第二十五話:荒野に咲く墓標
罠だ、とパトソンは考える前に理解した。
「穴に戻れ……!!」
ローレンシア軍の銃口が一斉にパトソン隊長へ向けられる。
普段の第三三小隊であれば、パトソンがあえて命令を叫ばずとも、隊長の気配や仕草一つで彼の命令を察することが出来ただろう。しかし、ここには傭兵見習いという二人の異分子が混じっており、頭のまわるパトソンは「経験の浅い見習いたちは命令がなければ対処できない」と考えてしまった。故に、口を開かずさっさと隠れれば良かったものを、彼は命令を出すことを優先してしまった。故に、パトソンが司令塔であると敵に知られ、ローレンシア軍による集中砲火を浴びてしまった。
耳をつんざく銃声が嵐のように響きわたる。静かだった洞穴があっという間に音の暴力で包まれる。それらが狙うは一点。先頭に立ち、隊に命令を下した男を無数の銃弾が貫いた。
「パトソンッ!?」
彼は咄嗟にシエスタをかばった。第三三小隊隊長としての最後の仕事だと言わんばかりに、銃弾の雨から隊員を守った。全身を撃ち抜かれた彼は、悔しそうな表情を浮かべながら倒れ伏す。一瞬の出来事だ。二桁として評される小隊の隊長が命を散らすにはあまりにも突然だった。
「くそっ、何でここに居るんだよ……!!」
ダンが手榴弾を投げて時間を稼ぐ。その間にシエスタとアンナが二人がかりで隊長を運び、洞穴の中へ転がり込んだ。
「アンナ、早く止血しろッ!」
「分かってるわ!! シエスタ、包帯と止血剤!」
「あっ、えっ……」
「しっかりしなさいシエスタ! もう、ドットル手伝って!」
「は、はい!!」
隊長を失ったことで指揮系統が乱れている。普段ならば代わりに指示を出す役割のシエスタが錯乱しているからだ。ドットルが隊長の体を支えようとすると、止めどなくあふれる血が彼の体を染めた。
ダンが岩壁を利用して敵を牽制しているが、それも時間の問題だろう。たった一人で戦線を持ちこたえるのは不可能に近い。真っ赤な血は次から次へと指の隙間からこぼれていき、アンナは自らの隊長が助からないことを察した。それでも彼女は見捨てるという判断ができないでいた。
怒号。銃声。悲鳴。その中心でナターシャは首を傾げる。ローレンシア軍は銃を構えて待ち伏せをしていたが、はたして彼らはどれほどの時間を我慢したのだろうか。傭兵が国を発ったのは十日前。その間にずっと、彼らは忘れ名荒野の残骸にまみれながら、自分たちを待ち受けていた? いつ現れるやも分からない敵を? それほどの忍耐を確信もなく可能か?
(いいえ、彼らは傭兵が現れるのを知っていた。そう考えるのが妥当)
興奮した脳が灰色の世界を映し、チカチカと頭の奥が痛くなる。熟考は一瞬。我に返ったナターシャはパトソン隊長に駆け寄った。
「止血代わります。アンナさんは鎮痛剤を増やしてください」
「ありがとう! ほら、隊長しっかりして!」
ナターシャが清潔な包帯で傷口を圧迫しようとした。だが、抑えた端からあふれ出す。傷口が多すぎるのだ。ドットルと二人がかりでも止血が間に合わず、包帯があっという間に赤黒く変色している。ナターシャの手を温かい血が伝い、どうにかしようと傷口を塞ぐ包帯に力を込めるも、小さな手のひらでは隊長の命を抱えきれない。
刻一刻と命が奪われていく。
アンナが小さな注射器を隊長の太ももに刺した。鎮痛剤は果たして効いているのだろうか。うめき声も出せぬほどパトソン隊長は衰弱していた。ナターシャは声を絞り出す。
「止まれッ……!」
隊長の胸を両手で抑えた。これ以上、血を流しては駄目だ。包帯は血を吸いすぎて使い物にならないから、ナターシャは小さな両手で必死に抑えた。爆風が少女の前髪をかき上げる。止まれ、止まれ、と口に出しながら――。
ドットルがナターシャの手を掴んだ。こんなときに一体何だというのだ。顔を上げると、ドットルが静かに首を振っている。
「……もう死んでるよ」
なおも鎮痛薬を刺そうとするアンナ。呆然と座り込むシエスタ。前線で戦っているダンはこちらの様子に気付いていない。冷たい風が洞穴の奥から吹き抜けて、青年を遠くかなたに運んでいく。
(……またか)
パトソン隊長は新兵の自分に優しくしてくれた。なのに、自分たちをかばって先頭に立ち、その結果として敵に狙われた。良くしてくれた人間が先に逝き、略奪者だけがこの世に残る。
