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ホームレスの哲学者 花子Ⅱ

作者: 當宮秀樹

直子が花子と山下公園で会ってから一年がすぎた。 

今日の花子は朝から何か憂鬱な気分。 

その様子を見ていた次郎爺さんが声を掛けた。


「花子ちゃん、何かあったんかい……?」


「いや、なにもないんですけど、何か情緒が安定しないんです……」


「不安かい?」


「解りません」


「じゃあ、解らないことが不安かい?」


「そうかも知れません」


次郎爺さんが小鳥に餌を与えながら「じゃあ、

その不安をここに持ってきてごらん」


「……」花子は黙った。


「不安を出せたら持ってきなさい。 いつでもいいから」

次郎爺さんはそう言い残して立ち去った。


花子は自問自答した。


「不安を出せ?


不安を出せ……


不安を出せ……


不安を出せ……?


不安……


安心……


不安……


不安……安心……」それから花子は自問自答の日々が続いた。


来る日も来る日も悩み続けた。 廻りの仲間は誰が言うともなく各々自分の粗食の中から

少しずつ花子に食い扶持を分け与えた。


沈黙に入って二十日ほど過ぎた日の夜中だった。 遠くから若者の声に混じって

悲鳴のような声と音が同時に響いた。 


けたたましい音だった。 


ホームレスの集落から声がした。


「うるせぇなぁ~なんだ?」


段ボールの小屋からホームレスが出て来た。


「お~い。どうした?」


「あの辺で悲鳴のような音がしなかったか?」


源さんが「俺、ちょっこら見てくるから、オメえらは変なことに巻き込まれたら

面倒くせえからここで待ってろや」


そう言いながら源さんは遠回しに近寄った。 



程なくして源さんが青い顔して戻ってきた。


「オイ、大変だ」


「源さんどうした?」


「次郎爺さんが……」


「なに? 聞こえねぇ。 ハッキリ言ってくれ……」


「次郎爺さんが血流して倒れてるぞ」


全員慌てて次郎爺さんの方に駆け寄った。 そこには頭から血を流しうずくまっている

次郎爺さんがいた。


仲間が声を掛けた「次郎爺さん……」


なんの反応も無かった。


「おい、誰か警察呼べや」


ひとりが交番に走った。


それから、次郎爺さんは救急車で何処かに連れて行かれた。 


警察官からホームレス仲間が聞き取り調査を受けた。


花子の番が来た。


「君の名前は?」


「花子……」


「生年月日は?」


「……」


「生年月日は?」刑事は聞き直した。


「……」


「じゃあ、質問を変えよう、君は音がした時、何をやってましたか?」


「……」


事情聴衆が先に終わった源さんが、花子の様子をみて言った。


「刑事さん、その娘は無理ダンベよ。 二十日程前から鬱に入っただ。 

その娘は次郎さんの一番弟子だし、事件があった時はそこの段ボールから

俺らと一緒に出て来ただ」


刑事はむかついた表情で言った。


「あなたには聞いていません。 私はこの子の口から聞きたいのです」


源さんは小さく呟いた「なんでぇ偉そうに……」


その刑事は花子の方に向きを変えた。


「君。次郎さんの弟子らしいけど、何の弟子なんだね? 僕に教えてくれるかなぁ」


「……」


「そっか、話し出来ないのかな?」


源さんがまた「そんなか細い子に何が出来るっていうんだ……たく」


刑事は源さんをにらみ付けた。


「署に同行願っても……」


そのとき花子が話し始めた。


「次郎爺さんはどういう状況ですか?」


「今、救急病院に搬送されたが、あの様子からすると今晩が山かも知れないな」


「不安……」花子は小さく呟いた。


刑事は「なに……? 今なんと?」


花子は蚊の鳴くような声で「……不安」


「不安がどうかしたのかな?」


「私、まだ不安を見つけてないんです」


「…………?」刑事は花子を凝視した。


「君、行っていい」


花子は解放された。


翌朝、昨日の刑事から次郎爺の死を知らせる一報が入った。 

その後、数日間は警官の姿が頻繁に確認された。 

死後一週間が経過した頃、あの刑事がひとりで現われ、

源さんに次郎爺さん殺害の犯人が見つかったと報告があった。


犯人は未成年の男性三人組で、その三人がカップルへ恐喝を働いていたのを

目撃した次郎さんが、止めに入り巻き込まれたとの報告であった。


報告を聞いたホームレス仲間が次郎さんを偲び、三十人程集まった。 

みんなで持ち寄った酒を朝まで飲みかわした。 そんな集団の中に花子の姿もあった。 

翌朝には何事もなかったかのように全員、普通の生活に戻っていた。 

頭が真っ白になった花子は海を眺めていた。


視線の先で一羽の海鳥が魚を捕獲しようと海に飛び込む光景を見たその瞬間であった。


急に胸が熱くなり、生まれてから今現在の事までを走馬燈のように一瞬にして思い出した。 

そして次の瞬間、花子の中の何かが熱く弾けた。 

花子の中で森羅万象の仕組みが理解できた瞬間だった。


ただただひたすら泣いた。


泣き終わった花子が見上げた世界は今までと完璧に違う世界だった。


全ての景色が輝いていた


そして、差のないひとつの世界


木々も石ころも小鳥たちもみんな囁いていた


呼吸をしていた 生きていた 歌っていた そして輝いていた


そこにはなんの問題も存在しない


すべてが完璧


花子が壁を越えた瞬間


それから七日間、段ボール小屋に籠ったきり出てこなかった。


そして七日目の朝花外に顔を出した。


花子は立ち上がり心配かけた仲間のもとへ歩いていった。


ホームレス仲間のヒデさんが声を掛けてきた。


「花子ちゃんどうした? 目が輝いてるけどなんかいいことあったかい?」


「みなさん、おかげさまで花子は花子に帰りました。 此処ともさようならをします。 

実家に帰りますお世話になりました」


源さんが「花子ちゃんになにがあっただね?」


「ハイ、次郎さんの云っていた不安の意味がわかりました。

 

