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第百二十四話:異形の神様

 

 反転した月が船を見下ろした。あれは目だ。人間の瞳をそのままくり抜いたような化け物が、滑らかな粘液を帯びた触手で洞窟の天井に張りついている。

 ナターシャは考えるよりも先に通信機を取り出した。この手の生物が友好的だったことは一度もない。


「イヴァン! 敵襲!」


 隊長の名を叫ぶ。直後、天井から大目玉が降ってきた。月と見紛(みまが)う巨体。その圧倒的な質量が海に飛び込んだ結果、衝撃波が津波となって船を襲う。


「掴まって!」


 リンベルに手を伸ばし、そのまま離さないように抱きしめる。海底都市の残骸が波を軽減してくれたのは幸いだ。片腕でリンベルを抱き、もう片方の腕で手すりにしがみつく。ガンガンと打ち付けられる体。容赦なく飛んでくる船の備品。泣きたいほど痛いが我慢する。この手を離すわけにはいかないのだ。


 激しい揺れがようやくおさまった時、ナターシャは化け物を見た。ラフランの巨人をはるかに凌ぐ巨体だ。むき出しの眼球と下部から伸びる触手は生理的な嫌悪感を引き起こさせる。海水に濡れたリンベルが腕の中で笑った。


「ハハッ、出たぜナターシャ、土地神だ。間違いねえ。こいつがダキアを食らったんだ」

「土地神? 冗談じゃないわ。これはどう見ても、奈落の大目玉よ。カップルフルトに眠っているなんて嘘じゃない」


 ナターシャは研究者から聞いたことがあった。いわく、金融都市の地下には感情を食らう大目玉が存在すると。

 奈落の大目玉。もしくは「土地神」として恐れられる存在だ。

 ビリビリと空気が震えた。海が(なび)いている。流れに逆らって外へ、外へと押し流される。静かな海があっという間に大荒れだ。油鷲がけたましく鳴き、人よりも敏感な彼らが「早く逃げろ」と警告をする。


「金融都市の噂か。別の個体って可能性もあるな。こっちは右目、あっちは左目ってことじゃねえの」


 外へ放出されるのは海水だけではない。土地神を中心にして人型の霧があふれ出した。

 ナターシャは直感的に理解する。あの人影はおそらく、大目玉に感情を食われた人間達の末路ではないか。奪われた魂が収まりきらずに(ほん)流しているのだ。

 先手を打つべきかと思案していると、通信機からイヴァンの声が響いた。


「――祭司隊と連絡が取れた。手出し無用、銃を下ろしてじっとしていろとのお達しだ」

「冗談でしょ?」

「――さあな。まずは様子をみる。あの女祭司がうまく鎮めてくれるなら大助かりだが……まあ期待せずに待っていよう」


 何とも言えない表情でリンベルと顔を見合わせた。彼女にとって土地神は幼馴染みを食らったであろう宿敵だ。今すぐにでも鉛玉をぶち込んでやりたい気分のはずだが、リンベルは黙って命令に従った。


 やがて大目玉の前に一隻の船が進んだ。甲板に立っているのはマクミリア祭司。荘厳な装束を着た彼女は(うやうや)しく頭を下げる


「土地神様、我らは鷲飼いの狩人です。このような格好でのお目遠しをお許しください。まずはお礼申し上げます。寛大なる土地神様のご寵愛によって我ら狩人は文明なき時代を生き抜くことができました。すべてはご加護があってこそ。矮小なる人の子を守っていただきありがとうございました。星天教が台頭して久しいですが我らの心は常に変わりなく土地神様を――」


 話が長い、と触手が海を叩いた。「ペシン」ではなく「ドパン」だ。ただの一撃が船を転覆させるほどの波を生む。水飛沫を浴びたマクミリアは冷や汗を流した。

 ちなみにナターシャは「寛大なる――」辺りから聞いていない。そもそもマクミリア祭司の言葉は信用ならないのだ。出発前の顔合わせの時、マクミリア祭司は丁寧に対応をしていたが、その瞳に隠れた蔑みの色をナターシャは見逃さなかった。

 だからマクミリア祭司がどのような行動を取ろうとも驚かない。たとえ裏切りの言葉であっても――。


「こたびの供物をご用意いたしました。数は六。どうぞお納めください」


 盲信的な笑みを袖で隠すマクミリア祭司。何となく予想していた答えであり、さして驚きはないが、それでも苛立たしくはある。ナターシャは舌打ち混じりに結晶銃を構えた。


「リンベルは中に入ってて! 守りながらじゃ戦えないわ!」


 迷わずに発砲。ナターシャの弾丸が触手と目玉を順番に撃ち抜いた。

 だがあまり効果がない。結晶化現象(エトーシス)が発生していないのだ。土地神は鬱陶しそうに触手を振り上げると、塔が倒れてくるかの如く船へ叩きつけた。


「――揺れるぜお前ら! 掴まっておけよ!」


 ベルノアによる急発進。直撃こそ(まぬが)れたものの、極太な質量から生まれる波が再度、船を襲う。


 結晶銃が土地神に効かない理由は二つある。一つは単純に巨大すぎるが故に、結晶化現象(エトーシス)による侵蝕よりも奴の再生能力が上回っているから。

 もう一つの理由をナターシャ達は知らないが、大目玉は目に見えぬ力、神秘と呼ばれるものを食らう。そして神秘とは結晶が発生する元となったもの。つまり土地神は結晶そのものを食らってしまうのだ。対生物に対して絶大な力を持つ結晶銃だが、大目玉との相性は最悪だった。


