番外編:愛のかたち
名も無き英雄が眠る墓所の隅っこに、三つの墓がたっている。ひとつはイヴァンの妹であるジーナの墓だ。イヴァンの手で丁寧に磨かれ、墓石の前には彼女が愛用した狙撃銃が供えられている。隣にはナターシャの幼馴染であるアリアの墓と、シザーランドの同期だったリリィの墓が並び、アリアの墓には赤いリボンがくくりつけられ、リリィの墓には同期たちから受け取った傭兵タグが供えられていた。
そして今日、四つめの墓がたてられた。墓石にはこう刻まれている。
――盟友去り、されど忘れず。
イヴァンの本心としては、ソロモンの仮面か、もしくは焼夷砲を回収したかった。彼女の代名詞たるそれらを墓に供え、ともに眠らせてあげたかったのだ。だが彼女は自身が生み出した炎に包まれたため、とても回収できる状況ではなかった。もしかすると、少しでも仲間を早く戦場から遠ざけるために、彼女はあえて回収できないほど大きな炎を生んだのかもしれない。灰すらも残さぬ散り様。それはある意味で、炎を体現した彼女らしい最期だったといえる。
イヴァンとミシャはそれぞれ、三年間の報告や元気に暮らしていること、中立国での暮らしやベルノアが夢を叶えたことなどを伝え、最後に使わなくなった傭兵タグをソロモンの墓に置いた。
異変が起きたのは墓参りを終えた直後だ。ナターシャがいた方角から異様な気配を感じ、イヴァンとミシャはすぐさま立ち上がった。しかし、まるでこの事態を予知していたかのようなリーベと、彼女に付き従うパラマが行く手を阻んだ。
両者の間に緊迫した空気が流れる。ミシャは今すぐにでも銃を引き抜きそうなほど険しい目つきだ。イヴァンも指を腰の拳銃に添えながら尋ねた。
「なんのつもりだ?」
「そう焦らずとも大丈夫です。王が少し、気持ちを昂らせただけですから」
「……この気配は危険。ナターシャが心配」
「彼女に危害を加えるつもりはありませんよ。王が傷つけるはずがありません……むしろ、ミラノで最も安全なのはナターシャでしょう」
あくまでも通す気がない様子のリーベ。埒が明かないと判断したイヴァンはパラマに矛先を向けた。
「おいパラマ、力を貸すって約束だったはずだ。今こそ俺たちに手を貸してほしいのだが?」
「それは『私が天巫女に力を貸す』という約束です。もちろん守りますよ。天巫女に助けを求められたらいつでも駆けつけましょう」
イヴァンは内心で頭を抱えた。旅の道中ではパラマに多少なりとも、否、小石程度の仲間意識が芽生えたのだが、結局こうなるのだ。化け物はやはり信用ならない。彼らとは価値観が致命的にずれていた。
頭を抱える理由は他にもある。パラマとリーベを同時に相手取って勝てるとはとうてい思えないのだ。パラマだけでも二人で相手をするのは厳しいのに、未知の力を操るリーベが加わるのは最悪の事態といっていいだろう。イヴァンは何か打開策がないかと考えを巡らせた。リーベとパラマを出し抜き、ナターシャとリンベルを回収し、生きてミラノから帰る方法を。
考えれば考えるほど、目の前に立つ二人が大きく見えた。
「ミシャ、案はあるか?」
「……イヴァンを信じる」
「信頼が厚くてうれしい限りだ」
そもそもリーベとの戦闘が起きること自体が想定外である。前回も、そして今回もリーベから敵対の意思は感じられず、今もなお彼女は知人と会うように親しげな態度で話しかけてくる。ゆえに不気味。圧倒的上位者が玩具で遊ぶかのごとく、彼女は最初からイヴァンたちを歯牙にもかけていなかったのだ。
後手に回った時点でイヴァンの選択肢は限られている。コン、とリーベの杖が急かすように地面を叩いた。かたい音がやけに大きく響いた。
「墓参りは済んだのですか? ならば帰りなさい。出口まで見送ってさしあげましょう」
「ナターシャがまだ来ていない。帰るのはあいつが墓参りを済ませてからだ」
「そのことならご心配なく。彼女はもう帰りません」
「どういうことだ?」
リーベは杖を横にピンと持ち上げた。輝きを増した星明かりが彼女に逆光の影を落とす。
「ナターシャは未来永劫、ミラノ水鏡世界で暮らすのですよ」
その答えを聞いた瞬間、イヴァンが目にも止まらぬ速さで拳銃を引き抜き、発砲した。もはや先手を取る以外に有効な手段はなかった。それでもイヴァンの早撃ちは達人の域に達しており、常人ならば反応できない。事実、銃弾が放たれる瞬間まで、リーベは無防備に立ったままだった。しかし――。
「ただの鉛玉ですか」
人間離れした反応速度によって地面から土の腕が生え、銃弾を防いだ。パラマの信徒を屠ったのと同じ力だ。
「あんた……土を操れるのか」
「古い神秘の力ですよ。長く同族とは会っておりませんので、もう誰も知らないのでしょうね」
