嘘吐きたちの末路:後篇
健介の話がどうしても気になってしまった僕は、恵利佳にメールで、今から電話できるかどうかを尋ねた。
すると、すぐに「いいよ」と返信が来たため、僕は恵利佳に電話をかけた。
「もしもし。こんな遅くにごめんね、恵利佳」
『ううん、大丈夫だよ。どうしたの?』
「恵利佳にさ、一つ聞きたいことがあって」
『なになに?』
興味ありげな声で恵利佳が尋ねてくる。僕は言葉を一旦区切ると、「健介が教えてくれたんだけどさ、恵利佳って霊感に似たなにかの力を持ってるの?」と尋ねた。
数秒の間があく。
「恵利佳?」
『……リョウには話したくなかったんだけどなぁ。でも、隠し事はよくないからね。うん、健介くんの言ったとおり。私にもね、力があるの』
意外とあっさり、恵利佳は認めた。
『あんまりいい力じゃないの。だからね、本当は話したくないんだけど……聞く?』
「うん、聞くよ」
『そっか。じゃあ、教えるね。私の持っている力は――』
――人の死を視る力なの。
【嘘吐きたちの末路】
「人の死を視る?」
僕は恵利佳の言葉を繰り返すように尋ねた。
『そう。私はね、幼い頃から《いつ、誰が、どのように死ぬのか》を視る力を持っているの』
「それって、自分のも視えるの?」
『多分、視れるんじゃないかな……。分からないけど』
それを聞きながら、僕は、どうして健介は恵利佳が力を持っていることを教えてきたんだろう、と考えた。何かの役に立つと考えたのか、教えておいた方がいいと考えたのか……。
『ねぇ……リョウ?』
僕が黙って考えていると、恵利佳が心配そうに声を漏らした。
「ん?」
『リョウは、私がこんな力を持ってるって分かっても嫌わない?』
「あはは、嫌わないよ。恵利佳は恵利佳。そうでしょう?」
『うん! ……えへへ、ありがと』
安心したような恵利佳の声を聞いて、僕の心は和らいだ。そのせいか、急に眠たくなってきた。
「ごめん、恵利佳。……ちょっと、眠くなって、きた」
『おぉ、リョウの寝ぼけ声! 可愛いなぁ』
「可愛くないって……僕からかけておいてなんだけど、ごめん。本当に眠いから、もう、切って大丈夫?」
『どうしようかなぁ』
「え、えりかぁ……」
『へへ、冗談だよ。おやすみね、リョウ』
楽しそうに弾んだ恵利佳の声。僕は眠たさを耐えながら「おやすみ」と返すと、電話を切った。
〈12〉
次の日の朝。
通学路途中の公園で恵利佳と合流すると、久々に僕らは並んで歩いた。
「こうやって横並びに歩くと、やっぱり恋人だなぁって気分になれるね!」
「そうだね。たまにはこうやって歩くのもいいか」
「たまにじゃやだなぁ。毎日こうやって歩くのがいい!」
「恵利佳が大人しくするなら考えなくもない」
「いじわるぅ」
昨日、嘘のように最悪な現実を知ってしまったのに、僕は今とても幸せな時間を過ごしていた。
しばらくの間、普通の恋人のように、まあいちゃつきながら歩いていると、恵利佳が言った。
「昨日、電話でリョウの質問に答えたんだからさ、今日はリョウが私の質問に答える番ね!」
「内容にもよるかな」
「えぇ。ずるい!」
横から軽くパンチをしてくる。
「私はちゃんと答えたのに!」
「ごめんごめん! 分かった、答えるよ」
「それでいい」
「で、質問って?」
尋ねると、恵利佳は「昨日の成果を教えて!」と言った。
「それかぁ……。恵利佳にはあんまり話したくないんだけど、聞く?」
昨日の恵利佳を真似てみた。
本当に話したくない内容ではあるが。
「聞く!」
「本当に?」
「聞く!」
「……」
「聞く!」
「分かったよ」
何を言っても聞いてくるだろうな、と思った僕は、仕方なく昨日の成果の一部を恵利佳に教えた。
話を聞き終えた恵利佳は、
「そんなことが今起きてるんだ……。それで、リョウは止めにいくの?」
「うん。明日行こうと思ってる」
