第百二十九話:悠久の墓守り
翌日、それぞれが集めた情報を交換した後、イヴァン達は墓守りと会うために城へ向かった。
衛兵は一人も立っておらず、開けっぱなしにされた城門から物寂しい雰囲気が漂う。人のぬくもりが消えた建物だ。城内の植物は丁寧に截断されており、ナターシャは例の墓守りが一人で手入れをしている姿を想像した。
「かつて栄光を極めた女王の国の末路だと思うと悲しくなるわ」
「国はいつか滅ぶもんだぜ。ローレンシアだって一度は滅亡しかけて首都を捨てたし、聖都ラフランだって昔は栄えた国だったんだ。俺様の故郷なんて今じゃ亡国だなんて呼ばれている」
「ベルノアの言うとおりでしょう。大抵の国は結晶の波に飲まれましたし、シザーランドだって歴史が浅い国です。文明崩壊以前から続く国は多くありません。ねえ祭司殿」
「言っておきますが、傭兵国の歴史が浅いだけで、我々狩人は古くからシザーランドで暮らしています。それはもう長い長い積み重ねですよ。あなた方とは違うのです」
「……でも薄っぺらい」
「それはあなたの胸ではなくて?」
ミシャとマクミリア祭司が取っ組み合った。キャットファイト開幕。
「静かにしていろ。何が起きるかわからんぞ」
イヴァンが先導しながら城の内部を歩く。人の気配はしない。役目を終えて置物と化した甲冑や、星明かりに透ける半開きのカーテンが時間に取り残されたように放置されており、多くの使用人で賑わったであろう城内は閑散とした様子だ。ひときわ豪華な部屋を訪れた際、空白の玉座がぽつんと置かれていた。きっとこの城は王の帰還をいつまでも待っているのだろう。
「本当に誰もいないのね」
「墓守りはどこだろうな。残るは外庭か」
彼女達は来た道を戻る。コツコツと空虚な足音が廊下に響いた。明かりのつかない回廊は廃墟のようで薄気味悪く、この中で唯一、禁足地の経験がないマクミリアが不安げに震えている。
やがて城の裏手に到着すると、彼女たちの前に花畑が広がった。小高い丘に向かって色とりどりの花が咲き乱れており、その中に無数の墓石がたっている。どうやらここが墓場のようだ。
「イヴァン、あそこ」
ナターシャが丘にたてられた墓石を指差す。そこには花畑に溶け込むようにして一人の女性が佇んでいた。凛とした立ち姿だ。後ろ姿しか見えないが、美しい金髪が質の良い絹のようにたなびいている。
彼女はナターシャ達の足音を聞いて振り返った。
瞳を閉じた盲目の女性だ。だがまぶたを下ろしていても見られているのがわかる。そういう力が彼女にはある。花が、空気が靡いた。殺気ではなく、純然たる覇気。
「ようこそお越しくださいました。私は墓守りのリーベと申します。お待ちしていましたよ、傭兵の皆さん」
彼女が墓守り。城の管理者であり、ミラノ水鏡世界の主である。
○
第二〇小隊に緊張が走った。墓守りの放つ覇気があまりにも聖女代行と似ていたからだ。彼女が浮かべる柔和な笑みは一見すると慈悲深い乙女のようだが、その笑顔に騙されたことがあるイヴァン達は警戒せざるをえない。ましてや住民の男性から「強大な力を持つから逆らうな」と忠告を受けている。
(敵対は避けたいが相手次第だな)
墓守りは手を前に重ねて上品に立っている。すぐに襲ってくる気配はない。だが油断は禁物だ。禁足地で無防備に姿を現すということは、その気になれば蝿を払うように潰せるという自信の表れなのだから。あのベルノアですら表情を歪めて動かない。
「俺達を知っているのか?」
「ええ、それはもちろん見ていましたから。あなた達の目的は何ですか?」
「俺達は――」
「こいつらは敵です! 聖地を荒らす不届き者です! どうか制裁を――」
イヴァンの言葉を遮ってマクミリア祭司が叫んだ。第二〇小隊の判断は早い。両脇のナターシャとソロモンが同時に彼女を押さえつける。顔面から花畑に突っ込んだマクミリア祭司はくぐもった声を上げた。
「俺達は墓をたてに来た。敵対の意思はない」
「ミラノの地を荒らすと聞こえましたが?」
「戯れ言だ」
「ふふ、そうですか。彼女は面白いですね」
墓守りは小動物を愛でるような顔でマクミリア祭司を見た。強者の余裕、というべき態度。彼女は品定めをしているのだろう。墓をたてるに相応しいか、否か。
「ここは王と英雄が眠る場所。関係のない人間を招くつもりはないのですが……そうですね、興味深い香りがしますし――」
「?」
墓守りの視線がナターシャに向いた気がした。まぶたを閉じているため定かではない。
「いいでしょう。一日だけ待っていただけたら私がご用意します。どこがいいですか?」
「空を遮るものがなければ構わない。あんたの判断に任せる」
