第百十六話:幕間 終わらないノブルス攻城戦
ナターシャとイヴァンが首都に潜入していた間、ノブルス城塞での戦いは続いていた。中央門が破壊されたことで決着がつくかと思われたが、各陣営の思惑が絡まり合ったことで予想外に長引いている。
原因は主に二つ。
一つはノブルスの城壁が二枚あること。一枚目の城壁は第二〇小隊の奇襲によって突破されたが、二枚目の城壁は健在であり、シモン軍団長による鉄壁の守りがルーロ解放戦線の足を止めた。
二つ目はホルクス率いる第三軍が孤立したことだ。この影響が最も大きい。
まず孤立した原因はベルノアの結晶だ。ホルクスを含めた精鋭達の動きが封じられたことで第三軍は指揮系統が麻痺し、結果として傭兵部隊に包囲された。
第三軍はローレンシアにとっての大きな戦力だ。彼らを失ったときの痛手は計り知れないだろう。だが老将シモンは救援を出さなかった。ホルクスを見捨てたのである。「第三軍の救援が絶望的だった」というのが表向きの理由だが、その実がシモンの個人的な妬みであることは司令官達も知っている。
第三軍、ノブルスで墜ちるか。
そう思われたが、今度は解放戦線のユーリィが包囲網を解くように命令した。これには戦士達も大いに動揺し、特にソロモンの怒りは凄まじく、彼女はユーリィの顔面に綺麗な右ストレートを叩き込んだ。
ソロモンは命令違反で留置所に送られ、ソロモンがいないためミシャも戦いに参加しなくなり、解放戦線に傾くかと思われた戦況はこう着状態におちいった。
なお、ユーリィが命令を出す少し前、彼はとある使者と密会をしていた。その場には後援者の商業国と、そしてもう一人、通信機越しに会話する人物がいたとか。
「ややこしい戦いになってきたぜ。イサークはどう思う?」
「救援の件ならば、間違いなくシモン軍団長の裏切りでしょう。以前から第二軍との軋轢は問題になっていましたから」
「ちっ、あのジジイ、俺たちがどれだけ貢献してきたか知ってんのか」
「知った上で切り捨てたのでしょうね。不落のシモンと謳われた男も老いたのです」
シモンは優秀だが古い男だ。ホルクスという新しい風を受け入れられなかったのだろう。
第三軍の軍団長ホルクスは腹立たしそうに足を投げ出して座った。向かい側には副官イサークが報告書の束を読んでいる。
「まあいい。方針は決めた」
「ということは、例の提案は受け入れるのですか?」
「それが俺たちの生きる道だからな」
「わかりました。返事を出しておきましょう――」
「どうした?」
報告書をめくるイサークの手が止まった。彼はいつになく表情を歪めながら、報告書の文字を目で何度も追っている。
「元帥の命令により、我が父、イグリス准将は北の前線に出兵。敵の砲撃により殉死しました」
彼は報告書を握りつぶした。
○
「ソロモンがユーリィを殴って拘束された?」
ルーロ解放基地に到着したイヴァンは困惑した様子で聞き返した。対するミシャは相も変わらず表情筋の死んだ顔で説明をする。
「……ユーリィの命令に納得できなかった。私も違和感がある」
「だからって依頼主を殴ったら駄目だろう」
予想外に複雑化した戦況にイヴァンは表情を曇らせる。
ミシャ曰く、ベルノアが囮になったおかげで包囲網はほぼ完璧だったらしい。いかにホルクスといえど自力での脱出は不可能。彼を討つ絶好の機会だった。
「せっかく俺様がお膳立てしてやったのに、ユーリィは何を考えてんだか。ソロモンが怒るのも無理ないぜ」
「あらベルノア。動けるようになったのね」
「まだ傷に響くけど、なんとかな」
基地の空気は以前よりも殺伐としていた。祖国解放を掲げていたときに生き生きとした様子から一転、長引く戦闘に疲れ、仲間を失った者達の泣き叫ぶ声が聞こえる。
「とにかく俺たちの目的は達成した。ソロモンを回収してからシザーランドに帰還する」
「……解放戦線はいいの?」
「もとより潜入任務の間だけ手を貸すという契約だ。俺はユーリィと話してくるから、ナターシャはソロモンを迎えに行ってくれ」
「先にリンベル達と話したいんだけどいい?」
「ああ構わない。ついでに大断層の件、可能であれば集落に取り次いでもらえるよう頼んでくれ」
はーい、と返事をしながらナターシャは友人達を探した。一応、最悪の事態は覚悟している。ここは戦場だから。だが彼女達が前線に立つことはないだろう。特にリンベルは飄々と生き残っているはずだ。
友人達はすぐに見つかった。リンベルの船の前に集まっており、ナターシャが近づくと最初にナナトが手を振った。
「おーい、久しぶりじゃんナターシャ! 俺っちのこと忘れてない?」
「ナナト――あなた、その顔」
「いやあ、敵さんの最後っ屁に巻き込まれちゃって、こっちは駄目になっちゃった」
ナナトの左目にぐるぐると包帯が巻かれている。爆発に巻き込まれて失明したのだ。本人はにへらと笑っているが平気なはずがないだろう。
「まあ仕方がないよねえ。撃って撃たれて、奪い合いだもん。むしろこの程度で済んだ俺って幸運っしょ」
「手当てはちゃんとした?」
「もち。ねね、衛生兵でめーっちゃ可愛い子がいるんだよ! 真っ黒な珍しい髪の女の子! 名前を聞いとけば良かったなあ」
「ああ、あれね。番犬付きでよかったら紹介するわ」
ナターシャがもう一人に視線を落とす。
