第百ニ話:中央制圧
パキン、と奇妙な音が聞こえた。
数は七つ。逃げた兵士たちと同じ数だ。
行ったら駄目だと分かっていつつも、青年は導かれるように路地の先へ進んだ。そこに広がっていたのは奇怪なオブジェだ。人間のような形をした結晶が乱立し、そのどれもが頭から花を咲かせていた。命を吸い取ったかのような結晶化現象である。
あれらは先ほどすれ違った仲間だ。地獄のような戦場に放り出されても戦意を失わず、ノブルスに帰還して部隊の再編を図ろうとした兵士達が、悔しげな表情で命を落としていた。
「まだ生き残りがいたんだ」
その中心に悪魔が立っている。少し大きめの赤黒いコートを羽織り、肩ほどまである白金の髪を後ろで結んだ少女。長い銃身の得物は遺物だろう。サラサラと滑らかな前髪の奥には、人の温もりを感じさせない、冷たくて無機質な水晶の瞳があった。
「ヒッ、ち、違うんだ、俺はもうここから……」
「ここから?」
「に、逃げます……」
青年が尻もちをついた。担いでいた仲間も一緒に崩れ落ちる。少女は大国の花の香りにひどく嫌そうな顔をしたあと、ゆっくりとした足取りで青年に近寄った。
年下の女の子を相手に無様な格好かもしれない。だが青年は恐ろしかったのだ。間違いなく彼女が生み出したであろう歪なオブジェに囲まれながら、まるで波風の立たぬ水面のように平然とした少女が。
「でもここで見逃したら、明日のあなたは誰かを撃つんでしょ?」
「う、撃たない! もう軍人を辞める!」
「こんな非常事態に退役なんて認めてもらえないよ。無理矢理にでも戦場に放り込まれるわ」
「そしたらまた逃げる!」
なんとも力業で無策な考えか。迷わずに答えたのは良し。白金の悪魔、しかも戦場に立つ彼女を相手に交渉しようとする生き汚さも良し。それは、他人を蹴落としてでも助かろうとする醜悪さとは違い、誰よりも助かりたいはずなのに仲間を担いで逃げようとする不器用な姿。
「ふ、ふふっ」
少女は思わず笑みをこぼした。彼の不器用さが、口うるさい馬鹿でチビな男の子に似ていたのだ。ほんの一瞬だけ、何もかもを失くした少女に温もりが甦る。人が人であるかぎり失くしてはいけない温もり。
その柔らかな笑顔に青年は目を奪われた。戦場に不釣り合いなほど優しく、温かな空気。それも、ひと時の間だけ――。
「馬鹿ね」
少女の顔に冷気が戻った。さっきよりも冷たく、深い。甦ったはずの温もりが、余計に彼女の表情を冷たくする。リリィを撃ったのは誰なのか、南門に配置された敵部隊の隊長は誰なのか、悲しいすれ違いを知っているから。
「行きなさい」
「いいのか……?」
「気が変わる前に早く。ノブルスじゃ駄目だからね。もっと先、銃声が聞こえない場所に逃げなさい」
「わっ、分かった! 恩に着る!」
青年は駆け出した。といっても仲間を担いだ状態で満足に走れていないが、懸命に足を動かした。なぜ見逃されたのか分からない。だが少なくとも、次に会った時は間違いなく殺されるだろう。自分のような凡人が立ってはいけない場所だ。
二度と銃を握るものか。そう決意して青年は戦場から去った。
◯
青年の後ろ姿を見送っていると、隊長様から声をかけられた。
「情が移ったか?」
「大丈夫、彼はもう戦場に戻らないよ。第二〇小隊の障害になることもない」
「だといいがな。わからんもんだ」
元来、人は獣だ。争い、犯し、謀り、食らう。戦いとは人間が被った上品なベールを引き剥がすものである。青年の気が変わらないと誰がわかるだろうか。イヴァンならば見逃さなかった。ただ逃げるための口実だったかもしれないから。
「まあいい。それにしても動きが良くなったな」
「マリーがくれた髪飾りのおかげだと思う。とても体が軽いの」
ナターシャが「今ならこんなことも出来ちゃうよ」と言って、瓦礫の山をふわりと登った。三次元的な動きを可能にする反重力の力だ。
ちなみに、マリーの髪飾りは後ろで髪を結べるようにリンベルが加工してくれた。小さな青い宝石がはめられた美しい髪飾りである。
「さあ急ぎましょう。ベルノアが足止めをしているうちに門を突破するわ」
「敵も中央をぶち抜かれるとは思わんだろうな。シモンがどんな顔をしているか、ぜひ見てみたいもんだ」
