悩める古道具屋 -魔法使いとのいつもの日常-
「春眠暁を覚えず」という言葉がある。春の夜の眠りは心地が良いため、夜明けが来たことも気づかないという意味なのだが・・・現在の僕にとって、今日の春の夜の眠りは不愉快極まりないものであった。
久しぶりに、はっきりとした夢を見た。それも悪夢である。目覚めた直後に夢だと判断するのにも時間が掛かった程のリアルさであった。内容はもはやよく覚えていない。起きた直後のおぼろげな状況でははっきり覚えていたはずだが、すぐに記憶の彼方に消えた。それでも厄介なことに、非常に不快な悪夢、という印象だけが残っている。
・・・どんな夢だったかな。思い出せ。思い出すんだ。しかし思い出そうとすればするほど、嫌な夢であった、という感覚だけが増し、内容については逃げていくような錯覚に囚われる。結局、残ったのは「とても嫌な夢を見た」という感覚だけ。すっきりしないというか、後味が悪いというか・・・考えていても仕方のないことだ。とりあえず本日も開店と行こう。いつもの如く、良い客人が訪れるとは限らないが。
幻想郷も冬のピークは大分過ぎたようだ。そのうち春を告げるウグイスの鳴き声が幻想郷に響きわたる事だろう。もっとも、それと同時に春を告げる妖精がいつもの如く幻想郷を飛び回ることだろう。もはやウグイス、桜などと並んだ春の風物詩であると天狗の新聞に書かれていたくらいだ。さて、そうなるとこのストーブのお世話になるものあと少しかな。
―カランカラン
早速誰か来た。まあ恐らくはいつもの厄介な訪問者であろう・・・と思っていたのだが―
「いらっしゃい」
この言葉を言うのは久しぶりかもしれない。扉を開けたのは、人里の乾物屋の息子であった。貴重な数少ない、「まともな」常連客の一人である。
「久しぶりだね。今日は何をお探しで?」
少年は僕を一瞥すると一言、
「茶碗が欲しいんですけど」
「茶碗というと、ご飯茶碗かな?湯呑じゃなくて」
「ええ、ご飯茶碗を」
「かしこまりました。少々お待ちを」
「あの・・・それと」
「何だい?」
少年は辺りを憚るかのようにきょろきょろと見まわしてから僕に言う。
「ちょっと、相談したいことが」
―カランカラン
「お客様だぜー」
元気な声を張り上げて店内に入ってくる人影。・・・お客様ではないだろう、とツッコミを入れたくなった回数は・・・とうに忘れた。
「一割一分九厘」
「何だって?」
開口一番の僕の発言に魔理沙の目が点になる。
「君が本当の意味での『お客様』としてこの店を訪れる確率だよ。一割一分九厘」
「ひどい言い方だなおい」
「まあ今の数字は適当に挙げただけだからね」
「適当だったのかよ」
魔理沙はあきれ顔で口を尖らす。
「せっかくの貴重な常連さんにそういう物言いはどうかと思うぞ。・・・つーか今に始まったことじゃないけどさ」
「常連といえども、店に利益を与えてくれないから常連「客」ではないね」
「あーあすいませんねーおよそ九割は厄介者扱いで」
「そう思うんだったらその数字を0近くまで減らしてくれると非常にありがたいよ」
「おいおい適当に挙げた数字じゃなかったのかよ?」
ぷうっと頬を膨らませた魔理沙は乱暴に商品の肘掛椅子に腰掛けた。全く、また僕に聞く前に勝手に商品に触れる。相変わらずお行儀が悪いな。
「別にいいだろ。ほら、さっきまで来てたんだろ?お客さん」
「ん?よくわかったね」
