カニバル=ゴーメット氏宣いて曰く
Author:枯竹四手
ジャック=カニバル=ゴーメット氏は、黒檀で出来た馬鹿でかい机の端っこに両足を載せ、腹の上で手を組んでくつろいでいた。
彼は多分日本人だが、少なくとも欧人ではない。さして大きい方ではなく、どちらかと言えば痩身の男だった。特徴のある顔ではないが、それなりに見れる顔立ちではある。
ただ、にやにや笑いだけは頂けない。
「君はなんというか、その半眼をどうにか出来ないのかね?」
彼は目を閉じたまま、小馬鹿にするような口調でそう言った。
「大きく目を開いてみたまえ、多分可愛い」
「秘書として必要であるのなら」
「ならそのままでいい。その方が有能な秘書に見える」
くつくつと笑って、彼はゆっくり目を開けた。真っ黒な瞳は、妙に生気を発散している風な光り方をしていて、近寄り難い『波』のようなものを発しているようだった。
「さて、実は今日、ここに依頼を持って来る人がいる」
彼は机から足を降ろして、細いネクタイに生じた歪みを正し、それからジャケットの襟をいじった。
「君は秘書であるからして、当然同席の義務が生じる。ここに居てくれたまえ。ところで大変申し訳無いが、客用の椅子が無いので君の椅子を拝借したいのだが」
私は無言で立ち上がり、椅子の上を申し訳程度に手で払って、彼の後ろに回って立った。ゴーメット氏は満足な様子で、革張りの椅子に背を預けて大きく伸びをした。
客はすぐに現れた。
「こちらはジャック=ゴーメットさんの事務所でしょうか?」
そう言いながらドアを開けて入って来たのは、眼鏡をかけた老人だった。それなりの体躯をしているが、猫背でやたらと挙動が神経質だ。ただ、声だけはしっかりしている。
「全くその通りです。どうぞそこにお座り下さい」
ゴーメット氏は丁寧に(私の)椅子を勧めた。彼は椅子とゴーメット氏、私を順番に見て、恐る恐る座った。
「後ろにいるのは私の有能な秘書です。御心配なく」
彼の言葉をどう取ったかは分からないが、依頼人は私に向かって曖昧に頭を下げ、それで満足したようだった。
ゴーメット氏は指を組んで、微笑んだ。にやにやと。
「それで、当事務所にどのような用向きでいらっしゃったのですかな?」
「あ、あの、私はこの方の紹介で、来ました」
彼はポケットに手をやって名刺を取り出し、恭しく差し出した。私が机の後ろから出て行って受け取り、ゴーメット氏に渡す。渡す前に、ちらっと「巡査長」という文字が見えた。
ゴーメット氏は一瞥しただけで、それを机の上に置いた。
「彼なら知っています。顔見知り以上ではありませんが」
「で、で、私がお願いしたいのは、ですね」
彼は吃り、口ごもって、何も言っていないのに弁解がましい表情を浮かべた。気が弱いのだろう。
「その、私の館で、パーティーをするのですが」
「いい事ですな」
ゴーメット氏は余計な事を呟き、老人は丸い背中をさらに丸めた。
「あの、そ、そこでですね、あの」
彼はかなり長い逡巡し、ようやく意を決したようで、ゴーメット氏と私と床と壁に視線を目まぐるしく向けて、何とかゴーメット氏の不遜な黒い瞳に焦点を定めた。
「さ、さ、さつ」
「サツマイモ?」
謎の間の手を入れたのは当然ゴーメット氏で、老人は一瞬ぽかんとして、すぐに首をぶんぶんと左右に振った。
「ちちち、違います」
失礼、とゴーメット氏は肩をすくめ、黙る。老人は息をつき、もう一度視線を上げて、そして、絞り出すような声で告げた。
「わ、私、そこで、さっ、殺人が起きると、思うん、です」
「……ほう」
ようやく、彼は真っ当に話を聞く気になったらしい。にやにや笑いだけは、残ったままだが。
老人は、必死な調子で話し続ける。
「人が、殺されるんです。わた、私は、それを知ってるんです」
「それを、この」
ゴーメット氏は言葉を切って、さっきの名刺を机から取り上げた。
「こいつのところに話に行って、私を紹介されたんですね?」
「は、はい、そうなんです」
「なるほど。で、私に何をしろと」
老人はぶるぶると震え、ゆっくりと区切りながら、言葉を紡いだ。
「そ、その、さっ殺人を、ふふ防いで、欲しいんです」
「ほう」
「さ、殺人が起きるんです、館で。でも、それを防いで欲しいんです。わ、私を」
「承りました」
ゴーメット氏はとんでもなく軽い調子でそう宣うと、勢い良く椅子から立ち上がり、机をぐるりと迂回して老人の目の前まで行き、にやにや笑いを一杯に広げ、戸惑っている依頼者の手を取った。