「明日?」
「休日だからね。……それに、なんか怖くてさ。ちゃんと気合を入れてから行こうと思って」
僕が言うと、恵利佳はふんふんと頷いて「私も行く!」と言った。
「恵利佳も? 危ないよ」
「大丈夫だよ。それに、その方がリョウも安心でしょ?」
確かに、恵利佳の言う通りでもあるが……。
「ね、いいでしょ?」
「いや……でもなぁ」
「ね?」
「はあ。うん、分かったよ」
恵利佳の言葉に押されるように、僕は頷いた。
〈13〉
学校に着き、教室へ向かうと、健介に会った。
「よっす、良哉!」
「おはよう、健介」
昨日、うちにいるときはとても真面目な顔をしていた健介だったが、どうやらすぐに調子を取り戻したようで、今はいつも通りの明るい健介がそこにいた。
「教室は平和だな。昨日判明したようなことが本当に起きているなんて、ここからじゃ想像もできねえよ」
「だね」
「実際のところ起きていなかったりしてな」
「だといいね」
教室の中に入り、机と机の合間を縫って自分の席に向かう。
目の前の席には、すでに登校していた佳苗さんの姿がある。……もしこの人が本当に入れ替わりだとしたら、話した時点で僕も終わりだ。
だが、人を巻き込むつもりはないのか、佳苗さんはそこで大人しくしているだけで、後ろにいる僕に話しかけてくる様子はなかった。
やがて数分が経ち、チャイムが鳴った。教室内に神楽先生が入ってくる。
先生も僕と健介の推測からすると、すでに入れ替わりであるはずだ。先生と言う立場もあってか、僕ら生徒からすればよく話しかける相手でもある。これは厄介だ。
神楽先生は、いつものように教卓に手をつきながら教室内を見回すと、教卓前の席に着いているクラスメートの一人に尋ねた。
「英治はまだ来ていないのか?」
英治とは、昨日、登校してきた佳苗さんに真っ先に絡んだ男子のことだ。ただ単に風邪を引いて休んだ、と言うこともあり得るが、入れ替わりのターゲットにされている可能性が一番高いやつでもあるため、彼の身に何かがあったと考える方がこの場合は妥当かもしれない。
「はい、来ていません」
教卓前にいるクラスメートは答えた。
それを聞いた先生は、
「そうか」
一言つぶやき頷いてみせた。
〈14〉
今日の授業はいつも以上に厳しかった。
いつもなら、短くまとめた教科書の内容を黒板に書いて説明するだけの先生も、今日だけはなぜか問題を書き続け、その解答を名指しでクラスメートに求めた。
僕と健介、またその他数名は当てられなかったが、今日だけでもクラスメートの半分以上が入れ替わりのターゲットとなったはずだ。
放課後になって帰る支度をしていると、健介が近づいてきた。
「こりゃぁ、本当に不味い状況になったな」
「うん。……どうして、今日に限ってこんなことになったのかな?」
「さてね――」
ぶっきらぼうに健介は答える。
「――けど、俺たちが呪いに勘付いたせいで、入れ替わり共が焦っているって感じはあるな」
「そうなのかなぁ。それだったらさ、僕と健介を狙えばいいだけの話だよね。何も他の人を狙わなくてもいいと思うんだけど」
「それなんだよな。考えられるとしたら、何かを恐れているのか、他の狙いがあるか、だ。如何せん、今回のことに関しては謎が多すぎる。悩んでも仕方がないさ」
健介でも分からないとなると、僕がいくら頭を悩ませたところで良い答えは出ないだろう。
正直に言って、諦めるしかなかった。
「そういえば良哉、お前、この呪いを止めに行くのか?」
「うん、そうするつもりだよ」
「そうか。いつ行くつもりなんだ?」
「今からいくつもりだよ」
僕が答えると、健介は何度か頷いた。
「そうか……まあ、早い方がいいからな」
「うん。健介はどうする?」
「俺は悪いがパスだ。ちょいとやることがあってな。――気を付けて行ってこいよ」
「おう」
僕は健介と拳をぶつけ合った。
