第十一話:歩き続ける移動都市
今にも雨が降りそうな曇り空の下を移動都市が歩む。忘れ名荒野の遺物を踏みしめて、巨大すぎる船が国から国へ渡る。次に向かうのはカップルフルトという街だ。
居住区を歩く薄茶色の髪をした少女・アリアにとってもカップルフルトは久しぶりだ。以前に訪れたことがあるが、まだ十歳にも満たないほど昔の話である。ヌークポウの巡航路はあってないようなものだ。刻々と変化する世界に合わせて進むため、二度と訪れない国もあれば、頻繁に行き来する国もある。
「カップルフルトは確か金融都市として盛んだよね。ナターシャがよく溢れそうなほど銃を抱えて帰ってきたから驚いたなぁ」
アリアが懐かしそうに目を細める。ナターシャがまだやんちゃだった頃の話だ。今でも十分やんちゃなのだが、幼い頃はそれを隠そうともしていなかった。おかげで警備隊にいつも追いかけ回されたし、アリアも悪ガキの仲間として目をつけられていた。
とんだ迷惑だと思っていたが、今は騒々しかった日々が恋しくなる。
「けっ、なーに辛気臭い顔をしてんだよ」
「そりゃあディエゴと買い物に出かけたら辛気臭い顔にもなるよ」
「……喧嘩を売ってんのか?」
「冗談だよ」
「絶対に本心だっただろ」とぶつぶつ呟く幼馴染みにアリアはため息を吐いた。そんなだからナターシャに見向きもされないのだ。
「ディエゴは何かないの?」
「何かってなんだよ?」
「そりゃあ、こう、昔を思い出して楽しかったなーとか」
「俺は思い出に浸らない主義なんだよ。いつだって前を向き、志は天高くってな!」
「あはは、ご立派な考えだ。私も見習わないと……あぁ、やっぱり今のは嘘。流石にきついね」
「うるせーな。お前は昔を気にしすぎなんだよ。俺たちが生きているのは今。過去を振り返ったって何も変わらねーぞ」
「……変わらなくていいもん」
アリアの表情に暗い影が落ちた。ただでさえ居住区は薄暗いというのに、そんな顔をすると暗闇に溶けてしまいそうだ。
「ナターシャがいた頃のまま、変わらなかったら良かったんだ」
あの日、ナターシャは設備区から帰ってこなかった。警備隊からは“行方不明”と聞いている。ナターシャ以外にも嵐の夜に消えた人物はいるらしく、例えば警備隊のエルドという青年も行方不明らしい。
ディエゴが「またお前は……」と鼻で笑おうとしたが、思いとどまってやめた。隣の幼馴染みがあまりにも悲しげな顔をするからだ。ディエゴはどんな言葉をかけようか悩み、気の利いた言葉が全く思い浮かばず、最後には考えるのをやめて笑った。
「言っておくけどな、俺はナターシャが生きていると確信しているぜ」
「……なんで?」
「俺の勘だよ、第六感ってやつ。今まで外れたことねーだろ?」
「むしろ外れっぱなしじゃん。聞いた私が馬鹿だった」
「おうおう、お前が馬鹿だ。こんなところでウジウジしているお前は大馬鹿だ」
「なっ……そう言うディエゴはどうなのさ……!」
アリアの声が鉄の壁に反響した。住人がびっくりして顔を出し、またこの二人かとため息を吐く。居住区の人々にとって珍しい光景ではなかった。ディエゴは「うるせーな」と耳に手をあてながら答える。
「俺はウジウジしないぜ。次の街で……カップルフルトで降りるって決めているんだ」
「降りる?」
「ヌークポウから去るって意味だよ」
「え?」
顔をあげるアリア。幼馴染みの表情はいつになく真剣だった。
「何でなの?」
「もちろんナターシャを探すために決まってるだろ。あいつがヌークポウの中にいないのは確実だ。どんな事情で去ったのか知らねーが、これだけ探して見つからないんだから間違いない」
それはそうだ、とアリアは頷く。寄宿舎の子供たちが総出で探したのに見つからなかったのだ。
「カップルフルトといえばそこそこ大きな街だ。人も情報も勝手に集まる。ナターシャを見たって人がいるかもしれないし、あいつがカップルフルトに流れ着く可能性もある。最悪、俺が探しに行くこともできるしな」
アリアは愕然とした表情でディエゴを見つめた。
「な、何を言っているの!? 外だよ? ヌークポウの外がどれだけ危険か分かっているの??」
「そんなことは百も承知だっつの。大体、その危険な場所にナターシャが放り出されているんだろ? じっとしていられるかっての」
「でも――!」
「うるせーなぁ、俺なりに色々と考えた結果なんだよ。自分で考えて、自分で決めた! つまりこれは決定事項!」
「お金はどうするのよ!」
「なんとかする!」
「探すって言ってもどうやって!?」
「それも、なんとかする!」
アリアは口をぱくぱくさせた。きっとこの馬鹿は何を言っても止まらないだろう。幼馴染みだから分かるのだ。そして、ディエゴ以上に馬鹿なのが自分だ。ディエゴを止める方法が分からず、かといってディエゴのように外へ踏み出す勇気もない。今すぐ自分の頭を思い切りぶん殴ってやりたいほどの臆病者なのだ。
「そう言うお前はどーするんだよ?」
「私は……」
アリアは答えられなかった。ちゃんと悩んで決断したディエゴと、悩むフリをして先延ばしにした自分。明確な差が生まれていた。
「まっ、どうしようと勝手だけどなー」