二人は中央の門に向かった。既にミシャとソロモンが交戦しており、地響きと叫び声が絶え間なく聞こえてくる。燃え上がる炎。城壁に刻まれる小銃の銃痕。いざ、混沌としたノブルス防壁の中央門へ。
ナターシャは瓦礫の山から廃墟の中へ飛び込んだ。流れるように結晶銃を構え、門の上部にある砲台を狙う。歩兵はイヴァン達が対処するはずだ。だから自分は仲間の手が届かない、遠くの敵を狙うのである。
「空気は乾燥。風は、南。でも防壁の上は風が強そうだから、もっと左か。砲手は二人。まずは正面ね」
指にじんわりと力を込める。引くのではなく指を置いて絞るのだ。狙った場所に「標的を置く」イメージで銃口を固定したら、あとは息を止めるだけ。
結晶弾が発射された。弾は寸分違わず先頭の砲手に命中し、防壁上に花を咲かせた。もう一人の兵士が突然の事態に腰を抜かしている。続けて発砲、砲台に咲く花が二つ。
「狙撃だ! 警戒しろ!!」
敵の部隊長がすぐさま指示を飛ばす。味方の結晶化現象に動揺しないのは流石ローレンシア兵といえよう。
ナターシャはすぐさま狙撃場所を変更した。ふわりと足場を乗り越えて、反重力で廃墟を駆ける。そうして再び結晶銃を構えると、今度は敵の部隊長を狙った。
「誰が指揮官か分かりやすくてありがたいわ」
防壁上に、また花が咲く。
敵からすれば悪夢のようなものである。かすめただけで致命傷になりうる結晶弾に狙われ、逆に敵の位置は把握できず、もしも撤退すれば門が破られる。おまけに部隊長を今しがた失ったせいで指揮系統も滅茶苦茶だ。
彼らはまだ、ナターシャの存在について詳しく知らないのだ。彼女と交戦経験があるのはホルクス率いる第三軍がほとんどだ。だが狼部隊は南側でベルノアの結晶に隔離された。ここにいるのは無知のローレンシア兵。彼らは初めて結晶銃の脅威に迫られる。
防壁上の砲台を排除するのに時間はかからなかった。手の空いたナターシャは他の仲間を支援すべく、門の前に駆けつける。
堂々と、そして猛然と、中央を進軍する第二〇小隊。
対人用の小型機動船はすべて破壊された。炎に照らされながら歩くは鋼鉄の乙女。勝てっこないと逃げ出そうとしてもミシャに先回りをされる。部隊長は優先的に排除された。司令官を狙うのがナターシャの役目だから。
そして、イヴァンはあえて戦場の中心に立ち、味方と敵の情報を俯瞰しながら命令を飛ばした。
「――ここから先は別行動だ。ソロモンとミシャは解放戦線に手を貸してやれ。ナターシャは俺と来い。協力者と会いに行く」
戦場が乱された。狙うはここ。混乱に乗じて潜入作戦を開始する。
◯
北門を防衛していた老将・シモンに急報が入る。
「中央に第二〇小隊を確認! このままでは突破されます!」
「なに!? 奴らは南門に向かったはずじゃ、ホルクスは何をしておる!」
「ホルクス軍団長とは連絡が取れません! 軍団長が向かったと思われる敵拠点の周囲に巨大な結晶が発生しており、恐らく拠点内部で交戦中だと思われます!」
「あんのバカもんがあ」
シモンは拳を叩きつけた。第二〇小隊の動きは把握していたつもりだったが、よもや嘘の情報をつかまされるとは。
「第三軍に中央へ戻るよう通達しろ! 門の突破は絶対に阻止せねばならん!」
「我々はいかがいたしますか?」
「無論、第二軍からも応援を送る。じゃがな、ワシらが北門を離れるわけにはいかんのじゃ」
シモンは防壁の外を見下ろした。重火砲の激しい砲撃を続ける傭兵の一団。エイダン率いる第三六小隊がいる限り、北門の防備を薄くすることは出来ない。
そもそも、中央は互いに主戦力を集めているため、突破するのが困難である。だからこそ中央は牽制で終わると踏み、北と南に戦力を割いた。事実として解放戦線もどちらかの門を破壊するような動きが見られていた。
故の衝撃。致命的な油断。
(ホルクスを自由にさせたのが問題じゃったか……所詮は獣よの。大国には相応しくない、ましてや閣下に仕える者としては……)
肉体が衰えていなければ彼も戦場に立ったというのに。ルーロ戦争ではシモンも遺物を片手に応戦したものだが、今となっては命令を飛ばすだけの老いぼれとなってしまった。若者にとってはたったの数年かもしれない。シモンにとっては、長すぎる時間。時の流れが戦士を殺す。老将は南方に目を向ける。その瞳はとても仲間に向けるものとは思えないほど憎々しげなものだった。