「そのパーティーはいつでしょうか?」
「あ、明日」
「結構です。では、私を招待して頂きたい」
「は、っはひゃい」
老人は矢継ぎ早の言葉に目を白黒させ、にやにやするゴーメット氏はパチン、と指を鳴らした。
「私の有能な秘書も一緒に」
「は、はあ」
「その館はどちらに?」
老人はつっかえつっかえ、住所らしき番号の羅列を言い、最後に大きく深呼吸して、メモをとっていた私に怯えた視線を向けた。
「や、山の中ですので、そのつもりで」
「承りました」
どのつもりかは分からなかったが、私はそう応答して頭を下げた。
「ではでは、また明日お会いしましょう」
ゴーメット氏は腕をぶんぶん振って握手し、それに釣られる様にして立ち上がった老人は、ふらふらとお辞儀めいた動きを見せて、そのまま後ろのドアを開いて立ち去った。
それで、私とゴーメット氏が残された。彼は椅子に戻ってふんぞり返り、私も自分の所定位置に戻った椅子に座った。
「明日の天気は?」
ゴーメット氏が、ふと思い出した様に言った。私は答える。
「雨です。大雨が予報されています」
彼は、にぃ、と口の端を吊り上げた。
それから、どう思うかね、と言って私の方に椅子を回転させた。
「彼の話を聞いた感想だ。どう思う」
「……ひどく困ってらっしゃったと、思います」
「その通りだ。私のところに来るんだから。パスタを茹でるのにお湯が必要であるように」
ゴーメット氏は椅子の上でふんぞり返る。そして、にやにやと私を見た。
「まあ、明日だ」
ジャック=カニバル=ゴーメット氏は、笑いながら言う。というか、大抵の言は笑いながら言っている。
「料理とは労だ。そして食もまた労だが、何より空腹は足下の悪い道より労だね」
ここに来るのに大変難儀したのは事実だ。道が悪くて、さらに風呂釜をひっくり返したような大雨が降っていたのだ。ゴーメット氏は楽しそうに鼻歌を歌いながら外国産高級車を操っていたが、ホテルの白い壁が雨の壁の隙間から辛うじて見える頃には、流石にそれもやめていた。崩れた山道の土砂に突っ込んで動かなくなった車の事を考えていたのか、結果泥でぐちゃぐちゃに汚れた靴の事を考えていたのか。
玄関に辿り着き、あるのか無いのか分からないくらいには役立たずだった折り畳み傘を放り捨て、両開きの扉を押し開けるのと、悲鳴が聞こえたのが殆ど同時だった。ロビーには誰もいなくて、ゴーメット氏は憤然と(顔は笑っていたが)して「タオルか何か無いかね!」と大声で言った。
すぐに中央の階段を降りて来たのは、正装した太り肉の中年男性で、まずびしょ濡れの私達を見て、それから胡散臭そうに誰何の声を上げた。
「誰だ?」
「招待客に決まっているだろう。こちらの主人に呼ばれたのだ」
ゴーメット氏は絨毯に靴の泥をこすりつけながら、呆れた声で言った。そして、威厳めいた空気と共に宣言する。あまり効果が無さそうなのは、ずぶ濡れだからだろう。
「ジャック=カニバル=ゴーメットと、その有能な秘書だ」
男性はゴーメット氏と私をまじまじと見つめ、とてつもなく疑り深そうに首を傾げると、まずゴーメット氏の不遜な表情を見て、それから私の表情を見ると、逡巡してから私に話しかけて来た。
「警察、ではないよな?」
「ゴーメット氏は警察ではありません」
「まさか、探偵とかいうんじゃないだろうな」
「ゴーメット氏は探偵ではありません」
「じゃあ何なんだ?」
難しい質問だ。
ゴーメット氏は、不満げに鼻を鳴らす。
「私はここの主人に呼ばれた招待客だ。主人を呼んでくれたまえ。そうしたら分かる」
男性は途端に硬い表情を浮かべ、少しだけ躊躇ってから、口を開く。
「あいつ、部屋から出て来ないんだ」
そこからは単純だった。ゴーメット氏はにやにやと階段を上がり、部屋の前で不安気にうろうろしている客達にとびっきりのにやにや顔をくれてから、ドアに鍵がかかっている事を確認し、ちょっと考えてから、ドアを破る事を提案した。
「大変ありがたい事にこのドアはさして厚い様には見えないし、内開きだ。もしかしたら急病かも知れないし、あるいは寝ているだけかも知れないが、君達は彼が出て来ないと困るんだろう?」
「そりゃあ、まあ。ホストだしな」
大きな腹をさすりながら男性が言い、ゴーメット氏は畳み掛ける様に言葉を繋いだ。
「だろうそうだろう。そして私も困る。彼に会わないと私達が招待客である事を証明してくれる人間がいないのだからね。ここには使用人がいないのかね」