「来る途中で乾物屋んちの[[rb:倅 > せがれ]]とすれ違ったんだ。ここの買い物袋持ってたからな、あいつ。してったんだろ、買い物」
「その通り。正確に言えば、買い物とちょっとした相談もしていったよ」
「へえ」
魔理沙は珍しいと言いたげなように目を丸くした。
「香霖に相談かあ」
「うん」
「相談内容は?」
「ちょっとした悩み相談、とだけ言っておくよ。」
「ふーん。気になるな」
「知りたいのかい?」
「うーんまあ」
魔理沙は一瞬顔を伏せたが、すぐにまた顔を上げ、
「でもいいや。個人情報保護って奴だよな」
「驚いたね。君の口からそんな言葉が出るなんて」
「外来本に載ってたのを見たんだ。いまいちよくわかんないけど、外の世界ではちょっとしたことで一人一人の能力やら特徴やら、あるいは人間関係や交友関係とかか。そういうのが他人に丸わかりになるらしいぜ。特に―なんて言ったかな?天狗や河童連中が最近持ち始めたスマフォンだっけか?名前はそんな感じだったな。そういう道具を一個盗まれただけでえらい騒ぎになってた」
「ふーん」
「盗まれた奴のことが少しだけ載ってたな。私と同い年ぐらいの子だった。あれにはたくさん大事な物が詰まってる、無いと生きていけないとか、物凄い取り乱してた」
「なるほどね。確かにそれは考えようによっては恐ろしいことだね」
僕は腕を組んで唸った。
「自分の弱点や急所なんかも、他人に知られてしまうわけだろう?これほど恐ろしいことはないと思うよ」
「私みたいな妖怪退治屋にとっては結構ありがたいぜ。妖怪の弱点がすぐわかるんだ」
「単純に考えればそうなんだろうけど、それは当然逆も当てはまるよ」
「そこまでは考えなかったな」
魔理沙は肘掛椅子をギイギイ鳴らしながら苦笑する。
「もしも私がそういう道具を持っていたとして・・・それが取られたら私の恥ずかしい面もすべて筒抜け状態ってわけだ。丸腰の・・・いや丸裸か。信じられるか?丸裸だぜ」
魔理沙はニヤニヤ笑いながら僕に悪戯っぽく問いかける。
「言い忘れてたけど、それ乱暴に揺らしすぎたら多分壊れるから。当然弁償してもらうよ」
ニコリともしないで全く違う話題にすり替えてやった。悪気はないんだろうが、こういうことが習慣になってしまっているのはちゃんと注意して正すべきだろうな。
「あー悪かったな」
魔理沙は肘掛椅子から降りると、隣の客用の椅子に座りなおした。
「でーさっきの個人情報保護の話だけどさ。罰が重いものになったらしいぜ」
「罪が重く?」
「おう。内容は書いてなかったが、例えば針千本飲ますとか」
「地味に辛そうだね、それは」
「ってのは勝手な私の想像だがな。しっかし勝手に他人の情報を話すだけで重い罪だぞ?ちょっとした世間話でも罪人になるんじゃないか?」
「流石にそこまで厳しくはないんじゃないか」
僕は魔理沙に呆れた目を向ける。
「その君が読んだっていう外来本にしたって、どこかの天狗の新聞みたいな単なるゴシップの類かもしれない。それに、魔理沙、君自身が本の内容を勘違いして解釈しているってこともある」
「はぁあー、流石に人生経験のある方は違いますねーっと」
魔理沙は思いっきり不機嫌な声で首を背けた。
「だったらその外来本を見せてほしいものだね。話を聞いてると読みたくなってきた」
「あ、悪い。それ今無理なんだ」
「無理?」
あまりにあっさりした答えに僕は茫然とした。