ディエゴはそう言って踵を返した。多分、見抜かれたのだろう。答えを持たないアリアに対して、ディエゴは追及をしなかった。それが彼なりの優しさである。
残されたアリアは重い足取りで居住区を歩いた。両手に晩御飯の食材を持って。料理が得意な友人はもういないから、今は彼女が作っている。
ふらふらと。ぽとぽとと。
アリアは多くを望まない。ただ寄宿舎の皆と笑っていられたら良い。そんな小さな願いすら叶えられないほど、この世界は生き辛い。両手の食材がやけに重たく感じるのはきっと気のせいではないだろう。自分では皆を支えられない。ディエゴを繋ぎ止めることが出来ない。
「もしかして修羅場だったのか?」
一人ぼっちになったアリアに声をかける者がいた。サイズの合わない作業着を着た、鼠色の髪が特徴的な少女だ。何が楽しいのか、いつも笑顔を浮かべている。
「違うもん……珍しいね。あなたが居住区に顔を出すなんて」
「久しぶりの再会なんだ。もっと喜んでくれたっていいんだぜ?」
「ナターシャに銃を売りつける疫病神め」
「そいつは勘違いだ。私は無理やり買わせていないし、むしろ値引きしてやってるぐらいだよ。需要と供給が一致しただけさ」
灰かぶりのジャンク屋が「私は無実だ!」と両手をあげる。アリアとは対照的にリンベルの表情は軽かった。心配なんて何もないのだと言わんばかりだ。
「そうカリカリすんなよ。お前も、ディエゴも。焦りが良い結果を生むことなんて万に一つもあり得ないんだぜ」
「……焦ってないもん」
「ふーん、本当にそうか?」
ずいっ、とリンベルの顔が近づいた。淡い影のように柔らかな灰色の髪が目の前で揺れた。水色がかった瞳が細められ、アリアの心を見透かそうとする。アリアはこの瞳が苦手だ。一歩上から見定めようとする彼女の瞳が昔から苦手だった。
「自分と対等だったはずのディエゴに置いていかれそうで怖いんじゃないか? ナターシャに対して何もできないのが申し訳ないのか? それとも、変わりたいのに変わろうとしない自分が情けないのか?」
口元は歪んでいるのにリンベルの目は笑っていない。アリアの肩によたれかかり、下から見上げるような格好でジャンク屋は毒を吐く。冷たくて無遠慮な言葉が容赦なくアリアの心を抉ってくる。
「あぁ、そうか、何もできないくせに他人へ当たってしまう自分が許せないのか」
「……っ!」
アリアはジャンク屋を突き放そうとした。その前に彼女はアリアから離れ、大パイプの上に飛び乗った。軽やかな足どりで両手を広げ、灰かぶりがアリアを見下ろす。
「私はお前を心配しているんだ。冷静になって自分の姿を振り返った方がいい。今のお前は思考を止めている。考えることを止めた人間は死んだも同然だってナターシャがよく言っていただろう?」
「私まで出ていったら、寄宿舎の子供たちはどうなるのよ」
「そんなもん知ったこっちゃないさ。お前がいなくても寄宿舎は回る。そのための警備隊だっているからな」
「それは……」
「先延ばしの言い訳を重ねるな。それは自分を殺す毒だぜ」
「……あなたはどうなの」
「あぁ、それが本題だった」
リンベルは両手を叩いた。
「私もヌークポウを去ることにしたんだよ」
「あなたも、カップルフルトへ?」
「いや、私は別だ。カップルフルトはうるさくて嫌いなんだよ。同業者が多いせいで商売がやりにくいし、行ったところでつまらない街だ。要するに今日は別れの挨拶をしに来たってわけ」
「それは親切にどうも。きっとリンベルはどこに行っても上手にやりそうだよ」
「ハハッ、お前にはそう見えているのか。そいつは……まぁいいや」
にへら、と笑うジャンク屋。彼女は右手を上げた。
「元気にやれよ、アリア。応援しているぜ」
「どこまで本気なんだか……あなたもね」
遺物と呼ばれる作業着を身にまとい、耳元のイヤリングを愛おしそうに撫でながら、ジャンク屋がさよならを告げる。
リンベルは少し特殊な少女だった。いつも商業区の地下に潜っているため寄宿舎にほとんど寄りつこうとしない。ナターシャが紹介しなければ一生出会わなかった可能性もある。しかし、付き合いの長さだけはそこそこだ。さして深い関係ではなかったが、別れとなると若干の寂しさがある。
両手をポケットに入れて立ち去ろうとするリンベル。しかし、何かを思い立ったように足を止めた。
「アリア! ヌークポウの人間が長生きしないのは知っているだろ! 死に行く船にいつまでも乗っていないで、お前もさっさと歩き出せよー!」
アリアの返事を聞く前に彼女は消えてしまった。まるで猫のように現れては消える、掴みどころのない存在だ。それがジャンク屋の生き方ということだろう。
アリアは壁の切れ目から外を眺めた。あたり一面を埋め尽くす居住区の家。その隙間から無数の支柱が伸びている。天井のドームにまで届きそうな高さがあり、ヌークポウの至るところに生えている。あれらは雨水を集めるための古い装置だ。
がしゃん、がしゃん、と支柱の先端が開き始めた。枝分かれした先端からは薄い鉄板が展開され、まるで逆さまの傘みたいに口を開ける。支柱の展開が完了すると同時にポツポツと雨が降り始めた。街を支える恵みの雨だ。
「何があったの、ナターシャ……」
足元を循環水が流れていた。