「ああ、あいつはここに一人で住んでる」
「では致し方あるまい。私の存在証明の為ならば、ドアの修理費くらいは安いものだ」
結局押される形で男性は頷き、二人は肩からドアにぶつかっていった。
十二回目の試行でドアが嫌な音と共に押し開かれ、ゴーメット氏と男性は部屋の中へ転がっていった。
私がいた位置(ゴーメット氏の後ろにいた)からでは、部屋の奥にあるベッドと、その上に何かが横たわっているのしか見えなかった。部屋は真っ暗で、廊下から漏れる明かりくらいしか頼れるものが無かったからだ。
ゴーメット氏は、肩越しに私を見た。部屋の中で、摺ガラスの嵌った窓から雷光が閃いて、彼の皮肉気に引きつった口元を照らしていた。
「何にでも『初めて』はある。私が尊敬しているのは、初めてイカを食べようと思った人間だ。思うに極限状態だったに違いない。……二番目に尊敬している人間を知りたいかね?」
「タコを食べようとした人でしょうか」
「思うに罰ゲームで食べさせられたに違いないね」
ただ、と彼は続ける。
「やめておいた方がいい『初めて』もある。例えば他殺体だね。見ても良い事は無いし、面倒で退屈で何より大概は美が無い。つまるところ、そこにいたまえ」
彼はストライプスーツの胸ポケットに刺さった薔薇の位置を整え、唖然として立ちっぱなしになっていた男性を押しのけ、室内に入った。
「そ、そいつは、し、しん」
「死んでいるね」
ゴーメット氏の返答は簡潔だった。
「胸を滅多刺しにされている。ああ、一応確認してくれたまえよ、これは誰かね?」
恰幅のいい男性はよろよろと室内に入っていった。平然と突っ立つゴーメット氏の横から、ベッドの上に横たわっている何かを覗き込む。
「お、お前……」
「誰かね」
「だ、誰って、ここの主人だよ!」
吠える様に答えた男性は、青ざめた顔で部屋から飛び出して来た。それを聞いて、集まっていた客達に動揺が走る。顔を見合わせ、後ずさり、誰かが「警察を呼ぶんだ!」と叫んだ。二人ほどが階下へ走っていき、残りは絶望的な表情を浮かべている。そう、ここは山の中で、携帯電話の電波が届いていないのだ。有線電話に頼る他無い。
ゴーメット氏は真っ暗だった部屋から出て来て、肩をすくめた。
「やれやれ、到着が遅かったようだね」
まあ私は悪くない、と彼はにやにや笑いを浮かべ、そして客達の恐慌状態を収めるべく取った行動は、実に単純だった。やれやれと肩をすくめ、廊下に飾ってあった花瓶を指で押しただけだ。結果花瓶は転げ落ち、派手な響きと共に砕け散った。全員の視線が一気に彼の方を向いて、止まった。
「諸君、どうか落ち着いてくれたまえ。私はジャック=カニバル=ゴーメットだ」
呆然としている客達に名乗りを上げると、ゴーメット氏はにやりと微笑む。
「まずはそうだね、食堂に集まろうじゃないか。状況が状況なんだから、冷静になるべきだ。違うかね」
客達はお互いの顔を見合わせながら、ゆっくりと行動を開始した。数えたら、この場には中年に見える男性が三人と女性が二人で、合計五人いる。電話しにいったのが男性二人、そしてゴーメット氏と私。この館には都合九人の人間がいるわけだ。人間でなくなったのを含めると、十人。
一塊になって階下に降りていくと、先ほど降りていった二人が憔悴した顔で現れ、電話が不通になっていると告げた。恐らく、外の嵐で断線したのだろう。ゴーメット氏はそういう事もある、と彼らの肩を馴れ馴れしく叩いて、一行を食堂へ導いた。
大テーブルにはシャンパンの瓶が数本、そしてグラスが並んでいた。ゴーメット氏は感嘆の声を上げて、グラスを取った。が、シャンパンは取らず、ぐるりと後ろを向いて一行に微笑みかけた。
「さて皆さん、まずは座りましょう」
全員が無言で、近くの椅子を引き寄せて座る中、ゴーメット氏は堂々と正面に立ち、私は彼の後ろに立った。
「私の名前は、ジャック=カニバル=ゴーメットです。皆様と同じ招待客ですが、一つだけ違うところがあります。それはずばり、私は依頼主たるこちらのご主人に、さる行動を依頼されていたからであります」
場が、少しだけ動いた。不安と懐疑の入り交じった視線が食卓を挟んで交錯し、先ほどの太った男性が、低い声で問う。
「それはなんだ」
「殺人の阻止です」
ゴーメット氏はにやにやと、しかし簡潔にそう言い放った。
