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この謎が解けますか?  作者: 『この謎が解けますか?』企画室
結論無き謎が解けますか?
10/24

薮の中

Author:稲葉孝太郎

 同窓会などというものは、退職してから顔を出した方がいい。それが、私の持論である。高校の同窓会案内が届いたとき、私は断りのメールを入れようと思っていた。しかし、会場が近かったこともあり、ついつい足を運んでしまったのである。後悔先に立たずと言うが、案の定という感じであった。男性陣はやたらと社会的ステータスを気にするし、女性陣と言えば子持ちとそれ以外に分かれて、お互いを牽制し合っていた。私は落胆し、会場の隅っこにある、最も目立たないテーブルへと移動し、赤のグラスワインを飲んでいた。

 そのテーブルには、他に三人の男女が座っていた。私と同じように、場に馴染めなかった者たちである。私の右手に座っているのは、三年生のときクラスが一緒だった柔道部の鎌田(かまた)洋治(ようじ)。今では、証券会社の営業マンだと言う。向かいには、二年生のクラス委員だった守屋(もりや)明美(あけみ)。キャリアウーマンだと言うが、詳しい話は知らなかった。それからひとつ空席を置いて、ちょうど私の左に、上野(うえの)という男が座っていた。上野の顔に、私は見覚えがなかった。二、三言葉を交わした限りでは、同じクラスになったことも、何かの行事で同席したこともないようである。彼の下の名前が和男(かずお)だということを、私はネームプレートで初めて知った。

 除け者同士、私たちはあまり会話をしなかった。鎌田は、しきりに席を立っては、バイキングへと足を伸ばし、守屋は断りもなく煙草を吹かしている。厚く塗った口紅が、妙に艶かしい。昔は、こういう女性ではなかったのだが。それとも、私の思い出が、美化されているだけなのだろうか。上野はビールを注文し、やたらと顔を赤らめていた。

 鎌田が、肉の盛られた皿を持ち、テーブルに帰ってきた。

 すると、どういうタイミングを見計らってか、守屋が退屈そうに言葉を放つ。

「学生生活の思い出話なんて、どこが面白いのかしらね」

 鎌田がナイフとフォークを手にし、口を開く。

「別に変わったこともなかったしな……」

「変わったことねえ……篠倉(しのくら)くんの事件くらいかしら……」

「ああ……篠倉ね……」

 テーブルに一瞬、影が差した。私たちはあの出来事を思い出すように、空中の一点を見つめていた。私はその空気が耐えられなくなり、ワインで喉を潤す。あまり上等とは言えないが、気晴らしには十分である。

「あれは事故死よ」

 守屋が、唐突にそう言い放った。まるで誰かが、篠倉の死因を問題にしたかのような口ぶりだった。端から見ればおかしな物言いにもかかわらず、場の流れは急速に、そちらへと向かい始めていた。

「どうしてそう言い切れる?」

 鎌田が尋ねた。私はこの話題を避けたかったが、仕方がない。篠倉の死因は、あの事件があったときから、靴底に張り付いたガムのような存在となっていた。気にしないように努めつつ、知らず知らずのうちに靴底を掻いているような、煩わしい感覚であった。

「あら、事故死じゃないなら、何だって言うの?」

 守屋は、整った眉を上げ、鎌田に質問を返す。

「おいおい、質問を質問で返すなよ」

「そんなつもりじゃないわ」

「だったら、どういうつもりなんだ?」

 鎌田の詰問を、守屋は女の笑みですらりと交わした。

 生真面目な鎌田は、憮然として水を口に含む。彼は、アルコールが飲めないのだ。

「僕は、自殺だったと思いますがね」

 その場の誰も口にしたがらなかった言葉。それを、上野が呟いた。周囲の視線は、一斉に彼の席へと集まる。上野は決まりが悪そうに笑うと、意味もなく首を縦に振ってみせた。

「ありえないわよ」

 守屋が、大胆に否定する。上野は、両手を膝の上に置き、前のめりに背筋を伸ばした。

「屋上から落ちたんですよ? むしろ、事故死の方が不自然ですよ」

 上野が口を挟んだ。どうやら上野は、自殺と考えているらしい。そのことは、彼の口調から伝わってくる。気の弱そうな男だが、反骨精神はあるらしい。ディベートでも始まったかのような顔付きで、上野は守屋の顔を凝視していた。