――Another StoryⅥ――
これから呪いを止めに行こうと考えている良哉が、まだ校内にいる頃、下校中の生徒の数名がすでに入れ替わりとなっていた。
〝な、なんだよお前! 来るなよ!〟〝なんであたしがもう一人いるの?〟〝誰か助けてくれ!〟〝やめろ! なにするつもりだ!〟
色んな場所で助けを求める声が上がり、やがてそれが悲鳴に変わり、消えていく。
真っ赤な液体が地面を染め上げ、倒れた人間の体と共に消えていく。
そんな非現実的な出来事が、今の加賀見市では普通に起こり、次から次へと入れ替わりの数を増やしていった。
〈15〉
廊下に出ると、どこからか神楽先生の声がした。誰かと話をしているようだ。
「まだターゲットが増えるのか……。早く止めに行かないと、本当に不味いぞ」
廊下を小走りで駆けながら、自分に言い聞かせる。
このままでは、学校にいる人間の全てが入れ替わりになりかねない。
下駄箱に着き、急いで靴に履きかえると、恵利佳が近くにいないことを確認して、僕は加賀見神社へと向かった。
――Another StoryⅦ――
少女Cは、自分以外に誰も残っていない教室内で、少し遅めの帰り支度をしていた。
突然目の前に現れた神楽先生に用事を頼まれたせいで、一人帰るのが遅くなってしまったのだ。
〝忘れ物は……なし。ふぅ、帰ろう〟
疲れたように呟いた少女Cが教室を出ようとすると、誰も残っていないはずの教室内から自分以外の誰かの気配がした。
〝あぁ、やっぱり来ちゃったか〟
そう呟いて、ゆっくりと視線を動かすが、誰もいない。
なんだ気のせいか、と思い、今度こそ教室を出ようとした瞬間、何者かの両手が少女Cの首を掴み、後ろへ強く引いた。
背中から床に倒れこむ。
重たい音が教室内に響いた。
少女Cが背中と後頭部を強打して痛がっていると、少女の体の上に何者かが乗っかった。
〝やっぱり殺しに来たんだね。……この死を視る力もまだまだ廃れてないなぁ〟
勝ち誇ったように、少女Cは呟く。だが、声は震えていた。
〝それにしても、本当に呪いが起きてたんだ……まさか、私自身が私を殺しに来るなんて思いもしなかったけど〟
そこにいたのは、明らかに少女C自身だった。
〝ああ、ここで終わりか……。もっとリョウといたかったけど。仕方ないか〟
同じ顔をした同じ体格の人物が、倒れている少女Cの首を強く締め付ける。
〝うっ……あぁ〟
少女Cはもがき苦しんだ。
やがて、薄れゆく意識に溶け込むように苦しさは消えていき、呼吸を止めた。
〝はぁはぁ……〟
新たに少女Cとなった入れ替わりは、疲れたように小刻みな呼吸をする。何度も何度も呼吸を繰り返して落ち着いてくると、ゆっくりと立ち上がった。
その時だった。
入れ替わりの少女Cの脳内に様々な情報や記憶が流れ込んだ。……数十年かけて作り上げられた大事な思い出の数々だ。
悪意に染まっていた入れ替わりの少女Cが良心に染め上げられた。
数秒、数分の静寂の時間が流れる。
入れ替わりの少女Cは言葉を漏らした。
〝違うの……こんなことしたかったわけじゃないの……〟
ゆっくりと、自分がしてしまったことを悔いながら、一人呟く。
〝大事な思い出を消したかったわけじゃないの……使命、だったんだ……〟
涙が出てきた。
〝殺した後じゃないと……その人との記憶の共有ができないから……こんなに大事な思い出を、日常を壊すことになるなんて思わなかったの〟
涙の粒が、眠っているように静かな本物の少女Cの上に零れ落ちる。
〝ごめんなさい……本当にごめんなさいっ〟
入れ替わりの少女Cは広げた両手で顔を覆いながら、何度も何度もしゃくりあげた。
〝私がっ……あの時みたいに絶対に守るから!〟
涙で濡れた顔を拭いた入れ替わりの少女Cは、教室を飛び出した。
教室内に残された本物の少女Cの体は、床に溶け込むように消えた。