「ご主人は殺人が起きる事を予見してらっしゃった。彼はなんと言ったかね」
ゴーメット氏の言葉は、どうやら私に向けられているようだった。
「殺人が起きるんです、館で。でも、それを防いで欲しいんです、と仰っていました」
「そういう事です、少し足りませんが」
良く分からない事を言って、ゴーメット氏は目を閉じて首をゆるゆると振った。口元のにやにやが、滑稽だ。
「しかし残念な事に、殺人は私が到着するより以前に起きてしまいました。残念です」
「そ、そんな適当に!」
太った男性が大声を上げたが、すぐに俯いて黙り込んだ。多分、死体を思い出したのだろう。ゴーメット氏はテーブルに手を伸ばしてシャンパンの瓶を取り、間抜けで小気味いい音と共にコルクの栓が抜ける音がした。私は彼の後ろにいたので良く分からなかったが、オープナーも無しにどうやって抜いたのだろう。
「ついでに残念なのは、電話は不通、山道は土砂崩れで埋まってしまいましたので、まあ我々はここから動けないということですな」
ゴーメット氏の素っ気ない発言は思いのほか波紋を呼んで、動揺するようなささやきがあちこちで漏れた。太った男性は何で分かるんだよ、と震える声をゴーメット氏に向けたが、彼は平気だった。
「嘘だと思うなら見て来るといい。まあ車は通れないし、人間もやめておいた方がいいとは思うがね。地盤が緩んでるようだから、崖沿いはよした方がいい」
太った男性は腰を浮かしかけて、しかし雷鳴が木霊するのを聞いて、むっつりしながら座り直した。危険なのは事実だ。
「私からは以上だ。何かあるかな?」
ゴーメット氏は食堂を睥睨し、そして、にやにや笑いと共に肩をすくめると、シャンパンをグラスに注いだ。
「まあ、とにもかくにも落ち着こう。助けなど、明日雨が止めばすぐに来るさ」
「あ、あの」
女性が一人、おずおずと手を上げた。
「ご、ゴーメットさんは、探偵、みたいな人なんですか?」
「みたいな、という表現は素晴らしい。確かに私は探偵ではないが、まあそういう事をする事もあるという事ですな。例えば今回みたいな」
彼はそう言いながら大きく頷き、肯定ととったらしい女性は、さらに声を小さくした。
「では、その、さ、殺人の、犯人、とか、分からないんですか」
「分かろうと思えば分かるでしょうね」
自信たっぷりに胸を叩いて、ゴーメット氏は反っくり返った。
「なんと言っても、私はジャック=カニバル=ゴーメットでありますからして」
「なら、あいつを殺した犯人は誰なんだ! この中にいるのか!」
太った男性が大声を上げて、場が静まり返った。ゴーメット氏は平然とにやにやしている。
「分かりません。考えていないから」
「じゃ、じゃあ、犯人見つけろよ!」
「何故かね?」
にやにやと笑うゴーメット氏を、誰もが呆然として眺めていた。
「勘違いをしてもらっては困る。私がここに呼ばれた理由は今や消失したといっても過言ではない。今私に出来ないのは帰る事だけだ。それ以外の選択権は未だ私が保有している」
「じゃ、じゃあやっぱり貴様が犯人なんじゃないのか!」
「短絡ここに極まれり、といったところだね。論理的一貫性が無い」
全くその通りだ。男性は唸るような声を上げて沈黙し、地面を睨んでいた。ゴーメット氏は彼に憐憫のような目線を向け、それからぐるりと首を巡らせる。
「ただ、我々に出来る事を示唆するくらいはしよう。当然だ、私だって状況を混乱させたり悪化させるような真似はしたくない」
ゴーメット氏は両手を組んで、神妙な表情を作った。
「まず、この中に犯人がいるのならば、正直に名乗り出たまえ」
沈黙。
「犯人を知っている者は」
また沈黙。
「結構。だが、犯人は」
ゴーメット氏は言葉を切って、たっぷり間を取った。
「……この中にいる可能性が高い。であるならば、我々は全ての行為を共同すべきだろうね。そうすれば犯人の選択肢は二つだけ。相互監視によってこれ以上の凶行に及べないか、我々全員をいっぺんに殺そうとするかのどちらか、だ」
完全に黙ってしまった客達を睥睨して、ゴーメット氏は一度頷いた。
「前提に基づくなら、後者を選ぶ確率は低い。一度に全員を殺すためにはそれなりの準備がいるが、それをしていないのは君達が手に何も持っていない事から明らかだ。ナイフ一本や拳銃一丁では、まさか九人を一気に倒せるわけが無いからね」
せめて大きな爆弾くらい用意してくれないと、と彼はせせら笑い、さっきから大きな声を上げていた太り気味の男性は、きょろきょろしている。多分、爆弾でも探しているのだろう。