それはあまりにも不条理だろう。共に過ごした時間は数日だが、パトソンという男が優秀な傭兵だったのはナターシャにも分かる。これから先、パトソンは多くの若者を導く存在になるはずだったのだ。
ナターシャはうつむいたまま立ち上がった。ドクン、ドクン、と血が騒ぐ。彼女の体内を黒水が駆け巡る。暗かった洞穴が隅々まで見渡せた。落蛍の光が小さな白金を照らす。ナターシャの瞳に呼応するように、洞穴の花は次々と青白い光を発した。
与えられた優しさにあぐらをかく人間にはなりたくない。受けた恩は返さねばならない。
傭兵としての責務を果たすため、結晶銃を握りしめてナターシャは進む。
「っ! ナターシャか、隊長はどうだ!?」
「……」
「おい! 聞いているのか!?」
「うるさいわ」
ナターシャは遺物を覗き込んだ。彼女の瞳孔がきゅーっ、と縮んでいく。狙うは洞窟の入り口からわずかに頭を出すローレンシア兵だ。戦場の匂いにあてられた結晶銃が歓喜に震え、その銃身に新たなる弾丸を生み出した。戦うのだ。殺すのだ。だって我らは傭兵だ。ナターシャは息を止めて引き金に指をかけた。
「頭が高いのよローレンシア」
殺意のこもった結晶弾がローレンシアを襲う。
○
忘れ名荒野に捨てられた戦車の影から、部隊長のディグリースは洞窟内を覗いた。今もなお激しい爆発と応戦が繰り広げられているが、ディグリースの見立てでは時間の問題だろう。銃声の数からして応戦している敵兵は一人のみ。敵数は不明だが一小隊ならば五人か六人程度と予測できる。
「敵は応戦どころではない、といったところか」
既に敵の隊長と思しき男は戦闘不能にしている。あの傷ならば助からないだろう。なのに、敵は応戦することよりも隊長の救護を優先している。まったくもって馬鹿げた話だ。戦場において指揮官が死ぬのは珍しいことではないというのに。
シザーランドの小隊を奇襲すると聞いたときは面倒な任務を回されたと思ったが、この様子ならば存外、楽に終わりそうだ。
「傭兵どもは怯えて洞穴から出てこない! 手榴弾をぶちこんでやれ!」
「了解です!」
ディグリースの命令を聞いた仲間の一人が、手榴弾のピンを抜いて投げ込もうとした。もはや殲滅戦のようなものだ。
「私が吹き飛ばしてみせ――」
その言葉は紡がれない。意気揚々と、戦旗を掲げるように腕を伸ばしたまま、男は戦場で固まった。手榴弾を手放す前に頭を撃ち抜かれたのだ。ディグリースが驚きのあまりに目を見開く。ゆっくりと崩れ落ちる仲間の体。ピンを抜かれた手榴弾がくるくると宙を舞い、その光景を呆然と見つめていたディグリースはハッと我に返った。
(動けよ、馬鹿か俺はッ!!)
仲間の足元に転がった手榴弾。命令を発する余裕はなく、「退避しろ」と叫ぶ前にディグリースは身を隠した。直後として大きな揺れがディグリースを襲う。爆発と共に人だった何かが周囲に飛び散った。
「ゲホッ、やってくれるな、傭兵ども……!」
今の爆発で近くにいた仲間が二人巻き込まれた。これでこちらの人数は残り五人。
「総員気をつけろ! 敵に狙撃手がいる!!」
命令を叫びながら、ディグリースは違和感を感じていた。手榴弾を投げようとした仲間は立ち上がった瞬間に撃ち抜かれた。手榴弾が手から離れる時間すら、与えられなかった。果たして、そんな芸当が人間にできるのだろうか。
ディグリースは慎重に洞窟の内部をうかがった。不気味な大口は暗くて敵の姿が見えない。応戦している敵兵は二人だ。
一瞬、光が見えた。発火炎にしては奇妙な輝きだ。まるで結晶に光が反射したような――。
「ガッ!?」
仲間の一人が撃ち抜かれた。頭を出した一瞬を狙われたのだ。ディグリースの背中に嫌な汗が流れる。戦況が変わった。いつの間にか戦場の空気が切り替わった。敵の指揮官を殺したというのに、なぜ自分たちは追い込まれているのだ。ディグリースは焦りを抑えながら仲間に指示を出した。
「手榴弾を投げまくれ! 狙おうとするなっ、洞穴内に入ればいい! とにかく――」
ディグリースは見た。洞窟の奥、不気味に光る白金の輝きだ。瞬時に頭を引っ込めるディグリース、その横を結晶弾が貫く。一瞬でも判断が遅ければディグリースが撃たれていただろう。
隠れた拍子に、先ほど肩を撃たれた味方が結晶化しているのを発見した。物言わぬ結晶と化した仲間は苦悶の表情を浮かべるのみ。
「一体、何なんだよ……!」
