シーン5 子供は天使それとも悪魔
シーン5 子供は天使それとも悪魔
アタシが借りたばかりの部屋は、まだまだ殺風景だった。
簡易ベッドの脇に置いたスーツケースには、着替え一式と、僅かばかりの化粧道具、それに暇つぶし用の携帯ゲーム機が一個。
小さな冷蔵庫はフルーツジュースだけが入って、カウンターテーブルに置かれたカバンから、飴玉がこぼれていた。
唯一女性的なものといえば、ティッシュボックスのカバーを兼ねた、宇宙ネコのぬいぐるみ位なものだろう。
アタシはエルザにゲーム機を貸してから、自分は深めの一人用チェアに腰かけて、備え付けのテレビのスイッチを入れた。
エルザは始めのうちは新しい玩具に夢中な様子だったが、途中で難しい面に入って思い通りにいかなくなると、突然興味を失った。
「お姉ちゃんの部屋、何にもないねー」
エルザはしみじみと言った。
悪かったわね。
でも、向こうにも悪気はなさそうだ。
子供なんだし、思った事を無邪気に言ってるだけなんだろう。
遊んであげると言った割には、アタシは子供と遊んだ経験が、あまり、というか殆ど無い。そういえば、子供と話すだけの機会だって、これまで全然無かったな。
エルザは勝手にその辺を物色し始めた。
面白いものを探しているのだろうが、残念ながらそんなにない。
アタシは飴玉を取り出して一個をエルザに、もう一個を口に含んだ
「テレビも、なんにもしてないねー、って、あれ?」
画面いっぱいにグリッドリッジのサーキットが映った。
これって、ああ、GⅩ1の専門チャンネルか。こんな放送までしてるんだ。
アタシはモニターを凝視した。
そこでは、各チームの紹介がすすんでいた。
やっぱり最初はワークスチームの紹介だった。
ファルカンが映った。さすがは去年までGPF1の現役パイロットだ、カメラ映りも様になっている。
…って。
先シーズンの年間3位なんて、バリバリのスター選手じゃないか。
彼は昨日見たまんまの様子で、自信たっぷりに今期に賭ける抱負を語っていた。
その後も、有力チームがピックアップされて、何人かのパイロットが紹介された。
参加チーム数は30以上もあるし、この時間配分だと、アタシ達のチーム紹介は雀の涙かもしれない。
微かな期待を込めて、そのまま見続けたが、案の定、5チーム目の紹介が終わると、残りの25チームは静止画に名前とマシンの紹介のみに変わった。
ちぇ、結局こんな扱いか。
それでもアタシはチャンネルをそのままにしておいた。
「おねーちゃん、これ誰?」
突然、背後から声がした。
エルザだ、そう言えば彼女がいたのを忘れる所だった。
アタシは振り向いて、固まった。
彼女は写真を手にしていた。
そこに映っていたのは、アタシと、仲良く並んでポーズをとる一匹のタコ。
いや、タコにしか見えないカース星系の人間だった。
アタシもついタコと呼ぶ時があるが、実際にそう呼ぶのは失礼だ。
彼はれっきとした人類種で、進化の過程上タコ型に進化しただけの、アタシと同じエレスシードを持つ人間なのである。
この宇宙では、壮大な進化プログラムが、はるか太古の昔に行われて、結果的にエレスシードという共通遺伝子を持つ、様々な人類種が誕生した。
これらの人類種の最大の特徴は、外見や見た目は違っても、エレスシードの結びつきによって、異種人類間でも自然交配が出来る、つまり、子どもを産んで子孫を残せるところにある。
こうやって、アタシたち人類種はこの宇宙に生活圏を広げてきたのだ。
それでもって、この写真に写っている軟体人間は、「バロン」。
アタシの親友の一人で、なんて言うか、その、まあ、あれだ。
とにかく、良い人だ。
「アタシの友達よ。一緒にライブに言った時の写真ね」