「河童の奴らが本の内容を知るや言い値で買おうとか言いだしてな。確かに河童にとってはあの技術は少しでも役立てたいんだろうな。で、思いっきり言い値で売ってやったよ」
「うーん、残念だな」
「ま、私が持っててもそんなに意味がなかったと思うぜ。理解できない言葉もかなりあったし。あー、そっか。失敗したなあ。それこそああいう本は香霖に渡すべきだったか。」
「そうしてほしかったね」
「最初に読んだパチュリーもいまいち理解できないような代物だったからな」
「ちょっと待った」
僕は見逃せない一言を聞いたような気がした。
「最初に読んだって・・・?その本はもしかして、パチュリーのものだったのかい?」
「そうだぜ。パチュリーから譲ってもらったんだ。あ、いつものように『借りた』んじゃなく、きちんと譲ってもらった」
「・・・」
「もちろん、売った本代はパチュリーに渡しておいたよ。私が死んでから渡そうかとも思ったんだけど」
「・・・パチュリーはなんて言ってたんだい」
「こんなに値段が付くとは思わなかったわ、って涙声で震えながら言ってたよ」
「・・・それだけかい?」
「奪回作戦を開始って言ってた。近々山に殴り込みをするって」
「他に何か言ってなかったかな?」
「本の奪回が終了したらまた会いましょう、魔理沙は背中に注意することね、だとさ。ったく、私はあの本の価値を全然知らなかったってのになー」
「・・・穏やかな事態ではないね」
「まあ、あいつとの弾幕ごっこも今から楽しみではあるんだけどな」
やれやれ、女の子は可愛くていいものだな。これが男性妖怪のガチの決闘だったら悲惨なことになりかねない。
「さーてと、じゃあ今日は香霖の期待に応えてあげるとしますか。ご飯茶碗を見せてくれるか?」
「はいはい、ご飯茶碗ね」
ご飯茶碗か・・・さっきの少年もご飯茶碗を買っていったな。
少年の悩み相談は次のようなものであった。
行きつけのある店に立ち寄った際、その店の娘の粗相を目の当たりにしてしまい、それ以来どうにも気まずくて店に行くことができなくなってしまった、とのことだった。まあ、無理もないだろう。これぐらいの年の人間だとお互いに多感な時期であろう。その証拠に、少年はあまりその時の「状況」を詳しくは語りたがらなかったからだ。流石に僕もその辺りを詳しく聞く気は毛頭なかった。
「ちゃんと彼女を介抱してあげたんだろう?だったら何も恥じることはないんじゃないか」
「ええ、まあ・・・」
「それに、その後の彼女が気になるんだろう?」
「はい」
「だったら顔を見せてあげてもいいんじゃないかな?」
「はい」
「良かったら、お土産の品物も持っていくかい?」
「え・・・」
「サービスしてあげるよ」
「ありがとうございます」
店を入るときに落ち込んでいた少年の表情も、帰りにはいくらか元気を取り戻していたようになっていた。
「それにしても、香霖に悩み相談かあ」
買った茶碗を撫でながら、魔理沙はもう一度その言葉を繰り返した。そんなにおかしいことだろうか?僕に何かを相談することは。
「なあ、ふと思ったんだけど、森近霖之助さんよぉ」
魔理沙がニヤッと笑って僕に問いかける。君がフルネームで僕のことを呼ぶとかなり気持ちが悪いんだが。ふざけているんだろうが正直全然面白くない。
「今悩んでることあるかぁー?」
「まあ、色々と」
とりあえず一言返事をしておく。さて、次はどう出る?
