シーン30 タダ乗り女と呼ばないで
シーン30 タダ乗り女と呼ばないで
後ろ髪を引かれながらも、アタシはエルザを連れてデュラハンの船に乗った。
リバティスターのパドック船での生活は、アタシにとって、なんだか新しい家族を得たような錯覚を覚えさせた。たった一戦だけといっても、その場を離れる事が申し訳なくもあったし、ちゃんと帰れる場所があるのだろうかと、微かな不安がよぎったのも事実だ。
だが、この宇宙海賊の船もまた、アタシにとってはファミリーも同然になっていた。
エルザは、医者に行くというアタシの話に、最初は猛反発した。
モーラも不安がった。
ただ、リカルドが了承した事と、なによりエリックの後押しが効いた。やはり、エリックのチーム内における発言は、今もって大きな影響力を持っていた。
エルザ自身も、見知らぬ船に乗って旅をするという事がわかると、好奇心の方が勝ったようだった。
事実。
彼女は保護者の監視を逃れた瞬間から、やりたい放題になった。
最初の被害者はキャプテンだった。
ただでさえ見知らぬ女の子が乗り込んできて不安げだったキャプテンに対し、エルザは背後からテンガロンハットを奪う、という暴挙に出た。
キャプテン。
あなた、帽子が無い方がよっぽどいい男よ。
でも、そうじゃないのよね。
可愛そうに、エルザ恐怖症を発症したキャプテンは、部屋に閉じこもったきり、出てこなくなった。
お次は、シャーリィだ。
エルザはシャーリィの禁断の部屋に潜りこんで、彼女の少女趣味としか思えないフリル付きのパジャマを勝手に着てみたり、数年前にブームの終わったダンスアイドルユニットの等身大抱き枕を持ち出してきたりした。
ほほう。シャーリィ。あなたにもこんな趣味があったのね。
知られざる彼女の私生活を盗み見れて、エルザを叱りながらも、アタシがほくそ笑んでいたのは言うまでもない。
自分の秘密を知られるのは嫌だが、他人の秘密を覗き見るのは大好きだ。
良く分からない優越感に浸れるのだ。
ふふふ。
だが、被害はアタシにも及んだ。
ちゃんとした部屋をひとつ割り当てたにもかかわらず、彼女は一人で寝るのが嫌だと言って、アタシのベッドにもぐりこんできた。
あらあら可愛いーっと思ったのもつかの間。
エルザの寝相の激しさに、アタシはノックアウトされた。
結局、彼女が寝付くと、アタシは悲しくベッドの下で、体にブランケットを巻き付けて寝る羽目になった。
ので、朝起きると体中が痛くて、何もする気にはなれず。
家事全般はバロンに頼んで、アタシは彼の部屋で日中くつろいで過ごした。
決して。
家事をやりたくない言い訳ではない。
明日にもドッグ星に到着するという頃だった。
アタシはバロンのベッドの上で、寝転がったまま、彼の買いだめた漫画本を読んでいた。
バロンは隣で趣味の模型を作っていた。
お互いに特別な話もしないが、黙々と作業する彼の気配がそこにあるだけで、アタシは安心してゆったりした気持ちになれていた。
リラックスタイムをぶち壊しに来たのは、案の定シャーリィだった。
「このタダ乗り女っ! いい加減こいつを何とかしろ!」
文字通りエルザの首根っこを捕まえて、シャーリィは仁王立ちで立っていた。
今度は「タダ乗り女」か。色々な呼ばれ方があるものだ。
アタシは仕方なく顔を向けた。
「今度はどうしたんですか~」
「もうちょっとで、ドッグ星に着くって言うのに、こいつコクピットに潜りこんできやがって」
そんなの毎度の事じゃないか。
今さら何を・・・。
「それだけならまだしも、重子砲をぶっぱなしやがった。幸い何にもない方向で良かったけどな、もしドッグ星にでも向けて撃ってたら、永久追放だぞ」
それは。危うい。
けど、シャーリィ。
そんなに簡単に重子砲を撃てる状況になっている事の方が怖いけど。
言いたいけど言わなかった。
下手なコトを言って、シャーリィを怒らせたら、まずアタシには勝てない。
強いものには、基本逆らわない方が良いのだ。
「じゃ、ここに置いてってくださいー」
「言われなくてもそうするよ」
シャーリィはエルザを置いて、プリプリしながら出て行った。
エルザは退屈そうにアタシ達を見た。
「おねーちゃん、何読んでるの?」
「漫画ー」
「面白い?」
「うん、面白いよー」
「どの辺が?」
「主人公が気合と根性だけで悪に立ち向かって挫折するところ」
「ふうん」
彼女はバロンを向いた。どうやらアタシの説明は彼女に伝わらなかったものらしい。
「ねえ、タコにーちゃん」
悪気もなく、彼女は言った。
そりゃタコだけど。タコに向かってタコって言っちゃダメでしょ。
バロンは気にする風でもなく顔を上げた。
さすが、器が大きいわね。
「何作ってるの?」
「これは、プレーンの模型でやんす。カザキ社のゾフィーRXって機体でやんすよ」
「ふーん、知らなーい」
まあ、アンタくらいの女の子が知ってたら怖いわ。
よっぽど興味が無ければ、プレーンなんて、全部一緒に見えるでしょうからね。
リカルドの乗ってるような、レース用プレーンなら別でしょうけど。
「ねえ、タコにーちゃんってさー」
懲りずにエルザは話しかけた。
アタシはフルーツジュースに手を伸ばしながら、二人の会話を聞いていた。
「タコにーちゃんってさ。ラライおねーちゃんと付き合ってるんでしょ」
ぶふぉっ。
げふ、げふっ。
ジュースが気管に入った。
バロンのニッパーが、切ってはいけない部品を切り飛ばした。
「ななななな、何を仰るでやんす!?」
彼の動揺が、手に取るように伝わってきた。
無論、アタシもだ。
「だってさー。おねーちゃん、タコにーちゃんの写真をいっつも・・・」
「えーるーざー!!!」
アタシは咄嗟に彼女の口を押えて、氷の微笑で睨みつけた。
「エルザちゃん。・・・それ以上は言っちゃダメ。・・・わかるわよね」
「・・・はーい」
エルザが小さく「ちぇ」と舌打ちした。
くそ。この子、わかってて楽しんでるわね。
だけど。
いくら子供でも、容赦しないわよ。
アタシはこう見えて、勝てそうな相手にだけは強いのだ。
エルザはつまらなそうに床に寝転がって、アタシが読み終えた本を一冊手に取った。
しばらくして。
「ねえ、ラライおねーちゃん」
再び彼女はアタシに声をかけた。
「なあにエルザ?」
「キスってしたことある?」
「・・・・!」
な、何を訊いてくるんだこのガ・・・、お子様は。
思春期か? そうなのか?