アタシは言いながら、素早く彼女の手から写真をとり返した。
「へー、友達なんだ」
エルザが、意味ありげにニヤッと笑った。
なんだこの笑みは、純粋な子供にしては、なんだか様子がおかしいな。
「お姉ちゃんって、面白いね」
「え、何が?」
「写真、なんでティッシュカバーのぬいぐるみの中に隠してたの?」
エルザは無邪気に? 言った。
アタシは、多分彼女にもわかるくらい真っ赤になった。
「そ、それはほらー・・・、ほらー・・・、アタシ写真入れとか持ってないからー」
「ふーん」
まるで信じる気も無いように、エルザは答えた。
なんだこのガ・・・もとい小娘は、純真どころか、小悪魔みたいだぞ。
アタシは写真を見つめた。
赤いぬるぬるした肌。ドラム缶に目と口をつけたようなボディと、下半身は八本の触手。まあ、普通の人からしたら、見た目だけで気持ち悪いって言われても仕方がない。
だけど、向こうからしたら、アタシ達のような人間の方が気持ち悪く映るのかもしれないし、外見で判断するのって、どうなんだろう。
彼はとっても優しい人だ。
多少頼りない所はあるけれど、いつもアタシを守ろうとしてくれる。そんな彼の態度に、アタシは少しずつ惹かれはじめていて、それは、どうしようもなく事実だった。
だけど、アタシと彼の間には、大きな問題がある。
人類種っていう壁よりも、もっと大きな問題。
それは、アタシが「海賊」を捨てた女、であって、彼が「海賊」であるコト。そして、彼がアタシの過去を知らず。アタシが彼に知られたくないって、思っているコトだ。
アタシがぼんやりと、自分の胸の奥に隠したモヤモヤを思い返していると、
「じゃあ、これはなにー」
再びエルザは何かを見つけた。
「それは駄目―!」
アタシは半狂乱になって叫んだ。
エルザはまさしく悪魔だった。
いつの間にかスーツケースの中から、アタシが人に見られたくないと思うような物を次々に見つけ出した。
寝る前に、思わず気分が高まって書いたポエムの走り書き。
間違って買ったけど何故か捨てられない黒い下着やら、はては護身用の麻痺銃まで。
なんとか全部を奪い返して、アタシは厳重にスーツケースの鍵をかけた。
ほっとしたのもつかの間。
ちょっと静かだなーと思えば、こっそりとアタシのリップを使って魔女のような顔になっていたり、ほんの少し目を離してトイレに行ってくると、アタシのフルーツジュースをちゃっかり美味しそうに飲んでいた。
「これ、ちょっと甘すぎ―、おねーちゃん太るよー」
文句を言う割には、綺麗に飲み干しているじゃない。
・・・本当に、悪気はない?
その後もエルザはやりたい放題だった。
彼女に振り回されて、アタシはTVで流れたレースクイーン特集を見逃した。
なんと、アタシも映っていたらしい。
自分がどんな風に放送されたのか、あとでモーラから「綺麗だったよ」と教えられて、恥ずかしいのと同時に、見てみたかったと後悔した。
いつに間にか昼になっていた。
突然部屋の通信機が鳴って、応答するとエリックに怒鳴られた。
やばい、もう部品が届いたんだ。
プレーンガレージに行こうとしたが、リカルドはまだ戻っていなかった。
仕方なく、アタシはエルザを連れて仕事場へ走った。
遅刻を怒鳴られつつも、重機に乗って安定装置の取り付けを開始する。
「なんだ、子供の遊び場じゃねえぞ」
エルザを見て、エリックがぼやいた。
「ごめんなさい、リカルドさんがもうすぐ来ると思うけど」
「ったく、ちゃんと面倒見ろよ」
「はーい」
エルザはガレージの中は初めてだったらしく、好奇心に火がついいたようだった。
あちらこちらを走り回り、マックやエリックの邪魔をしては。
