第十八話:神様のいない教会で
第二〇小隊が廃墟に到着したのは、結晶屑の溜まり場を抜けてから約十日後のことだった。視界が悪かったせいで予想以上に時間がかかってしまった。森の手前で機動船を停止させると、船を守るためにベルノアが待機した。他の三人は結晶憑きを撃退しながら森を進み、月明かりの廃墟にまで到着した。
「ここが例の廃墟だな。廃墟というよりは立派な街に見えるが」
「……随分と昔の建築。それに苔だらけ」
「結晶化現象も進んでいますね。見てください、中央の塔なんてほとんど結晶に覆われていますよ」
カシャン、と音を立てながらソロモンが中央塔を指さした。彼女の言う通り、街で最も目立つ場所に建てられた巨大な塔は、結晶化現象によって一つの結晶のように思われる。結晶に反射した太陽光は過剰なほどに周囲を照らし、ミシャは眩しそうに目を細めた。
「……輝きすぎて直視できない」
「俺も長時間みていると目が痛くなりそうだ」
「他の建物は森によって結晶化現象の進行が抑えられたのかもしれませんね。だから、背の高いあの塔は他よりも結晶が多いのでしょう。まぁ、珍しい話ではありませんが」
「……ソロモンだけずるい」
「私はコレがありますから」
ソロモンは自らの顔を指した。彼女の姿は他の隊員と比べて異質だ。否、変わり者が多いシザーランドの中でも特に彼女は変わっている。顔全体を覆うヘルメットのような仮面を付け、更に遺物で作られた防護服で全身を覆っているため肌が全く見えない。歩くたびにカシャン、と機械じみた音が鳴るのはご愛嬌。イヴァンたちは見慣れているが、他の者からすれば異様でしかないだろう。事実、街を歩けばすれ違うたびに凝視されるため、彼女はあまり外を出歩かない。
彼女が扱う武器もまた、傭兵にしては珍しい火炎放射器である。焼夷砲と呼ばれる遺物であり、とある理由から彼女は焼夷砲を重用していた。
「……! イヴァン、遺物の反応があります」
「ソロモン、場所は?」
「ここから北東の町外れです。しかも動いている……誰かが所有しているかもしれません」
「やはりローレンシアか。よし、こちらの動きはバレていないはずだ。敵の勢力を確認し、可能であれば奪取するぞ」
ソロモンのレーダーに遺物が反応した。各々の武器を構えて遺物の場所へ向かう。遺物が敵の手に渡っている可能性は予想済みだ。むしろ探す手間が省けて幸運まである。
遺物の反応は町外れの教会からだった。まずはイヴァンが窓から中の様子を確かめる。奇妙な白い参拝者の像が並ぶだけで人影はないようだ。
外周を確認してみたが窓ガラスが割れている場所はない。侵入できる場所は正面か、もしくは側面の入り口のみである。イヴァンは仲間に素早く指示を出した。
(正面をソロモンが見張り、俺とミシャは側面から侵入する)
指示を受け取ったソロモンは頷いて正面の入り口に向かった。
イヴァンが音を鳴らさないよう注意しながら扉を開けた。側面の入り口はどうやらサイドチャペルに繋がっているようだ。中央よりも少し小さめな女神像と、その前に一組の長椅子。やはり周囲に人の気配はない。
(お前は二階を確認しろ)
(分かった)
側廊を通って二階へ向かうミシャ。その間もイヴァンは警戒を怠らない。袖廊を抜けて主祭壇へ近寄った。入り口の方に目を向けると、ソロモンが合図を送っている。
(――反応――女神像――裏――)
イヴァンは目線で頷いた。嫌な雰囲気だ。首なしの女神像がまるでイヴァンを見下ろしているかのようだった。敵の数は少数だと推測している。この教会に人が隠れるスペースは限られているから。
イヴァンは拳銃を片手に女神像へ忍び寄った。いつ敵が飛び出しても撃てるように照準を固定し、スッと息を殺す。まるで自ら罠に向かうような気持ちの悪い気配がイヴァンを襲う。彼は内心で舌打ちをした。割に合わない任務だ、と。
いよいよ女神像の裏を確認しようとした時、二階から重厚でけたましい音が響いた。張りつめた空気を容赦なくぶち壊し、イヴァンが、ミシャが、ソロモンまでもが反射的に二階を見た。
「しまっ――!」
簡単な装置だ。二階にある聖歌隊用のパイプオルガンに鉄くずが落ちたのだ。敵の注意を反らすためのありきたりな罠。しかし、女神像にばかり注意を向けていたイヴァンたちは思わず目を離してしまった。
イヴァンに隙が生まれた瞬間、女神像の裏から金色の影が飛び出した。瞬時に銃を向けるイヴァンだが、標的が思っていたよりも小さかったせいで躊躇してしまった。
「動かないで。両手は下げたまま後ろに組んで」
一瞬であった。イヴァンの顎を下から持ち上げるように、白い拳銃が添えられる。イヴァンが目を見開いた先、白金の輝きが揺れた。彼の右肩にのせられた細い指。射抜くような青くて鋭い瞳。淡い少女がイヴァンを見上げた。
「勘弁してくれ、俺たちはちょいと祈りに来ただけなんだ。参拝者に銃を向けるのがここの礼儀なのか?」
「神はいないよ。人間を見放して休暇に行ったわ」
