第十七話:第二〇小隊
月明かりの森へ向かう船がいた。八足の細い足を忙しなく動かしながら走る姿はヌークポウに似ている。もっとも、その大きさは部隊が一つ乗れる程度の一般的なものであり、ヌークポウのように街があるわけではない。傭兵国シザーランドが持つ量産型の機動船だ。
「……何で遠回りをしているの?」
「最短距離で月明かりの森へ進もうとすると、中立国を通ることになるからだ。あそこは色々と手続きが面倒だから無理をしてでも迂回しているんだよ」
「……そう、納得。てっきりイヴァンの悪い癖が出たのかと思った。任務のついでに禁足地探し」
「それも少しあるな。折角の遠征なのだから外の景色を眺めておきたいじゃないか」
船首に立つ二人の男女。イヴァンと呼ばれた男は周囲を見渡した。焦げ茶色の短髪が風に巻き上げられる。彼らは今、大きな橋を渡っていた。橋の下には巨大な運河。橋の向こうには崩れた町並みが見える。よくある捨てられた街の一つだ。この辺りは結晶風が少ないのか、比較的綺麗な状態で残っていた。当然ながら人の気配はまるでしない。
小高い丘の上に建てられた時計塔には巨大な結晶が突き刺さっている。遠くてよく見えないが、あの結晶は全て生き物のように思われた。
「あれを見てみろ。恐らく飛行中に結晶化したんだろうな」
「……中身が気になる」
「そういうのは拠点の探求者たちに言ってやれ。喜んで結晶を砕きにくるぞ」
「……イヴァンは気にならないの?」
「あれほど大きな結晶は珍しいが、だからといって結晶化現象と隣り合わせの発掘作業は御免だ。俺はそれほど死に急いでいない」
シャカシャカと足を動かしながら船は旧市街へ入った。倒壊した建物のせいでひどく歩きづらい。瓦礫の間を飛び越え、傾いた足場をゆっくりと登りながら進む。
「……誰もいない」
「ここより安全な場所へ移動したんだろう。この辺りは山岳地帯だ。山奥へ逃げた方が結晶風の危険も少ない」
「……漁り放題だね。遺物を探す?」
「それはまた今度だな。今回の目的は月明かりの森にある遺物を回収することだ。廃墟探索は暇なときにでも行けばいい」
「……私は船の操作を知らない」
「ベルノアに頼めばいいさ。いつも暇そうだから手伝ってくれるだろ。ミシャのお願いならあいつも聞くんじゃないか?」
ミシャと呼ばれた少女はコク、と頷いた。物静かな性格とは対称的に、彼女の髪は鮮やかな朱色をしている。タレ目で眠たそうな表情は小動物を連想させ、一見すれば普通の街娘のように感じられる。腰の小銃さえなければ誰も彼女を傭兵とは思うまい。
「――聞こえているぞ馬鹿ども。誰が暇だって?」
船に備え付けられた拡声器から若い男の声が聞こえた。刺々しくて神経質に感じられる声だ。事実、手すりから下を見下ろすと、艦内放送用のマイクを持って睨みつける男がいた。片手で器用に船を操作しながら拡声器で話しているようだ。
「――船首でのんびり景色を眺めているお前らと一緒にするな」
「……ベルノアは地獄耳」
「――操縦室の上で話していたら嫌でも聞こえてくる。手が空いているなら周囲の警戒でもしていろ」
「警戒ならソロモンがやってくれているさ。そして周囲に敵影はないし、ローレンシア軍が現れる可能性も低い。つまり俺たちは手持ち無沙汰ってわけだ」
「――それは羨ましいことだ。俺はあいにく操縦に忙しくてな、暇なら代わりに珈琲を淹れてくれ」
「そんな高級品は拠点に置いてきた。飲みたいならさっさと任務を終わらせて帰るしかないな」
「――ちっ」
ベルノアの舌打ちが聞こえた。同時に、まるで八つ当たりをするかのように船が大きく揺れる。地面の亀裂を飛び越えたようだが、必要以上に跳んだような気がした。
着地した場所は結晶化が進んでいるらしく、衝撃によって結晶屑が舞い上がる。イヴァンとミシャは顔をしかめながらマスクを付けた。この街は捨てられてから長い時間が経ったのだろう。夜風に晒され続けた街はどこもかしこも結晶に変わりつつある。
「ミシャ、中に戻ろう。これでは何も見えない」
「……ソロモンはどうする?」
「あいつは構わん。この程度の結晶屑なら問題ないだろう」
「……分かった。私たちは休憩だね」
二人は船内に入った。それほど大きな船ではないが、各隊員の個室と共用の談話室がある。二人が向かったのは談話室だ。机の上には煤けたランプが置かれ、それらを座り心地の良さそうなソファが囲んでいる。壁際の本棚には大量の本が仕舞われていた。各々が好き勝手に買い集めたせいで種類はバラバラだ。
この船はイヴァンたちが傭兵になる前から使っている。故に、談話室にはたくさんの思い出が染み付いていた。マスクを脱いでお気に入りのソファに座るミシャ。少しくたびれた沈みこみが体に馴染んだ。