 守屋は煙草をくゆらせながら、上野に不敵な笑みを返す。

「だって篠倉くん、新しい参考書をしこたま買い込んでたらしいじゃない。自殺するつもりなら、むしろ身辺整理をするでしょ。参考書なんて、何の役にも立たないわ」

「それは反論になっていませんね。衝動自殺かもしれない」

 譲らない上野に、守屋はわざとらしく肩をすくめてみせる。

「衝動自殺なら、もっと別な死に方をするでしょ。屋上は鍵が掛かってし、仮に自殺だとしたら、計画的なものよね。合鍵を作ってたって噂、聞いたことないの?」

「その鍵をわざわざ開けて侵入したんだろう。自殺じゃないなら、何のためだ?」

 鎌田が言葉を継ぐ。彼の指摘は、分厚い懐疑に裏付けられていた。

 守屋の反応も、曖昧なものへと変わる。

「さあ……夕陽でも見たかったんじゃないの?」

「あいつはそんなロマンチストじゃないさ。ちょっと躁鬱なケはあったけどな」

 話は、篠倉の人物評に及び始めた。確かに篠倉は、昼休みに大笑いしているかと思えば、放課後には絶望したような顔で校内を徘徊している、そんな二重性があった。篠倉の死を耳にしたとき、誰もが自殺を想像したのではないか。今思い返してみれば、私にはそう思えてならないのだった。

「遺書もなかったでしょ。計画自殺なら、遺書くらい用意しとくんじゃない?」

 守屋はそう言って、煙草を灰皿に押し付けた。赤い火が、透明なガラスに燻る。

「本当に遺書がなかったのかね」

 鎌田が、意味深に呟いた。守屋の視線が、彼の皿に移る。

「どういう意味?」

 守屋の問い。私には、鎌田の考えが分かっている。そして、彼はその通りに答えた。

「学校が隠蔽したんじゃないかってことさ」

「あら、本気で言ってるの? それ?」

「いろんな可能性を考えてるだけだよ」

 母校の名誉を傷付けたくないのか、それとも単に証拠がないと見たのか、鎌田はあっさりと引き下がった。私の予想では、後者である。鎌田は、愛校精神に富んだ青年ではない。私と同じように、しぶしぶ同窓会に出て来たという印象を受ける。おそらく部活の繋がりで、むりやり出席させられたのだろう。幹事のひとりが、柔道部の主将であった。

 可能性を考える。鎌田はそう言った。だが、彼の口調は、断定めいていた。自殺の大規模な隠蔽があったのではないかと、そう疑っているようだ。

「それはないと思いますね」

 鎌田は、頬張りかけていた肉片を、皿に戻す。やや血走った目で、上野を睨んだ。

「なぜだい?」

「第一発見者は、教員じゃなかったんですよ。朝練に来た野球部の連中です。しかも、物好きな部員が、救急車を呼んでる間に、屋上へ立ち入ったそうじゃないですか。遺書があったのなら、いくら口封じしたところで、絶対漏れますよ」

「そうかね。退学なんかをちらつかせたら、黙らざるをえないと思うが?」

 上野は両手を膝の上に揃えたまま、肩をすくめてみせた。

「それこそ、マスコミにリークされて終わりでしょう」

「だから、それも口封じすればいいじゃないか」

「学校が手を打つ前に、噂は広まってしまいますよ。部員の屋上立ち入りがバレたのは、確かずっと後のことですからね。つまり、遺書は、屋上になかったんです。これが合理的な結論だと思いますよ」

