耳無し芳一殺人事件 第二部「新たな事件」
翌十一月八日木曜日の朝、薊集落に向かうパトカーの中で、一里塚は運転する光沢から報告を受けていた。
「それでは……」
「ええ、神社で会った三人に関しては、それぞれが言った通りでした」
そう言いながら、光沢は運転しながらも説明していく。当然ながらメモなどはまったく見ていない。内容はすでに頭の中に叩き込まれているようで、その辺りはさすがにベテランの貫禄が漂っていた。
「和岩社長と龍神神主については、間違いなく午後九時から零時にかけて社務所で打ち合わせをしています。参加していた複数の住民からも確認を取りました。全部で五人。龍神神主以外は全員飲酒していて、零時半に龍神神主が車でそれぞれの家に送ったのも間違いないようです。それぞれの家族が送ってきた龍神神主の姿を目撃しています」
「四人の中で龍神神主が最後に送ったのは誰ですか?」
「和岩社長です。ただし、二人が共犯で最後に二人になったときに殺人を犯したという可能性はありませんね。死亡推定時刻から一時間もずれていますし、その前に送った住民の家を出てから和岩社長の家に送り届けるまでわずか五分程度です。これについては和岩社長の家族にも確認を取りましたし、間違いないと思われます」
「家族の場合、虚偽の証言をしている可能性もありますが」
「抜かりはありません。証言者は和岩社長の妻と小学生の息子です」
「そんな時刻に息子が起きていたのですか?」
「酔っ払った和岩の声で目が覚めたとか。その息子も同じ証言をしています。子供は正直ですよ。嘘をついてもすぐにわかります。実際に話を聞いた捜査員の感触でも、嘘をついている様子はなかったと」
「となると、証言は事実ですか。……荏原医師はどうですか?」
「こちらも証言通りです。午後十一時に裏手の家の主人が診療所に飛び込んできてから付きっ切りで看病していました。患者当人はもちろん、付き添いできた患者の家族たちの証言もありますから完璧です。おまけに、十一時過ぎには診療所からの一一九番通報。十一時半からは近隣の大病院に対する救援の電話が記録に残っていて、そこから六時まで一度も電話を切らずに病院の医師からの指示を受け続けています。もちろん、それ以前の一時間に関する動向は不明ですが……」
「問題の患者は突然発生したもの。当然予期などできませんから、それを見越して行動するのは不可能に近いですね」
「三人ともとりあえずはアリバイ成立です」
光沢はあくまで慎重に言う。一里塚は窓の外を眺めながら別の話題に移る。
「残る猿島はどうですか?」
「こちらは元からアリバイらしいアリバイがありませんからね。本人もテレビを見ていたと、曖昧な答えしかしていませんし。ただ……」
「ただ、何ですか?」
「午前十時半過ぎ、猿島家に電話が一本かかっています。この電話に出たのが、どうやら猿島本人のようでして」
「確かですか?」
「電話をかけたのは警察官です」
その言葉に、一里塚は眉をひそめる。
「実は、猿島は事件前日に下関市内に自家用車で出かけていたんですが、その際当て逃げ事故に遭っているんです。交差点に進入したところで対向車線からはみ出していた乗用車に軽くぶつけられて、相手側はそのまま逃走していました。猿島はすぐに警察に通報。交通課は当て逃げとして調べていたんですが、その当て逃げした犯人が事件当日に自首してきて、担当の警察官がその連絡を猿島家に入れたのが事件当日の午後十時半だったんです。本人はどうやら時間まで覚えていなかったようですが、その際の通話記録が交通課に残っていてこの事実が発覚しました。通話は録音されていて、応答する猿島の肉声がしっかり記録されています」
「つまり、当日の十時半に猿島にはアリバイがあると」
「ただし、通話は五分だけ。その後に関しては不明です」
とはいえ、この電話を予測することは不可能だ。つまり、電話がかかってくるまでのアリバイはほぼ成立していると言ってもいいだろう。
「ちなみに、その当て逃げの相手というのは誰だったんですか?」
「呆れた事に、下関市内の優良企業の専務でした。怖くなって逃げたとか」
「そうですか」
そうこうしているうちに、パトカーは薊集落へ通じる道へと足を踏み入れていた。
「警部はどう考えられていますか? 一時間以上もアリバイがない人間はいないようにも思われますが」
「……殺害そのものは別に一時間かけなくてもいいはずです」