〈16〉
学校から三キロメートル近く離れている加賀見神社に、半ば駆け足で向かっていると、遠くから自分の名を呼ぶ声がした。
「おぉい! リョウ~!」
この声は恵利佳だ。
まさかと思い、足を止めて後ろを向くと、遠くで手を振りながら恵利佳が走ってきていた。どうやら「明日呪いを止めに行く」という嘘がバレたようだ。
仕方がなく立ち止まったまま待っていると、恵利佳は僕のすぐ手前まで来て走るのを止めた。
「もう、置いていくなんて酷いじゃん!」
「ごめんよ。だけど、危険な目に遭わせたくなかったんだよ」
「それは私だって同じだよ。リョウには危険な目に遭ってほしくない」
言われて僕は、「ごめん」と返した。
「でも、私のことを心配してくれたんだよね。ありがと。けどね、嘘はやめてほしいかな……さすがに困っちゃうよ」
「うん、悪かったと思ってる。……それにしても、よく気が付いたね」
「えへへ。まぁ、女の勘ってやつかなぁ」
凄いでしょ? とでも言うように、恵利佳は笑ってみせた。
「恵利佳には敵わないね」
「へへ、女だからって侮ったらダメだよ! それじゃあ、呪いを止めにレッツらゴー!」
楽しそうに腕を振り上げた恵利佳は、左側から僕を押しのけて前へ出ようとした。僕がそれを止めると、恵利佳は後ろから何度も軽いパンチをしてきた。
それがなんだか可笑しくて、とても幸せだった。
〈17〉
数十分かけて加賀見神社に着くと、僕と恵利佳は祠を探した。そして、「なんだよ、これ」と呆れと驚きの声を漏らした。
祠をクラスメートや知らない人たちが、大勢で取り囲んでいたのだ。そして、その集団から少し離れた場所に、神楽先生が立っていた。
「やはり来たようだな、井上良哉。待っていて正解だったよ」
ゲームで言うところのボス的立ち位置なのか、神楽先生は、柔和な笑みを浮かべながら言ってきた。
「我々の情報伝達力と言うのはとても早くてね……キミが何を知り、いつここへ来ようとしているのか、すぐに分かったよ」
僕が何も聞いていないのに先生は話し始めた。
「けれど、その情報の伝達というものは入れ替わりとなった者の間でしか行えない。……この言葉が何を意味しているのか、キミに分かるかね?」
「さぁ、分かりません」
ここまで来れば、もう怖さなどなかった。僕は先生の質問に自分の言葉を返した。
「強がっているようだな。だが、その強がりもどこまで続くかな?」
先生がおどけたように言うと、集団の中から誰かが出てきた。……その人物を見た瞬間、僕は息を飲んだ。
「えっ。まさか――健介!」
「あっはっは! 驚いただろう?」
先生が大笑いする。
「お前の友人健介はなぁ、早くに入れ替わりとなって、ずっとお前を見張っていたんだよ。どっかの裏切り者が井上の弟なんかにヒントを与えなければ、こんなこともせずに済んだのだがな。……まぁ、気付かれてしまったからにはもう遅かった。仕方がなく、健介に全ての真実を告げさせ、ここまでお前を誘導してきたわけだ」
信じられなかった。信じたくもなかった。
「絶望しているな? それでいいんだ。その顔をみるために、お前をここまで誘い出したんだからなぁ。だが、まだ終わらせないぞ」
先生が言うと、再び集団の中に動きがあった。
次に出てきたのは……本当に最悪で絶望的だった。
「母さん……敦哉……」
多分、健介と話したせいでターゲットにされたのだろう。父さんが出てこなかったことだけが、唯一の救いだった。
「お前が真実を知ろうとしなければ、こんなことにはならなかったんだぞ? 自分の家族まで巻き込んで、胸が苦しいだろう。だが――」
先生は言葉を一旦区切ると言った。
「だが、これからも家族と仲良く暮らす手段がある」
「え……」
「それはな、鏡と人型をこのままにしておくことだ。そうすれば、我々は消えず、お前はこのままずっと幸せに暮らせる」
