番外編:望まぬ再会
商業国の北側。ラマ共和国の国境付近に位置する貿易都市は明るいムードに包まれていた。バルスタッド軍を退けたという報せが入ったからだ。まるで祭りが始まったかのように店が並び、人々は杯を交わしながら誇らしげに肩を叩き合う。
「呑気なものね。つい数日前までは世界の終わりみたいな空気だったのに。立ち直りの早さは見習うものがあるわ」
「活気があるのはいいことだ。こんなご時世じゃ祭りの一つだってひらくのは容易じゃない。無理にでも騒いだほうが民の顔も明るくなるさ」
都市を歩くナターシャたち。周りの住民は、彼女たちがシザーランドの元亡霊とは夢にも思わないだろう。なにせイヴァンは別として、ナターシャとミシャは街娘のような格好――つまりおしゃれをしている。街で騒ぎを起こさないためというのが一応の理由だが、二人の嬉しそうな表情を見れば目的は察せられるだろう。いったい浮かれているのはどちらなのか、とイヴァンは肩をすくめた。
貿易都市は地上でありながら結晶風の影響が少ない。理由は街を覆う障壁だ。古来の技術が用いられているためもしも壊れれば修復ができず、出力も年々低下しているそうだが、それでも街を結晶風から守るという重要な役割を果たしている。ナターシャはそんな障壁を見上げて、何か引っ掛かるような感覚がした。何となく、あの障壁に見覚えがあるような――。
「敗戦濃厚の状態から、どうしてバルスタッドに打ち勝てたのか、皆さんはお分かりでしょうか! そう、主への信仰心です! 無垢なる祈りこそが我々を導くのです!」
ふと演説の声が聞こえた。おそらく祭りで人が集まるのを狙ったのだろう。ナターシャが「こんなところにも星天教徒がいるのね」と半ば呆れた様子で広場を見た。花壇に囲われた広場の中心に大きな人だかりができており、人が密集しすぎて前に進めない。ナターシャたちは人だかりを避けるように大回りしつつ、なんとなく気になって演説の主を見た。
「イヴァン、あれって――」
よく通る声。白地に金の刺繍を施し、どこか古風だが上品な衣装。絹にも劣らぬ滑らかな金髪に、人形のように白い肌。そして、女性と勘違いしそうな美貌。
居るはずのない人物がいた。禁足地の悪夢が蘇る。不死身の体。人外の身体能力。そして美しい花に毒を隠したような笑み。禁足地で誰が最も恐ろしかったかと問われれば、おそらく三人とも同じ答えをするだろう。
「さあ、今こそ主に感謝を捧げましょう! さすればこの街を覆う障壁のように、我らを結晶から守ってくださる! かつての信仰を取り戻すのです!」
群衆に向かって大きく手を広げる演説者――聖女代行パラマ。禁足地ラフランを治める管理者の声が、ラマ公国の街に響いた。
◯
ぎゅん、と物凄い勢いで目が合った。そう認識した瞬間にナターシャたちは走り出した。一気に嫌な汗が噴き出る。幸いなことにパラマの周囲には人だかりができているため簡単に追ってこられないだろう。そう判断したナターシャたちはなるべく視線を遮れるように複雑な路地を選んだ。
「どうして奴がいるの!?」
「知るか! 狂人の考えなんて読めん!」
お祭りムードの住民を避け、ラマ公国の垂れ幕をくぐり、木箱に腰かける飲んだくれにはやし立てられながら、喉がしまるような息切れを我慢し、少しでも広場から離れようと走った。しかし――。
「なぜ逃げるのですか?」
聖女代行からは逃げられない。突然降ってわいたかのような声がすると、恐ろしい速さで壁や軒先を伝い、三人の前に降り立った。すその長い衣服をたなびかせ、憂うようにまぶたを伏せながら、パラマは睨むような目をナターシャたちに向ける。
「あいにく、宗教に良い思い出がなくてな」
「それは不運ですね。ぜひ私が説法を説かせていただきましょう」
「結構だ。そっちこそ演説を放ったらかしていいのか?」
腰に手を回しながら答えるイヴァン。その表情は珍しく余裕がない。
「他の者に任せましたのでご安心を。主の言葉を届けるだけならば私以外でも問題ありませんから。久しぶりですね、傭兵のみなさん」
「傭兵は引退済みよ。今の私たちはただの一般人だわ」