不意に一里塚はそんな事を言った。
「といいますと?」
「死亡推定時刻は午後十時から零時の二時間。つまり、この時間のどこかで殺害だけやっておけば、遺体への工作は別にいつやっても構わないということです。あの殺し方なら殺害そのものは五分か十分でもできるでしょう。問題の二時間のどこかで隙をついて殺害し、遺体への細工は死亡推定時刻を過ぎた零時以降でも構わない。もちろん、問題のボートが港から沖へ流れ出した午前二時までという制約はつきますが」
「確かにそうですが」
「例えば、一見アリバイがあるように見える和岩たちについては少なくとも一時以降のアリバイがありません。遺体の工作を一時から始めたならば、二時にボートが流れ出したことに対しても説明はつきます」
「となると、問題は死亡推定時刻の二時間に殺害が可能なのか、ですか」
「現場が神社に近ければ、ちょっとトイレにでも行くふりでもして現場に行き被害者を殺害。そのまま何食わぬ顔で戻り、打ち合わせ終了後にゆっくり遺体に細工する事もできます。ですが……」
「現場となった薊水産加工の工場は集落から国道へ出る道すがら。神社は集落の一番奥にある港のすぐ傍。つまり集落の中心を挟んで真反対の場所に位置しています。この二ヶ所を移動するには車を使っても片道で十分はかかります。歩いたらその倍はかかりますね」
「神社横に停めてある龍神神主の車を使っても往復で二十分……殺害時間を含めれば約三十分ですか。さすがにそれだけの時間席を空けていたら、アリバイ確認のときに何か言うはずですね」
「実際、社務所の打ち合わせの席ではトイレに行く人間もいたそうですが、それでもおおよそ五分以上席を空けた人間はいなかったと、参加した五人全員が証言しています」
「打ち合わせは零時半まで。その話が本当なら、たとえ殺害と遺体処理を分割しても社務所組に犯行は不可能です」
「だからと言って、荏原の場合は逆に遺体を処理する時間がない」
「死亡推定時刻ギリギリの午後十時に殺人を起こして、そこから遺体処理をして十一時。そして帰ってきたまさにその瞬間に偶然発生した急病患者が駆け込んできて以降のアリバイが成立……あまりにできすぎた話です。まずありえません」
「ええ。しかも荏原の場合は遺体発見時刻まで複数の人間の前で文字通り徹夜しています。緊急事態だったので、こちらは一分たりとも一人だった時間はありません」
「神社にいた三人については犯行不可能と断定するべきなのでしょうか」
「となると、猿島ですか?」
「さぁ、どうでしょう。それに、容疑者は彼らだけではありません。断定するには集落にいた全員のアリバイ確認が行われてからです」
そんな事を言っているうちに、パトカーは現場となった工場の前に着いた。一里塚たちはパトカーを降り、封鎖されている工場の敷地内に入る。一瞬集落の方を振り返ってみると、アリバイ確認のために動員された捜査員たちがうろついているのが確認できた。
「もう一つ気になっている事があります」
「何ですか?」
「被害者の所沢がこの薊集落を銃器の陸揚げ場所に利用していたのは間違いないでしょう。ですが、陸揚げした銃器を一度に持ち去るわけにもいかない。つまり、保管場所が必要なわけです。その保管場所とはどこなのか」
「……確かに、言われてみればそうですね」
「陸揚げ場所と予想される港からそう遠くないと考えるのが妥当でしょう。おそらくは、この集落の中のどこかでしょうが……」
そこで一里塚は足を止めて工場を見回す。
「そうなると、気になるのが所沢はこの工場の敷地内にいた理由です」
「……まさか、この工場が銃器の隠し場所ですか?」
一里塚はそれには答えずに再び歩き始めた。やがて、血痕が発見された工場の一角に到着する。
「昨日の血痕発見時に工場の敷地内は調べていますね」
「ええ。ただ、施錠されている場所は持ち主である和岩社長の許可がない限りは入れませんので、これから調査をするはずです。ただ、和岩社長の話だと使っていない倉庫も多いらしくて、その辺りを無断使用されていても気づかないだろうと」
「どうも施設管理についてはいい加減な会社のようですね。工場敷地内に入る際のセキュリティもほとんどないようでしたし」
そう言いながら、一里塚は現場付近を見て回る。一見すると血液らしい跡はないが、ルミノール反応はしっかり出ている。ここが現場なのは間違いない。
「さて、被害者はどうしてこんな場所にいたのか」