そんなことなど意に介さず、ゴーメット氏はシャンパンを、一息に飲み干した。
「もう少し冷えていて欲しいね」
誰も反応しなかったが、ゴーメット氏は空のグラスを肩越しに放り投げ、客達に向かって両手を大げさに広げた。
「さて、私の提案は理解して頂けたかな?」
客達はそんな事よりシャンパングラスの行方に心を奪われていて、かくいう私も彼が投げたシャンパングラスを受け止めるのに精一杯で良く聞いていなかった。ゴーメット氏は、呑気に「つまみでもないかな」と呟いた。
すると、太った男性がぱん、と膝を叩いた。
「そうだ!」
そう叫んだ彼は、意地悪な表情を浮かべてゴーメット氏を見た。
「おい、良く聞けよ。ここにいるのは、皆高校の同窓で、知り合いだ。だが、お前らは違う。お前らの言ってる事が本当である事を証明出来る奴は、ここにはいないんだ!」
「そうだね」
何でもないように返されて、男性はさらに激昂した。
「いいか、お前の言う事は全部嘘っぱちだ。お前らが、あいつを殺したんだ! 窓から出て、それから澄ました顔して玄関から入って来たんだろ! だからぐしょ濡れで」
「どうやってここまで来たのかとか二階の窓から降りる方法とかは、まあこの際後にしてもいい。だが、それの証明なんて出来んだろう?」
「じゃあここに来た理由を、証拠を見せろよ! 俺達は皆招待状をもらって来たんだぞ!」
彼はジャケットの内側から、ひしゃげた白い封筒を取り出して振り回した。客達はお互いを確認する様に視線を交わし、それから、ゴーメット氏を見た。
彼は、やはりにやにやと笑っている。
「ではこうしよう」
ゴーメット氏はにやにや笑いを向ける。
「私と、私の優秀な秘書を別室に閉じ込めるといい」
この良く分からない提案で、混乱していた客達はまた行動を停止した。
「そうすれば、君達は労せずして犯人らしき人間を捕まえられる。そして、私は身の潔白を証明出来るというわけだ」
「ば、馬鹿な! 身の潔白なんて証明出来ないだろう!」
「出来るとも」
彼は大げさにため息をつき、彼に人差し指を突きつける。
「考えてみたまえ。もし私が犯人だとすれば、これ以上は何も起きないだろう。しかし、私が犯人でなかったら、真犯人はどうすると思う?」
「な、何も起こらんだろう? 皆が一緒にいる限りは何もしないといったのは、お前だ」
「その通りだ。しかし、それは逆説的に、私が今後起きたであろう事件の犯人でない証明にもなる。犯行は続かなかったのだからね。最初の犯行が私であったなら、その証明は、道が開通して警察が来たらやってくれるだろう。私は犯人ではないから、そんなモノは見つからないがね。そして、信頼出来る法的機関に私が犯人でない証明が為されたなら、当然私は犯人でないということだ。一応付け加えれば、君達が私の事を殺人者である様に偽装する事、例えば物証のでっち上げなんかも不可能になる。おいおい、そんな目をするなよ。君達が僕の事を信用していないのと同じ位、私も君達を信用していないからこういう提案をするんだぜ?」
肩をすくめるゴーメット氏に、何か言いたげだった男性はぐっと息を詰める。すると、別な男性がおずおずと話しかけて来た。
「あのう、そうしたらですね、最初の犯人が僕らの中に残る事になっちゃう事も、あり得るってことですよね?」
「その通り」
ゴーメット氏は首肯する。太った男性はおい、とその男性を睨んだ。
「俺達の中に人殺しがいるってのか!」
「ち、違うよ、そんな事思ってない。でも、この人達は僕達を疑ってるんだ」
彼は必死にそう言って、そして、唾を飲み込んだ。
「そうしたらあなた方だけ、そ、そいつから逃げられるって事じゃないですか」
なるほどその通りだ、と太り気味の男性は勢いを取り戻した。
「つまりあんたがやりたいのは身の潔白を証明する事じゃなく、安全なとこに行きたいだけなんだろう!」
ゴーメット氏は怯まない。
「だから君達には、確実に生き残れる方法を提示したんじゃないか。全員で行動を共同すれば安全だ、とね。私が犯人なら、邸内の探索とでも称して全員をバラバラに行動させ、順繰りに始末しているだろう。じゃなきゃわざわざアドバイスなどしない。そうだろう?」
「じゃ、じゃあ、ここにいない第三者が犯人って事は?」
先ほどの男性は食らいついて来た。意外に鋭い。
