第百九話:ラスクの孤児院
繁華街から少し離れた場所で宿を取ったイヴァンとナターシャは、それぞれが得た情報について話し合った。
「天巫女が街を訪れるのは祭りの二日目、つまり本祭の日ね」
ナターシャが地図を指差す。そこには兵士たちから聞き集めた巡回ルートが記されている。
「人が一番集まる日だな。人だかりができると任務の遂行が難しくなる。うまく近づけそうな場所はあるか?」
「第三ミシェラ教会を薦められたわ。でも私は微妙かな。狙われやすい場所は向こうも警戒しているだろうから。それよりも探求者の慰霊像ってところが良いと思う。ここも警戒されているだろうけど、地形が複雑だから撹乱させやすそうだったわ。事前に封晶ランプをいくつか潰しておけば良い感じになるかもしれない」
祭りは前夜祭、本祭、後夜祭に分かれており、天巫女が現れるのは本祭だ。この機会を逃せば彼女は再び、塔の最上階に引きこもってしまう。そうなればミラノ水鏡世界の情報を聞き出すのは困難。チャンスは一度きりだ。
ちなみに、友好的で目立たないように行動した結果、兵士たちに気に入られてしまったのは予想外である。作戦決行時に見知った顔の兵士を襲うことになったらどうしよう、というのがイヴァンの悩みだった。
「慰霊像で襲撃か。バチが当たらなければいいな」
「気にする性格じゃないでしょうに」
「否応にして、因果はめぐるもんだ。業を重ねればいつか破滅する」
「天巫女様を狙うってのに今さらよ。それともやめる?」
「まさか。あとで慰霊像を案内してくれ。俺も現地を確認しておきたい」
「了解。そっちはどうだった?」
次はイヴァンが報告する番だ。
「当日の警備体制について聞いてきた。はっきり言って厳重だ。天巫女の周囲は常に巫女つきと呼ばれる女がいるが、それに加えて専属の護衛、つまりアメリア軍団長が指揮する親衛隊が配備される。特にアメリアは厄介だ。奴を引き剥がさないと、俺たちは天巫女に声をかけることすら出来ないだろう」
「軍部にはサーチカがいると思うけど、警備が手薄になるように頼めないの?」
「難しいだろうな。そもそもサーチカの所属はホルクス軍だ。俺たちを兵舎に招くだけでも相当苦労したに違いない」
「私たちで対処するしかないか。穏便にすましたかったけど、戦闘は避けられそうにないね」
アメリア軍団長の注意を逸らすのは必須。それに加えて護衛に邪魔をされないように二人きりの状況を作らねばならない。何かしらの騒動が必要になるだろう。
「あ、そういえばココットに狙撃銃の使い方を教えたよ」
「了解した……ん?」
それは良くないのではないか。イヴァンは顔を渋くした。
「敵国の兵士に教えたらまずいだろ?」
「あの子なら大丈夫よ。第一軍ってラスクの防衛しかやらないし」
「そうだが、いや、そうじゃなくて」
イヴァンは脳裏にココットを思い浮かべた。無害そうにふわふわと笑う女兵士。その能天気な笑顔が狙撃銃を持つ姿はまるで似合っておらず――。
「まあ、いいか」
無責任に答えるのだった。
「とりあえず出来ることから始めましょうか。祭りまであまり時間が残されていないし」
「さっそく慰霊像の下見をしに行くが、ナターシャはどうする?」
「私は気になる場所があるの。声がうるさい幼馴染みに教えられて、ね」
イヴァンは「気になる場所?」と問い返そうとしたが、ナターシャの表情を見てやめた。彼女は嬉しいとも悲しいとも取れる曖昧な顔色だったから。
○
ラスクは花が多い。それは広場に咲く花という意味でもあり、花屋の数が多いという意味でもある。せっかく会いに行くならば花を買おうと思ったナターシャだが、あまりに豊富な種類を見て少々圧倒された。
「お姉さん、珍しい花を売っていますね。なんて名前ですか?」
「あら口が上手なお嬢ちゃん。これは落楼草といってね、傷薬の材料として昔から使われているの」
「ローレンシアが原産ですか?」
「いいや、忘れ名荒野に消えた国が発祥だよ。あれ、月明かりの森だったかな。ローレンシアの先祖がこの花から治療薬を作ったらしいけど、まあ誰も覚えていないぐらい昔の話さ」
真っ赤に咲いた綺麗な花だ。甘い香りが店先にまで漂ってくる。
珍しい花を手に入れたナターシャは広場に向かった。行き交う人々は楽しげな様子だ。それだけ国が豊かな証拠であろう。シザーランドでは祭りなんて一つもないのに、ローレンシアは国を総出で祝うのだ。まったくもって羨ましい。
中央広場を抜けた先、星天教の印が刻まれた孤児院が目に入った。建てられたばかりの白い壁が印象的だ。真新しい扉をコンコン、とノックする。
「ごめんなさい、誰かいるかしら」
「はーい、いますよ――」
パタパタと足音が聞こえた。やがて現れたのは見覚えのある少女だ。
ヌークポウの孤児院で一緒に育った年下の女の子・シェルタ。以前はナターシャの腰ぐらいだった身長が、今は胸のあたりまで伸びている。昔のように背負って走り回ったりはもう出来ないだろう。
「久しぶり、シェルタ。覚えてる?」
ぽかーんと呆然。そしてぷるぷると唇を噛む。ああ、これは泣かれるな。そうナターシャが思っていると、シェルタの瞳に大粒の涙が浮かんだ。
「ナターシャお姉ちゃん……?」
シェルタは泣いた。それはもう、わんわんと泣いた。近所の住人に勘違いされるほど泣いた。
どこに行っていたのだ、どうしてローレンシアにいるのだ、ディエゴお兄ちゃんと仲直りできたのか、と矢継ぎ早に問い詰められる。説明が難しくて曖昧に流すと余計に泣かれた。
ようやく涙が止まりかけたときに「今まで何をしていたの」と聞かれた。これにはナターシャもこたえた。シェルタにその気はないのだろうが、まるでアリアの死を責められているように感じたから。
何をしていた?