一里塚はしばらく周囲を見渡していたが。やがてその視線が一ヶ所で止まった。その先には、見るからに長い間使われていないであろう古ぼけた倉庫があった。入口の扉は南京錠つきの鎖がしっかり巻かれており、敷地の片隅にありながらもどこか異彩を放っている。
「その倉庫がどうしましたか?」
「……ここは調べたのですか?」
「いえ、鍵がかかっていますから。周囲は調べたようですが」
一里塚はしばらく倉庫を見続けていたが、
「大至急、和岩社長に連絡を取りたいのですが」
「今日も祭りの打ち合わせで例の神社にいっているみたいです。行きますか?」
「お願いします」
そう言うや否や、一里塚は踵を返してさっさと現場を後にしてしまった。光沢も慌てて後を追い、そのまま正面に停めてあったパトカーに乗り込んで神社へ向かって走らせる。助手席の一里塚は何やら思案顔で、声をかけづらい雰囲気を出していた。
「ところで、先日の話だと荏原は被害者を何度か見ているようでしたが、その件に関しては?」
「はぁ、まだ本格的に話は聞けていませんが、集落の中でも被害者を見たという人間が何人か出てきました。やつがこの辺りをうろついていたのは間違いないようです」
「そうですか」
一里塚は道中それだけ呟くと、あとは窓から集落の景色を眺めながら考え込んでいる。そうこうしているうちにパトカーは港の入口に到着し、二人の刑事はその横にある山道から神社へと向かった。
山の中腹にある神社の境内は昨日と同じくどこか薄暗く、何ともいえない雰囲気をかもし出している。そして、その神社の社の前で、和岩と龍神神主が何かを相談していた。
「どうも」
一里塚は臆する事なく彼らに近づいていく。二人も一里塚に気がついて、小さく頭を下げた。
「お忙しそうですね」
「ええ、祭りも近いですから。今日は何の御用で?」
「和岩社長に少々用事がありまして。鍵のかかった倉庫を調べたいのですが、鍵を貸してもらえないでしょうか?」
和岩はやや不満そうな表情をした。
「まだ調べるんですか。いい加減に営業再開をしたいんですけどね」
「何しろ殺人現場ですので。それとも、何か不都合な事でも?」
「……いえ、構いませんよ。ただ、私もその場に立ち合わせてもらいます」
「もちろん結構です」
そう言ってから、一里塚は興味深げに社を見上げた。
「今は何の相談を?」
「祭りの時に出す宝物の管理に関しての相談です。社の中にあるんですけどね」
「拝見しても?」
「見るだけならそこの小窓からどうぞ」
龍神の言葉に、一里塚は扉についていた小窓から社の中を覗く。そこには立派な台座に乗せられた古い剣と鏡が置かれていた。
「あれは?」
「この神社のご神体です。年に一度、祭りの時にだけ出す事になっています。ああ見えて歴史的には貴重なものらしく、一年くらい前に盗難騒ぎまで起こっているんです。それで、それ以降管理に関しては厳しくしています」
「でも、こんな社の中に置いておいたのでは、盗んでくださいと言っているようなものではないのですか?」
一里塚の疑問に、龍神は黙って正面の扉のすぐ横を指差した。そこには一見するとわからない場所に、何か機械のようなものが取り付けられていた。
「指紋照合装置です。一見古びた扉ですが、実は内部は機械化されていて、私の指紋でなければ開かない仕組みになっています」
「神社もこんなものを使うんですね」
「私だって本心では賛成してはいませんが、背に腹は変えられません。ご神体を盗まれては神社そのものの危機ですから」
龍神はため息をつきながら小窓を閉めた。
「では、和岩社長、お願いできますか?」
「わかりました。では龍神さん、後はお願いします」
和岩はそう言って刑事たちの後に続いた。三人は麓に降りるとパトカーに乗り、再び工場へと向かう。
「それで、どの倉庫を見たいんですか?」
「事件現場が敷地のどこなのかはご存知ですか?」
「ええ。昨日、警察の実況見分に付き合わされましたから」
「その現場近くにある古い倉庫です。南京錠つきの鎖が巻きつけられていましたが」
「あぁ、旧第五倉庫ですか。でも、あの倉庫はもう十年くらい前からずっと使っていませんよ」
「鍵はあるんですか?」
「そりゃ、事務所にありますけどね。さすがにそこまで杜撰ではありません」
そう言ってから、和岩は逆に一里塚に聞き返した。
「あの、例の殺人事件、私の事を疑っているんですか?」
「事件現場はあなたの工場の敷地内。これで疑うなという方に無理があるでしょう」