「それは失礼。では元傭兵のみなさん、ぜひお話をしたいのですが、一緒にお茶でもどうですか?」
「結晶憑きは何も食わんだろう。そもそも俺たちがまともに聞くと思っているのか?」
パラマは「あらあら」と頬に手を当てた。その淑やかな姿は何も知らなければ優しげな女性と勘違いしてしまうだろう。だがイヴァンたちは知っている。あの笑顔の裏側が、聖女と呼ぶには真逆のものであることを。警戒を強めるナターシャたちに対し、パラマはなおも不思議そうな様子だった。
「実は私、あなた方が街を出発した際のことをあまり覚えていないのですが、何か気に障ることをしましたか?」
パラマは覚えていなかった。自らが守護する聖都ラフランの鐘によって、不都合な記憶が消されていた。今のパラマにとってナターシャたちは「以前聖都に訪れた旅人」に過ぎない。
それらの事情を察したイヴァンは、しかし警戒を緩めなかった。たとえ争った記憶がなくともパラマが改心したわけではないからだ。必要であればにこやかに笑いながら剣を向けるだろう。人の性根は変わらない。ましてや長い年月で凝り固まったパラマの価値観は、そう容易く変えられるものではない。
「あんたが忘れたなら、そういうことにしたほうが互いに良いだろう。どうせ帰ったら忘れるだろうしな」
「あら、私はそれほど歳じゃありませんよ。あなた方と再会できた、今日という素晴らしい日を胸に刻むつもりです」
「むしろ忘れてくれたほうが嬉しいが……」
イヴァンが横目でナターシャを見た。視線で「どうする?」と聞いている。ナターシャは悩むように眉を寄せたあと、渋々といった様子で提案した。
「ここじゃ話せない内容かしら?」
「できればゆっくりと腰を下ろせる場所がいいですね。路地裏はどこで聞かれているかわかりません。内緒話は、相応の場所でするものです」
「わかったわ。どこか適当な店に入りましょう。人払いはそっちでお願い。イヴァンもそれでいい?」
イヴァンが頷いた。本当は機動船のほうが人目を気にせずに話せるのだが、残念ながら第二〇小隊の船は中立国に保管しており、ラマ公国には一般客が乗る旅行船で来ている。まあパラマを船に招くのも危険であるためどのみち外で話すしかないだろう。
パラマに連れられて路地を進んだ。この街は結晶風の影響が少ないため昔ながらの街並みが残っている。糸に吊るされた旗の下をくぐり、アーチ状のレンガの向こうに見える隠れ家のような店を眺めながら、古びた通りを歩くのは、もしも普通の観光であれば楽しめたはずだ。
やがてパラマは勝手知ったるように一軒の店に入った。看板が立てられていないため店の名前はわからない。てっきり聖都ラフランに籠りきりだと思っていたが、意外とパラマも外の街に詳しいのだなと思いながら、ナターシャは彼の後に続いた。
○
「私をミラノ水鏡世界に案内してください」
席についたパラマは開口一番に告げた。最初、きょとんとしたナターシャだが、そういえばミラノ水鏡世界の存在を教えてくれたのはパラマだと思い出した。たしか彼らの起源がミラノ水鏡世界だとか。しかしどこで聞きつけたのか――。
「彼らのおかげで耳が広いのです。あなた方が“かの地”を見つけたのは知っています。辿り着き、無事に帰還したことも、まあここにいる時点で言うまでもないでしょう」
疑問が顔に出ていたのか、パラマが店の外で待つ信徒――もとい結晶憑き――を指しながら答えた。ちなみに信徒は白い衣装で肌をすべて隠しているため外見上は人間に見える。その実が結晶憑きだと知られれば街は大混乱間違いなしだ。
「目的はわかったわ。それで見返りはなにかしら?」
「主は隣人を愛せよとおっしゃられました。無償の善こそ真の愛だと思いませんか?」
「ふざけているの?」
「ちょっとした冗談ですよ」
ころころと笑うパラマは実に楽しそうだ。観光気分をだいなしにされたナターシャたちとは対照的である。
「俺たちだって暇じゃない。見返りがないと手は貸せんぞ。ましてやうちは大っぴらに動けないからな」
「それも存じています。ええ、それはもう、実に面白い話を……各国があなた方を探している。捕まえれば莫大な富が商業国から与えられるとか」
「懸賞金が目当てなら今すぐ帰るが」