今は、心配かけた両親に報告してこようと思います。 


長い間お世話になりました。 ありがとうございました」


「いいけど、明日は次郎さんの弔いだいね。 ささやかだが法要しようかってみんなで

いってたんだ。 出て行くのはそれからにしねえか?」


「はいわかりました。 でも、私は次郎さんにはもう挨拶は済ませましたから。 

そして、次郎さんは自分から死を選んだみたいです。 

だから、みんな悲しまないで下さいっていってます」


花子の淡々とした口調であった。



翌日、花子は実家のインターホンの前にいた。


「ピンポーン」


「はい!」


インターホンから流れてくる声は懐かしい母とし子の声だった。


花子はインターホンに近づいて「わ、た、し」


「……?花子なの?」


とし子は我が子の声に瞬時に反応した。


「そう……」


玄関ドアの鍵が外れる音と同時にドアが開いた。


「ただいま帰りました」


そこに立っていた我が子は、お世辞でも綺麗とは言い難い出で立ちで、

目だけが異様に光っている我が子の姿。


とし子は目から大粒の涙が溢れていた。


「お帰り、花子……」あと涙声で言葉にならなかった。


「入っていい?」


「当たり前です」


花子は汚れてすり減ったスニーカーらしき物を脱いで上り框を跨いだ。 

懐かしい我が家の匂いが瞬時に伝わった。


「お父さんは仕事?」


「だって今日は金曜日、平日よ」


花子には日曜日と平日の違いがなかった。


「お父さんにメールして早く帰るように伝えるね。 ところで何か食べたい料理はあるのかい?」


「お母さんの豚汁を食べたい……」


「解った、その前に風呂に入ろうかね。少し、汚れてるようだから」


花子にとって数年ぶりの入浴。 鏡に映った自分の姿はやせ細ったのら猫のように見えた。 

風呂から上がった花子は、母が用意してくれた昔自分が着ていた懐かしい服に着替えた。 

脱衣場から声がした。


「花子、この洋服は処分していいのかい」


そこには、ボロ雑巾より使い古した花子の服があった。


「はい」


父真二が急いで帰ってきた。


「花子、お帰り……」


真二も言葉に詰まった……


「お父さん、お帰りなさい。そして、ただいま帰りました」


花子には久しぶりの父の姿は老けて映った。


「おまえ痩せたな。調子の悪いところはないのか?」


「はい、健康です」


「そっか……よかった」真二はそこまで声を出すのが精一杯だった。


その後、三人は食卓を囲んだ。 


数年ぶりの光景に両親は昔を心から懐かしんだ。


この日がもう一度来るとは……半分、諦めていた。 

二人は花子が何処でなにをしていたかは一切口にしなかった、


というよりも聞くのが怖いからだ。


「お父さんお母さん、わたし解ったの」


とし子が「なにがわかったの?」


「全てが」


「全て?……つまりどういう事……?」


「全ての成り立ち、そして何処に行こうとしてるのかが。つまり覚醒したの」


父真二が言った「それはつまり、お釈迦様の悟りのようなものかい?」


「釈迦は釈迦だけど違うけど、そうともいえる」


母が「難しいこと、母さんには解らないけどお前が納得したならそれでいいのよ

ここにお前と食事できてることが母さんは一番の幸せなの」


母親らしい言葉。


真二が「ところで帰ってきたんだろう? また旅に出るとか考えてるのかい?」


母親の眼差しも真剣になった。