「そんな言葉を信じたらだめ!」
そこで、ずっと黙っていた恵利佳が叫んだ。
「あいつらはリョウを騙して生き残ろうとしているだけ! 信じたらきっと後悔する!」
「うるさいぞ! 決めるのは井上、お前自身だ。このまま引き下がれば幸せな毎日が送れる。だが、嫌だと言えば、もっと絶望に陥れてやるぞ」
「そんな脅迫聞いたらダメ!」
「黙っていろ! さぁ、井上決めるんだ!」
頭が痛くなってきた。
僕はどうすればいい? このまま何もせずに帰るのか、ここで全てを終わらせるのか。……分からない。答えなんて分からない。
だから僕は――。
「恵利佳の言うとおりにするよ。お前らの言葉なんて信じない」
「それが答えか。あっはっは、馬鹿なやつだ。……ここで帰っていれば、こんなことを知らなくても済んだのにな――」
先生は、人差し指を恵利佳に向けて言った。
「――お前の彼女も入れ替わりの人間だ」
「そんなの……」
「嘘だと思うか? 残念ながら本当のことだ。そうだなぁ、ここで良いことを教えてやろう。入れ替わりの人間の簡単な見分け方だ」
恵利佳に人差し指を向けたまま、
「入れ替わりは何かしら反対になっているんだ。性格、動き、ホクロの位置とかな。何かが必ず反対になっている。思い出してみろ、ここに来るまでの間で何か違和感がなかったか?」
考えるんじゃない、と自分に言い聞かせたが、僕は頭の中で恵利佳の言動などを思い返していた。
「僕の前へ出ようとするとき……いつもは右から押しのけてくるのに、今日だけは左からだった」
「ご名答!」
嬉しそうに先生は叫んだ。
恵利佳に顔を向ける。彼女は唇を震わせていた。
「恵利佳……?」
「ごめん、なさい。リョウに会いにくる少し前に……私が、あなたの、本当の彼女を――殺して入れ替わったの」
「あっはっは! 残酷な真実だことだ。だが、彼女を許してやってはくれないか。彼女は我々と違って善良な心の持ち主だ。キミを守りたい一心でここまで来たのだろう。まあ、キミの本当の彼女を殺してからだがな! あっはっはっはっは!」
先生が高笑いを始めたのと同時に、祠を囲んでいる入れ替わりの集団も高笑いしだした。
もう何もかもがどうでもよくなってきた。……失うものは全て失ったのだ。……もう、どうでも、
「リョウ、危ない!」
軽く項垂れていると、後ろで恵利佳が叫んだ声がして、それから鈍い音がした。
反射的に振り返ると、そこには誰もいなかった。だが、少しだけ視線を下げてみると、足元には恵利佳と僕がいた。
もう一人の僕は、手に鈍器を握って倒れこんでいる。その近くでは、頭から血を流す恵利佳の姿。
「え、恵利佳! どうして……どうしてこんなっ!」
思わず叫んだ。すると恵利佳は、息の切れそうな声で、
「だって、あなたの、本当の彼女さんに、約束、したから」
「約束?」
「うん、あなたのことを、あの時みたいに、絶対に、守ってみせるって……」
「あの時みたいに? え?」
恵利佳は答える。
「三年前の、事故。あれはね、本当はね、あなたが轢かれるはずだった」
「な、何を言ってるんだ?」
「死を視る力……。恵利佳さんが、あなたの代わりになった」
「……!」
「私は、偽物だけど、心だけは共有してるから。全部わかる。あなたを守りたいって気持ちも」
「……」
「えへ、へ。ちょっとでも、本物の恵利佳さんみたいに、なれた、かな?」
それを聞いて、僕の中で何かが吹っ切れた。
倒れこんでいるもう一人の僕の手から鈍器を奪うと、僕は叫びながら集団の方へと走って行く。
「そこをどけえぇぇぇぇっ!」
がむしゃらに鈍器を振り回し、集団の中でもみくちゃにされながら、祠を目指す。時々、鈍い音がして顔や体に何かが飛び散ったが、それでも気にせず、僕は走った。
目の前に祠が現れる。
念のためとしてなのか、祠の戸は施錠されている。だが、それを鈍器で壊すと、僕は中に置かれていた鏡を手に取った。