「文明の危機に休暇とは大それた神様だな。俺たちも神を見習って平和的にいこう」
「あいにく銃を向けて笑い合う趣味はないのよ。あなたたちは何者?」
「それは俺の言葉なのだが……」
少女の拳銃がイヴァンの顎に食い込んだ。軽口を言い合う余裕はないらしい。ゴリゴリと押し当てられる銃口に、イヴァンはどうしようかと天井を見上げた。そして、今まさに銃を発砲しようとしている仲間を見つけて声を上げた。
「ミシャ! 待て!!」
今度は白金の少女が驚いた。先程まで側廊にいたはずのミシャが、いつの間にか少女の頭上で銃を構えている。あり得ない速さだ。ミシャはいつでも発砲できるよう小銃に指をかけ、手すりから体を乗り出していた。
ミシャだけではない。玄関に控えるソロモンも、最悪の事態に備えて焼夷砲を構えている。銃口の奥に燻るような炎が見えた。死なば諸とも。もしもイヴァンが撃たれれば、ソロモンは容赦なく教会ごと焼き尽くすだろう。
「俺たちは傭兵だ。シザーランド所属、第二〇小隊さ。ここには任務を受けて来た」
「何の任務?」
「とある遺物の回収を命じられている。銃身の長い狙撃銃だと聞いたのだが知らないか? ちょうど君が背負っているものに似ていると思うのだが」
「これは拾い物よ。そういえば、ローレンシアの男たちもそんなことを言っていたわね」
「やはりローレンシアが先に到着していたのか?」
「最低なくず野郎だったわ。きっと今頃、どこにいるでもない神様に向かって懺悔をしているはずよ」
「……そいつは素晴らしいな」
イヴァンは内心、信じられない気持ちでいた。このような少女に負けるような相手ならばとっくにローレンシアは滅んでいる。しかし、事実として先に国を出たはずのローレンシア軍が姿を見せないのだから、彼女の言葉が真実ということになる。
(勘弁してくれ)
イヴァンは自らに銃口を突きつける少女を見て、どうしようもない、やるせなさを感じた。歴史は繰り返されるのだ。年端もいかぬ少女が銃を握るというのはイヴァンにとって許せない。だが、一人の男が許さなくても世界は回る。
イヴァンは少女の瞳を見た。美しき水晶の奥に、暗く滲む闇がみえた。大人に対する懐疑心。世の中に対する諦念。視線が交差する瞬間、イヴァンは少女の生き様を垣間見た。
「合理的に、考えよう」
「合理的?」
「そうだ。俺たちは君の遺物を回収したい。だが、君は渡すつもりがない」
「そして、あなたを撃てば私も道連れにされる」
「その通りだ。誰も得しない選択肢を選ぶのは愚行だろう? だから――」
イヴァンは自らの顎に銃口を突きつけられた状況で、自分が死ぬ可能性を一切考慮していなかった。更にいえば、仲間のミシャが少女を撃ち殺してしまわないように上手く言いくるめる方法を探していた。
少女から敵意はあれど殺意は感じられなかったのが理由だ。しかし、相手に心臓を握られながら冷静に判断できる人間は極少数。イヴァンは恐ろしく冷静で合理的に考えた。
「だから、お互いに何もなかったということにしないか?」
「退却するってこと? 手ぶらで帰ったら怒られないの?」
「怒られるのも傭兵の仕事だ。まぁ、仕方ないな」
「それなら構わないわ。このままだと私が撃たれちゃいそうだから、まずは上の女を退くように命令して」
「ミシャ、そう言うことだ。銃を下ろせ」
「……分かった」
ミシャは残念そうに引き金から指を離すと、そのまま手すりから一階へ飛び降りた。柱の出っ張りを利用して軽やかに着地する姿は曲芸師のようである。ソロモンも焼夷砲を下ろして玄関から離れる。二人が退いたのを確認した少女はゆっくりと銃口を離した。念のため照準はイヴァンに向けたままだ。
「こんな僻地まで来たのに手ぶらで残念ね」
「全くだ。割りに合わない任務だったよ」
「傭兵はつらい?」
「つらいさ。傭兵に限った話ではないがな。まぁ、俺は傭兵ってのが結構好きなんだ」
「つらいのが好きなんて変わっているわ。楽をしたいと願ったから人は進化をしたのに」
「太く、短く生きるためさ。誇りを持って戦い、誇りを持って死ぬ」
「傭兵の生き様?」
「まさか。俺の、生き様だ」
イヴァンは両手を上げたまま主祭壇から後ずさる。少しでも少女の気が変われば撃ち抜かれる距離だ。互いに目を合わせたまま、少女が祭壇場から見下ろすよな形で向かい合う。首無しの女神像を背後にしながら、白金に抱かれた少女は悠然と銃を構えていた。
「貴方たちはローレンシアと違ってまともだったわ。覚えておくね」
「まとも、ね。お互いに“まとも”で良かったな」
「ええ、良かった。本当に」
少女がふわりと笑った。外見に見合わぬ雰囲気をまとう彼女。イヴァンは思い出したように名を名乗る。
「俺は第二〇小隊隊長のイヴァンだ。君の名を聞いてもいいか?」
「……ナターシャよ。じゃあね、傭兵さん」
イヴァンが教会の外に出て、やがて姿が見えなくなる瞬間まで、ナターシャはじっとイヴァンを見つめていた。