一里塚は遠慮なく告げる。
「そこまではっきり言われると、苦笑いするしかないですね。でも、私はやっていません」
そんな事を言っているうちに、パトカーは工場の前に再び到着した。
「事務室に寄っても?」
「どうぞ」
いったん、工場の中央に位置する事務室に立ち寄る。和岩は自身のキーホルダーの鍵で事務室を開けると中に入り、そこから別の鍵の束を持って出てきた。
「行きましょう」
和岩の言葉に、一里塚たちも後に続く。そのまま、先程の倉庫の前にやってきた。
「えーっと、この鍵だったかな」
和岩はそう言いながら鍵束から古びた鍵を取り出して南京錠に差し込もうとする。が、その表情が急に訝しげなものに変わった。
「あれ?」
「どうしました?」
「いや、鍵が合わなくて」
その言葉に、一里塚の目が光った。
「確かにその鍵なんですか?」
「間違いないはずです。でも、おかしいな」
「やはり、そうでしたか」
そう言うと、一里塚は前に出てもう一度鍵を確認する。
「そうでしたか、って、どういう意味ですか?」
「……この南京錠、最近変えた覚えはありますか?」
和岩の問いに対し、一里塚はそのような問いで返す。
「いえ、十年前に取り付けて以来一度も変えていませんが」
「ずっと野ざらしにされていたにしては南京錠がきれいすぎます。多分、南京錠自体が交換されていますね」
その言葉に、和岩の表情が変わった。
「そんな……一体誰が、何のために?」
「ここが現場だとすれば、大方の予想はつきます。これ、壊しても構いませんか?」
「え、ええ」
一里塚は手袋をして近くにあったバールを持ってくると、それを思いっきり南京錠に叩きつけた。何度か叩いているとさすがの南京錠も形状がゆがみ、やがてガンッという音と共に破壊される。鎖が解け、一里塚がその扉をゆっくり開ける。ギギギといういかにも古い扉が開くような重い金属音と共に、扉の中が明らかになった。
「こ、これは……」
その瞬間、和岩の表情が一気に青ざめた。和岩だけではなく、光沢も呆気にとられた表情をしている。一人冷静なのは一里塚だった。
「これは、お宝発見ですね」
古びた倉庫の中にあったもの……それは、複数の箱に詰め込まれた銃器だったのである。
一里塚の連絡を受けてすぐに県警の組織犯罪対策課や生活安全課といった銃器関連の警察官たちが駆けつけ、銃器の押収に移る。また、他の鍵がかかっている倉庫の立ち入り調査も本格的に行われていた。
こうなると、この場は銃器のプロである彼らに任せるのが一番である。一里塚たちは後で報告をくれるように頼むと、一度捜査本部に戻る事にした。
だが、実際に捜査本部に帰ると、出張してきていた福岡県警の刑事たちの動きが慌しくなっていた。一里塚と光沢は顔を見合わせると、その先頭に立っている三崎警部の元へと近づいた。
「どうされたんですか?」
「あぁ、一里塚警部。実は、急な話ですまないが、我々はここを引き払うことになった」
「と言いますと?」
「門司で殺人が起こってな。地元の暴力団が金蔓にしていたクラブのホステスが射殺されたとかで、俺にもお呼びがかかった。どうも、このホステスはクラブの金を横領して、バックにいる暴力団から追われていたとかで、県警はこれをきっかけに暴力団の一斉摘発に踏み切るようだ。こちらの事件はどうも山口が主体のようだし、うちの上司も県警の管轄内でこんな大事件が起こっているのにこれ以上一課の刑事を遊ばせてはおけないと判断したようだ。まったく、久留米の殺人から強引に引っ張り上げておいて、また別の事件に投入とは、上も何を考えているのか」
「そうですか……」
「安心してくれ。合同捜査を組んでいるからこのまま放ってはおかない。所沢に詳しいうちの県警の組織犯罪対策課の刑事が数人こちらにやってくる手はずになっている。それに、門司の事件の犯人と思われている暴力団、どうやら例の『ブローカー』から武器を密輸していたようだ」
その言葉に、一里塚は眉をひそめる。
「本当ですか」
「ああ。だから、やつらを捕まえれば『ブローカー』の動向をつかめるかもしれない。そんなわけだから、後はよろしく頼む」
そう言うと、福岡県警の面々は捜査本部を後にしていった。後には引継ぎのために残った刑事が数人いるだけである。
と、そんな捜査本部に平中海上保安官が顔を見せた。
「あれ、三崎さんたちはどちらへ?」
「福岡で起こった事件で、急遽呼び戻されたそうです」
