表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/163

第二十六話:長くて短い初任務

 

 パトソンの遺体は忘れ名荒野で燃やした。人を運ぶにはあまりにも距離がありすぎるうえに、何よりも戦いで死んだ戦士は戦場で眠らせるのが傭兵のしきたりだからだ。故郷なき傭兵にとっては仲間と生き抜いた戦場こそが安息地であり、薄暗い渓谷に連れて帰っても死んだ仲間が浮かばれない。


 人は死後、肉体を燃やすことで天に住まう神様の元へ向かうとされている。星天教の教えが起源であり、たとえ大国と敵対するシザーランドであっても、亡くなった仲間は火葬するのが基本だ。忘れ名荒野に昇る煙がどうか天へ届きますように。墓標がわりにパトソンの銃を地面に突き刺すと、ナターシャは怠惰な神へ祈りを捧げた。


 行きは六人。帰りは五人。空気は最悪の中の最悪だ。先輩隊員はもちろんのこと、ドットルですら(けわ)しい顔をして喋らない。シエスタなんて目を離せば居なくなってしまいそうなほど憔悴していた。


 帰還の道のりは永遠に続きそうなほど長く感じられた。誰もが暗い表情を浮かべている。あまりにも陰鬱とした空気にあてられて、洞穴内の生き物も逃げてしまった。


「……ナターシャ、ちょっといいか」

「どうしたんですか、ダン先輩?」


 先頭を歩いていたダンがナターシャの隣に立った。アンナはシエスタの様子を心配するように寄り添っており、ドットルは隊の一番後ろを歩いている。


「お前のおかげで第三三小隊は助かった。あのままでは俺たちの命も危なかっただろう。敵兵の顔には見覚えがある。ローレンシア軍所属のディグリースといや、ルーロ戦争を生き抜いた歴戦の兵士だ。それを討ったのだからお前の貢献は大きい」


 ナターシャは否定も肯定もしない。結果として第三三小隊は生き延びた。それは、一人の勇敢な青年が、自らを囮にするかのように最前列を進んだから得られた勝利。


「それに……パトソンの仇を討ってくれて、ありがとう」

「いえ、私は傭兵の務めを果たしただけです」


 感謝の言葉を告げるダンの表情は、可能ならば自分の手で討ちたかったという後悔が滲んでいた。だから、ナターシャは目を逸らすように前を向いて付け加えた。


「私たちは傭兵ですから」


 傭兵は泣いてもいい。復讐心に身を焦がしてもいい。だが、後悔に足を止めて、進む道も分からずに堕落してはいけない。ナターシャもダンも傭兵であり、パトソンもまた傭兵として自らの道を進み、たまたま道が途切れてしまった。

 ダンは「そうか……」と小さく呟いてから離れた。彼の横顔がほんの少しだけ明るくなったのは、落蛍の光に照らされたから。先頭に戻った彼はアンナと一言二言呟きながら隊を先導した。


(それにしても、なぜローレンシアが待ち伏せしていたのかしら)


 不可解だ。そして、不愉快だ。またもローレンシアが邪魔をする。任務の情報が漏れていたと見るのが妥当だろう。シザーランドから忘れ名荒野まで約七日ほど、情報を受けたローレンシアが出兵するには十分な時間である。


 シザーランドは軍事国家ではなく、そもそも傭兵は軍隊ではないが、傭兵独自の厳しい管理体制によって情報統制が敷かれている。傭兵は国籍や経歴を問わないが故に、傭兵として一度でも入団すれば個人の情報を本部に集約され、たとえ末端の傭兵だとしても、各隊の上官にあたる中隊長がすべての部下を把握する。


 シザーランドの管理体制を信用しているわけではないが、流石に敵国へ簡単に情報が漏れるほど杜撰(ずさん)ではないだろう。ない、と信じたい。恐らくは内通者がいるはずだ。


(ディグリースとかいう男を死なせたのが勿体(もったい)ないわね。あの状況では仕方がなかったけれど、全滅というのは失敗だったわ)


 そもそも、自分がもっと警戒していればローレンシアの待ち伏せに気付けたかもしれない。洞窟から出る前に待ち伏せを警戒して、ナターシャの遺物で周囲を確認しておけば、パトソン隊長を失うこともなかったかもしれない。

 もっと考えて動けば結果は変わっていた。本来すべき自分の役割を果たせなかった。何のための狙撃兵か。


(隊長以外に負傷者が出なかったのは幸い、か)


 ドットルの様子が気になって振り返ると、彼は輝くような笑顔を向けてきた。変態は今日も健在なり。同期として少し心配したが、彼は落ち込むということを知らないようだ。


 ナターシャは頭を降った。細い白金の髪が地下水に反射する。目が退化したトカゲのような両生類がわらわらと集まり、泉のほとりから心配そうに見つめてくる。「心配無用」とナターシャが手を振ると、盲目トカゲは蜘蛛の子を散らすように洞穴へ帰った。


