嘘吐きたちの末路:前篇
Author:藍郷田ゆか
夢の中で、二年前の懐かしくて嫌な記憶が蘇った。
付き合い始めたばかりの彼女が、僕の目の前で、信号無視の車に轢き飛ばされるという記憶だ。
打ち所が悪くなかったおかげで、彼女は軽傷で済み、今でも元気に過ごしているが、後ろから見ていた僕からすればトラウマでしかなかった。
大袈裟な表現かもしれないけれど、事故が起きる瞬間をこの目で見たことがなければ体験したこともなかった僕にとって、あの時だけは日常から切り離された気分だった。
恐怖に体が硬直し、声も出せなかった。
…………。
けど、これから起きることを思えば、それはほんの些細な出来事に過ぎなかった。
設定したアラームによって夢から強制退場させられ、カーテンの隙間から差し込む陽の光を手で遮る、といういつも通りの朝の始まりが、とても幸せなものだったと気付かされる程に――。
〈1〉
加賀見市で暮らして早十六年。
中学三年の頃から付き合っている彼女と、同じ高校に入学をし、今年、二年に進級をした。
クラスは違うけれど、登下校は一緒だし、休日はよく遊んだりしてそれなりに楽しくて幸せな毎日を送っている。
この日も、待ち合わせ場所である通学路途中の公園から、僕を先頭にして高校へと歩いて向かう。元気の良い彼女は、時折僕を右側から押しのけて前へ出ようとするが、事故を見たトラウマから極度の心配性になってしまった僕は、歩きながら何度もそれを止めた。
「うあぁ。いつもいつもリョウの背中だけ見てるの、つまんない! たまには、前に行きたい!」
後ろから軽く背中をパンチしてきながら、彼女が喚くように言った。
ちなみに「リョウ」と言うのは僕の呼び名だ。本名は井上良哉。大して難しくもない、普通の中の普通とも言える名前だ。
僕は、彼女である大野恵利佳に返した。
「恵利佳を前にすると、すぐ、どこかに行って危ないからね。この順番が一番安全で良いと思うよ」
「この過保護! どこかに行ったりなんてしないよぉ!」
「本当に?」
「もちろん」
「じゃあ、いいよ」
「やったぁ!」
確かに背中ばかりを見て歩くのは厭きるだろう。そう考えて、前後をを交代した――。
「やっぱり前は視界が開けて楽しいなぁ。……あ、子犬だ!」
直後に、恵利佳は道の先にいる子犬を見つけて、駆け出した。
元気なのは良いことだと思うけれど、やっぱり危なっかしくて仕方がない。……それとも、僕のことをからかっているのだろうか?
〈2〉
子犬を愛で終えた恵利佳に言って、歩く順番を元に戻すと、僕は背中を軽くパンチされ続けながら、高校へと繋がる道を真っ直ぐに歩いた。
「おいおい、今日も見せつけてくれるなあ」
「やぁい、バカップル~」
時折、隣を通りかかるクラスメートに茶化されながら、僕と恵利佳は登校完了時間の十五分前に校舎内に入った。
下駄箱で靴からスリッパに履き変えて、お互い、自分の教室へと向かう。とは言っても、隣同士の教室であるため、廊下で再び会うこととなるのだが。
「じゃあ、また帰りにね!」
「うん、またね」
教室の出入り口前で言葉を交わすと、僕は二年三組に入った。
教室内には、すでに半数ほどのクラスメートがおり、本を読んだり、忘れていた宿題を慌てて済ませたり、友人と談笑したり、とチャイムが鳴るまでの時間を思い思いに過ごしていた。
「よっす、良哉!」
「ああ、おはよう。健介」
机と机の合間を縫って、窓際後ろから二番目の席に着くと、友人の小野健介が横から声をかけてきた。
軽く挨拶を返すと、健介は、にこにことしながら尋ねてきた。
「なぁなぁ知ってるか?」
「ん、何を?」
「今日の俺の運勢!」
いや、知るはずがない。
「分かんないや。どうだったの?」
「星座占いトップ一位で、恋愛運最高だって! ついに俺にも春到来かっ!?」
「あはは……到来するといいね」
あまりの威勢の良さに、思わず苦笑いで返してしまう。