「このパーティーが内輪のものである事は、先ほど君のお仲間が証明した。私達は、証明者がいないが招待客だ。これ以上の第三者がいる余地は、まあない。違うかね?」
ゴーメット氏のにやにやに射すくめられた太鼓腹の男性は、ぐう、と良く分からないうなり声をあげた。
「た、確かにそうかも知れませんね……」
男性は肩をすぼめて席に埋まり、結局最初の男性だけがゴーメット氏(と私)の前に取り残された。彼は援護射撃をしてくれる味方を失い、にやにや笑うゴーメット氏を上目で見上げた。
「……わかった。あんたの提案に従おう」
「理解してくれて嬉しいよ。ああ、いくつか条件を付帯させてもらうが構わないね?」
「条件?」
条件さ、とゴーメット氏は訝しむ男性の肩に手を置き、飛び上がった彼を見てけらけらと笑った。
「簡単な事だ。まず、食料はいくらか貰いたいね。腹が減るのは困るし、君達が食料を持って来る手間も省ける」
「あ、ああ」
「次に、まあ空気の通うところにしてくれたまえ。窒息死するようなところは御免蒙るよ」
「それくらいは、考える」
「最後に一つ。土砂崩れした道が開けたら、必ず警察を呼んで私達を解放する事。生き残った上で監禁罪なんて嫌だろう?」
「分かった。じゃあ、部屋は……」
男性はちょっと考えていたが、すぐににやりと笑った。
「リネン室みたいな部屋があったはずだ。あそこなら窓も無いから、逃げられない」
「賢い選択だ。ではそうしよう」
ゴーメット氏は頷いて、椅子から立ち上がった。そして、男性の後ろで怖々とこちらを見ていた客達に微笑みかける。
「おいおい、私は『行動を共同するべき』と言ったんだぜ? 一緒に来たまえよ」
それで、私達はぞろぞろと部屋を出て行った。まるで、笛吹きに連れられる子供のようだ。
台所である程度の食料を大きな紙袋に詰めて渡され(食料のチョイスに関しゴーメット氏が五月蝿く言ったのは言うまでもない)、私はそれを抱えてゴーメット氏の後ろを歩いていた。先頭はどこからか見つけて来たらしい道具箱と木の板を携えた太り気味の男性で、その後ろをゴーメット氏、私、その他の客という順番の行列は、ようやくリネン室の前までやって来た。
「では、外から鍵をかけて、ついでにちゃんと釘付けしておくといい。ああ、まずリネン室の中でも調べておくかね?」
「いやいい。早く入ってくれ」
ヒステリックにうわずった声に押される様にして私達は中に入り、すぐに扉が閉められた。次いで鍵が回る音がして、最後に狂的な釘打ちの音が、たっぷり五分は鳴り響いた。
「出来たかね?」
静かになったところでゴーメット氏が問いかけたが、反応は無く、微かな足音だけが響いて消えていった。
「まったく、困った連中だよ」
彼はにやにやしながら肩をすくめ、置いてあった休憩用の椅子に堂々と腰かけた。
「さ、少しの間暇だが、せっかくだから思考の時間といこうじゃないか」
「思考?」
「そうだ。材料は完璧に揃った。推理でもって、犯人を指摘しうる材料だ。君が隠し味に気づけば、それはそれは素晴らしい味になるだろう」
にやにやと、彼は笑う。
「さあ、どうだね?」
難しいだろうから、と彼は前置きを言った。
「まずは、君に考えられるだけの犯人を挙げてみたまえ」
私は考える。
「……この状況下では、いくつかの選択肢があると思いますが」
「言ってみたまえ。一つずつ検討しよう」
「彼らのうちの誰かが犯人である場合」
「まず『全員が行動を共同する』という前提に則れば、今後犯行は限りなく不可能だ。そして、露見するだろう」
「彼らのうち複数もしくは全員が犯人である場合」
「もしそうなら、こんなまだるっこしい状況なんて作らずに、とっくに我々を殺していただろうね」
「私が犯人である場合」
「今の状況下なら確実に君は捕まってしまうし、殺していないと言い張るのは不可能だ。そんな馬鹿な事をする人間では無いだろう、君は」
「貴方が犯人である場合」
「君の場合とまったく同じ論理が当てはまる」
「犯人の目的がここの主人だけだった場合」
「前提に則るなら、今後は何も起こらず、後は警察を待つだけで解決だ」
「……前提が崩壊した場合」
「予測不能だ。私は前提に基づいた方法を提示した。それを無視されては、責任は持てないね」
ゴーメット氏は大儀そうに袋を開け、中から冷えた茹でソーセージを取り出して齧った。ぱきり、と腸壁がはじける音がする。
「君はどうかね」
「結構です」
即答すると、彼は満足げに微笑んだ。