 ナターシャは傭兵のスタートラインに立った。それがどれほど苦くて後味の悪い始まりだとしても、少女が幼い頃から憧れた場所に違いない。くず鉄の塔から外の世界を羨むのはやめた。パトソンを失った喪失感も、無力感も、全て自分のものなのだ。


 それから数日。重い足取りを運びながら、第三三小隊がシザーランドに帰還した。


 ○


 帰還してから数日後の夜、ナターシャは行くあてもなくシザーランドの街を歩いた。橋が重なりあったような天井によって夜空は見えず。封晶ランプの明かりだけが渓谷都市を照らす。


 シザーランドに来てから一ヶ月以上が経って、ようやく街の構造に慣れてきた。崖沿いの足場は緩やかなカーブを描きながら下っていき、無数の昇降機がナターシャの隣を忙しなく上下する。ねじれた洞穴の奥には怪しげな薬屋があった。地底湖を利用した養殖場があった。退廃した世界に人の営みがあった。


「それ一本もらえるかしら?」

「あいよ嬢ちゃん。ちょうど焼きあがったところだ」

「ここって普段は酒場だったんだ。夜に来たことがないから知らなかった」

「嬢ちゃんはもしかして傭兵見習いか?」

「ちょうど初任務から帰ったの。おかげでお腹がペコペコよ」

「そうかそうか! なら多めに刺してやるよ! 未来の傭兵に(さち)あれってな!」


 店主が大降りな肉をザクザクと串に刺していく。何の肉か分からなかったが、濃いめのタレで香ばしく焼いた串焼きは絶品だった。空腹時に食べる味の濃い料理ほど美味しいものはない。


「ついでに聞きたいんだけど、この辺りで腕の良い整備士はいないかしら?」

「俺に聞かれても分からねぇなぁ。ここは傭兵の国だから、武器商人も整備士も余るほどいる。俺にはどこが人気なのかさっぱりだ」

「それは残念。串焼き美味しかったわ」

「また来てくれよ」


 渓谷に突き出た開放的な酒場を抜けて、活気溢れる繁華街を通るナターシャ。あちらこちらで任務帰りの傭兵たちが酒盛りをしている。

 ガシャンと何かが割れる音。気性の荒そうな女店主の怒声。カードを広げて賭けに興じる勝負師たち。女を侍らせて豪勢な食卓を囲む男。

 もしも今回の任務が何の問題もなく成功していたら、彼らのように、ナターシャも第三三小隊で酒盛りに行っていたのかもしれない。周囲の人たちがじろじろと視線を向けてくる。夜の繁華街を少女が一人で歩くのは珍しいのだろう。不躾な視線はシザーランドの洗礼だ。誰も彼もが新たな刺激に飢えていた。


(情報が大国に漏れているかもしれないのに、呑気なものね)


 ナターシャの隣を無数の油鷲(あぶらわし)が飛び去った。真っ暗な渓谷に封晶ランプの光が灯り、地下の星空を油鷲が舞い上がる。

 やがて、前方から一際(ひときわ)目立つ一団が現れた。「鷲飼(わしが)いの狩人」と呼ばれる、シザーランドの先住民族が帰ってきたのだ。彼らは特殊な模様が入った防護マスクを被り、羽根を継ぎ合わせたマントを羽織(はお)る。マントの下には封晶ランプをはじめとした、様々な狩人の道具が吊り下げられており、民族的な歴史を感じさせる彼らの装束は、傭兵が着る隊服と対照的だった。


 彼らの登場が繁華街に風を起こした。傭兵がシザーランドの象徴ならば、鷲飼いの狩人は渓谷都市の守護者だ。油鷲を飼い慣らし、渓谷都市の目として街の隅々を警備する。彼らが外部の任務を受けることはほとんどない。故に守護者。故に、彼らは畏怖される。


(邪魔かしら)


 ナターシャは道の端に寄った。後ろめたいことは何もないのだが、彼らには思わず後ずさってしまうような圧力がある。狩人の歴史が少女の足を後退させる。ナターシャは嵐が過ぎ去るのを待った。


「あれ? あれあれ? ナターシャじゃーん! こんなところで何やってんのー?」

「……」


 そんな嵐が話しかけてきた。狩人の一人が陽気な口調でナターシャの名前を呼ぶ。


「無視しないでよー、俺ちゃん傷つくぜ? あっ、もしかしてマスクのせいで誰か分からない?」

「見なくても分かるわよナナト」

「あっちゃーっ、俺たちは声だけで通じ合う関係ってか、照れちゃうな」


 へらへらと笑うのはナナトという同期の男だ。大男ことウォーレンの相方として注目された色男である。事実、彼は細身でありながらも引き締まった筋肉をしており、訓練時もウォーレン相手に引けを取らぬ立ち回りを見せていた。