「もちろん違います。我々は金銭に魅力を感じませんから……ああ、他にも、そうですねえ、色々聞いていますよ、例えば“消えた“天巫女の行方”とか、もしくは“中立国に生まれた新しい革命軍”とか」
黙っていたミシャが動いた。イヴァンが止めるよりも早く銃を抜き、パラマの額につきつけた。
「……天巫女に手を出すつもりなら許さない」
ミシャをよく知る人物ならば、警戒心が強い彼女が天巫女をかばうというのは珍しく感じられるかもしれない。しかし三年という月日は長く、ミシャが天巫女を仲間として受け入れるには十分な時間だった。そして今は非常に危うい時期であり、天巫女が各国から狙われているという状況のため、ミシャは少々ぴりついている。
ちなみに彼女たちがラマ公国という、中立国から遠く離れた戦場で戦っているのも、各国の視線を欺くカモフラージュの一環だ。
「銃を下ろしてください。私は争いに来たのではありません。むしろ逆、ミラノ水鏡世界に案内をしていただけるならば、我々が革命軍に力を貸してもいいと思っています」
「ミシャ、銃を下ろせ」
「……化け物の言葉を聞く価値はない」
「ミシャ」
ローレンシアは三年前の戦いをきっかけに衰退した。天巫女を失い、政治を担っていた元老院もアーノルフ元帥に力を奪われ、その男もまたルーロ革命で散り、もはやローレンシアを引っ張れる人物は残っていなかった。商業国に下ったのは必然といえよう。
そんなローレンシアを商業国から解放しよう、というのは天巫女が集めている革命軍だ。奇しくもかつてのルートヴィアと同じ道。
「商業国を相手にするならば戦力が必要でしょう。我々が後ろ盾になりますよ」
「まあ……正直、うちは人手不足だ。悪い話じゃない」
「……イヴァン!」
「ナターシャはどう思う?」
ナターシャは逡巡した。パラマの言葉をすべて信じるのは論外としても、ある程度の信憑性はあるだろう。少なくともミラノ水鏡世界に行きたいという動機はわかるし、目的地に着くまでは向こうが襲ってくる心配もない。問題は約束を守るかどうか。
(パラマの本当の狙いは、自分たちの宗教を広めるために名声が欲しいのかしら。天巫女に恩を売っておこうって魂胆?)
パラマの真意はわからない。だが互いに利のある関係ならば――。
「いいんじゃないかしら。どのみち逃げられないし、ミラノにはもう一度行くつもりだったから、護衛を雇ったと思えばちょうどいいんじゃない?」
「……ナターシャまで」
「怒らないでミシャ。そりゃあパラマは信用できないけど、利用できるものは利用しましょう」
「ひどい言われようですね」
「日頃の行いでしょ。ああ、それと船はそっちで用意できるかしら?」
「構いませんよ。ミラノ水鏡世界へ行けるならば協力は惜しみません。何でも言ってください」
にっこりと微笑むパラマ。その笑顔がうさんくさいのよ、という言葉が喉まで出かかったナターシャはぎりぎり我慢した。
「それにしてもあなた方、雰囲気が変わりましたね」
「そうかしら?」
「ええ、良い顔をするようになりました。きっと主のお導きがあったのでしょう」
「そんなものはなかったけど、まあ三人で色々な戦場にいったからね。少しは成長したのかもしれないわ」
「俺からすれば二人とも変わらんがな。特にミシャはチビのままだ」
「……イヴァンは生意気になった。ナターシャの悪影響」
「心外だわ」
本人たちに自覚はないが、長い逃亡生活が三人の雰囲気を変えていた。ミシャは童顔で幼さを残しつつもどこかミステリアスな表情をみせ、イヴァンは墓をたてたことで憑き物が落ちたように柔らかくなり、そしてナターシャは危なっかしさがなくなって少し大人びた雰囲気がある。
ルーロ革命から三年。少しずつ世界の情勢も、ナターシャたち自身も変わりつつある。それは喜ばしいことだ。流動的に、そして柔軟に、変化と成長を続けられるのは戦士としての強みである。
「ミラノの地へ至るまでの短い間ですが、よろしくお願いしますね」
ナターシャたちは変わった。では、ミラノ水鏡世界に残った“彼女”はどうしているだろうか。そんな想像をしながら、ナターシャは聖女代行の手を握った。