「では、ちょっとだけ食べたくなる情報を教えようか」
私は黙っていたが、ゴーメット氏は話し始める。
「前提が崩壊しなければ状況は変化しない、というのは事実だが、また嘘でもある。私は可能性の低さから切り捨てたが、当然外的要因は考慮されなくてはならない。つまり第三者が犯人であった場合、だ」
「……そうすると、どうなるのでしょうか」
「獲物が密集していれば、ずいぶん楽な狩りになるだろうね」
にやり、と白い歯が零れて、ゴーメット氏はもう一本ソーセージを齧った。
そして、続ける。
「もしその外的要因があったとすれば、ここは安全に限りなく近い。扉をこじ開けるには相当の労力を有するくらいには密閉されてしまったようだし、そんな物音がすればこちらも気づく。無理に扉を開ける頃には、私達は対策を行使する事が出来るね」
「対策とは?」
「いわゆる不意打ちだ。開けるのに体力を使っているだろうし、そこを狙うのは容易だろう。そのへんのシーツでも放り投げて視界を奪い、後は押さえつければいい」
確かに、ゴーメット氏が顎で指した部屋の片隅には、リネン室に付き物の白い布が高く積み上がっている。
「そして、だ。私の『目的』がここで関係して来るわけだ。では、私がここに来た理由を言ってみたまえ」
「……依頼があったからです」
「依頼内容は?」
「『パーティーで殺人の恐れがあるため、未然に防いで欲しい』との事でした」
「依頼人は?」
「ここの主です」
「今日会ったかね」
「いえ」
「何故かね」
「お会いする前に、殺されていたので」
ほら、とゴーメット氏は笑う。
「もう分かったじゃないか」
分からない。
沈黙した私を見て、ゴーメット氏はにやにや笑いをやめた。そして、何故か優しげな笑みを浮かべる。
「そう、君は死体を見ていない。今日の主人を見ていない。つまり普通なら分かるわけが無いのだ。正しい、非常に正しい」
「……ありがとう、ございます」
良く分からない理由で褒められているようだが、一応頭は下げる。
何度も頷いて、彼はにやにや笑いを戻した。
「では教えよう。今日殺されていたのは、ここの主人では無かったのだ」
「……え?」
良く、分からない。
ゴーメット氏は、にやにやと続ける。
「私が見たんだから間違いない。事務所に来たのは老齢の男性だったが、今日のは悪く言っても四十歳前後の男性だ。老人ではない。少し難しかったかも知れないが、君にだって推理する事は出来た筈だ」
「そう、でしょうか」
「ほら、あの肉の良く付いた男が言っていただろう」
「何をでしょう?」
「彼は死体の事を『お前』とか『あいつ』と呼んでいた。つまり死体と知り合い、しかも呼び方からして友人だったわけだ。そして、彼はそこまで歳を食っている様には見えなかった。この国は年上を尊敬する事を常識としているから、もしあの死体が友達でも、年長者だったら『先輩』とか『何とかさん』と尊称で呼んでいただろう。何より、はっきりと『高校の同窓』と言っていたのだから、確実に彼らは同年代なのだ。……私が言いたい事が分かったかね?」
「……彼の言説で、死体の年齢について推理する事が可能だった、ということです」
「その通りだ。そこから死体が事務所に来た『主』と同一でなかった事が分かるというわけだ。君が聞かなかったから私も答えなかったし、彼らも私に会いに来た男の話はしなかったから答えていないがね」
「では、本物の主人は?」
「どっちが本物だったか分からないから何とも言えないが、少なくとも事務所に来た方は、ここでは殺されていない、という事だ。そして、彼が言った『殺人の恐れ』とは何だったのか、分かるかね」
私は首を横に振る。ゴーメット氏は、また袋を漁り出していた。
「彼が持って来た名刺、覚えているかね」
「はい。警察の方の名刺でした」
「あれは私の知り合いで、警察で受付をやっている奴でね。たまに変な奴が来ると、私の方に回してくるんだ。迷惑だが、まあその分は貰っている。つまり事務所に来た『主』は警察に行って、私にしたのと同じ話をしたわけだ。警察はまともに取り合わず、私の方に寄越した。彼は同じ話を私にする。しかし、それはまるきり一緒ではなかったようだ。何せ、私にした『殺人の恐れがある』という身辺警護なら、私に回さず『見回りを強化する』とか言って追い払うだろうしね」
「どの部分が違ったのでしょう」