言うまでもない。戦っていたのだ。禁足地やローレンシア、そして世界の理不尽さに襲われ、抗い、すりきれそうな正気を騙しだましで保ちながら、銃を握った。
「そろそろ周りの目が痛いから中で話そう?」
「うん……」
孤児院の中は昔と比べ物にならないほど綺麗だった。ヌークポウにいた頃は埃と鉄錆びでひどい有り様だったが、ここは隅々まで掃除が行き届いている。「誰が掃除をしているの?」と聞くと「皆だよ。私が指示を出しているの」と答えが返った。ちびっこシェルタが今では皆のまとめ役だそうだ。
「まずはこれ。花を買ってきたの。アリアが好きそうな可愛らしい花びらでしょ」
「わあ、落楼草だ。とりあえず花瓶に生けるね」
今は亡きもう一人の家族、アリアに捧げる花だ。
「ってことは、アリアお姉ちゃんのことは知っているんだ」
「以前にヌークポウを寄ったの。アリアは何か言い残した?」
「……独りにしてごめんね、って」
アリアらしい言葉だ。むしろナターシャが謝りたいというのに。彼女は静かに目を伏せる。
「ここの孤児院は警備隊長のローレンさんが紹介してくれたの。最年長が私になっちゃって、ヌークポウじゃ暮らせなくなったから」
たまたまローレンシアを訪れる機会があり、そこで警備隊長が交渉したらしい。あのオヤジも意外と人脈があるようだ。
「ローレンシアでの暮らしはどう?」
「楽しいよ! 美味しいご飯が食べられるし、お小遣いも貰えるの!」
皮肉なものだ。アリアが生きていれば、シェルタは今も移動都市で苦しい生活をしていただろう。幼くて体が弱いシェルタは病気にかかっていたかもしれない。
「お姉ちゃんは?」
「私は――」
大まかな内容だけ話した。
ヌークポウから落ちて月明かりの森で暮らしたこと。シザーランドでリンベルと再会したこと。傭兵になって、禁足地を巡って、色々あって、本当に色々あって、今は任務でローレンシアに訪れていること。
シェルタを心配させないために敢えて大袈裟に話した。お姉ちゃんの愉快な冒険譚だ。題するならば、傭兵少女と壊れた世界。同期の友人を失ったことは話さなかった。仲間の裏切りも、ディエゴが誰を撃ったのかも、シェルタに教える必要はない。
彼女は「楽しそう!」と目を輝かせた。だから禁足地の危険さもよく教えた。勝手に入ったら怖い化け物に食べられちゃうぞ、シェルタはローレンシアで良い子にしていなさい、と。
「私も行きたい! お姉ちゃんについていく!」
ナターシャは困り顔。昔は聞き分けが良かったのに。孤児院の最年長になって、甘える相手がいなくなった反動だろうか。まだ幼いシェルタを傭兵国に連れていくなんて絶対にできません、とナターシャは心を鬼にして言い聞かせた。
冒険譚を少し大袈裟にしすぎたか。だが人殺しの姉なんて嫌だろう。私はローレンシア兵を撃ちました。裏切り者の友を撃ちました。そんな話はきっとシェルタを泣かせてしまう。
押し問答を繰り広げていると、コンコン、とノックの音が聞こえた。
「またお客さんだ。ごめんねお姉ちゃん、ちょっと待ってて」
話を逸らすのに丁度良いタイミングだ。シェルタが応対に向かっている間、ナターシャはぼんやりと孤児院の室内を眺めた。穏やかな空気だ。任務を忘れて眠りたくなってしまう。
「――わあ、おじさん久しぶり。忙しいんじゃなかったの?」
「――たまには顔を出さないといけないからな。調子はどうだ?」
「――みんな元気だよ!」
話し声がする。来客は孤児院の関係者らしい。警備隊長様がシェルタたちを引き取るように頼んだ相手だろうか。
「――今はお姉ちゃんが来てるんだ」
「――お姉ちゃん?」
「――うん、寄宿舎で一緒だったナターシャお姉ちゃん。おじさんにも紹介するね」
やがて部屋の扉が開かれた。嬉しそうに笑うシェルタと、その後ろで気難しそうな顔をする男。流れるような金髪を後ろで束ね、見るからに仕立ての良い軍服を羽織っている。眼光は鋭い。鷹のように強く気高い瞳。
「初めまして、私はアーノルフだ。孤児院の責任者を務めている」
立つ男、威風堂々。