「まるで人じゃないみたいな言い草だな!」
イヴァンは話しながら用意していた手榴弾を投げた。同時にミシャと二手に分かれ、土の腕を回り込むように走る。手榴弾は土の腕に握りつぶされた。ボフン、という爆音とともに土がぽろぽろとこぼれ落ちたものの、腕は依然として構えられ、崩れるどころか新たな腕が地中から生えた。
「まずは、あなたから」
「……ちっ、厄介!」
ミシャの足元からぼこぼこと土柱が盛り上がった。ミシャは足をとられないように避けようとするも、どこから生えてくるのかを予想するのは難しく、何度かバランスを崩してしまう。ついに地上で避けるのが限界になり、彼女は宙へ逃げるべく土柱を足場にして跳んだ。
「……どこまで追って……!」
持ち前の俊敏さで三次元的に動くも、土柱からさらに腕が伸び、それすらも強引に体をひねって避けたが、ついに彼女の足首が掴まれた。直後、反転する天地。一瞬の浮遊感のあと、ミシャは地面に叩きつけられた。
「ガッ!」と肺の空気を吐き出すような悲鳴が上がった。ミシャの体に激痛が走り、骨が鉛になったかのように指先ひとつ動かせない。戦場で一度も捕まったことがないミシャにとって、宙にいた自分が落とされるなど初めての経験だった。
彼女が生きているのは偶然ではない。リーベはあえて手加減をした。もしも本気で叩きつけられていれば、ミシャの体は今ごろ果実のように潰れていただろう。
だがミシャが時間を稼いだおかげでイヴァンが側面に回り込み、無防備なリーベを狙うことができた。イヴァンは冷静に戦況を見極め、ミシャのもとへ駆け寄りたくなる気持ちを必死に抑えながら発砲した。
「させませんよ。偉大なる我らが祖を狙うなど、不敬です!」
弾道にパラマが割り込み、その美しい聖剣で銃弾を叩き落とすと、ただ一回の跳躍でイヴァンの目の前にまで迫った。こうなったら拳銃は意味を為さない。イヴァンは腰からナイフを引き抜き、勢いのまま振り下ろされるパラマの剣をぎりぎりで受け流した。
「あなたたちとの旅路は楽しいものでした」
「そいつは良かったな! 連れてきた甲斐があったぜ!」
皮肉まじりの罵声が飛ぶ。奇しくもラフランと同じ、再戦するような格好。だが万全のパラマはあまりにも速く、いかにイヴァンが近接戦のスペシャリストであろうとも追いつけない。美しきラフランの剣が幾重にも舞う。致命傷こそ避けつつも、イヴァンの体には無数の切り傷が刻まれた。
「旅は終わり、現実に帰るのです」
一閃。
反応の限界を超えた袈裟斬りが襲いかかった。イヴァンはとっさにナイフで防ごうとするも、衝撃を殺しきれずに飛ばされ、後ろにあった墓石に叩きつけられた。
ミシャ同様、動けなくなったイヴァンにパラマが歩み寄る。
「下がりなさいパラマ。とどめは必要ありません」
「ですが――」
「下がりなさい」
被せるようにリーベが言うと、パラマは剣をおさめて一歩下がった。リーベは手を前に重ねて上品に見下ろす。わずかに開いたまぶたから、落ち窪んで空虚な眼孔が顔をのぞかせた。
「化け物が……」
格が違った。技術や装備うんぬんではなく、単純に生物として格上なのだ。リーベも、そしてパラマも、伊達に古来から禁足地を守っていたわけではない。傭兵最強とうたわれたイヴァンたちですら化け物の前では矮小な存在だった。
「ええ、化け物です。今さら知ったのですか?」
燦然たるミラノの管理者リーベは化け物と呼ばれたことになぜか嬉しそうな様子だった。作り物めいた微笑ではなく、本当の笑みを浮かべている。
「パラマは城に戻っていなさい。部屋は好きに使っていいですが、王の間には決して近づかないように注意してくださいね。それと花畑に入る際は私か女王に一言告げるように」
「わかりました。お言葉に甘えさせてもらいましょう」
まるで世間話をするかのような調子で会話をしながらイヴァンとミシャを縛り上げると、リーベはそれぞれを片手で引きずって中庭に向かった。そこにミラノ大瀑布の湖と同じ、現世とつなぐ深緑色の湖がある。
リーベは二人を離すと、土の腕で彼らを掴みなおして湖の上に吊り下げた。手を離せばまっ逆さまに落ちるだろう。ぐったりとしたミシャの代わりに、イヴァンが睨みながら聞いた。
「ナターシャを捕まえてどうするつもりだ?」
「女王が望んだことなので私は知りません。それに、どうだっていいじゃないですか。人の子が一人消えたところであなたの人生はさほど変わらないでしょう。肩の力を抜きませんか?」
リーベは他人事のようにのほほんと笑った。そのあまりに気楽な口調がイヴァンを苛立たせる。
「なぜ、リンベルが女王なんだ? それほどの力があるのなら、あんたが王になればよかっただろう」