「彼は、多分こう言ったのだろう。自分がパーティーで『殺人を行ってしまう恐れがある』と。つまり犯人による殺人予告だったわけだ。当然警察は適当にあしらう。そして、そういう時の『相談役』として私を指名し、寄越したわけだ」
…………。
少し、突拍子が無さ過ぎる気がする。
私の疑念が伝わったようで、彼はにやにやしつつ袋から手を出した。林檎が握られている。
「君は疑うようだが、私は確信している。だからこういう方策を取って篭城しているわけだ。理由は、事務所に来た老人の言葉だ。彼は事務所で、なんと言っていたかな」
「殺人が起きるんです、館で。でも、それを防いで欲しいんです」
同じ事を言ったな、と思いながら、私は反復する。
「少し足りない、と君に指摘した筈だ。一字一句、確実に」
「さ、殺人が起きるんです、館で。でも、それを防いで欲しいんです。わ、私を」
「素晴らしい」
ゴーメット氏は、またぱちぱちと手を叩いた。
「それが一字一句間違いの無い、正確な彼の台詞だ。最後が肝だ。つまり『私を』という部分だが、これは多分『私を捕まえてくれ』と言わんとしていたに違いない。私が言葉を被せてしまったから、そこまで言い切れなかったのだろう」
私が答えずにいると、彼はにやにや顔を天井に向けた。
「さて、つまり犯人は我々に手出し出来ず、犯行が露見しないままだから多分犯行を続けるだろう。すると、困ったことが起きる」
「何でしょう」
「外の連中が皆殺しにされた上で犯人がここを開けに来なかった場合、誰かが来るまでここにいなくてはいけないわけだ。一応二日経って私から連絡が無ければ、警察がここに来るよう手配してあるが」
しゃくり。
林檎の立てる音は清涼だ。
「その間、何も食べないとお腹が空くだろう。お腹が空くのはいけない。特に君の様に有能な秘書には尚更だ。人は食にて生き、生かされるのだ。お腹が空いて動けない、なんてのは推定半重力物質製のマントを羽織って空を飛び自らの顔肉をアンパンと称して無償で配布する自己犠牲精神にあふれたヒーローがいる世界だけにしておいたほうがいい」
もぐもぐと口を動かしながらそう言って、ゴーメット氏は齧りかけの林檎を私に差し出した。
受け取ったそれの、彼の歯形が無いところを齧り、私は言う。
「では、あの老人がこの屋敷に火を放つなどした場合は? 私達は、逃げられませんが」
「いい質問だ。スイカにかける塩のような」
相変わらず妙な例え方だ。
「その場合は、我々もウェルダンを免れまいが、相当の蓋然性でそれはあり得ない」
彼はあっさりと言ってのけた。
「……何故ですか」
「犯人は『殺人の予防』を依頼して来たのだぜ? 殺人犯が殺人の予防を依頼したのなら、つまり彼はそれをしたくないのだ。しかし、してしまうのだろうからこそ依頼に来た」
にやにやとした声が、実に軽い調子で狭いリネン室に響く。
「すると、彼は殺人をしてしまった場合、どうするだろうかという事だ。そう、彼は断罪を望むのだ。断罪される方法は一択、犯行の露見による司法機関の行動だ。犯行を立証させる為には、何が必要かね?」
決まっている。
「犯行の証拠です」
「その通り」
ゴーメット氏はぱちぱち、と拍手する。
「つまり、犯行の証拠とは残っていてしかるべきなのだ。なれば、館の破壊等で起こりうる証拠の消滅、隠滅、焚滅は好ましくない。であるならば、それらは起こらないであろう。これで証明終了だ。犯人はあの老人で、未だ館のどこか、少なくともこの狭いリネン室の中以外のどこかにいて、止める者がこの通り拘束されていないのだから、露見するまで犯行を繰り返すだろう。ああ、林檎を返してくれたまえよ。安心したまえ、他のものもいっぱいある。好物から食べるべきだね、冷えてしまうから」
私は少し考えて、林檎の代わりに一礼を送った。
頭を上げると、ゴーメット氏は珍しく驚いた顔をしている。初めて、彼を驚かせる事ができた。
私は少しの達成感と、多少の意趣返しと、大いなる悪意を込めて言う。
「好物なので」
枯竹四手です。宜しくお願いします。
大和麻也様主催企画『この謎が解けますか?』参加作品です。
「嵐の館」という、閉鎖環境を書いた作品です。謎はずばり「誰が犯人か」。オーソドックスですね。
と主張しておかないと、怒られちゃいそうですね(笑
そんな作品じゃないかなと思っています。
ちなみにゴーメット氏は「gourmet」と綴ります。
***The Next is:『耳無し芳一殺人事件 第一話「見立て殺人」』