ウォルター消失
Author:カタザト
思い出すのも嫌になるようなトラブルのせいで日本にいられなくなったわけだが、移住先にマイアミを選んだのはとにかく暖かいからだ。
だから、俺としては寒波なんていう下らないもののせいでマイアミが寒くなるのは全く不本意極まるし、もっと言えばマイアミに移住した意味すら見失う。
「くそ寒いな」
今日何度目かになる呟きをして、ダウンジャケットに包まれた体を縮ませる。
いつもならば目にしただけで暖かさを感じさせてくれる日の光をいっぱいに受けた海面も、今日はその温度の低さを想像させるだけのものだ。
「格好つけてオープンカーなんて買うからだぜ、トモアキ」
助手席に座っているロブはいつもと同じ薄着だ。これだけ肉をまとっていれば上着などいらないのだろう。
「ほっとけ。俺のイメージでは、マイアミのいい感じの奴らは皆、赤いオープンカーを走らせてるんだよ。寒波が来たらこんなに寒くなるとは思ってもみなかった」
「安っぽいテレビか映画の見過ぎじゃねえの? 現実と混同しちゃいけないぜ」
なかなか痛いところを突いてくる。確かに、実際に来るまでにマイアミに持っていたイメージは、全てテレビドラマと映画からのものだ。
「確かにな。けど、その安っぽいテレビや映画じゃ、必ずお前みたいな太ってていつもドーナツ食べてる警官が出てくるんだ」
ちょうど最後の一つのドーナツを口に入れようとしていたロブはその俺の反撃に一度動きを止めて、
「なるほど。けど俺は警官じゃねえぜ、元警官だ。今は私立探偵。そうだろ、相棒」
結局ドーナツを一口で食べてしまうボブ。
俺はため息をついて、
「で、今回の事件の資料は読んだのか?」
「もちろん。はっきり言って俺の好みじゃないな」
「俺だってそうだ。けど、報酬がいい。相手はこのマイアミで十本の指に入る金持ち、ジュディ・リップマンだ」
「報酬がいいのは認める。大金持ちの依頼にしては少ない気もするけどな。けど、俺、あのジュディ・リップマンとかいうおばさん嫌いなんだよ」
「会ったこともないのに?」
気持ちは分かるけど。
「ローカルなテレビ番組にバンバン出てるじゃねえか、あのおばさん。醜く弛んだ体をしているのに恥ずかしげもなく」
「お前にだけは言われたくないと思うけどな」
肥満バーサス肥満だ。
金持ちなうえに出たがりのジュディは、ここいらでは顔の知られたコメンテーターでもある。ただし、イメージアップには貢献していないと思うが。
十人中九人がテレビに出ているジュディのきんきんと甲高い声と喚き散らす喋り方で嫌気がさす。残る一人は、その独善的な内容で嫌になるという寸法だ。
「しかしよお」
まだ文句を言おうとするロブに、
「ともかく、行ってみよう。あのおばさんの愛息子だか愛娘がさらわれたって話なんだからな。それも不可解な状況で。ここは名探偵が解決しないとな」
「はん」
鼻を鳴らしたロブは、もう何も言わずに流れる景色に目を向ける。
「そう気を悪くするなよ。楽しいことを考えろ。そうだな、例えば、向こうでの捜査中に、金持ちがいつも食べてるようなうまい飯が出てくるかもしれないぞ」
ともかくロブが依頼を受けるのをごねることはなさそうなので安心して、俺はリラックスしてアクセルを踏み込む。
「おいおい、俺が上品なフランス料理とか喜んで食うと思ってるのか?」
「分かってるよ、ロブ。けど、ひょっとしたらライ麦のコンビーフサンドが食えるかもしれない。それも、本物のベーコン入りのやつ」
「おっ、なるほど、本物のベーコンか、そいつはいいな」
とたんにロブの顔が緩む。
マイアミで十本の指に入る大金持ちであると同時に五本の指に入るケチのジュディから食事がもらえるかどうか怪しいものだ、とロブが気づいて不機嫌になるのは、俺達のオープンカーがジュディ宅の巨大な門をくぐった後だった。