「なんで、そんな事きいてくるのよ。と、当然じゃない・・・」
アタシはちらっとバロンを見た。
バロンがこっちを見ていた。
視線が合ってしまって、お互いに顔を伏せた。
赤くなってしまった。
一度だけ、キスしたことがある。
ほっぺに軽い、フレンチ・キス。
ちゃんとした、マウストゥマウスは、まだ経験ない。
エルザはそんなアタシたちを見て。
「ふーん~」
さっきより少し楽しげな顔をした。
部屋の通信機がなった。
シャーリィの声がした。
『おーい、タダ乗り女~、そろそろドッグ星に到着だ。ドッキングの手伝いをしろ~』
「はーい、今行きまーす」
ったく。ただ乗り女なんて呼ばないでよ。子供の前でさ。
アタシはエルザに顔を向けた。
「いい、大人しくしていてね」
「はーい、おねーちゃん」
不気味な位の笑顔が返ってきた。
なんだろう、嫌な予感がする。
バロンに、変なコト話したりしないと良いけど。
アタシはコクピットに行った。
「きたな、タダ乗り女」
「その呼び方、やめてくださいよ。特に、エルザの前じゃ」
「だって、そうじゃないさ。あんた、あたし達の事タクシーかなんかだと思ってるだろ」
「やですよー。家族みたいなお付き合いじゃないですかー」
「調子が良いんだから」
サブパイロット席に腰を下ろすと、ふんわりと良い匂いがした。
くんくんしたら、シャーリィの髪だった。
「シャンプー変えたんですか?」
「お、わかる?」
「わかりますよー。良い匂いですね」
「そうかい。嬉しいねえ。バロンもキャプテンも、全然気付きやしないんだからさ」
「気付いても、言わなそうですもんね。特にキャプテンは」
ドッグ星がもう視界に入っていた。
専用の暗号コードを発信して、入星許可を取る。
馴染みのあるポートへの入港を指示された。
「入星申請の手続きに入るからさ。ポート接続の操作をお願い」
「自動操縦じゃ駄目なんですね」
「何しろ違法武装船だからな。お互いプログラムの干渉は避けたいのさ」
「最終的に信用できるのは人って事ですね」
人工知能がいかに進化しようとも、「人間」の領域を踏み越えてはならない。
たとえ可能であろうとも、許してはならない。
それは、この広大な宇宙文明を発展させたうえで、幾つもの失敗の中から導き出された原則の一つだ。
外宇宙の中には、まだこの原則に反発する文明も多い。
技術に神を求めているのだ。
だけど、繰り返された不幸の中から、アタシ達は原始的と呼ばれる営みの中にこそ、永続の鍵がある事を学んで知っている。
その原始的な営みを支えるのが、人の感情だ。
だけど、この感情ってのが、やっぱり面倒なんだよね。
作業が一息ついた頃、アタシはふとシャーリィの横顔を見た。
あらためて、本当にきれいな女性だと思った。
海賊をしているのが勿体ないくらい。
多分、レースクイーンをさせたら、彼女の方がずっとお似合いになる事だろう。アンディに紹介したら、きっとアタシは明日にもお払い箱になる。
エルザにかけられた質問が急にリフレインした。
「キスしたことって、あります?」
無意識に質問していた。
シャーリィは、えっ?という顔になって、口をぽかんと開けた。
やば、アタシってば、何口走っちゃったんだろ!
「あ、違うんです・・・その」
「あるよ」
「え?」
「キスくらい。この年で、無い方が変だろ」
シャーリィがあっさりと言った。
そうなのかー?
ない方が変なのか~!!
アタシは動揺を必死隠したが、宇宙船のドッキングを二度もミスった。
操縦を誤るなんて、生まれて初めての経験だった。




