sideギルベルタ3
時間が開いてしまい申し訳ありません。
ギルベルタサイドを今回で終わらせようとしたら、長くなってしまいました。
驚いた事に、エリザのピアノはあまり上達しなかった。気を抜けば指の位置がズレているし、楽譜を読む速度も多少上がったが、いずれにせよ元から完成系に近かった分抜きん出た伸びは見られなかった。
本人曰く「言い訳だけどさ〜、私は習うより慣れろ派の人間なんで。体で覚えたら弾けるけど楽譜をその場で読んで指を動かすやんて器用な事出来ないんだって。というかそもそも私はピアノは趣味としては好きだけど、ピアニストになろうってんじゃないんですよ。楽しんでなんぼですよ」
思えば、数ヶ月に渡る授業の中で唯一の反論だったかもしれない。それも、ギルベルタ本人では無くカンナに愚痴を言っていただけである。
エリザの部屋の前をたまたま通りかかった時、ギルベルタはその会話の続きが気になり足を止めた。
「でもね〜ギルベルタさんも正しいんですよ。あの人、私が間違ってる所しか注意しないんですよ」
「え、それ普通じゃないかな」
「いやいや、中にはなんにも悪くなくても難癖つけてくる人いますからね。それに比べ、ギルベルタさんはしっかりと私の悪い所を発見して、たまにアドバイスすらくれるんですよ!」
「いや、え、君の周りの環境おかしくない?そんなに凄いこと?」
「凄いことです。あの人はちゃんと先生やってますね。それすら出来ない人ばかりでしたからね」
「それでもさー……外から聞いてたけど、結構キツい口調じゃない?大丈夫?」
「そうですね〜、私のこと良く思ってなさそうだから仕方ないと思いますよ。それになんというか、ギルベルタさんって常にイライラしてるじゃないですか。カンナさんは分かるかな……劣等感、または焦燥。そんな感じがして、親近感が湧いてしまうんですよね。私はあの人、なーんか気になるんですよね〜」
「そんなもんかね」
「そんなもんなんですよ、私は」
妙な奴だと思った。ギルベルタは鬱憤を当たり散らすように厳しく接した。だが、教育者である手前頭ごなしに否定できない。そんな気持ちが中途半端な態度になってしまったのか、エリザ本人には悪くない印象になってしまったらしい。
そう思うと、なんだか悪い気分じゃ無くなってしまった。
だが、そう思うことすら自分が自分じゃなくなっていくように思え歯噛みした。
果たして自分が何をしたいのか、ギルベルタ自身もよく分からなかった。
翌日、ギルベルタは踏ん切りをつけるべく、ピアノの授業ではなく問答を始めた。
「エリザさん。はっきりしておかなくてはいけないことがあります。」
「はい」
答える声は珍しく上ずっており、緊張しているのが感じられた。いつもから綺麗な姿勢を更にただし、小さく背を反らせるエリザ。
「あなたがピアノを習いたいと思ったのは何故です?」
「……えっと……それは……いや、ええとですね……ピアノを上手くなって、大好きな曲をいつでも聞けるようになりたかったのです」
「聞きたい?弾きたいではなくて?」
「はい……好きな曲や歌は、表現するだけでなく、何度も鑑賞したいものです。誰かに頼むというのも忍びない事ですし、自分が弾けるに越したとはないと思ったからです」
エリザは真剣に言うが、ギルベルタにはいまいち分からなかった。そもそもギルベルタにとってピアノとは、唯一自分が褒めてもらえる特技であり、思えば曲に着目する事も少なかった。
この人形のような少女はどこまでも自分の中心を眺めて、他人など気になっていないのだろう。
ただピアノを、言わんや音楽を楽しむ事に重きを置いた人間と、そうでは無い人間。一体私の見つめる先には何があるというのだろうか。
ギルベルタは眉間に寄ってしまった皺を揉みほぐした。
「そう……ですか。では、あなたが好きな曲を1つ弾いてみなさい。今まで私が教えたことは忘れて、好きなように弾いてみなさい」
「…分かりました」
エリザは不思議そうに首を傾げたが、すぐさま何を弾くか思案始めた。
しばらくして、小さく「よし」とつぶやくとエリザはギルベルタに向き直った。
「私は、ピアノももちろん好きですが一番の関心は『曲』にあるのです。そして、おそらく私の好きな曲は、いえ、この歌はこの王国では主流ではないと思うのです。ですが、その……出来ればギルベルタさんにもこの歌が好きになってもらいです…」
最後の方は声量が小さくなり、ギルベルタには聞き取りづらかったが、確かに言っていることを理解した。
ギルベルタが小さく頷くと、エリザはピアノに向かった。
ギルベルタは曲自体に注目などはしていなかった。しかし、有名なものはほぼ全て頭に叩き込んでいる彼女からしてもエリザの演奏は異質だった。
速過ぎず、遅過ぎず。庶民が好みそうな軽快なリズムではあるが、自然と聴く者の体を動かすようですらある。
