シーン2 天才は過去形で語られる
シーン2 天才は過去形で語られる
GⅩ1というプレーンレースは、数あるレース団体の中でも、かなり特殊な存在であることを、アタシはモーラの夫であるバクスターに聞いて、初めて知った。
部屋に荷物を置いて一呼吸してから、喉が渇いたアタシは、談話室に戻ってきた。
少し時間が経っていたせいか、アンディやエリックは居なくなっていて、代わりにモーラとバクスターが二人でお茶を飲んでいた。
バクスターは、これと言って特徴のない男だったが、一見温和そうに見えた。それでいて、どことなく抜け目のない印象を受けた。
モーラよりも結構年上に見えた。
「サブパイロットって、レース用のプレーンは二人乗りなんですか?」
アタシは何も知らないので訊ねた。
「GⅩ1ってのは、特殊なレースでね。一戦ごとに試合形式もレギュレーションも変わるんだ。その度にマシンをカスタムして、レースに合わせていくのが難しいのさ」
バクスターは言ってから、GⅩ1の特集をした雑誌をアタシに手渡してくれた。
「何戦かは耐久レースになっていてね、パイロットの交代が認められている。あと、ラリーになっているコースもあるから、そこだとナビゲーターがいる」
「何でもありなんですね」
「そうだな、まさに嬢ちゃんの言う通り何でもありだ」
「ラライです。ラライ・フィオロン」
モーラが夫の肩を叩いて、失礼だよ、って顔をした。
「じゃあ、バクスターさんも大変ですね。色んなコースを走らないといけなくて」
「リカルドがいるから、実質、俺はお飾りみたいなもんだよ。ただプレーンが乗れるってだけで正式なライセンスもないしな。本業はオペレータ―だ」
「え、ライセンスが無いって?」
「なんだ、知らなかったのか?」
バクスターは驚いたような、悪戯っぽいような顔をした。
「このGⅩ1の面白い所は、チーム自体の参加資格が満たされていれば、パイロットはどんな奴でもいいってところさ。公式ライセンスも何も必要ない。あるのは、実力だけ」
「プレーンレースって、特別な人しか参加できないと思ってました」
「もっと規模のでかいGPF1なんかは、かなり難しい審査があるな。公認ライセンスを取ったうえで、カテゴリー別のレースを幾つもこなさないとパイロットの参加資格が許可されない。それどころか、レース外での素行や態度までが条件に課されるんだ」
GPF1か。その名前は聞いたことがある。
多分、エレス宇宙同盟圏内では、一番有名なプレーンレースだろう。
「じゃあ、あのリカルドさんも、ライセンスを持ってないんですか」
アタシが訊くと、バクスターとモーラは難しい顔をした。
しまった、あんまり触れてはいけない話題だったのかな。
だけど。
リカルドがアタシに見せた態度を思い出すと、何だか気になって仕方なかった。
「いや。あいつはライセンスを持っている。しかも宇宙AAA級だ」
「AAAって」
公式ライセンスでも、最上級じゃないか。
バクスターは頷いた。
「ラライさん、だったな」
「ラライって、呼び捨てで良いですよ」
「そうか。・・・なあ、ラライ、お前さんは、マーキュリー・ブルーって名前を聞いた事は無かったか」
マーキュリー・ブルー?
ん、どっかで聞いたことがある。
なんだっけ、有名な人だったような。
「元GPF1の年間チャンピオンさ。36戦無敗のGPF1記録は、今もって破られていない。超名門チーム〈ブルース・オルダー〉の元パイロットで、通称マーキュリー・ブルー。それがあの、リカルドだよ」
「へえー。・・・って、GPF1の年間王者!?」
「そうさ。本当なら、こんな所に居るべき奴じゃないんだ」
バクスターとモーラが、悲しそうな顔をした。
何か仔細があるんだろうけど、あんまり深く聞くべきじゃないかもしれない。
「すごい人だったんですね」
アタシは当り障りないように答えた。
「ああ、すごい奴だったんだ」
バクスターは過去形で言った。
少し気まずい空気になったところで、アタシは人に呼ばれた。
呼びに来たのは若い整備士だった。
まだティーンエイジャーを抜け出したばかりだろう。
褐色の肌がつやつやとしていて美しい。やや童顔さを残しながらも、情熱に満ちた目をしている。一言二言話しただけで、気持ちのいい青年だと感じた。
「親父さんが、あなたの腕を確かめたいって言ってます。俺について来て下さい」
彼は自分の事をマックと名乗った。
さっき、エリックが言っていた名前だ。
アタシは彼に着いて行った。
エリックはガレージで待っていた。
巨大なプレーンの両足に、不安定なローラー型のタイヤを履かせていた。
あんまり見たことの無い形状だ。
不思議に思って見ていると
「初戦のルールは、足を接地して走る事なんです。両足を路面から離すとペナルティを受けます。その為の装備転換をしているところです」
マックが説明してくれた。
なんとも不思議な事をするものだ。
アタシはガレージにつるされた二機のプレーンを茫然と見上げた。