「それは……随分物騒な話ですね。こう殺人ばかりでは気が滅入ります」
「そういう平中さんは今までどちらに?」
「昨日の捜査会議が終わった後に、今回の事件に関して第七管区の本部から呼び出しを受けましてね。今帰ってきたところです。事件を受けて、『ブローカー』に対する対処を本格化するという内容でした」
「ほう」
一里塚が少し興味を持ったように顔を上げる。が、平中は申しわけなさそうに頭を下げた。
「生憎ですが、『ブローカー』に関する新しい情報はありませんね。正直、こちらも手詰まり感が強いです」
「そうですか」
一里塚は特に落胆した様子もなく、そのまま自分の席に戻っていった。残された平中は光沢に尋ねる。
「そちらはどうでしたか?」
「例の薊水産加工の工場から密輸されたと思しき銃器類が見つかりました。工場の管理は甘く、どうも被害者が勝手に使用していたようです」
「という事は、やはり所沢の拠点はあの集落だったという事ですか」
「現状では、そう考えるのが筋でしょう」
と、ちょうどそのとき一里塚の携帯電話が鳴った。平中と光沢が顔を向ける中、一里塚は慌てる様子もなく電話に出る。
「一里塚です」
『組織犯罪対策部の増木です。薊水産加工から発見された銃器について報告を』
相手は薊水産加工を調べていた山口県警組織犯罪対策部の人間だった。
「どうでしたか」
『押収されたのは箱三つ分の銃器。すべて実銃で一箱十丁。全部で三十丁確認されました』
「三十丁……想像以上に少ないですね」
一里塚が最初に述べた感想がそれだった。
『同感です。これが「ブローカー」による密輸に関与しているなら、密輸の機会はなかなかありませんから、一度に何百丁もの銃を密輸しているはずです。考えられる可能性としては、次の密輸直前で保管されている銃器がなくなりかけていたか、あるいは……』
「あの倉庫はいくつかある保管場所の一つに過ぎないか、ですね」
『ええ。ですが、工場の他の施錠されていた倉庫もすべて調べましたが、あの倉庫以外に銃器が保管されていた場所はありませんでした。それに、保管場所を複数作るというのはリスクが高すぎます。それだけ発見される可能性が高まるわけですから。組織的に運営しているならともかく、一匹狼の所沢がそんなリスクを犯すような事をするかと考えると、少し疑問ですね』
「確かに、一人で密売を行っていた所沢が複数の拠点を持つとは考えにくいと思います」
『それに、いくら警備が緩くて使用されていない古い倉庫だったとはいえ、操業している工場の敷地内を銃器の保管所にするでしょうか。何かの気まぐれで社長があの倉庫を使うと言ったら、それで終わりのような気がするんですが』
どうやら、向こうの刑事も何か不自然に思っているようである。
「これからどうしますか?」
『念のために、あの集落全体の捜索を行うつもりです。銃器が出ている以上、裁判所の令状も出るでしょう』
「何かわかったら教えてください」
『もちろんです。では』
電話が切れる。一里塚は静かに電話をしまうと、そのまま何事か考え込み始めた。
「警部、どうでしたか?」
光沢が近づいて尋ねると、一里塚は事の次第をすべて語った。
「なるほど。保管されていた銃の規模的にあの程度のものとは考えられないにもかかわらず、複数の保管所があった事も考えにくい。矛盾していますね」
「ええ。となれば、考えのどこかに穴があるはずです」
一里塚はあくまで落ち着いた表情で事も無げに言った。
と、その時だった。捜査本部のドアが開いて署長が飛び込んできた。
「えらい事になったぞ」
その署長の言葉だけで、本部の空気が大きく変わる。何かとんでもない事が起こったらしい。
「どうしました?」
「猿島元輔という男を知っているな?」
知っているも何も、問題のボートを所有していたボート小屋の管理人だ。
「彼が何か?」
「さっき県警本部から連絡が入った。下関市内の空き地で、猿島の運転免許証を持った他殺体が発見されたそうだ」
その言葉に、捜査本部は水を打ったかのごとく静かになった。
現場となった空き地は、薊集落からそう離れていないところにある居酒屋の集中する一角だった。多数立ち並ぶ雑居ビルの奥まったところにあるダンボールなどが積み重ねられている場所。ちょうどビジネスホテルの裏手に当たる場所らしいが、その片隅で猿島は大きく目を見開いたまま死んでいた。
「刺殺だ。腹部を背後から一突き」
