37ページ目、夕暮れの街
めっちゃ久しぶりの連日投稿。申し訳ありませぬ
街の西側の区画に教会が一軒建っています。とても背の高い建物で、恐らく街の中で1、2番目くらいには高いと思います。
屋上には天文台が備え付けられており、そこに立つと街全体が見渡せるのです。
私は今、そこから街を見下ろしています。
人によっては夕日の沈む街を見て「いちばん綺麗な景色だ」と言うでしょう。
実際、お父様もその景色を見て、綺麗だなとか、エリザもこれを見たかったのか?とか聞いてきます。
「いいえ、お父様。私が見たいのは、日の暮れた後の街です」
「夜なんて真っ暗で何も見えないだろう?」
「そんな事もないと思いますよ」
お父様に抱えられたまま、日が沈んでいくのを眺めていました。
私は、夕日が嫌いです。アニメとかでよく、赤々と燃えるような日が沈んでいき、その景観を美しいだの君に見せたかっただのと言ってるシーンをよく見ましたが、あまりそうは思えませんでした。
夕日を見ていると、一日が終わっていくのを感じるからです。この世界の人には分かりづらいかもしれませんが、一日の終わりを感じた時、私は圧倒的な虚無感と憎しみにも似た強い後悔を抱くのです。
今日は何か成し遂げただろうか?今日は充実した一日だったのだろうか?
一日一日ではなく、1ヶ月、1年と矢のように過ぎていく、何も出来なかった後悔だらけの日々をスローモーションで見せられる。それが夕日だと私は思うのです。
夕日は嫌いです。
時間の流れを意識してしまうから。
これを読んでいるあなたは夕日、好きでしょうか?
そんなことはどうでもいいですね。
さぁ、日が暮れました。私はこの時間が好きです。明かりが消え、自然は活動を休止するように促しています。
しかし、どうでしょう?眼下に広がる人の住処はそれに抗い、一日を延長させるべく各家に人工の明かりを灯しています。
うすら青い暗闇の中で、暖かな光が窓が盛れています。その光に照らされ、中の家族が楽しそうに子供を抱いている影が道に延びているところもありました。
大通りではまだ少し祭りの余熱が燻っており、屋台が何軒かと人がちらほら歩いております、
家々の煙突からは煙が上がります。
寝るにはまだ早いと、冒険者ギルドからはここにも届くような喧騒が聞こえます。
自然に抗い、時間を求めた故の景観。これを見ていると、人の営みというのひしひしと感じ、なんだか愛おしいと思うのです。
「どうですか?夜にああして光が灯っているというのは、この街が栄えている事を再確認出来るようで、とっても好きなのです」
私は街を見下ろしながら問いかけました。
その後お父様がどう言おうが関係ありません。私はこの景色が好き。その事には変わりないのですから。
「無理を言ってごめんなさい。私は満足です」
お父様の首元に手を回し抱きしめました。
そう、あれは初めて祖母に買い与えられたDSでした。
ソフトは、ドラゴンクエストⅨ。
世界を旅した主人公が憩いのために立ち寄る町や村は時間によって景色が変わりました。昼なら多くの人が外で活動し、賑わいます。夕方も多くの人が外に出ていますが、紅く染め上げれた建物のせいでしょうか?どこか気だるいような、もの悲しい哀愁のような雰囲気を感じました。
夜。外に出ている人はめっきり減り、しかしながら家々に灯る人の明かりがとても暖かかったのがとても印象的でした。夜行性ではない人間がこうして活動を続ける。主人公は天使だったので幽霊が見えるのですが、人や動物の幽霊が街に寄り添うように現れる。自然の倫理を捻じ曲げてでも活動を続ける街を見ていると、人は「人の営み」ということに軒並みならぬ執念を持っているように思え、同時にとても美しいと思えたのです。
あれはドラゴンクエストモンスターズジョーカー無印。初めに訪れる島は砂漠で、夜になると主人公が砂を踏む音と鈴虫の声しか聞こえません。とても静かで、ゆったりとした時間でした。
夜というのは、私にとって静止した時間の間隙でした。夜だけは時間が無限にあり、私を許容してくれるような気がしていたのです。
それは小学生の頃の話です。今となっては夜すらも忙しい。時間は有限だと気づいた私は、世界が嫌いになりました。