「……イヴァン、何をしているの?」
「珈琲を淹れている」
「……さっき、ないって言ったよね?」
「ないと思ったのだが、どうやら持ってきていたようだ。まぁ勘違いはよくあるものだからな」
「……迷わず棚を開いていたけれど」
「細かいことは気にするな。ミシャは飲まないのか?」
「……飲む」
イヴァンが紙袋に入った豆を粉砕機に入れた。お湯の沸く音とともに、穏やかな香りが談話室をつつむ。「ベルノアには悪いことをした」と思いつつも、ミシャは珈琲が待ち遠しそうに足を揺らした。
「……イヴァン」
「何だ?」
「……今回の遺物が手に入ったらどうする?」
「団長に渡して報酬をもらう。俺たちが持っていても仕方ないからな」
「……それじゃあ、報酬で美味しい豆とお菓子を買おう。珈琲のお供に甘いものがないなんて、おかしい」
「それは確かにな。珈琲だけでは味気ない」
砂糖もミルクも貴重品のため、イヴァンが淹れる珈琲はいつもブラックだ。彼はそれほど苦ではないらしく、ミシャも苦手というほどではないが、どうせなら甘い方が美味しい。次に遠征をするときはお菓子を持ち込もう、と少女は無表情の下で決意する。
イヴァンが二人分の珈琲を机に置くと、ソファに深く座って地図を広げた。今いる場所は月明かりの森の南東だ。シザーランドと森の間に中立国があるため、東に迂回することになった。最短距離で向かえば既に到着してもおかしくないのだが、こればかりはどうしようもない。
「ローレンシアに先を越されたかもな……」
「……団長に怒られる?」
「いや、団長も迂回は承知の上で任務を出したはずだ。俺たちに落ち度はない……はず」
「……自信がなさそうだね」
「お小言をもらうのは隊長の俺だからな、不安にもなるさ。団長はおっかないからな」
ミシャは自分たちの団長が青筋を浮かべる姿を思い浮かべ、同意するように何度も頷いた。金さえ渡せばどこへでも行く傭兵だが、彼らにも怖いものはあるのだ。
ミシャが丸窓から外の景色を確認した。背の高い建物が至るところで倒壊している。結晶化現象で足元が不安定になったのだろう。そろそろ街の中心付近かと思われるが、どこまで進んでも結晶と瓦礫が続いている。ミシャはしばらく窓の景色を眺めた。
「はぁーっ、駄目だ。何度計算しても、俺たちの方が遅れている。ローレンシア軍と鉢合わせになるかもしれん」
「……お見合い? 菓子折りでも用意する?」
「奴らが満足するようなものは持ってないさ。代わりに手榴弾でも渡してやれ」
「……派手なお見合いだね。私は好き」
イヴァンが自らの銃を取り出した。到着するまでに銃の整備をするためだ。使い古された器具を使って銃口の中を掃除する。ミシャは何も言わずに腰の小銃を机に置いた。「私の分も調整よろしく」というわけだ。イヴァンは特に嫌な顔をするでもなく、自分の分をさっさと終わらせてミシャの小銃を整備し始めた。
銃と睨めっこをするイヴァン。ソファに沈み込んで絵本を読むミシャ。緩やかな時間が流れた。外の退廃した光景とは裏腹に、傭兵たちの談話室は今日も平和である。
「あーっ、くそ、これだけ結晶屑が多いとやってられねぇな」
そんな静寂を破る者がいる。額にゴーグルを乗せ、機嫌が悪そうに眉を顰める男。拡声器で話していたベルノアだ。彼は部屋に入るとまずミシャを一瞥し、次に黙々と整備するイヴァンを見やり、そして、彼の手元に置かれた珈琲を見つけた。途端、翡翠の瞳がこれでもかと見開かれる。
「おいイヴァン! 珈琲あるじゃねーかっ!」
「そのようだな」
「そのようだな、じゃねーよクソが! 嘘を言いやがったな!」
「俺はあいにく整備に忙しくてな、ベルノアに構ってやる時間はないんだ。というかお前、操縦はどうした?」
「ソロモンが代わってくれたよ。お前らが優雅に珈琲を飲んでいる間にな」
イヴァンとミシャは目を合わせ、「仕方がない奴だなぁ」とお互いに肩をすくめ合う。そんな二人の様子に気づかず、ベルノアはキッチンへ向かった。自分の分の珈琲を淹れようとしたのだろう。残念ながら先ほどイヴァンが淹れたのが最後の一杯だ。キッチンから「全部飲みやがったな!?」という声が聞こえた。
ちなみに粗暴な態度が目立つベルノアだが、彼はれっきとした探求者の一人である。つまり傭兵国シザーランドの研究者だ。普段は拠点で研究に明け暮れているのだが、たまに工作員としてイヴァンたちに協力してくれる。船を操縦できるのは彼を除けばソロモンしかいないため、助かっているのは間違いない。
隊長のイヴァン。小さくて赤毛のミシャ。うるさい担当のベルノア。そして、今船を操縦をしているソロモンを合わせて、彼らが第二〇小隊と呼ばれるシザーランドの傭兵であった。