「中に逃げたってよ、あの触手を食らったら同じだろ! 何もせずに潰されるぐらいなら抵抗したほうがマシだ!」


 リンベルが拳銃を引き抜く。

 直後、待っていましたといわんばかりに海中から触手が現れた。触手の先端には大きな口がついている。牙は上下に二本ずつ。ぬめりを帯びた肉がぶよぶよと揺れる。

 あっ、と声にならない息が漏れた。リンベルは拳銃を向けている。だが眼前に広がる巨大な触手に対して、彼女が持つ武器はあまりにも小さい。こんな拳銃一つで何ができるだろうか。ナターシャの結晶銃すら歯が立たないというのに。


「ゲホッ、くそ、こんな時に……!」


 せめて一発だけでも撃ち込もうとしたリンベルだが、ひどい咳に襲われて照準がぶれた。立っていられないほどの激痛が肺を襲う。崩れ落ちるリンベル。されど触手は止まらない。

 禁足地の脅威は理解したはずだった。人の身で挑むにはあまりにも理不尽な世界である。遺物を持たぬ少女にいったい何ができようか。リンベルは歯を食いしばって覚悟を決める。せめて腰の火炎瓶ごと食われれば触手にも多少、傷を負わせられるはず――。


「馬鹿ッ!」


 友人の声が聞こえた。同時に、うずくまっていたリンベルの体が横に吹き飛ばされる。

 ナターシャが突き飛ばしたのだ。引き延ばされる時間の最中(さなか)、リンベルは仰向けに倒れながら確かに見た。自分を突き飛ばした友人が触手に襲われ、左腕に食らいつかれながら船外へ消えていく様を。


「ナターシャ……!」


 友の名を呼ぶが甲板に姿なし。


 ◯


 第二〇小隊が襲われている一方で、ラバマン(ひき)いる戦士隊はまっすぐ土地神に向かっていた。その光景を見たマクミリア祭司が愕然(がくぜん)とした表情で叫ぶ。


「何をしているのですか戦士長! 土地神様の御前ですよ! 今すぐ戻りなさい!」


 うるさい祭司の声を無視しながら戦士長は銃を構えた。彼の仲間も同じように銃口を持ち上げる。狙う先は土地神。おぞましく動く大目玉だ。


「なにが守り神だ。数多(あまた)の同胞を食らった化け物め」


 ラバマンは最初から土地神を討つつもりで参加した。理由はもちろん娘の仇討ちである。リンベルと同じ想いを彼も抱いていた。

 他の仲間も似たような境遇だ。誰もが家族を土地神に奪われ、その復讐のために戦士隊を志願した。彼らに帰る場所はない。待ってくれる人は目の前の化け物に食われたのだから。


「戦士長、どうやら傭兵船が先に襲われているようです」

「ならば急がねばならんな。全速力で進むように伝えろ。注意が向いていないうちに接近するぞ」


 玉砕覚悟の特攻だ。ずっとこの日を待っていた。薄暗い整備室で牙を磨く日々。ようやく報われる時が来たのである。

 船が猛進する。二度と立ち止まらないように、全ての燃料を吐き出しながら化け物に迫る。暴れ回る触手によって荒波が生まれ、上下がわからないほど船が揺れた。海底都市の残骸が船体をガリガリと削った。それでも彼らは進む。今こそ戦士の見せ場である。


「戦士長、敵に気付かれました! 触手が来ます!」

「構わん、総員撃て!」


 急旋回しながらの迎撃だ。雨のような銃弾が触手を貫いた。さらに大砲による砲撃が加わり、触手の根本に大きな風穴を開けた。たとえ巨大な肉体を持っていようとも数の暴力には敵わない。この日のために用意していた大量の銃器が火を吹く。


「触手の後退を確認! よし、俺たちの攻撃が通じるぞ! このまま本体を叩く!」

「よっしゃあ! 村の英雄になる時が来ましたね!」

「英雄どころか追い出されたっておかしくないがな! さあ無駄口は慎め! 来るぞ!」


 ラバマンの表情に希望が湧いた。自分達の努力が無駄ではないとわかったから。本当に勝てるかもしれない。誰もが無理だと諦め、恐怖のあまり信仰した化け物に、ようやく刃が届きそうだった。


 見ているかダキア。見ているか、リンベル。ラバマンは整備士ではなく戦士として戦うぞ。これこそ彼が望んだ戦い。戦士長ラバマンが往く。

 海がひときわ大きく揺れた。海中から塊のような気配が迫ってくる。


「また触手か。何度来たって同じ――」


 船を取り囲むように触手が乱立した。その数は遠くにいたはずの祭司船が見えなくなるほど。いつの間にか大目玉もすぐ近くにまで接近しており、結果として逃げる間も無く戦士船は囲まれた。もはや脱出は不可能。


「戦士長! どうしますか!?」


 数の暴力には敵わない。それはラバマン達も同じだ。どれほど砲弾を用意しようとも大目玉の触手を全て潰すことは不可能である。


「戦士長……!」


 悲痛な叫び声を合図に触手が襲いかかった。




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