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第百三十ニ話:幸せを目指して

 

 夢とは日々を生きる原動力だ。例えば、愛する者がおらず、金もなく、望んでいない仕事に従事しようとも、夢さえあれば世の理不尽に耐え忍ぶことができるだろう。それほど夢を持つ人間はしぶとくて根気強い。

 そして、心が折れてしまいそうなときに再起する力が憧れだ。夢を追い求める力。人生の指針となる大切な感情。たとえ挫折しようとも憧れだけは捨てられない――。


「行ってしまいましたね。一緒に帰らなくてよかったのですか?」

「私の夢がみつかったんだ。あんたには感謝している。衰弱するだけだった私に新たな選択肢をくれた」


 二人が歩いているのは城の廊下だ。第二〇小隊はすでに出発した後であり、広々とした城にリンベルと墓守りだけが残された。


「あんたの夢はなんだ?」

「ミラノ水鏡世界が滅びないことです。もはや国と呼べないほど小さくなりましたが、ミラノ水鏡世界は英雄達が残した大切な場所ですから」

「女王の国が沈む前の名残りか」

「かつては月明かりの森を含めた広大な土地を有していたんですよ。まあ初代女王が崩御して以降、彼女を超えられる王が現れなかったのですから、この国は消えるべくして地図上から消えたのです」


 二人は玉座の間に着いた。誰もいない空白の玉座にリンベルが歩み寄る。


「だが残った。地図上からは消えたし、地上にも存在しないが、ちゃんと街として機能しているんだ」

「それもいつまで保つかわかりませんよ」

「安心しな。せっかく理想郷を見つけたんだ。私だってミラノは滅びてほしくない」


 リンベルが玉座に座った。直後、禁足地特有の冷たい風が城内を駆け抜ける。温もりを失った神秘の風だ。


「私がミラノを変えてやる。そんで、いつかナターシャが帰ったときのために準備をするのさ。誰にも邪魔されない、二人だけの世界だ」


 少女の瞳に暗い光が宿った。否、人は誰しもが持つ欲望の光が表に出てきた。もう良い子のリンベルはおしまいである。自らの願いに忠実となって生きると決めた。


「私は賭けに勝った! 送り水ってのは最高だな。私も、あいつも、先延ばしの呪縛から逃げられない。待っていれば必ずナターシャはミラノに来る!」


 夢。恋慕。独占欲。呼び方なんて何でもいい。欲望が渦巻く禁足地の中心でリンベルは笑った。

 人の業は底知れぬ。こと禁足地においては、心の奥に眠っている感情がさらけ出されてしまう。たとえ外の世界では真っ当な人間として振る舞えていたとしても、禁足地で本心に抗うのは不可能だ。


 ここはろくでなし共が集う禁足地である。憧れるがままに果てなき夢を追いかけよう。


「そこは女王が座る場所ですよ?」


 リーベは穏やかに問うた。空白でなくなった玉座に嬉しそうな顔を向けながら。


「女王はもう、いないんだろ?」


 この少女もまた笑顔。勝ち気な表情で宣言をする。


「私が王になってやる。そして準備をしよう。いつか二人になったとき、二度とここから出られぬように」


 女王、再誕。


 ◯


 大国ローレンシアの首都ラスク。

 そのとある街角に常連客で賑わう酒場があった。客席がすべて埋まっており、店員が慌ただしくテーブルの間を走り回っている。


「注文がたまってるぞディエゴ! さっさと運べ!」

「俺だけじゃ手が足りねえよ! 人を増やせっていつも言ってるだろ!」


 ディエゴと店長の言い合いは日常茶飯事だ。大衆酒場のありふれた光景であり、客も負けじと大声で騒いでいるため店内は騒然とした様子だった。


 ディエゴは約束どおり軍を退役した。ルーロ革命の真っ只中であるため手続きは難航するかと思われたが、サーチカが手を回してくれたおかげでスムーズに退役をし、今は彼女が紹介した酒場で働きつつ孤児院に通っている。

 本当はナターシャと共に戦いたかった。だが、リリィを撃ったのが自分だと知った以上、今さら彼女に合わせる顔がない。ましてや第二〇小隊となったナターシャと肩を並べる実力もない。


「白金の狙撃手か……」


 第二〇小隊の噂は何度も耳にした。ルーロ戦争を経験した先輩は口々に語った。彼らの恐ろしさはディエゴも十分に理解しており、朽ちた聖城で無惨に撃ち殺された仲間を見たときは絶対に仇を取ると誓った。

 その時の決意が間違っていたかと問われれば、ディエゴは首を振る。仲間のため、国のために銃を握ることが間違いであるはずがない。彼なりに努力した結果だったのだ。けっして言い訳ではなく、大国の地で軍服を着た日からディエゴの道は決まっていた。