しかしながら、今までギルベルタが聴いてきたどの曲にも全く似ておらず、独特の明るいリズムが心地よい。
そんな楽しげな調べの主旋律にのせて、エリザが詩をさえずる。
その詩は吟遊詩人の歌うような、英雄譚や恋物語でもない。それは、ある男の慟哭にも似た、皮肉な独白であった。
楽しげなリズムと裏腹に、世間について行けず認められない嘆きがギルベルタの胸をえぐる。
はたまた、エリザの幼い声でそのような事を言われたからなのか。
その歌は、ギルベルタにもよく似た「一般人」の不平や文句のようでさえった。
果たして個人に非はなく社会が悪くとも、社会は全く変わらない。
オチがある訳でなく、絶望に染まったまま歌は終わった。
ゆっくりとではなく、ぱつりと音楽が止み、静けさが余韻となって場を支配する。
しばらくしてエリザがゆっくりと振り向いた。
「私の、お気に入りなんです」
えへへ、と可憐に笑う少女の目は、先程の歌に出てきた男の人生を知っているかのような憂いを帯びていた。
ギルベルタは、エリザの事を何も知らないお嬢様だと決めつけていたが、果たしてそれは本当だろうか。
ピアノで弾き語りをするというのも、曲と歌詞の両方が主役であるというのも、その独特な歌詞やリズムも、ギルベルタには全てが破天荒に感じられた。
もし、作詞作曲が彼女だというなれば間違いなく天才だろう。だが、どうやらそうでは無いらしい。
箱入りお嬢様に作れるわけが無い。
圧倒的な敗北感に似た、虚無がギルベルタを襲った。長く生きてきたはずなのに、目の前の少女は、私よりも「人生」を理解していそうに感じた。
この子は一体どこで、いや、何を知っているのだろうか。とても10に満たない子供の好みではない。
技術はギルベルタが教えたとおり、まずまずではある。まだまだ未熟なところがある。しかしながら、プロを目指していない子供に完全を求めるなど間違っているだろう。
なんだかんだとギルベルタは言い訳を思い浮かべたが、詰まるところ彼女はエリザを認めてしまったのだ。
そして、エリザを認めてしまった自分を認められずにいる。
何が自分をそうまで掻き立てるのか分からなかったが、無性に否定したくなった。
「……なんですか、その歌は。ちっとも華やかな内容でもありませんし、旋律も忙しなくて美しさに欠けますわ。それに……」
言葉を続けようとしたが、胸がしゃくり上げて上手く話せない。自分でも気付かぬうちに目が熱くなり、頬を温かいものが伝っていた。
「あ、あの……どうかしましたか?大丈夫ですか?」
エリザは狼狽したようにギルベルタへ駆け寄る。
年甲斐もなく声を荒らげてしまった。
「なんなのよあなたは!そんな歌どこで知ったのよ!どうして厳しくしてたのに私に気をかけるのよ!その心の余裕はなんなのよ!!」
よく分からぬ感情に呑まれ、視界が歪む。
何事かとメイドが部屋に入ろうとしたが、エリザは手のひらを突き出してそれを抑止した。
そうして、何かを察したように、ゆっくりと優しげに微笑みかけた。
「この歌の出自は明かせませんが……私は、こんな歌をいくつも知っています。そして私は、おそらくあなたと同じくらい人生は厳しいって知っています」
ギルベルタが顔を上げると、エリザの目はどこか生気を失ったように感じ、背筋に冷たいものを当てられたような気分になった。
どこまでも冷たく、あたかも自我のない、空虚な、よくできた人形のような瞳だった。
「あなたが今までどんな過去を送ってきたか私には分かりません。ですが、私だって屈辱や後悔、激しい苛立ちを知ってるつもりです。だったら、人にはそんな思いをさせないように意識して生きることが大切だと思いませんか?」
ギルベルタは気持ちを落ち着ける事とエリザの話を聞くのがやっとで、返事出来るような状態ではない。
事実ギルベルタの頭の中では感情が渋滞し、上手く体を動かせなかった。
「そんな事が出来るのも余裕があるからです。でもその余裕は、私が侯爵家であり、好きな事が出来るような状況であり、褒めてくれる人が居るからです。私も余裕がなかったら優しくなんて出来ませんよ」
幼い手がギルベルタのドレスの裾を引っ張る。
「だから、私に言われても説得力はありませんが、どうかそんなに思い詰めないでください」
その声は耳元で囁かれたと錯覚してしまうほど明瞭に聞こえた。
その瞬間、多くの疑問や安心、嫌悪などが入り交じりギルベルタの頭がオーバーヒートした。
「すみません、どうやら続けられるような状態ではありませんので、本日の授業はここまでとさせていただきます。引き続き昨日私が注意したところを練習しておいて下さい」
それだけ残し、エリザを置いて自室へ逃げこんだ。昼間だと言うのに毛布に包まると、酷く恥ずかしい思いを感じた。
いい歳こいて、一体何をやっているんだと自分を叱責したくなった。
一人きりの部屋はとても居心地がよかった。