 鎌田は反論せず、食べかけのステーキを口に放り込んだ。不機嫌そうな顔をしている。彼が論破されたのは、この場にいる者には明らかであった。

 実家に遺書があったケースも、考えられない。それならば、両親が学校を訴えただろう。公立高校なのだから、国賠という手がある。篠倉の家は、それほど裕福ではなかった。両親が控えても、弁護士は尻を叩いた可能性が高い。それがなかったということは、両親は遺書の存在を知らなかったに違いないのだ。仮にそんなものがあったとすれば、だが。

 推理は、暗礁に乗り始めていた。いや、最初から闇雲の航海である。あのとき、私たちはただの学生であり、探偵ではなかった。証拠は全て消え去り、証人もいない。校内でまことしやかに囁かれていた噂だけが、唯一の捜査資料なのだ。

「それに、動機なんか分かりっこありませんよ」

「きみはさっき、自殺を仄めかしたじゃないか? 矛盾してるね」

「ええ、篠倉は自殺だと思います。でも、動機の解明は話が別です」

 上野はそう言って、ビールを口にした。うまそうに息を吐く。口の端に浮かんだ泡が、天井のシャンデリアに照らされて弾けた。

「動機か……いじめがあったわけでもないしな……」

 鎌田が、再び口を開いた。

「いえ、そういう意味じゃないんです。自殺の動機なんて、追及不能なんですよ」

 上野の奇妙な言い回しに、私と鎌田は視線を交わした。

 上野は卑屈な笑みを浮かべ、自分の台詞を自分で説明し始めた。

「先日、都内で殺人事件がありましたね。覚えてますか? 鉈で知人を襲った……」

「ああ、金銭トラブルのやつだな。被害者は、金貸しだったか」

「その殺人の動機は、何だと思いますか?」

 鎌田は渋面を作り、隣の守屋と目を合わせた。そして、こう言い放つ。

「金銭トラブルだって言っただろう。……借金苦だよ」

「そうですかね。僕は、その日の食事が悪かったんだと思います」

 鎌田は、ナイフを皿の上に放り投げた。鋭い音が鳴り、通りかかった給士が振り向く。その給士を無視して、鎌田は上野を指差した。

「食事だって? おかしなものを食べたって言いたいのか?」

 鎌田の怒気に、守屋は両手を挙げた。鎌田を落ち着かせようとしたのだろう。

 しかし、それよりも早く、上野が舌を動かした。

「借金苦が動機。これは尤もらしい説明です。マスコミも、そう言ってましたよ。しかしですね、その借金苦なんてのは、目に見えない個人的事情です。その因果関係なんて、誰にも説明できやしないんですよ」

「日頃の鬱憤が爆発した。これで説明がつくだろう?」

「いえ、ついてませんね。人間の体には、鬱憤を溜める器官なんて存在しないんです。あるのは、脳内物質のやり取りと、そこから生まれる精神と言う名の幻影ですよ。……まあ、鎌田さん、ちょっと続きを聞いてください。鬱病は心の病気、って言いますよね。でも、あれは正確に言うと、脳の病気なんですよ。心なんてものはないんです。脳が何らかの理由で、機能低下を起こしてるんだ。そしてその理由というのも、ビタミンが不足してるとか、日照時間が短いとか、そういう些細なことなんです。さっきの殺人だって、朝飯を食べなかったとか、そういうイライラが原因だと、なぜ言い切れないんですか? 人間、腹が減ると凶暴になるのは、科学的事実なんですからね」

「そりゃ詭弁だよ。だったら、腹が減ってる人間は皆、殺人鬼なのかね?」

「それは論理的誤謬です。犬は四本足の動物ですが、四本足の動物がみんな犬なわけじゃありませんから」

 鎌田は唸ると、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりにナプキンで口元を拭った。怒っているというよりは、相手を見下したような顔である。