「うちのウォルターちゃんがさらわれたのよ」
テレビで見る時と同じかそれ以上の音量と甲高さで喚かれ、俺とロブは辟易としていた。
さっきからずっとそれだ。ジュディは同じ内容のことをずっと繰り返している。ぶっ壊れたテープレコーダーでも、スクラッチ音の箇所を変えたりしてもうちょっと楽しませてくれる。
「あー、それは分かりましたから、ミセス……」
話を進めるための俺の何度目かのとりなしも、
「ああ、どうしましょう! きっと、ウォルターちゃんは今頃泣き叫んでいるわ!」
「なあ、トモアキ」
ロブがそっと俺に顔を寄せる。
「その、ウォルターちゃんとやらって、資料によれば確か俺よりも年を食ってるんだよな?」
「おまけに、図体もお前よりでかいはずだ」
俺も囁き返す。
「ええと、その、ウォルターちゃん、じゃない、ウォルター氏が何者かに、その」
再び、俺はチャレンジする。これも食っていくためだ、しょうがない。
「連れ去られたのよ、早く何とかして!」
叫ぶジュディ。
「おい、もう警察に任せることにしたらいいんじゃねえか?」
うんざり、といった顔でロブが聞こえそうなくらいの声で言う。
そりゃあ、できるならそうしたい。
「黙ってろ、今月うちの事務所ピンチなんだ……ミセス、つまりご依頼は、その、ウォルター氏を連れ戻して欲しいと、そういうわけですね?」
「そうよ、お金なら払うわ、早くして!」
大した金額でもないのに偉そうに。さすがはケチで有名なだけあって、通常の料金と同程度の報酬額だった。金持ち相手の仕事とも思えないと、俺とロブはびっくりしたが、それでも今月の俺達には貴重だ。
「はいはい……ええと、では、うちのロブと契約についてのお話をお願いします」
「おいっ」
思わずといった感じでロブが小さく叫ぶが、
「私は早速事件の調査を始めます」
と俺は無視してやる。
事件のあらましについては、資料で一応確認してある。屋敷を回りながら使用人にでも話を聞いた方が、ジュディから話を聞くよりも早く、そして分かり易そうだ。
恨めしげにこちらを睨んでいるロブと、ロブに詰め寄っていくジュディを横目に、俺はさっさとその部屋を後にする。
俺達の探偵事務所が入っているビルの数倍の大きさの屋敷を回る。
無駄に部屋や廊下が広いから、その分部屋数がそこまで多くはないのが助かった。それでも、軽く全ての部屋を見て回るだけで一時間半かかってしまったが。
メイドのステファニーは、この広い屋敷の管理をほとんど一人で任されているということで、不満と疲れが今にもはち切れそうだ。
「ともかく、ケチなのよ、大金持ちの癖に」
屋敷を案内してもらいながら、ステファニーの愚痴を聞く。
「ああ、確かにこの広さを君一人というのはありえないね、ステフ」
「本当にそうよ。ここまでケチなのはありえないわ。きっと脱税もしてると思うわ。だから、警察じゃなくて探偵を呼んだのよ。本当に強欲」
「おまけに趣味が悪い」
と、あちらこちらにごてごてと金の装飾がされた部屋を見回す。白を基調とした建物に過剰な金。まるで大昔の映画に出てくる宮殿のような屋敷だ。
「テレビを見るだけで、あの人の趣味の悪さは分かるでしょ」
歩きながらステファニーは肩をすくめる。
「あのキャラで趣味がいいわけがないな」
二人で顔を見合わせて一緒に吹き出す。
「ああ、ここがセキュリティー室よ」
ようやく、いくつものモニターが設置されている最後の部屋に着く。
金持ちの屋敷によくありがちな、各所に設置された監視カメラに映った映像が一度に見られる場所だ。
「おお、ステフ。そちらが?」
警備服を着た初老の男が、モニターの前にあるパイプ椅子から立ち上がる。
「こちら、探偵さん。ええと……」
「トモヒコ。トモヒコです、よろしく」
「おお、よろしく探偵さん、ホセだ。この屋敷の警備をやっている。恐るべきことに、わし一人でな」