健介は、この高校に入学をして初めてできた友人だ。出席番号が近いことをきっかけに話をするようになり、今では一番の友人とも言える仲だ。
会話から読み取れるように、健介は明るい性格をしている。そして、自称「霊感の強い男」でもある。
「くぅ、青春の真っ只中の良哉の言葉には、焦りがないねぇ。泣けるぜ」
「あはは、健介にもそのうち春がくるさ」
「そのうちって言いやがったなぁ!」
「ごめんごめん、今日到来するさ」
「うぐっ……その言い直しが、心に突き刺さる」
大袈裟におどけてみせる健介と談笑していると、目の前の席に着いているクラスメートの女子が、勢いをつけて椅子から腰を上げた。
――Another StoryⅠ――
〝ねぇ、本当にこんなことして大丈夫なの?〟
〝大丈夫だって! 心配し過ぎだよ。カガミの呪いだっけ? あんなの迷信に決まってるじゃん〟
〝迷信だって思うなら、やらなくてもいいんじゃないかなぁ……。ここも気味悪いし……もう、帰ろうよ〟
〝気味悪い場所って、なんだかそれだけで楽しくならない? それにさ、迷信だって分かっていても、こういうのって試したくなるでしょ?〟
〝わたしはそうは思わないけど……〟
〝はぁ、つれないなぁ〟
少女Aは呆れたように首を振った。
〝つれないって言われてもなぁ。わたしは、元から怖いの苦手だったし……〟
〝でも、せっかくここまで来たんだから、やってから帰ろうよ! 時間もかからないんだしさ!〟
〝――はぁ。分かったよ。けど、どうなっても知らないからね?〟
〝リョーカイリョーカイ!〟
学生服姿の少女二人は、祠に向くと、観音開きの戸に手をかけてゆっくりと開いた。
少女Aが祠の中に置かれている物を手に取り、ポケットから取り出したハンカチで汚れを拭き取る。それから取り出した物を再び祠の中に戻すと、ハンカチを右ポケットに仕舞い、代わりに人型の紙を二枚取り出した。
〝本物一人、嘘吐き一人。消えるは嘘吐き、死を受けよ。残るは本物、カガミを守れ〟
少女Aは言い終わると、二枚ある人型のうち一枚を握りつぶし、残った一枚を祠の中に入れた。
〝……〟
〝……〟
数秒の静寂がおとずれ、すぐに少女Aが笑い声をあげた。
〝あははははは! やっぱりなにも起きない! なんだぁ、結構楽しみにしてたんだけどなぁ〟
〝はぁ。心臓に悪すぎるよ……〟
〝臆病だなぁ。ま、そこが可愛いんだけど!〟
〝冗談はいいから、もう、帰ろう?〟
〝はいはい。帰ろうねえ〟
楽しそうに笑っている少女Aと、疲れたように項垂れている少女Bが立ち上がる。
帰途に就こうと、二人が前に一歩進んだ――瞬間、「うごぇっ」と、少女Aが奇妙な声を出した。
〝えっ。な、なに⁉〟
少女Bは、奇妙な声に驚き、友人に向いた。そして、彼女と目が合った。
〝なに、なんなの……。やだ……いやだよ〟
彼女を見てしまった少女Bは、恐怖に声を震わせながら一歩ずつ後ずさると、逃げ出したい気持ちを抑えきれず、友人を置いて走り去ってしまった。
一人取り残された少女Aは、彼女に首を絞められながら、かすれた声で〝カ……ナ……たすけて〟と友人の名を呼び、助けを求めた――。
〈3〉
目の前で勢いよく立ち上がったクラスメートの女子、飯島佳苗さんは、体調が悪いのか、それとも、うるさい僕と健介に怒ったのか、体を震わせていた。
他のクラスメートはあまり気にしていないようだけれど、目の前の彼女が今、普通の状態でないことは見てとれた。
「ねぇ、健介。なんか、佳苗さんの様子が変じゃ――。健介?」
声をかけながら横を向くと、健介は教室の前扉あたりをじっと見ていた。
「健介、どうかしたの?」
「ん? ……あ、ああ。いや、なんでもないぜ!」
「本当に?」
「ああ、本当さ! それよりも、良哉はどうかしたのか?」
「そうそう。なんかさ、佳苗さんの様子がおかしくない?」
僕が尋ねると、健介は、そこで初めて気が付いたように「本当だ。なんか変だな」と呟いた。
