sideギルベルタ
時間をかなり置いてしまって申し訳ありありません。ピアノの先生サイドです
ロードラン侯爵の英雄伝は有名である。
ただ、数百年毎に発生する魔物を倒すだけならここまで有名にはならなかったであろう。
貴族でありながら実戦のための剣を取り、愛する者のため、そして守るべきもののために最前線で闘いを繰り広げたのだ。
誰にでも優しく男らく、とても力強い人だったと共に闘った者は言う。
中でも、魔物を討伐した後、相思相愛の平民の女と結婚したという話は、平民貴族問わず若い女性達に人気なエピソードである。
実によく出来た人間である。
ギルベルタはよくひねくれていると周りから言われる。自身もそう思っている。だからか、皆が持て囃すロードラン侯爵という奴を勝手に嫌っていた。
あれは何十年昔の事だっただろうか。そう、学生時代。
下級とはいえ貴族だったせいで、優秀な人材を育てているソルラヴィエ王立学園に通わされていた。
貴族は幼い頃から良い教育を施され、平民は自力で入学を勝ち取ってきた優秀な者達ばかりである。
そんな中で何の才能もなかったギルベルタは常に誰かと比較されているような気分になり、腹が立たぬ日などなかったくらいである。
廊下ですれ違った貴族がいた。今では顔も思い出せないが、クラスの人気者であり家もいい所だったと思う。剣を持たせれば王国騎士団長と互角に渡り合え、魔法を唱えさせれば宮廷魔導師すら唸る程の天才であった。
顔もよく、身分に隔たりなく接する姿は男女問わず尊敬の念を集めていた。
そんな彼を、ギルベルタだけが疎ましく思っていた。自分に自信があるから優しくできる。自分が優れているから常に余裕ある態度をとる。それらはどうせ全て偽善に過ぎない。気まぐれで人を助ければ人気になる。実にいい身分である。
どうせ、そのような輩は皆人目を気にして格好をつけているだけだ。善人や聖人君子と呼ばれる者は、みんなそんなものだ。
人気のない廊下で転んでしまったギルベルタを、彼は素通りした。
貴族とは、人気者とは、英雄等とはつまりはそういうものだ。これが、ギルベルタの善人嫌いに拍車をかけた。
貴族や民間の音楽家にピアノを教える講師をしていたという事もあり、ロードラン侯爵の噂は嫌でも耳に入ってきた。
難産だった、と。生まれた娘はものも言えず、反応も限りなく鈍いそうだと。
妻は娘を産んですぐに他界してしまい、残されたロードラン侯爵が可哀想だとざわめかれた。
そして、あわよくば自分が後添になろうと考えている者もいた。
そんな醜い発想も嫌いだったが、それ程皆から心配され愛されるその英雄が1番嫌いだった。どうせ、妻が死んだことに対しても、いいエピソードになりそうだとか考えているに違いない。ギルベルタはそう思っていた。
英雄ロードランの噂は、その娘の生まれた数年後、彼が心の病に伏せってしまったという話以来続きを聞かない。
一時あんなにも旋風を巻き起こした人物が表舞台に出なくなっただけで忘れ去られていく様を見ると、いっそう人間という生き物が嫌いになった。
そして、どこかロードラン侯爵を心配していた自分も嫌になった。
そんなある日、娘にピアノを教えて欲しいという文が届いた。差出人を見てギルベルタは表情を歪めた。
ロウダ・フォン・ロードラン。
時の英雄である。
どんな派手な屋敷に住んでいるのかと想像していた分、実物を見て呆気に取られた。
飾り気の少なく、花も少ない庭。ただただ自然に萌しているだけのようにもみえる。それでいてしっかりと整えられて、心の休まるようであった。
屋敷の扉の前まで来ると、2階の開け放たれた窓からピアノの音色が聞こえる。全く知らない曲で、この国の主流のメロディは殆ど使われていない。
ギルベルタはノックするのを忘れ、暫くその曲に聴き惚れていた。
子供が適当に音を鳴らしていると言うにはあまりに完成されており、どこかの民族音楽でもありそうだが近未来的でもある。
つい体を踊らせたくなるようなテンポの良さとピアノならではの美しさが共存している。
そして、長いフレーズを繰り返しているようだが畳み掛けるような転調が一種の慟哭のようにも聞こえる、そんな曲だった。
初めて音楽に触れた時に勝るとも劣らない程の感動。
非常に短い曲ではあったものの革新的なその音楽にギルベルタは度肝を抜かれた。
だが、そこまで難解では無さそうなもののこれ程上手くピアノを弾ける者が居るなら私を呼ばなくても良いのでは無いかと唇を噛んだ。
ふと、扉が開いた。
「おや、誰か気配を感じましたけど入ってこないから気のせいかと思いましたよ。あなたは?」
「わ、私はピアノの講師として呼ばれたギルベルタです!呼んだのですからそのくらい覚えておきなさいよ」
つい苛立ちに任せて文句を言ってしまったが、目の前の糸目のキョウ人は笑って受け流した。
「ああ、なるほど。着いてきて、ロウダ様のとこまで案内するよ」
キョウの伝統衣装を身につけており、おおよそ使用人の格好では無い。
客人だろうか。いや、それだと私を彼の元まで案内するとは言わないはずだ。
まさか、後添だろうか。愛のために平民の女と結婚しただのと言っていたが所詮は後添をとるのだからその程度の愛だったのだろう。娘もこの女との子か。教育を頼むという事だから、4歳か5歳くらいだろうか。
すると、随分と早く再婚したんだな。やはり貴族だ。女など取っかえ引っ変えか。
そんな事を思案しながら屋敷内を歩く。
ふと女の左袖に腕が通っていない事に気づいた。
隻腕であることにギルベルタはぎょっとしたが、黙ってそのままついて行った。
案内された部屋は以外にも質素で、生真面目そうな男が座っていた。
「娘は今年で7歳になった。詳しくは詮索しないで欲しいが、6歳になるまで俺はなんにもしてやれなかった。娘も何も言わなかったし、何も欲しがらなかった。だから、あいつが自分からこれをやりたいって言ったものは叶えてやりたいんだ。君は腕のいいピアノ奏者だと聞く。どうか、娘にいい思い出を作ってやって欲しい」
そう言うロウダの目は真剣であり、言葉以上の重みを感じだギルベルタは黙って頷くしか出来なかった。