「ホセさんがスーパーマンじゃない限り、完璧とはならないわけですね」
「わしはただのおっさんだよ。だからこの屋敷はザル同然だ。何なら、わしの目を盗んで調度品を手当たり次第に盗んで帰ったらどうだ?」
げらげらと笑うホセに、俺とステフも苦笑する。
「ここの調度品は、金はかかっているのかもしれませんけど悪趣味ですよ。持って帰ると考えただけでうんざりする」
「まあの。値段はともかく、デザインはスーパーマーケットで揃えた方がいいものが集まる」
「ホセ、探偵さんに事件の説明してあげて」
どうでもいい話をしていた俺とホセだが、ステフに促され、
「いいとも。わしは三時間に一回、屋敷を軽く回る以外は、ずっとこの部屋でモニターと睨めっこしとる。じゃが、この屋敷の主は、ここだけの話ケチでな」
「ご安心を。マイアミの八割がその話は知っています」
「じゃろうな。ともかくケチじゃから、設置した方が金の無駄、とならない最低限の数の監視カメラしか設置しておらん。少ない数でできるだけ広範囲をカバーできるように工夫してな。で、わしがモニターを見る限り、愛しのウォルターが連れ去られる姿は確認できんかった」
「でしょうね」
大して意外でもない。もしそれが映っていたら、さすがにジュディが言うなりするはずだ。
「テープに残っておるから、確認してみるかの?」
「後で確認させてもらいますよ。しかし、どうせなら監視カメラでずっとウォルター氏を監視するようにしてればよかったのに」
冗談半分本気半分で俺がそう言った時、
「ん?」
ホセがモニターの一つに顔を寄せる。
「どしたの、ホセさん?」
不思議そうな顔をして同じようにモニターに顔を寄せたステファニーも、
「あっ」
と驚く。
二人の顔の間から、何とか俺もモニターを覗き込むと、そこのモニターの片隅には、ロブとジェシィが映っていた。
それは特におかしなことではない。問題は、明らかにジェシィが半狂乱になって暴れており、ロブが必死にそれをなだめていることだ。
「いつもおかしいが、特におかしくなっているように見えるな」
ホセが呟き、
「ええ、いつもの二割増しくらいのヒステリーね」
モニターから目を離さずステファニーが同意する。
「あれで二割増し?」
絶対に普段から付き合いたくはない。ともかく、俺はホセとジェシィの場所まで駆けていく。
「ああ、何とかして! 早く!」
喚くジェシィをロブと一緒に何とか落ち着かせて、ジェシィとロブの両人から話を聞き出す。
話を総合すると、つまりジェシィの携帯電話にメールが届いたのが原因だという。
「これが例のメールか」
受け取った携帯電話を操作して、件のメールを確認する。
そこには、
「ウォルターを返して欲しければ、五十万ドル用意しろ」
という文面と、そして不鮮明な画像が添付されていた。
薄暗い室内で撮影したと思われる画像データだ。薄ぼんやりとだが、事件の資料で見たウォルター、らしき影も写っている。
「これ、本当に、ええと、ウォルター氏ですか?」
「間違いないわ! 絶対にウォルターちゃんよ!」
よくこんな影だけで分かるなと感心する。この愛情だけは本物だと認めざるを得ない。
そんなやりとりをしていると、またメールが届く。
三人で顔を見合わせ、ジェシィから無言の同意をもらったので、携帯電話を持っている俺がメールを開く。
今度は本文なしで、動画データだ。
動画を見れば、画像と同じ薄暗い空間で、覆面を被った人物がウォルターを引きずるようにしていた。多少引きずられてはいるが、確かにウォルターが動いているのが確認できた。まだ無事だ、というアピールだろう。
どずん、と音がしたのでそちらを向くと、動画を見たジェシィが気を失って床に倒れこんでいた。
「やったぜ」
ロブがにこやかにガッツポーズする。