「だろ?」
「ああ。それに、何か言ってるぞ」
「へ?」
僕には聞こえないから、多分小さな声で言っているのだろう。
もしも怒っているのなら謝っておいた方がよさそうだと思い、僕は立ち上がった。
「……違う。……じゃ……ない」
確かに何かを言っているようで、ぼそぼそと声が聞こえてくる。
盗み聞きをするつもりはなかったけれど、さすがに何を言っているのか気になってしまい、僕は耳を傾けた。
「わたしは違う。嘘吐きじゃない。わたしは違う、嘘吐きじゃない。わたしは違う。嘘吐きじゃない。わたしは違う。嘘吐きじゃない。わたしは違う。嘘吐きじゃない。わたしは違う、嘘吐きじゃない。わたしは違う。嘘吐きじゃない。わたしは違う。嘘吐きじゃない。……」
壊れたラジカセのように、何度も何度も、佳苗さんは同じ言葉を繰り返していた。
これを聞いてしまうと、佳苗さんの様子が完全におかしくなってしまっていることは、嫌でも理解できる。……一体、何があったんだ?
怒っただけでこんなにおかしくなるとは思えない。だとしたら他に原因があるはずだけれど、普段佳苗さんと話をしない僕には、分かるはずもなかった。
頭を悩ませていると、視界の隅に、佳苗さんに近づいてくる一人の少女の姿が映った。あれは、三波さんだ。
「カナ、どうかしたの?」
どうやら三波さんも、佳苗さんの様子がおかしいことに気が付いたようだ。
「ねぇ、なんか様子が変だよ……?」
そう言いながら、三波さんが佳苗さんの肩に手を置いた瞬間、佳苗さんは豹変した。
「やめろっ! 触るなあぁぁぁぁぁぁぁ‼」
「えっ⁉」
猛獣が雄叫んだような、声。
三波さんは驚いたように後ずさり、佳苗さんは怒りをぶつけるように叫ぶ。
「なんでここに来た! お前はここに来るべき存在じゃない!」
「カ……カナ?」
「それとも、わたしを呪いに来たのか……? 呪って消しにきたのか!」
「な、なにを言ってるの?」
「そうなんだろ! 呪いに来たんだろ! 嘘吐きじゃないわたしも、三波と同じように消すつもりなんだろ!」
「三波はあたしだよ? ねぇ、どうしちゃったの……」
「お前は三波じゃない! お前は偽物だ! 三波のふりをして、わたしを消しに来たんだ! 分かってるんだよ!」
突然始まった、一方的な口喧嘩のような何か。
ここまでくれば、クラスメートも気付かないわけがなかった。教室内を見回すと、クラスメートのほぼ全員が三波さんと佳苗さんを見ていた。気が付けば、他のクラスの連中も、廊下から覗き見ている。
それでも、周りが見えていないのか、佳苗さんは叫んだ。
「わたしはまだ消えたくない! なんで、こんなことにならなきゃいけないんだ! 消えるのはお前の方だ! 早くどこかへ行けえぇ‼」
「おい、なにをしているっ!」
騒ぎを聞きつけたのか、先生が数名、怒鳴りながら教室内に飛び込んできた。
そこでようやく周囲の状況に気が付いたのか、佳苗さんは一瞬黙った。だがすぐに、「わたしはまだ消えたくない!」と一言叫ぶと、教室を飛び出した。
先生の一人が佳苗さんの後を追い、残りの先生は、教室から僕らを出した。
左ポケットから取り出したハンカチで制服を拭いていた三波さんは、そのまま教室内に残された。
――Another StoryⅡ――
少年Aは、その日の朝にクラスで起きたことを思い返していた。
普段はおとなしく、話しかけても笑顔で言葉を返してくれた、飯島香苗の豹変。
飯島に想いを寄せていた少年Aにとって、あの出来事はショックの大きいものだった。
〝どうしちゃったんだろう、飯島さん。……仲の良かった三波さんとも喧嘩して。何か嫌なことでもあったのかな……?〟
心配そうに呟きながら、少年Aは携帯電話を取り出した。連絡帳の中から飯島の連絡先を探す。
〝声でもかけてあげたいけど……〟
道の真ん中で立ち止まり、画面に表示されている飯島の携帯番号を見ながら少年Aはしばらく考え込むと、決心したように通話ボタンを押した。