駆け付けた一里塚たちに向かって、検視官は簡単に言うと、所見を続けた。
「死亡推定時刻は昨晩、すなわち十一月七日水曜日の午後十時から十一時頃。凶器は発見されていない。というより、死斑のつき方から見て現場はここじゃないな。どこかで殺されて運び込まれたと考えるのが筋だろう」
「まさか、猿島が殺されるとは……」
光沢が厳しい表情で呟く。
「事件の経過について説明してください」
一里塚の言葉に、初動捜査班の刑事が答える。
「発見者はそこのビジネスホテルの従業員です。ここはビジネスホテルの裏口に通じている場所でもあるんですが、その裏口からホテルマンが出てきたところダンボールの山が崩れ、ここで死んでいる猿島を発見、通報の流れとなったようです。通報時刻は本日午前十一時でした」
「最後にこの場所を見たのは?」
「昨日午後十時半頃に帰宅するホテルマンが見たのが最後です。その際には遺体などはなかったと」
「つまり。遺体がここに置かれたのはそれ以降ということになりますね」
「この辺は人目も少なく、何かあっても酔っ払いか何かと勘違いされることが多いので、運び込むのは簡単だったと思われます」
「では、昨日の被害者の行動に関しては?」
「昨日の夜八時頃に、仕事場であるボート小屋から自宅に『飲みに行く』という電話を入れて以降の足取りがつかめません。この辺は猿島がいつも飲みに来る場所だったようです。ただ、今のところ周囲の店からは猿島が飲んだという話は聞けていません。今、奥さんに話を聞いていますが、ショックを受けているのかどうも話が曖昧で」
「そういえば、確か猿島には奥さんがいましたね」
昨日、港で会ったときに猿島自身がそんな話をしていたのを一里塚は思い出していた。
「ええ。猿島妙子という人です。今、問題のビジネスホテルのロビーで話を聞いているところです」
「そちらの話は私たちが聞きましょう。現場の捜査、お願いします」
「はっ」
そのまま一里塚はホテルのロビーへ向かう。光沢も慌てて後を追った。
ロビーには、どこか疲れた表情の中年女性がいて、ロビー脇のラウンジのソファに座っていた。先に話を聞いていた刑事が一里塚たちのやってくるのを見て黙って席を譲る。
「猿島妙子さんですか?」
一里塚の問いに、妙子は緩慢な動作で二人の刑事を見上げる。一里塚たちは警察手帳で身分を示すと、妙子の前に腰を下ろした。
「このようなときに大変申し訳ないのですが、お話をお聞かせ頂けないでしょうか?」
「……主人は、なぜ殺されたんですか?」
妙子が初めて声を発する。
「それを今から調べます。ですので、どんな些細な事でも結構です。ご主人の行動に関して知っている事をお話してください」
返事はない。どこか放心しているようではあるが、一里塚は構わず質問に移る。
「早速ですが、ご主人の昨日の行動に関して聞かせてください」
「……主人は、何かを探しているようでした」
その言葉に、一里塚は眉をひそめる。
「何か、とは?」
「わかりません。ただ、昼頃に一度昼食を届けに事務所に行ったんですが、そのときにはちゃんとあったはずのものがないと、首をひねって何かを探していたんです」
一里塚と光沢は軽く目配せする。昨日、猿島が港の事務所にいたのは、どうやら仕事以外にも探し物という目的があったようだ。
「それで、その探し物は見つかったんですか?」
「どうでしょうか。ただ、八時頃に『このまま飲みに行ってくる』という電話がかかってきました。いつもの事だと思っていたんですが……まさか、こんな事になるなんて……」
そこで妙子は嗚咽を漏らして泣き始めてしまった。
「その電話が最後の会話だったんですか?」
「はい……私……これからどうしたら……」
こうなると、質問は打ち切らざるを得ない。二人は後を近くの刑事に任せると、そのままホテルを出てパトカーに乗り込んだ。
「鍵になるのは港の貸しボート屋の事務所ですね」
「ええ。猿島が探していたもの、興味があります」
光沢がパトカーを発車させる。
「警部は今回の事件が所沢殺しに繋がっていると思っているんですか?」
「まぁ、そう考えるのが妥当でしょう。こんな短期間にこんな狭い範囲で複数の殺人が別々に起こるなどという事は、確率的にもありえないでしょうし」
薊集落はホテルのすぐそばである。パトカーは快調に道路を進み、港の入口に到着した。
「ん?」
と、貸しボート屋の前に誰か立っているのが見えた。近づくと、それはさっき会えなかった荏原医師である。