「ラライ姉さん、エルザちゃんが・・・!」
「ラライッ、この子を何とかしろっ!!」
アタシが怒られた。
なんとか二台のカスタムが終わって、モーラの夫、バクスターが試運転の為に顔を出した頃には、アタシは完全にグロッキー状態になっていた。
エルザはまだまだ元気だった。
子供ってのは、体力の塊か。
アタシはこう見えて体力にはそんなに自信が無い。正直、彼女のバイタリティには、これ以上ついていく事が難しそうだった。
「ラライ、今日はもういい、休め」
エリックが見かねて、仕方なさそうに言った。
アタシは彼の好意に甘える事にした。
食堂ではモーラが待っていた。
美味しそうな匂いが鼻を突いた。
「晩御飯は用意できてるけど、先にシャワーでも浴びてきたら」
彼女に言われて、アタシは頷いた。
「だいぶお疲れみたいだしね、大丈夫、エルザはアタシが見ておくよ」
「ありがとうございます」
本気でほっとした。
モーラは本当にいい人だ。チームのお母さんってのは、単なるイメージだけの話ではないらしい。
ようやくこの小悪魔から解放される、と内心喜んでいると。
「モーラとなんて嫌。おねーちゃんと一緒にお風呂に入るー」
エルザは駄々をこねてついてきた。
なんだか、かなり気に入られてしまったようだった。
まあ。
一緒にシャワーを浴びるのは、それほど大変な事ではなかった。
彼女の髪を洗おうとすると、嫌がって逃げようとしたが、アタシはここぞとばかりに捕まえて頭からシャワーを浴びせ、少しだけやり返した気分になった。
二人そろって泡だらけになって洗いっこをして、アタシが滑って転びそうになると、彼女は本気で楽しそうに笑った。
新しい服を着て食堂に戻ると、モーラが優しい顔をして待っていた。
彼女の作る手作りの料理は絶品だった。
「随分と、大変だったんじゃない」
モーラがアタシに話しかけてきた。
「そうですね。まあ、楽しかったですよ」
「なら良いんだけど、ほらこの子一人親だから、我儘なところあるしね」
やっぱり、お母さんはいないのか。
そう思うと、少し不憫な気持ちになった。
「今日は、よっぽど楽しかったんだろうね。いい顔して寝てるよ」
「え?」
アタシは隣に座るエルザを見た。
本当だ、いつの間にか眠ってる。
アタシのわき腹に頭をもたれさせて、彼女はスースーと、気持ちよさそうに寝息をたてていた。
「ラライが来てくれて、良かったよ。エルザのこんな顔見たの、久し振りだ」
「彼女の事、昔から知ってるんですか?」
「まあね、リカルドがGPF1を辞めてからだから、もう5年近いつきあいさね」
「5年かー」
まだ、アタシが「蒼翼」を名乗っていたころだな。
世の中ではほんの5年かもしれないけど、毎日を死と隣り合わせて生きてきたアタシにとっては、5年は長すぎる年月だった。
「これで、もう少しリカルドがしっかりしてくれればいいんだけどね」
悪戯っぽく、モーラが笑った。
アタシもつられて笑って、もう一度エルザを見た。
こうして寝ていると、やっぱり天使みたいだな。
頬を、つんつんしたい衝動にかられた。
エルザが、ううん、と寝返りを打つように体を捻った。
「おねーちゃん・・・」
エルザが寝言を言った。
なんだ、アタシと遊んだの、まだ夢に見ているの。
微笑ましく思ったら。
「おねえ、ちゃん、タコが好きなの・・・変なのー」
口走った。
「え、ラライ、タコが好きなの?」
モーラが目を丸くした。
「あ、いや、その、あはははは・・・」
アタシは笑ってごまかした。
何の夢を見てんだこいつは。やっぱり悪魔かー。
「そうかい、じゃあ今度仕入れとくよ。タコが好物なんて、珍しいね」
何かを誤解して、モーラは空になった食器を片付けた。