sideカンナ5
ある日の夕方、廊下まで伝う冷気から逃げるようにして、小走りに自室に向かっていた。
ふと、エリザ嬢の部屋が空いている事に気づいた私は、そっと中を覗いて見た。
少し暗くなった窓にはうっすらとエリザ嬢の可愛らしい顔が反射していたが、その頬に一筋の光の線が通っているのが目に入り、ドキリとした。
一体何を考えているのだろう。
表情豊かな彼女だが、涙を流しているは見たことがなかった。
目はじっくりと開かれたままで、窓の外、いや、はるか遠くを眺めていた。
突然、彼女がぽつりと呟いた言葉に私は不意をつかれた。
「炬燵……欲しいな」
「へっ!?」
勢いよくこちらに振り向いたたエリザ嬢は、これまでにないほど目を見開いたまま固った。暫時、静寂が辺りを包み、ようやくエリザ嬢が声を絞り出すように言葉を漏らした。
「えっ……その目……黒色……」
その時疑惑が確信に変わった。彼女は日本を知っている。いや、もしかすると元は日本人で、転生してきたのかもしれない!
私はこの世界に来て、ようやく故郷に準ずるものを見つけたのだ。
「……エリザ様…いや、エリザ。もしかして君は『日本』という国を知っているだろうか」
「……!」
エリザは驚きの表情を浮かべたままこくこくを上下に首を振った。
「ということは、カンナさんって日本人なんですか?」
「あぁ……ああ!そうだ!私はキョウ人のふりをしてきたが、正真正銘の日本人だ!」
嬉しさのあまり彼女を抱き上げ、そのままぐるぐると振り回した。
エリザが「うげ」と小さく呻いてようやく落ち着きを取り戻し、床に下ろしてあげた。
「いや、すまない。ようやく、ようやく故郷を知る者と巡り会えたのだ、これを喜ばずしてなんとする……!10年。10年だ!あぁ、忘れかけていた大切な記憶が戻ってくるようだ」
沸き起こる興奮を抑え、少女を見る。少し引き気味に「えへへ」と笑っている。
高揚していたとはいえ、少し恥ずかしい姿を見られた。
「こほん」と咳払いをした。
「君は……日本をどこで知った?まさか前世の記憶が――とか言うのか?」
「え、えぇ。そのまさかです…」
エリザは目を泳がせながら答えた。
「私も、カンナさんを見た時日本人そっくりだと思いました。本当にびっくりしたんですからね?ただ、キョウという国は黒髪の人が一般的らしいですし、カンナさん糸目だから完全にキョウ人かと思ってました」
「はは、そうだねぇ。……君の話を聞かせてくれるかい?ロウダ様からある程度は聞いたが、おそらくその事はロウダ様にも言っていないだろう?」
そう言うと、彼女は眉間をつまみ「そうですねぇ」と続けた。
「16歳でした。まぁ、その……少しお恥ずかしいですが、自殺というものに走ってしまい、気がつけばエリザとしてここにいました。とはいえ、ちゃんと6歳までのエリザの記憶もありますし、お父様には別に取り繕って懐いている振りをしているわけじゃありませんよ!この感情は確かです。あの、この話はお父様には言わないでくださいね?」
上目遣いにそう頼む彼女の目は潤んでいて、泣きぼくろがやけに艶めかしかった。
この子は……16歳というからにはエリザの容姿が可愛いことを知っていて、わざとらしい仕草をするのだろうか。
子供らしい1面も見せたがそれは演技だろうか?
ロウダ様は娘を可愛がり、彼女もロウダ様を敬愛しているようだ。
でもそれは半年やそこらで作り上がるものだろうか。
「あぁ、分かっている。気になることがひとつあるのだが……」
エリザは小首を傾げた。
「君は、その……エリザなのか?それとも16歳の日本人の少女なのか?ただ、前世の記憶があるだけならばそれは記憶を伴ったエリザだ。だが、エリザは6歳まで、つまり君の記憶が思い出されるまでは自我がなかったと聞く。前世の記憶という存在に過ぎないのか?それは」
そう問うと、はっと体を震わせ、右手を頬に添えた。
前世の人格が彼女なのだろうか。だが、父を敬愛する姿はまさしく今世の彼女では無いだろうか。
「あ、ぇ…どうかしら。今言われるまで意識していませんでした。エリザに自我が無かったので、てっきり私は私のままだと思っていましたが、言われてみれば前世の私は記憶という形でしか残っていませんね」
手を頬から顎に滑らし、探偵が推理している時のようなポーズをとった。
「まぁ、私は私ですしいっか。今は昔の自分が主人格だと思っています」
……考えることを辞めたようだ。
だが、出した結論としては都合が良かった。
私も積もる話があるのだ。とことん付き合って欲しい。
その夜、エリザを私の部屋に招き入れた。ロウダ様に内緒で女子会である。