「あぁ、刑事さん」
「どうされたんですか? こんなところで」
「いえ、猿島さんの冥福でも祈ろうかと思いまして。集落に来ている刑事さんから聞きました。猿島さんが亡くなったそうですね」
どうやら、すでに集落には情報が伝わっているらしい。
「その通りです」
「見かけによらず、いい人だったんですけどね。もう釣り談義もできなくなってしまいました」
「釣り、お好きなんですか?」
「いえいえ、私はカナヅチなもので。でも、釣りの話をする猿島さんは生き生きとしていましてね。元漁師の性というやつですか。その話が面白くて、趣味でもないのによく話し込んでいましたよ」
そう言ってから、荏原は逆に尋ね返す。
「そういう刑事さんは、ここを調べに来たんですか?」
「えぇ。ですが、鍵が閉まっているようなので、まずは周囲を探してみようかと」
「そんな必要はありませんよ」
そう言うと、荏原は入口のマットレスをめくり、そこから合鍵を取り出した。
「そんなところに合鍵があったんですか」
「重要な書類とかは売り上げとかは自宅に持ち帰っているらしいんで、ここには盗まれても困るようなものを置いていないんだそうです。それにこんな場所に盗みに入る人間もいないだろうって」
どうぞ、と荏原は鍵を差し出した。一里塚は黙って受け取り、事務所の鍵を開けて中に入る。
さすがに貸しボート屋だけあって、中にはレンタル用の釣具が多く置かれていた。休憩所もかねていたのかベンチやテーブルもある。カウンターの上を見るとなにやら賞状のようなものが飾ってあるのが見えた。
「スキューバダイビングのインストラクター許可証ですね」
光沢が一里塚より先に答える。と、後ろに控えていた荏原が解説してくれた。
「猿島さん、昔はスキューバダイビングもやっていたんですよ。足をやってからは引退しましたけど、今でもそうして飾ってあるんです。ほら、そこに道具もあるでしょ」
見ると、カウンターの隅に本人の私物と思しきスキューバダイビングのセットが置かれていた。今でも手入れは怠っていないようである。
「ん?」
と、部屋を見渡していた光沢が何かに気づいた。
「警部、あそこ」
部屋の壁にはレンタル用の釣竿が飾られているのだが、部屋の奥に一本抜けているような空白が存在したのだ。
「あそこにあった釣竿はどこにあるか知っていますか?」
「ん? あぁ、あれですか。実は、この間お客さんが釣竿をなくしたらしくって」
荏原の言葉に、光沢の目が光る。
「詳しく説明してください」
「ええっと、一週間前くらいだったかな。東京からやってきたって客がボートで釣りに出かけたんですけど、その客が釣竿を海に落としたと言ってきましてね。まぁ、弁償金を支払ってもらったそうですけど、猿島さんはかなり不服そうにしていました」
「そのお客の名前はわかりますか?」
「さぁ。猿島さんの家にある記録を見ればわかると思いますけど」
その後も、一里塚たちは事務所を探し回ったが、他にこれといった収穫はなかった。一応隣部屋の事務室も見たりしたが、特に目立ったものは置いていない。事務室に繋がっていた倉庫部屋には漁師時代に使っていたと思しき漁業用の網やクーラーボックスが多数保管されていたが、何か変わった様子もない。
「うーん、わかりませんね。猿島は何を探していたんでしょうか」
光沢はお手上げのポーズをして首を振る。が、一里塚は特に表情を変える様子もなく事務所を出て鍵を閉めた。と、荏原が不意にこう言った。
「では、私はこれで」
「お帰りですか?」
「ええ、まぁ。仕事がありますので。和岩さんが、ここ数日のストレスで心臓の具合が悪いとかで予約を入れているんです」
「心臓?」
「昔からの持病なんですよ。四日ほど前も薬を渡したところです」
では、と言って荏原は去ろうとする。
「最後に一つよろしいですか?」
と、そんな荏原を一里塚が呼び止めた。
「何ですか?」
「この小屋の常連というのは、あなた以外には誰が?」
荏原は少し訝しげな顔をしていたが、
「何しろ、ここは漁村ですからね。船なんてみんな持っているもので、たまに喋りに来る私と和岩さん、それに龍神神主くらいですよ」
「そうですか」
「もういいでしょうか?」
一里塚が黙って頷くと、荏原はそのまま帰っていった。
「さて、我々も帰りましょうか」
唐突に一里塚がそう言った。
「いいんですか?」
「ええ、知りたいことはわかりましたからね」