イヴァンが質問を重ねた。少しでも時間をかせごうとしているのだ。
リーベはさとすように、されど決然と答えた。
「人の国は、人の子が治めてこそ。化け物は王になれません」
彼女の言葉にはどこか寂しげな響きがある。イヴァンは目をこらした。湖のほとりに立つ墓守りの姿が今にも倒れそうなほど儚く見えたのだ。
彼女は懐かしむようにしばし無言だった。やがて彼女は幾分落ち着いたような声音で話しかけた。
「そろそろ時間ですね。最後に伝えたいことはありますか?」
「リンベルに言っとけ。必ず取り返す」
「ふふ、わかりました。ですがお勧めしませんよ?」
「黙ってろ」
土の腕が開かれ、イヴァンとミシャが湖に落ちた。二人が浮き上がることはなく、揺れていた水面がだんだんと静かになり、二人は現世に帰らされた。それからリーベは誰にも聞かれないように小さくつぶやいた。
「殺そうとしてきた相手を生きて帰すなんて……私も長く生きすぎてしまいましたね」
彼女が二人を殺さなかったのは、二人が女王の知人だったからだ。つまりリンベルが悲しまないように気をつかったのだ。人と関わるうちにいつの間にか絆されていたのかもしれない。リーベは珍しく自嘲めいた笑みを浮かべたあと、どこか重い足取りで花畑に帰っていった。
○
リンベルと再会してから頭がはっきりしない。まるで長い明晰夢を見ているような感覚だ。私の視界が次々に移り変わる。ヌークポウで走り回ったかと思いきや、いつの間にか戦場に立っていて、徐々に冷たくなる友の体に震えていたら、場面が変わって両親に怒鳴られ、見知った人々から石を投げられた。
親は私を愛してくれなかった。私は賢かったから、それが仕方ないことだと受け入れた。自分が可愛くない娘だと自覚していたし、捨てられる理由にも検討がついた。むしろ生まれてすぐに捨てられなかっただけ幸運だ、と自分を納得させた。
でも、そんな言い訳をしつつも、やっぱり愛されたかったのだと思う。私なりに出来る範囲で尽くしたのも、愛の見返りが欲しかったからかもしれない。まあ子どもの頃の記憶なんて大抵覚えていないものだ。自分でもよくわからない。
寄宿舎は居心地が良かった。身よりのない子どもたちと支え合いながら、ときに商業区で買った食材で料理をし、ときに年下の子たちと循環水で服を洗い、手が空けばくず鉄の塔にのぼり、アリアに呼び戻され、やれやれと言いながらみんなで遊ぶ。似たような境遇の子ばかりだから自然と仲間意識が生まれ、本当の家族になったように思えた。
でも、私に親しくしてくれた人は皆いなくなる。傭兵になって初めてできた友人は戦場で命を落としたし、故郷に帰っても寄宿舎はなくなっていた。あのとき、私はまたぽっかりと心に穴が空いた気分だった。
私は愛を知らない。だからだろうか、愛に殉じたドットルが羨ましく思えた。大切な誰かのために使命を果たす、その愛に溺れたような生き方に憧れたのだ。ゆえに私はあの日、イヴァンの家に向かった。血まみれの私を見たときのイヴァンの驚きようは今思い出しても笑えてくる。
『過去のことは忘れよう』
温かい何かが頬に触れた。これは指? 優しく撫でられるような感触がくすぐったい。身じろぎをしようとするも、まるで縛られているみたいに体が重く、頭もはっきりとしない。私はどうなった? みんなは無事だろうか?
誰かの指が私のうなじ辺りを触れる。やはりくすぐったくて息をもらすと、唇を柔らかい感触に塞がれた。
体が温かい。いつまでも眠っていたくなるような安心感に包まれ、天巫女様の仲間を集めないといけないことや、ソロモンの墓参りをしていないこと、ベルノアに新兵器の使い心地を伝えないといけないことなど、まだやることがたくさんあるはずなのに、すべて忘れてしまいそうになる。
私は愛され方がわからない。でも、この温もりに触れていると心の穴が満たされていくような気がする。このまま沈んでもいいだろうか。起きてやらないといけないことがあったはずだけど、どうしようもない酩酊感と、抗いがたい温もりに包まれ、私の意識は再びぼやけていく。
『おやすみ、ナターシャ』
誰かがおやすみと言ってくれた。次に起きたら、私も「おはよう」とあいさつをしよう。
最後までお読みいただきありがとうございました。これにて番外編は終わりです。本編最終回のちょっとした補足みたいな感じで書きました。結局最後までドロッとしていたね。こんな終わり方もまた一興、ということで……!
現在、新作長編の「献身欲求」を連載しています。卑屈な少女が「ふええ」とか言いながら敵をしゅわしゅわする、軽くて重い魔女っ子戦記風ファンタジーです。ぜひ読んでみてください!