「意外だな。『悩みが無いのが悩みだね』とでも言うかと思ったぜ」
思いっきり馬鹿にされている気がする。が、面倒なので口には出さないでおこう。
「僕もいろんなことを考えて悩むんだよ、人並みにね」
「ふーん。だったら私が相談に乗ってやってもいいぜ」
「それは結構」
「何だよ、つまんねーの」
やれやれ、というべきか。
魔理沙が店を去った後で、僕は目を閉じて考え込んだ。
「悩みか・・・」
僕の思い出したくない記憶。辛い記憶が忘れられないこと。
僕は妖怪と人間のハーフだ。今からずっと昔の出来事ではある。一部の心無い人間から「化け物」と罵られ、人間を露骨に見下す妖怪至上主義の連中からは「半人前」と蔑まれたこともあった。僕は妖怪なのか、人間なのか、いや、そのどちらでもない。ぼくは何という存在なのだろうか。
今でもたまに真剣に考えてしまう。僕は―
今朝の悪夢が唐突に蘇る感覚。気のせいか、昼間がこんなに暗いはずはない。
妖怪たちは僕を口汚く罵倒する。
「人間の卑しい血が混じっている」
「お前は妖怪じゃない。あ、でも人間からも人間じゃないって言われてるんだろう?可哀想になぁ~」
「中途半端な野郎だ」
いつになっても、僕は一人前じゃなかった。
人間は僕を妖怪という目でしか見てくれない。半分人間の血が流れていてもそんなことは気にしてはくれない。数少ない、僕と仲良くなった人間は、僕を置いてみんな居なくなる。先に僕の手の届かないところへ行ってしまう。結局僕はいつも一人ぼっち。
嫌だ、嫌だ。誰か助けてくれ。教えてくれ。僕はどうしたらいい。
お前は―そういう運命だ。
ふいに暗闇の中で声がする。
冷たい声がする。
あ。
誰かいる。
こっちに来た。
僕だ。
鏡のようにもう一人の僕が目の前に。
もう一人の僕が口を開く。
それに合わせて僕の口も動く。
「僕は一生、悩んでゆく」
「ふざけんなーっ!」
物凄い怒鳴り声に僕はビクンと体を震わせ、目を覚ました。どうやら、知らないうちにうたた寝してしまったらしい。
開いた扉のそばに魔理沙が仁王立ちしていた。
なにやら相当ご立腹な様子である。
「おい香霖、さっき買った茶碗、家で取り出した瞬間にパカッと割れたぞ。一体どうなってるんだよこれ!」
「あ、ご、ごめん、ちょっと待ってくれないか」
「待てるか!」
魔理沙は大股で僕の元に近寄ってくる。
「納得のいく説明を・・・」
魔理沙の声が途中で止まった。
「香霖・・・?」
「何だい・・・?」
「いやその・・・顔」
「僕の顔?」
魔理沙は手鏡を取り出すと、僕の顔をそこに映した。
「どうかしたのか?目が充血してるし、それにこれ、涙の・・・跡だよな」
魔理沙が心配そうな目で僕の顔を覗き込む。
「・・・ああいや、ちょっとうたた寝を」
「うたた寝って、まさか、怖い夢見て泣いちゃったのか?」
魔理沙の不安そうな顔が一瞬にして明るくなった。
「うーん、まあ・・・さっきの悩みの話をね。引きずってたらしい」
「なんだ、また悩みの話かよ」
魔理沙はやれやれといった感じに肩をすくめる。
「なあ」
魔理沙が穏やかな笑顔を見せる。
「真剣に悩んでることがあるなら、誰かに相談するべきだろ?」
「そうだね」
その優しい気持ちはありがたいが・・・でも僕の悩みは
「実は、ずっと悩んでいることがあってね」
「うんうん」
「香霖堂の客は徐々にであるが増えている。しかし、まったく利益につながらない客の割合が爆発的に増えてきているんだ。どういうわけか」
「・・・はぁ?今更な悩みじゃんか」
「商売人にとっては死活問題だよ」
「まあ、そりゃー泣きたくもなるわな」
「と、言うわけで、なるべく『普通のお客さん』として来てほしいものだね」
「ああ、考えてやるよ」
「実行するとは言わないんだね・・・」
結局魔理沙には話せなかった。
いや、弱み―と言ったら語弊があるが―を見せるのも一つの方法なのだろうか。
だが―
余計な心配はされたくない、ということで妙なプライドは許してくれない。
男としてのつまらない意地というのもあるかもしれない。
何を格好つけているんだと、傍から見れば愚かと思われているだろう。
やはりこの悩みの悪夢からはしばらくは開放されないような気もする。
妖怪と人間のハーフ。
僕は世から消えるまで、この悩みと戦うしかないのだろうか。