一定間隔での電子音が流れ、相手が電話に出る音がする。
〝もしもし。飯島さん?〟
〝あ、修平くん? どうかしたの?〟
〝今日のことで心配になってさ、少し声をかけてみようと思って〟
〝心配してくれたの? ありがとう! わたしはもう、大丈夫だよ〟
〝そっか。それは《キーンコーン》良かったよ〟
通話の途中に、ドアホンの音が入り込んだ。
〝あ、ごめんね修平くん。誰かが来たみたい〟
〝そうみたいだね。じゃあ、電話を切るよ〟
〝うん。本当にありがとうね! じゃあ、またね!〟
〝うん〟
通話を終了させた。
少年Aが思っていたよりも飯島は元気だった。そのことが嬉しくて、良かった良かった、と少年Aが感じていると――途端に頭に激しい打撃をうけ、地面に向かって倒れこんだ。
〈4〉
佳苗さんの騒動によって一時限目が潰れたが、二時限目からは普段通りの授業が行われた。
結局、先生たちは佳苗さんをつかまえることができず、三波さんも「何があったのか分からない」の一点張りで、全てが謎のまま、下校時間となった。
担任の先生はこれから飯島宅へと向かって、本人から何があったのかを聞き出すつもりでいるらしいけど、無駄足に終わりそうだな、と特に理由もなく感じていた。
「あぁ、占いは大外れだったかぁ。出会いがなければ、あんなもんまで見ちまって、運がいいとも言えないな」
手提げの鞄を手に持ち、帰ろうとすると、前から近づいてきた健介が哀しげに言った。
「言えないね。ま、時間はたっぷりとあるんだし、早くに出会いを求めなくてもいいんじゃないかな」
「はは。そうは言っても、焦っちまうよ」
「大丈夫だって。健介なら、すぐに好い人と付き合えるよ」
僕が言うと、健介は照れたように笑った。
「ありがとな。ま、これでも俺は人を見分ける目だけはいいからさ、最高の彼女をつくってやるよ!」
「あはは。健介が彼女の話をしてくれる日を待っているよ」
「おう! ……あ、そろそろ部活に行くかねえと」
「ああ、それじゃあまた」
「またな!」
教室から出ていく健介の背中を見送る。……さて、僕もそろそろ行かないと。恵利佳を待たせても悪いし。
下駄箱でスリッパから靴に履きかえて外に出ると、恵利佳は校舎前にいた。
「ごめん、恵利佳。健介と話してて少し遅れた」
「待つのも好きだから、大丈夫だよ。それじゃ、帰ろっか!」
恵利佳とともに帰途に就く。
途中の公園までの短い道のりだ。
「そういえば、今日、リョウのクラス大変だったみたいだね」
「ああ、そうなんだよ。恵利佳は隣のクラスだもんね。声、聞こえてたでしょ」
「うん、ほとんど聞こえてた。あんまり気分の良いものじゃないね……。だって、言い合っていた二人は仲が良かったんでしょ?」
僕は頷いた。
佳苗さんと三波さんは、確かに仲が良かった。登下校、休み時間、部活とどの時間も一緒にいるため、一時期は「あの二人は女同士で付き合っている」なんて、百合好きな男子が噂したものだ。
だからこそ、時にはすれ違いもあるのかもしれない。……と思ってはいるのだが、思い返してみると、あれは一方的すぎる上に佳苗さんの言葉の意味が分からない。
考えれば考えるほど、何か違うものが関与していそうな感じもある。けれど、僕に分かるはずもない。
「仲が良い子と喧嘩……私なら、ショックでしばらく学校に行けなさそう」
「恵利佳は性格が明るい代わりに、深く悩む癖があるからね。分からないでもないけど、あの時はちょっと心配になったよ」
「あの時って?」
後ろを歩いている恵利佳が尋ねてきた。姿は見えないが、多分首を傾げているだろう。
「付き合い始めたばかりの頃さ、恵利佳が友達と喧嘩して、数日間音信不通になった時あっただろう?」
「ああ! あったね、あったあった!」
「あの時はどうすればいいのか分からなくて、本当に困らされたよ。恵利佳が友達と仲直りしたお蔭で、また連絡ができるようになったけどさ」