前に出すぎた味方が、また一人餌食になった。狙撃手には狙撃手で対処するのが定石だが、すでにローレンシア側の狙撃手は殺されている。残った味方は三人。既にローレンシア側の人数的有利は瓦解していた。
「焼夷弾用意! 蒸し焼きにしてやれ……!」
味方が大きな筒状の砲身を担いだ。敵の逃げ道を塞ぐために、洞穴の奥へ目掛けて焼夷弾を打ち込む。しかし、焼夷弾が穴へ届く前に結晶弾によって撃ち落とされた。
「うわぁぁアア!!」
空中で爆発した焼夷弾が周囲に炎を撒き散らし、近くにいたローレンシア兵が苦しみながら生き絶える。ディグリースは今更になってこの距離が敵に都合の良い間合であることに気が付いた。このままでは反撃すらできずに全滅してしまうだろう。せめて一矢報いねば祖国に顔向けができないだろう。
接近戦以外に勝ち目はない。問題は狙撃されないように近づくこと。自分か、味方か、一人でも穴に接近し、狙撃手を排除できればこちらの勝ちだ。
「両側から穴に近づくぞ! お前は右から――」
仲間を見やったディグリース。彼の口から乾いた笑い声が漏れる。焼夷弾を打ち出したことで敵に居場所が見つかったのだろう。鉄板ごと撃ち抜かれた味方が結晶化していた。恐怖にひきつりながら兵器を担ぐ仲間の姿は、まるで自分自身を見つめているような気分になる。敵に一矢報いるが先か、それとも仲間と同じように結晶となって果てるが先か。
ディグリースは物陰をうまく利用しながら穴に近付いた。今この瞬間にも、足音から位置がバレないだろうかという恐怖が彼を襲う。白金の悪魔がディグリースを見つめている。まだいけるか。まだ、接近できるか。少しでも可能性を上げるための綱渡りだ。出来る限り穴の近くまで寄らなければならない。
穴まで戦車が二つ分程度まで接近した時、ディグリースの軍人としての直感が、これ以上は無理だと感じ取った。彼は迷わずに手榴弾のピンを引き抜く。
「ふん……!」
ディグリースは手榴弾を放り投げた。そして、手榴弾は当たり前のように撃ち抜かれて爆発した。
(今だ……!)
ディグリースはあらかじめ用意したもう一つの手榴弾を投げた。流石に二つの手榴弾を同時に撃ち落とすことは出来ないだろう。彼自身も物陰から飛び出した。この一瞬で勝負を決めるのだ。
ディグリースは前に進んだ。大口を開ける悪魔の洞穴。その奥に光る白金を殺すべく、彼は銃を引き抜く。
「――なっ!?」
直後、空中で手榴弾が爆発した。穴に入る直前に撃ち抜かれたのだろう。激しい衝撃と爆風がディグリースを襲い、吹き飛ばされた彼は地面に突き刺さった銃の壁に打ち付けられた。頭をぶつけたせいで平衡感覚が失われ、近距離で爆発を視認したせいで視界がぼやけている。お腹の辺りが燃えるように熱いのは気のせいだろうか。
硝煙が昇る忘れ名荒野。煙の奥からナターシャが現れた。目をやられていても足音で分かる。自分や仲間たちを一方的に撃ち殺した悪魔が歩いているのだ。
「もう一本、得物を持っていたのか……」
「私の相棒よ。やっぱり頼りになるのはコレね」
「ゴホッ……しかも女か……」
「ッ、待てナターシャ! そいつはまだ殺すな! 情報を吐かせるのが先だ!」
「無駄ですよダン先輩。こいつはもう、もちません」
ディグリースの腹部には吹き飛んだ拍子に鉄棒が突き刺さっていた。黒が混じった血は致命傷であることを示している。穴から飛び出してきたダンは、ディグリースが助からないことを知るや否や、怒りのままに彼を殴った。そんなことをしても無駄なのに、ダンは何度も、何度も殴りつけた。
「……ダン先輩」
「止めるなっ、こいつらがパトソンを――!」
「いいえ、先輩。止めますよ」
ナターシャは空を見上げた。小さな塵のような輝きが遠くから迫っている。キラキラと輝く結晶風。夕焼け空がさよならを告げていた。
忘れ名荒野には悲しむ時間すら残されていないらしい。錆びついた戦車の残骸のように、もしくは地面に突き立つ無数の銃器のように、荒野に咲く墓標が増えただけ。後悔は前に進みながら噛み締めろ、と結晶の空が押し付けてくる。
今日という時間は一度きりであり、戦場を共に駆け抜けた友人と肩を並べることは二度とない。忘れ名荒野は語られぬ戦士たちの墓場である。戦場で死ねただけ幸せであろう。
「もうすぐ日が暮れますから」
忘れ名荒野に冷たい風が吹いた。夜風の前触れだ。