 だが、もしもローレンシアではなくシザーランドを選んでいれば、今も彼女の隣に立っていられたのだろうか。第二〇小隊の名を聞くたびに、そう思わずにはいられなかった。


「ぼーっとしてないで運べ!」


 ハッと我に帰ったディエゴは急いで料理を運ぶ。注文されたのはカルーダ・スパイスの特大ピザだ。カルーダの実をこれでもかと乗せたピザはよほどの物好きしか頼まない料理である。


「遅いですよ。冷めちゃうじゃないですか」

「ああ? 忙しいんだから仕方ない……ってサーチカかよ。こんなところで何してんだ」

「元上官が汗水流して働く姿を拝みにきました」


 テーブルに座っていたのは元部下であり内通者のサーチカだ。整った顔立ちと軍人然とした綺麗な佇まいは酒場で目立っており、周囲の男性客がちらちらと視線を向けている。彼女を隠すようにディエゴが立ち塞がると、どこからか舌打ちが聞こえた。


「さぼってんじゃねーよ」

「今日の仕事は終わりました」

「嘘つけ。この大変な時期に軍人が酒場で飲んでる暇はないだろ」

「私は前線を退きましたので」


 ディエゴは胡乱な表情を向けた。サーチカのように五体満足な兵士が内地送りにされるとは思えない。おおかたコネを使ったのだろう。


「ルートヴィア解放戦線はまだ倒れないのか?」

「彼らのうしろには商業国がいますからね。彼らの支援がある限りそう簡単には終わりませんよ。解放戦線に紛れて商業国の人間も戦っているそうですから。まあ、今は戦況が変わっているかもしれませんが」

「なるほどな。ラスクにいると情報がすぐに伝わらないから不便だぜ。サーチカも気を付けろよ。軍人なんて上官の指先一つで前線にも後方にもなるんだから」

「私は気に入られているので大丈夫です」


 ディエゴは「本当かよ」と疑いながら特大ピザを置いた。チーズとスパイスが混ざりあった芳醇な香りに食欲がそそる。サーチカは待っていましたといわんばかりにかぶりついた。幸せそうに表情を緩ませる姿を見ていると、彼女が軍人だと忘れてしまいそうだ。


「隊長こそ体に気をつけてくださいね。いつも働きすぎです。もう少し休んでもいいと思いますよ」

「なあ、俺は軍を辞めたんだから、その隊長ってのはやめねえか?」

「じゃあディエゴって呼びましょうか?」

「別に構わないが……違和感がすごいな。やっぱり隊長のままにしよう」

「どっちですか」


 彼女は呆れたような顔をしつつ頬を緩ませた。

 ディエゴに伝えたことはないが、彼が戦場に立たなくなって良かったと思っている。ディエゴは軍人に向いていない。彼が仲間を大切にする気持ちは、部下として戦ってきたサーチカが一番理解している。


「ディエゴ隊長は酒場で走り回っているのがお似合いですよ」

「どういう意味だ、こら」

「ふふ、悪い意味じゃありません」


 願わくば彼と孤児院の子供達が平穏に暮らしてほしい。サーチカは心の中で祈った。決して難しい願いではないはずだ。きっと星天の神々も許してくれるだろう。そう思いながらサーチカは元上官にピザを差し出す。


「よかったら隊長も食べませんか。このピザは格別ですよ」

「俺は仕事中だから――」


 バンッ、と酒場の扉が勢いよく開かれた。反射的に銃を引き抜くサーチカ。入ってきたのは常連客の一人だ。


「大変だ! 速報、速報!」


 彼は息を切らしながら叫ぶ。只事ではないと誰もが察した。


「第一軍シモン軍団長が殉死した!」

「はあ!? それはどういうことだ!」

「嘘をつくんじゃねえ!」

「亡国なんかに負けるはずがないだろ!」

「それだけじゃない……!」


 戦いの足音が近づいてくる。ドン、ドン、と大地を踏み鳴らしながら、首都ラスクを目指して進む。


「ノブルス城砦が陥落した!」


 酒場に衝撃が走った。誰かがグラスを地面に落とす。それは確かに平穏が壊れる音だった。

 ルートヴィアの妄執は消えない。亡国はルーロ戦争に敗北した日からずっと力を溜めていたのだから。その爆発力は大国すら揺るがすだろう。祖国解放という輝かしい旗を掲げながら戦いの炎を広げるのだ。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 新たな王の誕生と国の崩壊の足音が皮肉にも対比になっている。 全く新しい王になりそうですがリーベさんもまんざらでもなさそう。 [気になる点] 商業国としては生かさず殺さずを続けるとようにコン…
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