 そんな男がどういうわけかナターシャの前で笑っている。ナターシャは自分が無表情になっていることを自覚した。そして、周囲の注目を集めていることにも気が付いていた。


「私は腕の良い整備士を探しているの。あなたに構っている余裕はないのよ」

「つれないなぁ、ナターシャ。折角だし俺の狩人姿を目に焼き付けてよ。結構珍しいんだぜ?」

「まさかあなたが鷲飼いの狩人とは思わなかったわ。どおりで訓練の成績が良かったわけね」

「一人前の狩人になる前に、傭兵として経験を積むのが鷲飼いのしきたりなんだよ。狩人の技術を学ぶのも大事だけど、俺はまだ見習いだから色々な技術を吸収した方がいいんだってさ」


 ナターシャはちらりと狩人たちの先頭に目を向けた。向こうもナターシャを見ていたらしく、互いに軽く会釈をする。


(狩人たちの親心、てことかしら。外の世界を見せておきたいのね)


 考え事をしていると、目の合った狩人がこちらに歩いてくる。ナナトはどちらかというと狩人装束に着られているような印象を持つが、この狩人は見るからに熟練者の風格がある。彼はマスクを着けたまま、しゃがれた声で話しかけた。


「君はナナトの友人かね?」

「第三三小隊所属のナターシャです。ナナトとは訓練で知り合いました」


 友人と明言するとお調子者がさらに面倒臭くなりそうだったから避けた。


「今年は君みたいな少女も傭兵に志願しているのか。年々、若者が増える傾向があるな。それが喜ぶべきことなのかは別だが」

「俺は羨ましいっすよ師匠ー。どうすか、鷲飼いの狩人も流行りに乗って若い子をたくさん募集しましょうよ」

「……うちの若者は間に合っているんだ。これ以上増やすと教え手の数が足りん」


 彼はナナトの師にあたる人物らしい。微妙に言い淀むところから、ナナトが手のかかる弟子なのだろうと察せられた。ナナトの提案自体は後継者不足に悩む狩人にとって順当な打開策なのだが、彼が口にすると途端に下心が見え隠れする。師匠の男から呆れたような雰囲気を感じたのは気のせいではないだろう。


「君は第三三小隊所属と言ったな。たしかパトソンの隊じゃないか」


 トクン、と心臓が跳ねた。


「師匠の知り合いっすか?」

「古い馴染みだ。俺がまだ狩人の見習いだった頃、共に切磋琢磨をした仲でな。互いに責任のある立場になってからは疎遠になっていたが、今でもたまに酒を飲みに行く。しかし、君も気を付けろよ。パトソンは優男に見えて腹黒い一面があるからな」

「師匠も腹黒いから似た者同士ってわけすね」

「お前には礼儀というものを教えてやろうか」


 ナターシャは口を開かない。目を逸らすように(うつむ)く少女、白金の前髪が表情を隠す。沈黙の理由を知らない狩人は話を続けた。


「そういえば整備士を探していると言ったな。『羽根無し』と呼ばれる整備士がいるのだが、折角なら行ってみたらどうだ?」

「狩人から破門されたから関わるなって言ってたじゃないすか。いいんすか師匠?」

「たしかに破門者の店だが、我々の技術を(いしずえ)にしているから腕は本物だ。他にあてがないなら行ってみるといい。長く工房を空けていたんだが、最近になって帰ったらしいから様子を見てやってくれ」

「破門者……私が行っても大丈夫ですか?」

「君たち傭兵が狩人の掟に縛られる必要はない。場所はここから昇降機で三つ降りて、溶鉄所を抜けた先だ。壊れた昇降機が近くにあるから目印にしろ」

「どうもありがとうございます。ナナトもありがとうね」

「惚れちゃった?」

「台無しよ」


 結局、パトソンのことは伝えそびれた。傭兵見習いが責任を感じるなんて傲慢も(はなは)だしいだろう。しかし、嬉しそうに旧友を語る狩人を前にすると、話した瞬間にお前のせいだと糾弾されるような気がした。パトソンと過ごした時間は、共に彼の死を悲しむには短くて、他人事だと切り捨てるには長すぎた。


「……行こう」


 ナターシャは昇降機に乗った。ガシャン、ガシャンと鉄籠(てつかご)に揺られながら、シザーランドの渓谷を下る。赤々と光るのは溶鉄所の明かりだろう。下るたびにむさ苦しい男たちの声が大きくなる。やがて、昇降機の扉が開くと同時に、溶鉱炉の凄まじい熱気と、むせ返るような鉄の香りがナターシャを歓迎した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