同じカラーリングだ。ゼッケンナンバーも一緒のところを見ると、一台はスペア機か。
「何をボケっとしてるか、はやく手伝え!」
エリックは、もう片方の足に取り付けるローラーを、重機タイプの小型プレーンで持ちあげようとしていた。
かなりの重量があるとみえて、エリックも多少てこずっているように見えた。
「エリックさん、アタシがやります。重機の操作なら任せてください」
よし、これなら得意分野だ。
アタシは困惑した顔のエリックを無理やり押しのけて操縦席に座った。
こう見えて、プレーンの操縦と、銃の腕前だけは誰にも負けない自信がある。だが、銃の腕は普通の生活には必要ないものだし、正式なライセンスが無いというだけで、プレーンの操縦技術を披露する機会はこれまで殆どなかった。
バランスの悪い機体も、アタシにとっては生まれついた時からの手足のように思い通りに動く。
一発で正確な位置にローラーを合わせると、エリックが目を丸くした。
マックが別の重機で軸の調整をしながら、
「見事な重機操作ですね、どこで勉強してきたんですか?」
アタシに訊いた。
「独学、って言ったら信じる?」
「まさか」
マックは冗談だと思ったのか、呆れたように笑った。
「なかなかやるな、嬢ちゃん。次はバランスチェックだが」
「重心の位置は決まってますか?」
「ああ、コクピットにデータは送ってるが」
「じゃあ、やってみます」
アタシは重機を降りて、レース用プレーンのコクピットに乗った。
ハッチのところに〈マティルダ〉と書いてあった。
この機体の愛称だろうかと思いながら、起動して、そのままバランス調整を行った。
結局、機体整備はそのまま数時間続いた。
この短時間で、アタシはエリックの信頼を勝ち取った。
アタシが機体を降りると、マックが冷たいタオルを渡してくれた。
エリックは、神経質そうな仏頂面はそのままだったが、壁面のボードに色々と書き込みながら、
「明日は、チームPRの仕事があるそうだ。そっちはアンディに聞け。ただし、テスト走行後に再チェックがあるから、午後にはここに戻れよ」
と、それだけ言った。
側に立って、マックが「やったな」というように親指を立ててくれた。
アタシは部屋に戻って、一人でガッツポーズをした。
今回は、いつもと違う。
なんだか、遂に巡り会った感じだ。
ちゃんと、自分の力で仕事ができる、そんな実感があった。
明日からも仕事ができる事にワクワクして、目が冴えて、胸がどきどきした。
あんまり興奮して、アタシは眠れなくなった。
普通なら、もう夜中の時間だ。
どうしても眠れなくて、喉が渇いたので、もう一度談話室に行く事にした。
もしかしたら、夕飯の後に飲んだ「バッドビル」に、興奮作用があったのかもしれない。
談話室の端にある流し台で、コップ一杯の水を、腰に手を当ててがぶ飲みしていると、突然、子供の泣く声がしてアタシは心臓がとまる程にビビった。
いつからそこに居たのか、ソファのかげで、女の子が泣いていた。
昼間、一瞬だけ見かけたあの子だと判った。
「ちょっと、どうしたの。怖い夢でも見た?」
アタシは声をかけた。
女の子は驚いた様子で、顔を上げた。
年のころは10才前後だろうか、金色の髪が長くて、随分可愛い顔をしていた。
「こんばんは。怖がらないで、今日からこの船に来たの、アタシ、ラライっていうの」
女の子は唖然とした顔でアタシを見た。
びっくりしたせいで泣き止んだみたいだが、一言も発しなかった。
知らない人と話しちゃいけません、って、教わっているみたいだ。
「ごめんね、脅かしちゃったかな。でも、大丈夫、アタシ怖くないよ。お父さんかお母さんはいるの? こんな所に居たら、心配してるかもしれないよ」
なるべく優しく声をかけた。
女の子は、静かに首を振った。
「どうかしたの?」
あたしはもう一度だけ訊いた。
「パパが、大声をあげるの。だから、逃げてきたの」
「パパ? お父さんが?」
彼女は小さくこくりと頷いた。
「ずっとお酒を飲んでて、色んな悪口言って。あたしの事も怒るの。だから」
「怖かったのね」
こんな小さな子供を脅かすなんて、何て親かしら。
アタシは腹だたしいのと、この女の子が可哀想になって、思わず屈みこんだ。
彼女の手を優しく包むと、女の子は急にまた両眼に涙をためた。
んー。これは放ってはおけないな。
どうしよう。
部屋に連れて行っても良いけど、大丈夫かな。
「ねえ、お姉ちゃんの部屋に来る。少し落ち着くまで休もうか」
アタシは言った。
彼女は頷きかけたが、何かを気にしたように首を振った。
「アタシが居なくなると、パパがもっと悲しむから」
女の子は言った。
なんだか更に胸が詰まった。
突然、足音がした。
「エルザ、どこだ、エルザ!」
「あ、パパ」
女の子・・・エルザが顔を上げた。
この声は?
「エルザ、ここに居たのか。駄目じゃないか勝手に・・・」
男は言いながら、側に居たアタシを見つけて、言葉を失った。
「マティルダ・・・」
男は呟くように言った。
それは、リカルドだった。