そして、パトカーへ戻ろうとする一里塚が小さく発した言葉を、光沢は聞き逃すことはなかった。
「あとは、どう追い詰めるかですが……」
署に帰ってみると、今度は海上保安庁陣営が慌しくなっていた。一里塚は平中に声をかける。
「どうしたんですか?」
「あぁ、ちょうどいいところに。たった今入った連絡なんですが、第七管区本部が『ブローカー』の次の取引の情報をつかんだそうです」
その言葉に、一里塚たちの表情も緊張したものになる。
「本当ですか?」
「かねてよりうちが警戒していた門司の水産工場とコンタクトを取ったのが確認されました。そこは表向き水産工場ですが、裏では新興暴力団と繋がっている場所で、この工場の所有する小型船を使って海上で取引を行う様子です。長年の監視がようやく実った形ですよ。第七管区総出の捕り物になる可能性があります」
「取引の時間は?」
「明日の深夜です。今夜はその対策で忙しくなりそうです」
そう言って張り切る平中に対し、一里塚はそっと耳打ちした。
「なら、それまでは時間がありますね。少し付き合ってもらえませんか?」
「……どういう意味ですか?」
「明日、こちらは薊集落にある所沢の本来の武器保管場所の摘発に動きます。それと、所沢の共犯者の確保も」
その言葉に、平中はもちろん、一緒に行動していた光沢さえ驚いた。
「という事は……」
「ええ」
一里塚は断言した。
「明日、私は今回の事件を完全解決に持ち込みます。いかがでしょうか? 本来の武器保管所の発見はあなた方海上保安庁にも関係すると思われます。悪い話ではないはずですが」
「……」
平中は一瞬考えた。が、決断はすぐだった。
「わかりました。付き合いましょう」
「感謝します。では、明日」
そのまま席に戻っていく一里塚を、光沢は唖然とした表情でしばらく見送っていたが、やがて慌てた様子で一里塚の元へと駆け寄った。
「犯人、わかったんですか?」
「ええ。一応ですが」
一里塚は特に誇るまでもなく淡々と告げる。
「あの不自然な耳のない死体の謎も、今回の猿島殺害事件の真相も、ですか?」
「ですから、あくまで一応です」
謙遜しているが、一里塚がこう言ったときはほとんどすべてが解けている。それは光沢自身が今までの付き合いでよくわかっていた。
「後で署長には伝達しておきます。いずれにせよ、これから猿島殺しに関しての捜査会議が始まるでしょうから、まずはそれに集中しましょう」
その後、一里塚の言ったように猿島殺害事件に関する捜査会議が開かれた。事件関係者の一人ということで事件は最初から所沢殺しの延長線と判断され、同一犯による連続殺人の公算が強いという判断が下された。だが、一里塚はそんな捜査本部の喧騒もどこ吹く風で、単なる情報の補強程度としか感じていない様子であった。
ただ、以下の情報に関しては一里塚も少し耳を傾ける仕草をした。
「現場周辺の飲み屋を当たっていますが、猿島が飲んでいた店が一向に見つかりません。これについてはちょうど込み合う時間帯だったので店側も覚えていない可能性がありますが、いずれにせよ、電話があった午後八時頃から死亡するまでの二時間、猿島がどこで何をしていたのかはよくわかっていません。あと、死亡推定時刻のアリバイですが、集落内の人間に関しては今回ほとんどないといっても過言ではないでしょう。少なくと、前回のように明確なアリバイを持っている人間はおらず、ほとんどが家族間のアリバイです」
「問題の倉庫以外の保管場所の捜索に関しては?」
「そちらは成果なし、です。問題の薊水産加工の工場内や住民の自宅に猿島のボート小屋、さらには神社の社の中まで神主に開けてもらって調べましたが、どこにも確認できませんでした」
それと、とその刑事は言葉を続ける。
「鑑識から追加報告です。所沢殺害の凶器と思われていたスパナですが……傷口と一致しなかったそうです」
その言葉に、部屋の全員がどよめいた。
「どういう事だ? スパナが凶器じゃなかったのか?」
「傷口と合わない以上、あれは犯人が偽造したものと考えるべきです。本物の凶器は依然として不明です」
「つまり、犯人は凶器を持ち去っているわけか。しかし、なんのために……」
そんな問答に対し、一里塚は小さく笑みを浮かべると、そのまま静かに目を閉じてしまった。勝負は明日……少なくとも一里塚はそう考えているようだった。
***The Last is:『耳無し芳一殺人事件 第三部「一里塚の推理」』