「これで捜査がスムーズに進む」
「確かにな。ところで、契約書は書かせたのか?」
「ああ、苦労したぜ」
「ならいい。床に寝かせておこう。行くぞ、監視カメラの映像を確認しよう」
ロブと事件の資料を見ながら監視カメラの映像を確認して、詳しいところをステファニーとホセに聞き込む。
そうやってようやく事件の全景が分かってきたところで、いつの間にか復活したジェシィがセキュリティルームに突撃してきた。
喚きまくるジェシィをロブと二人で連れ出し、そして事件についての最後の確認を行う。
「つまり、来客は三人なわけですね」
「そうよっ、あいつらが帰った後に見たら、ウォルターちゃんがいなくなっていたの。だから、あいつらかステファニーかホセの誰かが犯人に違いないわっ、いえ、ひょっとしたら全員グルかも」
それが一番ありそうだ。この短期間で、俺もジェシィの敵にまわりたくてしかたがなくなっているくらいだ。
とはいえ、全員がグルだとしても、それで犯行が可能だということじゃあない。どんなルートを通るにしても、屋敷から出るには絶対に監視カメラの範囲内を通らなければいけない。しかし、どのカメラの映像にも、ウォルターは映っていなかった。
そう、つまり、密室からの消失ということだ。
「時系列順でいくと、一人目がホワイト氏ですね」
「そうよ。彼にはウォルターちゃんの調子を見てもらっているの。かかりつけだから、一週間に一度はウォルターちゃんを見に来てもらってるわ」
ちなみにホワイト氏はジェシィの我儘に我慢の限界だったというのがステファニーの意見だ。彼が今回の騒動の犯人でも何も驚くことはない、とホセも言っていた。
「映像を見る限り、ホワイト氏は随分大きな鞄を持っていますね」
長期旅行に出かけるみたいな格好だった。
「ええ、何か会った時には即座にその場で処置してもらうために、必要になる可能性がある器具や薬品は全て持ってくるように言ってあるの」
過保護かつホワイト氏からすれば迷惑だろうな。
「その次が、ロイ氏ですね」
「彼はセールスマンね。懇意にしている宝石商よ」
「よく言うぜ。気を持たせるだけ持たせておいて、今までほとんど買ってないらしいのによ」
小声でロブが毒づく。
「彼はどうもあなたに会う前にウォルター氏の部屋に向かっているようですが、これは?」
宝石商が何の用があるのかと映像を見た時から不思議だった。巨大なアタッシュケースを持ったセールスマンがよたよたとウォルターの部屋に向う姿は、どこか憐憫の情を覚えたものだ。
「だって彼はウォルターちゃんが大好きだもの。いつも私と会うと、今日のウォルターちゃんの素晴らしいところを褒めちぎるの」
つまり涙ぐましいセールストークというわけか。
「三人目がデビット氏、デビット・リップマンですけど」
「我が家の恥ね。こいつが一番怪しいわ」
ジェシィが吐き捨てる。ジュディにここまで嫌われているという一点だけで、俺は既にデビットとやらを好きになり始めている。
デビットはジェシィの甥で、今借金に苦しんでいるらしい。
「金の無心ですか、要件は」
「家財道具を買い取ってくれですって、まったく、ふざけるんじゃないわよ、あんなゴミを誰がお金を出して引き取るものですか」
「その家財道具とやらはどんなものでした?」
「聞いたこともない画家の絵だとか、とにかく色々あったみたいだけど、全部見る前に追い返してやったわ」
なるほど、確かに映像にはぱんぱんに膨らんだリュックサックを重そうに背負ったデビットが映っていた。手当たり次第、金になりそうなものを詰め込んできたのかもしれない。
ちなみに、彼は映像を見る限りウォルターの部屋には近づいていない。
問題は、ともかくウォルターを連れ出す姿がどの映像にも映っていない点だ。
「この三名は、ほとんど間をおかずに一気にいらっしゃったわけですね」