「困ってたんだぁ。それは、悪いことしちゃった」
「あれで困らない人はいないと思うけどね。……しかも、ああいう時の恵利佳は何を考えているかさっぱり分からない」
「えへへへ。悩める乙女なものですから」
そう返してきた恵利佳がなんだか可笑しくて、思わず僕は「何を言ってるんだよ」と笑ってしまった。
しばらく、お互いに口を開かず歩いていると、後ろで恵利佳が「でもね――」と言葉を漏らした。
「でもね――今の私は悩める乙女なんかじゃないよ。リョウがいてくれるお蔭で」
「僕がいるお蔭?」
「うん、リョウのお蔭。中学の時の私はね、人付き合いが下手で、口喧嘩が多かったの。中三の時みたいに酷くはなかったけど、リョウの言った通り、私深く悩んじゃう性格だからさ、度々落ち込んでたんだよね……」
「そういえば、時々口も聞いてくれないことがあったな」
「無視してたわけじゃないんだよ? ただ、頭の中が友達のことでいっぱいになっちゃってて、反応できなかったの」
喧嘩をした後にそうなってしまうのは仕方がないことだろう。
「けど、どうして僕がいるお蔭で、悩める乙女じゃなくなったんだい?」
「それはね、リョウが私のことを大事にしてくれるからだよ。自分が大事にされたことで、人を大事にする大切さを知ったから。前までは、『この人は信用できるか。仲良くすべきか』って考えながら、人と接してた。ずっとずっと悩み続けてた」
「……」
「けど、そんなことで悩むよりも、色んな人と関わって大事にできる方が幸せだって分かった。だから、私はもう悩まないの。――悩める乙女は、卒業したの」
晴れやかに恵利佳は語ってくれたが、僕はあまり晴れやかな気分になれなかった。
恵利佳が僕を通して良い方向へ変わってくれたのは嬉しいけれど、悩むべきところでは悩んでほしいし、人を疑うことだって大事だと思うからだ。けど、これを本人に言うのだけはやめておこう。
恵利佳自身が今のままでいいと言うのなら、それを変える権利は僕にはない。僕にできるのは、ただそばで見守ること。学生である今は、それだけだ。
「なんかしんみりとしちゃった。ごめんね。……さぁて、テンション上げていこう!」
「あはは。恵利佳は、明るい方が似合ってるね」
「うんうん! 人生は明るくいかないと! さてと、次は何の話する?」
「次の話は……って繋げたいところだけど、残念なことに、もう公園前だよ」
「えっ⁉ あ、本当だ!」
恵利佳に向くと、驚いた顔をしている。
「うあぁ。もう少し話していたかったなぁ……」
残念そうに頭を垂れる恵利佳。
明日も会えるのに、こうして離れることを惜しんでくれることが、とても嬉しい。
「じゃあ、続きはメールでしようか」
「うぅん……分かった。そうする!」
恵利佳が納得したように頷いたのを確認した僕は、彼女に近づいた。
「じゃあ恵利佳、またね」
「うん、またね」
僕らは小指を絡み合わせた。
〈5〉
「ただいま」
家に入り、誰もいない廊下の先に向かって言うと、左側の扉が開いて母とまだ三歳の弟が出てきた。
「にぃにぃ!」
「おかえりなさい、良哉」
仕事で家にいない父を除いた家族の二人に迎えられながら、靴を脱いで廊下に立つ。
「じゃあ、お母さんこれから夕食の支度をするから、敦哉の面倒見ててくれる?」
「うん」
母に頼まれた僕は、部屋に荷物を置いてから動きやすい恰好に着替えると、敦哉のいる部屋へ向かった。
「にぃにぃ!」
「にぃにぃだよ。今日は何して遊ぶ?」
「これぇ!」
僕が尋ねると、どこから持ってきたのか、二つ折にされたA4サイズの紙を手渡してきた。紙を広げると、そこには何かが書かれていた。
「『カガミの呪い』?」
黙読をしてみると、どうやらこれは加賀見市オリジナルの都市伝説のようなものだと分かった。
内容はどこにでもありそうなものだけれど、一体、どこからこんなものを持ってきたんだ?