僕と祠を取り囲んでいた集団がざっと離れる。
「おい、やめろ!」「落ち着くんだ」「それを祠に戻せ!」「後悔することになるぞ!」
入れ替わり共は叫んだ。でも、気にしない。
僕は倒れている恵利佳を見た。……その口が「ばいばい」と動いた気がした。
…………。
手の平に鏡を乗せて、鈍器で叩き割った。
すると、火元もないのに人型が燃えだし、どこからか静かな声が聞こえてきた。
《鏡守れぬ者どもよ、体焼かれて死へ向かう》
言葉の終わりと共に、今度は入れ替わりの体が燃え始める。
苦しそうな叫びが聞こえ、まるで、地獄絵図を生で見ているようだった。
再び恵利佳に向くと、彼女の体も燃えていた。だが、すでに息を引き取っていたようで、叫び声は聞こえなかった。
それは、神が僕に与えた、唯一の情けのように感じた。
――Past Story――
もっと話がしたいと駄々をこねる恵利佳に、公園で一時間近く会話をさせられた良哉は、時計を見て「もう遅いし、そろそろ帰ろう」と言った。
「えぇ、もう帰るの?」
「家族が心配するからね」
「しないよぉ! もっと話したい!」
「そう言われてもなぁ」
「したいしたい!」
まだ付き合い始めたばかりのため、恵利佳のことをよく分かっていなかった良哉は、困り果てて頭を悩ませた。
「メールじゃだめ?」
「メールはなぁ……電話がいい!」
「え、でんわぁ?」
「むっ……不満そうだね」
「いや、不満じゃないけど……」
「だったら電話がいい!」
付き合った当初から恵利佳は押しが強く、良哉は押しに弱かった。
「分かったよ、電話にする」
「やったぁ!」
「その代り、三十分だけね?」
「一時間!」
「いいや、三十分!」
「一時間!」
「いいや……」
「一時間!」
「分かったよ……」
まるでコントのような会話をしながら、良哉と恵利佳はベンチから腰を上げた。
「じゃあ、またね。リョウ」
「うん。ばいばい、恵利佳」
「あぁ!」
「え、なに?」
恵利佳が怒ったように声を上げたため、良哉は驚いて尋ねた。
「『ばいばい』って言葉、禁止!」
「嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど……なんか、ずっと離れちゃう感じがする言葉だから、嫌」
「じゃあ、どうすれば……」
「『またね』がいい! これだったら、また会える感じがあるでしょう?」
「そうかな?」
「そうなの!」
「じゃあ、またね」
「うん! またね」
三年前の、遠い昔のような記憶。
〈18〉
家に帰ると、誰もいなかった。
父はまだ仕事だからいなくても仕方がないのだが、母と敦哉がいないのは、とても違和感がある。
僕は今更ながらに、本当にこれで良かったのだろうか、と考え始めていた。
どれだけ考えたところで、もうどうしようもないことは理解しているし、答えが出ないことも分かっている。
それでも考えてしまう。
本当にこれで良かったのかな、と。
部屋に入って、布団の上に寝転がる。
それから、ゆっくりと目を閉じてみた。暗闇になり、僕は落ち着かず、恵利佳を呼んだ。
恵利佳、僕は間違っていたのかな。
恵利佳、僕は分からないよ。
恵利佳、キミはどこへ行ったんだい。
分からない。
僕はゆっくりと目を開けた。そして、いつの間にやら泣いていることに気が付いた。
再び目を閉じる。今度は、三年前の、遠い昔のような記憶がよみがえった。――そういえば、僕は返し忘れていたね。
「ばいばい、恵利佳」
あと数時間もすれば、加賀見市から多くの人が消えたとニュースになるだろう。人々は何と言う? 神隠しかな。まぁ、どうでもいい。
多分、真実を知る者は、僕だけだろうから。
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