「ええ。ひょっとしたらお互いにすれ違ったりしたかもしれないくらいだわ」
「ふうむ、そしてそのすぐ後に行ったら、もうウォルター氏の部屋はもぬけの殻だったと」
そうすると、未だ知らない外部犯による犯行とは考えにくいか。
「なあ、トモヒコ」
ぽん、とロブが手を叩く。
「俺達は難しく考えすぎてたぜ。簡単なことだ。この三人のうち誰かが、鞄にでも入れてそのままこの屋敷を出て行ったんじゃないか?」
にこにこと笑うロブの目は笑っておらず、早く帰ってチーズバーガーでも食べたいと訴えている。
「無理だろ。確かに三人ともそれなりに大きな入れ物はもっているみたいだけど、忘れたのか? あれは、じゃなかった、ウォルター氏はお前よりも図体、じゃなかった、サイズが、ええと、立派、そう、立派なんだよ、立派」
横にいるジェシィに気を遣いながら説明する。
「いくらでかい鞄でも入るか? 無理だ」
「なるほど、それに愛しい我が家から無理やり連れ出されるわけだから、ウォルター氏が大暴れする可能性もあるものな。あっ、そうか、麻酔薬を飲ませたんだな。いくら勇敢なるウォルター氏でも何リットルも麻酔薬を飲まされたらひとたまりもないだろうから」
自棄になったようにロブが笑う。どうやらこれまでのジェシィの相手がよほど堪えたらしい。
「ロブ、場の空気を和ませるためとはいえ、お前のジョークは下手なんだ。もう止せ」
ひやひやしながらロブをなだめていると、
「いい加減にして!」
ジェシィが金切り声をあげる。が、いい加減にして欲しいのはこちらだ。どいつもこいつも。
「分かった、分かりましたよ。誰を調べればいいのかはもう分かっています」
耳を抑えながら俺がそう言うと、ジェシィはもちろん、ロブも驚いた顔をする。
ジェシィが気に入らないからわざと解決を遅らせているのかと思えば、どうやら本当に分かっていなかったようだ。
「この事件の犯人はですね……」
自分の相棒の能力を心配しつつ、俺は説明を始める。
しかし、疲れた。
犯人を捜すまでが仕事だと明記した契約書に、ロブがサインさせておいてくれて本当に助かった。犯人の説明だけしたら、後はさっさととんずらだ。
行きとは違い、帰りの車内の雰囲気は和やかだ。
ジェシィから解放されたという安堵感が半端じゃあない。
「うおお、もう二度とあの屋敷の半径一キロ以内には入らねえぞ」
ロブが思い切り伸びをする。
「いやあ、オープンカーもいいもんだな、背中を伸ばせる。いやあ、快適快適」
「浮かれてるな」
あまりにも上機嫌なロブに少し呆れる。
「そりゃあな。これで今月もうちの事務所は何とかもつし、あの女からも解放された。言うことなしだ」
「確かに、言うことはない」
俺は赤い車を飛ばす。
風が気持ちいい。
「しかし、よく気付いたな。あの二人が共犯だなんて」
「むしろ、それしか考えられない。お前の言うように、カメラに映っていない以上、ウォルターは鞄に入れられて部屋、そして屋敷から出されたとしか考えられないだろ」
「まあな」
「しかし、三人のどの鞄を見ても、ウォルターが入るほど大きくはない。だったら、分解して分けて鞄に入れればいい。簡単な話だ」
そう、子どもでも分かることだ。
「ロイもホワイトも、最初から今回は鞄の中身を最小限にしてきたわけだな。ウォルターを入れるスペースを確保するために」
「ああ、ロイにしたって、どうせ実際にダイヤを持ってこなくても買わないことは予想できたわけだし、ホワイトに関してはウォルターをバラすための器具さえあればよかった」
ロイに関して言えば、宝石をぎっしりと詰めているはずもないアタッシュケースをいかにも重そうに、よたよたと歩いていたところからして、わざとらしくて怪しかった。
「専門家だし、ずっとウォルターを見ていたわけだからな、ホワイトなら一時間もかからずにバラせるわけか」