イグニチャフも無傷ではない。ナナトほどの大怪我ではないが、無数の包帯を巻いている。銃創ではなく擦り傷の類いだ。
「イグニチャフは元気そうね」
「元気なもんか。酷い目にあったぜ」
「でも生き残れたんだから偉いよ」
「ふん」
イグニチャフがぷいっと顔を背ける。いい歳をした男がそんなことをしても可愛くない。弾が当たらなくて良かったねえ、と呟きながら木箱を椅子代わりに座る。
「リンベルは?」
「呼んだか?」
船の扉が開いた。やあ、と互いに手をあげる。リンベルは他の二人と違って怪我ひとつ負っていないが、心なしか顔色が悪い気がした。
「私たちをほっぽってのローレンシア旅行は楽しかったか?」
「良い経験になったわ。大きなお祭りにも行ったのよ」
「そいつあ良いご身分だ。さぞ素敵なお土産があるんだろうな」
「じゃあこれあげる」
「なんだこれ?」
「闇鼠の干し肉」
「こっちでも食えらあ」
悪態をつきながらガシガシと肉を噛む。ナターシャも任務だったのだから仕方がない。
四人で火を囲む。保存食でスープを作っていたらしく、ナターシャはありがたく頂戴した。きっとナナトが調理したのだろう。新人時代に何度も食べた、狩人独特の懐かしい風味がする。
「とりあえず全員生きていて良かった。この戦いはまだまだ長引きそうね。ホルクスの首とノブルスの陥落、どっちも得ようとすると兵力が足りないわ」
「俺っちもそう思うんだけど、どうやら旗頭様には考えがあるらしーよ」
「どこまでが本当やら」
洞察力にはある程度の自信があるナターシャだが、ユーリィが何を考えているのかはいまいち分からない。否、祖国解放のために動いているのは分かるが、手段が曖昧だ。
まあいい。ナターシャは帰国するのだから。
「他に変わったことは?」
「お前んとこの鋼鉄が捕まったぜ」
「それは聞いた」
「ラチェッタの足が吹き飛んじまった」
「ラチェッタ……ああ、あの侵入者の」
「前に出すぎたらしくてな。命は取り留めたが当分は戦えないそうだ」
第二〇小隊の船に不法侵入したじゃじゃ馬娘も、戦争の暴力には敵わなかったらしい。気の毒だと思うが彼女たちが始めた戦いだ。同情は不要。そんなもんだ、とスープを飲む。
「それとウォーレンが旅に出たぜ」
リンベルが事も無げに告げた。パチパチと焚き火が燃える。ひとつ、ふたつと命が弾ける。リンベルが「残念だよな」と冗談のように口を曲げるが、その目は痛みに耐えるように真剣である。
「帰ってくる予定は?」
「ないぜ。捕虜になった仲間を助けようとしたら、永住権付きのプレゼントをもらったそうだ」
「そう、そっか。ウォーレンもかあ」
目がキュッと細くなる。また一人、同期が減った。さよならも言えないままで。
エイダン達は城壁の破壊作戦を決行したそうだ。その際に解放戦線の数名が逃げ遅れてしまい、捕虜として捕まった。ネイルもエイダンも、誰もが見捨てるべきだと言ったが、ウォーレンは制止を無視して助けに行った。それが罠だと気付いていながら。
「後悔が甦ったのかしら。今度は見捨てられなかったんだ……」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
ナターシャは首を振った。無粋な詮索は止しておこう。
「だから俺っちは幸運だったのさー」
左目の包帯をさすりながらナナトが言う。そんなもんだ、そんなもんだ。彼らの旅路に祝福あれ。
少年少女はしばし無言で火を囲った。
○
ノブルス城塞の外は吹きさらしだ。こんな場所に拠点を作ろうとすれば結晶のオブジェが出来上がる。そのため機動船を拠点に使うことが多く、円を描くようにたくさんの船が停泊していた。
「ハイ、ソロモン。思っていたよりも居心地の良さそうな牢ね」
ナターシャが開けっぱなしの扉をコンコンと叩く。室内は想像以上に綺麗だ。兵士達が用いる一般的な部屋を牢の代わりにしており、扉と窓が封鎖されていることを除けば普通に暮らせそうである。
「下手に暴れられるよりも穏便に済ましたかったのでしょう。見てください、焼夷砲すら取り上げられていないのですよ」
焼夷砲がある。鋼鉄の鎧も着たまま。つまり、彼女はいつでも脱出できる状態にされている。これはユーリィからの無言の圧力だ。こっちが誠意を見せるから、そっちも応えてねという。
「ミラノは見つかりましたか?」
「ええ、これからシザーランドに帰国するわ。ここでの任務はおしまいよ」
「わかりました。悪くない生活だったのですが……」
彼女が柔らかそうなぬいぐるみをポフポフと撫でた。
鋼鉄の手で触っても感触が無いだろうとか、ユーリィがわざわざ用意したのかとか、色々と突っ込みたい気持ちをナターシャは抑える。薮蛇に対する嗅覚は人一倍なのだ。
「残念だったね、ホル――」
クスを討てなくて、と言いきる前にぬいぐるみの頭が握りつぶされた。ナターシャの口がぱくぱくと開く。薮蛇の嗅覚なんて無かったようだ。
「ええ、非常に無念です。ユーリィの頼みでなければ止まらなかった。ひどい男だ、私の願いは知っているだろうに」
陽炎が昇る。憤怒に震える鋼鉄の乙女。赤く焦げ付いた鎧に熱がこもる。
ソロモンは姿勢を正した。それだけで空気が締まった。いつだったか、まだナターシャが第二〇小隊に入る前、機動船の甲板で忠告された時を思い出す。
「良い機会なので話しておきましょう。私がまだ軍医だった頃について」