「ねぇ敦哉。これはどこにあったの?」
「ぼくが、はい、ってしてくれたの」
「うぅんと……それだと、にぃにぃ分からないよ。誰かがくれたの?」
「うん、くれたの!」
「誰がくれたの?」
「ぼく!」
ダメだ……敦哉の言いたいことが全然、理解できない。
紙を見ながら頭を悩ましていると、敦哉が再び口を開いた。
「ぼくがね言ってたの。今ね、すごく大変って」
「大変?」
「みんながね、かわっちゃうって。反対になっちゃうって、言ってたの」
「それは誰が言ってたの?」
「ぼく」
「ぼくって敦哉のこと?」
「ちがうの――」
敦哉は後ろを向くと、部屋の隅を指さして、
「――あそこにいたぼくがね、言ってたの」
そう教えてくれた。
――Another StoryⅢ――
その男は、バス停に向かいながら、軽く首を傾げた。
電話をしたときには全然取り入ってくれなかった教え子の佳苗が、飯島宅へ伺った時には、何もかもが吹っ切れたように、饒舌になっていたのだ。
〝人は変わるものだなぁ……〟
普段は厳しいその男も、佳苗の変わりようには言葉を出すこともできなかった。
〝けどまあ、元気でいるのなら、それでいいだろう。……朝の騒ぎは、さすがに不味かったが〟
考えていることをそのまま口にしながら男が歩いていると、道の端に落ちている携帯電話が、視界に入った。
男は最初、落とし主が拾いに戻ってくるだろう、と考えて、そのまま横を通り過ぎようとしたが、一つの記憶が引っ掛かり歩みを止めた。
〝この携帯……どこかで、見たことがあるな〟
足元に転がる携帯電話を見下ろしながら、男が考えていると、背後から何者かの影が近づいてきた。
〝これは確か、シュウ……あがっ〟
男の喉元に細長い棒状の物が突き刺さった。
〈夢〉
風呂から上がり寝間着に着替えた僕は、恵利佳と数回メールでやり取りをすると、布団の上に寝転がり浅い眠りについた。それから数秒か数分、暗闇の世界を彷徨い、嫌な夢を見た。
その夢では、僕の周りにいる人たちが沢山死んでいった。
自殺や事故で死んでいくのではなく、皆、影のような姿の分からない存在に、様々な殺され方をして血を流していた。
その夢の中には、僕と恵利佳の姿もあった。
僕たちは手を強く握り合い、死体の合間を縫って、どこを目指すでもなく走り続けていた。
走って走って走り続けて――互いにスピードが合ってきたのか、隣を走る恵利佳の重みが消えて――やがて疲れて、立ち止まった。
影がいないことを確認して、「大丈夫かい?」と恵利佳の方を向くと、そこには僕が握り続けていた彼女の手しかなく――。
「うあぁぁ‼」
妙に現実的な悪夢に耐えられず、僕は叫びながら目を覚ました。
気が付けば、既にカーテンの隙間からは、陽の光が差し込んでいた。
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