「ああ、専門家ってのはすごいもんだ。今回の件が片付いたら、こいつもお願いしてみるか」
ぽんと、俺はシートを叩く。
「んなこと言ったって、しばらくは塀の中だろ。それとも、警察には知らせないつもりかな?」
「さあ」
肩をすくめる。
警察に知らせなかったところからしても、どうもジュディも後ろ暗いところがありそうだし、どうなるだろうか。
「半分ホワイトが鞄に入れて屋敷を出る。後から入ったロイが残りをアタッシュケースに入れて屋敷を出る。で、後で組みなおすわけか。で、動画を撮って脅迫メールを送ると。あの動画がまたいやらしいよな。ジュディを脅すための動画にみせて、実はウォルターが動く、つまり無事だってことを無意識にアピールしてたわけだよな。いやあ、頭いいぜ」
無邪気に感心するボブに、俺はこの先一緒に組んでいくことに不安を覚える。
「まあ、動いているのを見れば、一度ばらしたって選択肢は無意識のうちに消えるからな。しかし、バラしたものを戻して動かすんだから、本当にあのホワイトとかいう奴の腕はいいみたいだ」
「案外、ウォルターもあのままジュディの手から離れていた方が幸せだったんじゃないか? 広いとはいえ、部屋でずっと動かず、ただ観賞品みたいに扱われるよりかはよ」
その指摘は、あながち無茶とも言えない。
「ロイはツーリングが趣味らしいしな。確かに、バイクとしての正しい生はそっちの方が全うできるか」
そこまで言ってから俺は笑って、
「まあ、あんな馬鹿でかい年代物のバイク、ジュディに乗りこなせと言っても無理があるだろ。観賞品にしたのも仕方ないさ」
資料で見たあのバイクにジュディが跨って颯爽と走っているのを思い浮かべただけで笑ってしまう。
「ふふん、俺より歳食ってて、俺よりもでかいんだ。そりゃ、あんな奴に乗りこなせるわけない」
何故か自慢げなロブ。
車は、ようやく俺達の事務所のある雑多な街へと入る。
「さあて、やっと事務所に帰ってピザでもつまめる。まったく、理解できない奴の相手は疲れた」
腹でも減っているのか、ロブは腹をさする。
「ジュディのことか? 確かに、趣味の悪い金持ちではあったな」
俺が相槌を打つと、
「それもだけど、バイクに名前付けてウォルターちゃんなんて可愛がってるのが意味不明だよ。無機物だぜ? ペットじゃあるまいし、本当に理解できない」
「……はは」
何と言っていいか分からず、誤魔化すように思わず笑ってしまう。
「何がおかしいんだよ?」
「いや、思い出し笑いだ。あんなでかい、無骨なバイクを猫なで声でウォルターちゃん呼ばわりしてるジュディを思い出してな」
ちょっと慌てて言い訳する。
「よく笑えるな。俺にとっちゃ悪夢だぜ。今夜夢に出るかもな」
まだ半笑いの俺とげんなりしたロブを乗せて、車は俺達の事務所の入っているボロマンションの駐車場に停まる。
「よっしゃ、報告書だけ書いてさっさと帰るぞ」
ドアを開けずに飛び越えると、そのまま鞠が弾むような足取りでロブはマンションの出入り口に向かう。
動けるデブだ。そういうオープンカーの降り方ってスマートなイケメン以外しちゃいけないんじゃなかったのか。
ここまで軽やかな動きをするロブを初めて見た俺は、しばらく呆然とその弾む後姿を見送る。
やがてその後姿がマンションに入り、ばたばたと階段を上がる足音を聞きながら、俺はゆっくりと体を車のシートに戻す。
ゆっくりと辺りを見回す。寂れた駐車場の周辺には、人の気配はしない。
それを確かめてから、俺は優しくハンドルを撫でる。
「……いつも悪いな、ジャック。あんな重い奴を乗せてもらって」
いつものように囁くように語り掛ける。俺の大事な赤いオープンカーに。
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