イヴァンが内心でほっと胸を撫で下ろした。彼女の本心は読めないが、少なくとも今すぐに戦いが始まることはなさそうだ。
墓守りに連れられながら墓場を歩く。
「それにしても見事な花畑だな」
「ここは墓場ですから。命が眠る場所には花が咲きます。道半ばで力尽き、行き場を失った願いの末路ですよ」
見渡す限りの花畑だ。よく見ると同じ種類の花は一つとして存在せず、まるで人の個性を表したかのように様々な花が咲いている。これらすべてが墓なのだろう。ナターシャ達の知っている墓とは異なるものの、星明かりを浴びて咲く花々に悲壮感は感じられない。
無数の墓石が花畑に乱立している。あえて花と分けられているのは、あれらが歴代女王の墓だからか。そのうちの一つ、丘の上にたてられた墓石だけ明らかに大きかった。表面に数名の名前が刻まれており、他の墓石と比べて経年劣化をしている。
「あの一番大きなお墓は何かしら?」
「決して表舞台で語られることのない、歴史の裏側に刻まれた英雄達の墓です。同時に私の愛すべき者達。女王の国が生まれたのも彼女らの力があったからですよ。さあ、この辺りはどうでしょうか?」
リーベが立ち止まった場所は少しだけ隆起しており、空を遮るものがないため星明かりが燦々と降り注いでいる。良い場所だ。イヴァンが了承したように頷くと、リーベは目印になるようにランプをくくり付けた棒を地面に突き立てた。
「明日、もう一度お越しください。それまでにたてておきましょう。泊まる場所はもう決めているのですか?」
「いいや、昨日も野宿したんだ」
「まあ。それなら城の客室を使ってください」
「いいのか?」
「たくさん余っているので構いません。ああ、私が掃除をしているので綺麗なはずですよ」
リーベは城を指し示した。イヴァンとしてはありがたい申し出だが、至れり尽くせりで逆に気が引けてしまう。
だがリーベの提案を断る理由はない。イヴァン達は素直に城の中へ案内された。廊下に明かりを灯しながらリーベが進む。用意された客室は男女で一室ずつだ。たしかに彼女の言うとおり、明かりをつけた室内はとても無人の城とは思えないほど手入れが行き届いていた。
「そういえばあなた、そう、白金のあなた、街の井戸水を飲みましたか?」
彼女はナターシャをご指名のようだ。街の井戸水が黒水だったという報告はイヴァンから受けている。
「似たものを月明かりの森で飲んだわ」
「おや、アレを飲んだのですか。それで無事だったと。あらあらまあまあ、どうりで懐かしい香りがするわけです」
リーベの声が少し高くなった。まるで珍しい生き物を見つけたときのように顔を近づける。ふわりと漂う甘い香り。死と花がこびりついた墓守りの香り。
「我々はアレを送り水と呼んでいます。ただの水ではありません。簡単に言えば命の先延ばしです」
「命の先延ばし?」
「黒い井戸水は人を選びます。もしも適合すれば死にかけの命すら先延ばしにしてくれる。反対に、もしも適合しなければ身の程を知らない愚か者に相応しい罰を与える。いわば諸刃の剣ですね」
「先延ばしってことは、つまり傷が治るってことかしら?」
「傷も病も治ります。その代わりに何度も服用すれば体に溜まっていき、次第に動けなくなってしまいます。あの水は重いですから」
ナターシャは住民がよく街角で座っているのを思い出した。彼らは増えすぎた自重によって立っていられなくなったのだろう。あくまでも先延ばしだ。不老不死になるわけではない。
「月明かりの森にある井戸水と、ここの送り水は似て非なるものです。先延ばしをするという力は同じですが、体に適合しなかった場合の末路が異なります。アレは化け物と呼ばれた英雄の血。あの激毒に耐えるとは、あなたは波長が合ったのかもしれませんね」
送り水を語る墓守りはどこか嬉しそうな様子だ。ナターシャは気付く。敵意を向けられないのは親切ではなく、ましてや善意の類いでもなく、敵とみなすほどの価値がないと思われているからだ。故に彼女はナターシャ達の疑問に対して丁寧に答えてくれるのだろう。
「ああ、ちなみにですが、先ほど申し上げたとおり、あの水は命を先延ばしにします」
リーベは滑らかな金髪を揺らしている。やはり聖女代行と雰囲気が同じだ。もしかすると、彼女は聖都ラフランの関係者ではないだろうか。そうであれば、巡礼者がミラノ水鏡世界を目指したのも納得ができる。
まるで他人事のように考えていたナターシャの前で墓守りが立ち止まった。
「それをあなたは飲んだ。そして、選ばれた。つまりですねえ」
リーベは勿体ぶるように笑みを浮かべた。まるで聖母のように優しく包み込むような空気を放ちながら。
「あなた、死にかけていたんですよ」
コテン、と可愛らしく首を傾けて彼女は告げた。




