔についたものだ。錆びもないし綺麗な銃だ」
「それなら安心ね。その歪みもついでに直してくれる?」
「うちは安くないぞ?」
「そこは友達価格でなんとか……」
「ならないのが世の常だ。出世払いで手を打ってやる」
世知辛いわ、と呟くナターシャ。彼女の耳にかけていたイヤリングが揺れた。故郷でリンベルがくれたものであり、深紅の宝石がナターシャによく似合っている。
「そのイヤリング、つけてくれたんだな」
「リンベルからの贈り物だからね……あっ、お返しをしていないわ」
「礼なんか必要ないさ。贈り物は不確かな愛を形にしたものだ。そこに礼なんて堅いものは必要ない」
「愛……ちなみに、これはどこで見つけたの?」
「無理心中をはかって死んだご令嬢の亡骸」
聞くんじゃなかったとナターシャは後悔した。耳に下げたイヤリングが途端に重く感じられる。
ちなみに、深紅の宝石には様々な石言葉が込められている。変わらぬ愛、真実の友情、もしくは秘められた情熱。とある国では旅立つ友や戦争に行く恋人へ贈る石なのだとか。リンベルはにやにやと笑いながらイヤリングを見つめていた。
「……なによ」
「普段は着飾らないお前がイヤリングをしているというのは面白い光景だな」
「けなしているの?」
「褒めているぜ。ほら、そんなことよりもナターシャの旅を聞かせてくれ。つもる話がたくさんあるだろう」
「話すと長いわよ。楽しい話でもないし」
「大好物だから安心しろ」
それから二人はたくさん話した。
ヌークポウで結晶憑きに襲われたこと。警備隊のエルドに裏切られて船から落とされたこと。月明かりの森に入ったこと。必死に寝床を探して、食べ物を探して、化け物と夜を過ごし、得体の知れぬ黒水を飲んで、そして人を撃ち殺したこと。
淡水ミミズに食われかけた話は爆笑され、傭兵と森で出会った話は興味深そうに聞いていた。
「随分と苦労したみたいだな」
「本当にね。だから、ここでは傭兵として人生を思いきり楽しむの。たくさん稼いで美味しいものを食べたり、壊れた世界を回って色々な景色を見たり」
「戦争に肩入れして人を撃ったり?」
「それが仕事なら、ね。リンベルはそういう人って嫌いかしら?」
「その金で私を養ってくれるなら好きになるかもな」
「ご冗談を」
ナターシャが愛銃を手渡した。ジャンク屋、もとい整備士は手慣れた手つきで分解する。ナターシャの愛銃は軽量化のために特殊な加工がされており、その加工を行った張本人であるリンベルがいつも整備をしていた。ある程度はナターシャでも自力で出来るが、やはり本職に任せるのが一番だ。
「まっ、いいんじゃねーか」
「……?」
「傭兵だよ。ナターシャに向いていると思うぜ。少なくとも、ヌークポウにいた頃よりは生き生きしている。確かに傭兵ってのは忌避されるもんだが、お前は他人の目を気にするような性格じゃないだろ」
リンベルはそう言いながら天井に向かって空砲を鳴らした。夜更けの渓谷に乾いた音が一発。どうやら引き金の感触が気に食わなかったらしく、ふたたび分解を始めた。
(……リンベルが優しい。そんなに顔に出ていたかしら)
ずっと仕事仲間のような関係を続けてきたし、それが丁度よい距離感だと思っていた。お互いに本音を語り合うことは少なく、店の外で会うこともあまりない。しかし、ナターシャが初任務の出来事にショックを受け、気分が沈んでいるのを察するぐらいには、リンベルも気にかけていたらしい。
「……リンベル、ちょっと変わった?」
「んー? 変わったのはどっちかというとお前じゃね?」
「え、そう? どのあたりが?」
「雰囲気が鋭くなったというか、隙がなくなったというか……あぁ、あれだ。人相が悪くなった」
「うるさいわ。これも苦労の証なのよ」
「それと私より胸が大きくなっててむかつく」
「本音が出たわね灰被り」
「何にせよ気楽にいこーぜ相棒。難しく考えたってどうにもならないのがこの世界だ。眉間にしわを寄せたって救う神はなし、そんなもんだと受け入れて楽しもうや」
にやけたジャンク屋が体をのりだし、ナターシャの額をぐりぐりとつついた。急に顔が近づくものだから驚くナターシャ。鼠色の瞳が無遠慮に覗き込んでくる。灰のリンベルと白金のナターシャ。相棒と呼ぶには距離が近いのではないか。
「……誰が相棒よ」
「照れているのか?」
「うっさい」
リンベルは満足げに座って整備を再開した。
夜も更けて渓谷都市が寝静まり、外の騒がしい声もいつの間にか止んでいる。聞こえるのは昇降機がきしむ音、もしくはカチカチと銃を整備する音。封晶ランプの淡い光が二人の少女を包んでくれる。
ナターシャはくたびれたソファに座り、古い本を開いた。世界が結晶で覆われる前の、豊かで騒々しい時代の話だ。
忘れ名荒野に消えた女王の国。結晶によって滅びた宗教国家。月明かりの森が違う名前で呼ばれていたとか、西の果てにローレンシアの国教である星天教の聖地があるとか、今の子どもたちは知らない過去が記されている。消えた国々の歴史に、ナターシャは思いを馳せた。
(こんな夜は久しぶりだわ。森ではいつも、警戒していたから……)
入隊してからはバタバタとして満足に休めず、初任務は洞窟内で夜を明かす日々だった。心の底から安心できる夜なんて、ヌークポウから落ちて以来初めてかもしれない。
(まだ考えることはたくさんあるけれど……待ち伏せの件とか……第二〇小隊とか……あれも……これも……)
緊張の糸が切れたように少女の体から力が抜け、やがてナターシャは沈むように眠った。古書の上に細い指を重ねて、静かに寝息を立てる。ゆらゆらと揺れる影は、窓から入り込んだ風が彼女の髪で遊んでいるのだ。本当に深い眠りである。
「……ここは私の家だぞ」
リンベルはため息を吐きながら、自分が着ていた上着をナターシャにかけた。