「うん、しばらく厄介になろうかなと思ってる」


二人に安堵の表情が見て取れた。 


翌日、花子は幼なじみの直子の家に向かった。


玄関に直子の姿があった。


「ハナちゃん帰ったのね……お帰り」


「ただいま帰りました」


2人は部屋で話した。 直子がハナと横浜での出会いの場所をご両親に言えず、

偽って報告したことなど。 


花子も次郎爺さんが亡くなってから自分の変化のことなど話した。


別れ際、直子はが「これからどうするの?」


「風の吹くまま…」そう言い残し花子は帰っていった。


花子が実家に戻り、十日が過ぎた。


花子は吉祥寺サンロード商店街を午後九時過ぎに歩いていた。


「お姉さん占いしませんか?」


年の頃なら六十前後の女性が花子に声を掛けてきた。


簡単な椅子とテーブル。張り紙には「前世占い」と書いてあった。


花子が立ち止まって見ているとその占い師が「お姉さんどう?」


「何がどうなんですか?」


「一問一答、三千円であなたの前世を見てあげますよ」


「見てどうするんですか?」


「はい、あなたの前世から引きずっているカルマを教えます」


「カルマを知ってどうするんですか?」


得意げに「今後のあなたの人生が好転いたします」


「そうですか……私は結構です」


花子は立ち去ろうとした。


「チョット待った。あなたは一人っ子ね」


「はい、そうですけど」


「悩み事とか無いの? 年頃のお嬢さんなら結婚問題とか一つや二つあるでしょ」

まるで占い師の押し売りのような口調にも聞こえる。


「私に悩みはないの。 あるのはあなたの方です」


怪訝な顔をして占い師は花子を凝視した。


「お嬢さん、それ私のことをいってるの?」


「他に誰かいいます?」


「私の何が解るっていうのよ…」


占い師は先ほどまでの態度と少し変わっていた。


「あなたはその占いの職業のことで、辞めようか続けようか悩んでるみたいですね」


占い師の顔色が変わった。


「なんで解るのよ?あなたも同業者なの?」チョット語気が威圧的だった。


花子は淡々と話した。


「あなたのガイドがあなたに、自分をきっちりと見つめてほしいといってます。

ガイドの伝言だけ伝えます」


言い伝えると、花子はその場を立ち去ろうとした。


「チョッ、チョット待って」


「あなた何者なの?」


「私は花子です。 普通の女の子です」


花子の言葉には気高さがあった。


「なにやってる人なの?」


「何もやってません。 というか先月までは横浜でホームレスしてました」


「プッ! あなた、面白いお嬢さんね、もう少し私と話していかないこと?」


「いいですけど、商売の邪魔になるわよ」花子は気遣った。


「かまわないよ。 どうせ客が来るのは十時過ぎなの」


「私はかまいませんけど」


占い師は自分の相談事を花子に打ち明けた。


「ハナちゃんありがとう。私、スッキリこの商売から足を洗うことにした」


花子が悟後、初めて他人の相談に乗った日だった。


それからの花子は吉祥寺サンロードで、不定期だけど占い師から譲り受けた

粗末な椅子とテーブルを置いて悩み事相談をしていた。


横浜のホームレス広場は撤去され、ホームレス仲間全員何処かの空の下に散っていった。


不世出の哲学者、花子の物語。



END


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