 どちらの陣営にもつきかねた私は、ひとりワインを飲む。その中立が、鎌田の気に触ったらしい。今度は私を睨んできた。

「おい、山辺(やまべ)、おまえはさっきから何も言わないな」

 私はグラスを置き、大げさに目を見開く。

「興味深く聞かせてもらってるよ」

 差し障りのないことを言ったつもりだが、鎌田はさらに噛み付いてくる。

「じゃあ、おまえの推理を言ってみろよ。自殺だと思う? それとも事故死か?」

 私は息を呑む。あれから十年以上の歳月が過ぎ、もはや証拠はない。呼吸を整え、一語一語区切るように語り始めた。

「そのいずれでもないと思う」

 鎌田は、私の言葉が聞こえなかったのか、目を細めて身を乗り出した。他の二人も、一斉にこちらを見る。私は誰とも視線を合わせないようにしながら、先を続けた。

「あの事件が起こる前、防災訓練があったことを覚えてるかい?」

 鎌田を含めて、誰も覚えていないような顔をしている。無理もない。私とて、あの事件がなければ、とうの昔に忘れていたはずなのだから。

「そのとき、火災時の避難方法が説明された。もちろん、非常口から逃げるわけだが……ある生徒が、こう尋ねた。『屋上へ逃げて飛び降りた方が早い』ってね」

 私はそこで、言葉を切った。テーブルを見回す。私の言葉の意味を理解した者は、いないように思われた。鎌田は私のワイングラスを睨んでいる。酔いが回ったと思われているのだろうか。こう見えても、私はアルコールに強い。微塵も酔ってはいなかった。

 私はひとり、言葉を継ぐ。

「もちろん、みんな笑ったさ。ところが、その質問した生徒は……まあ、篠倉のことなんだがね、『屋上から飛び降りたくらいじゃ死なない』と言い張った。だから……」

「だから、自分で試したってこと?」

 守屋が、信じられないと言った表情で、口を挟んだ。

 私は唇を結び、黙って頷き返す。すると、鎌田が鼻でせせら笑う。

「そりゃあんまりだよ……上野の推理の方が、まだ信憑性がある……」

 私は溜め息を吐き、テーブルクロスの染みに視線を落とす。知らず知らずのうちに、ワインを零してしまったようだ。手にべったりとした感触があった。平静を装ったつもりだが、動揺していたのかもしれない。

 私はナプキンで指先を拭いながら、弁明を続けた。

「しかし、これで全部説明がつくんだよ。合鍵を作る計画性があったこと、遺書がなかったこと、投身後の予定も入れていたこと……」

「でも、その三点について辻褄が合うってだけですよね?」

 上野が、私を労るように言った。どうやら、私の推理があまりにも杜撰なので、同情心を起こしたらしい。私は自嘲気味に笑うと、旧友たちを見つめ返した。

「この話は止めにしましょ。どうせ証拠がないんだから、全ては薮の中よ」

 守屋が、この場を収めた。そうだ。全ては薮の中だ。

 会話は、当たり障りのないものへと移ろっていく。鎌田たちが、文化祭で起こった横領について話している間、私はひたすらにワインの粘つきと格闘していた。

「失礼」

 私は席を立ち、手洗いへと向かった。足取りはしっかりしている。気分が悪くなったのではない。ただ、本当に手を洗いたかっただけである。

 私は洗面台の前に立ち、ぼんやりと鏡を見つめた。……やはりそうだ。高校生のときの私は、もはやそこにいなかった。他の三人と同様、私もまた歳を取っていた。

 蛇口の水が心地よい。どうやら私は、無意識のうちに興奮していたようだ。十年以上も隠していた秘密を、旧友たちに明かしたのだから。だがその事実は、まるでお伽噺のように否定され、墓の中へと押し込まれてしまった。

 私は篠倉の顔を思い出す。今でも、彼に呼び出されたときのことを、はっきりと覚えている。夕焼けに染まる廊下で、彼は自分の計画を語った。次の日の朝、学校の屋上から飛び降りるという計画を。そのときの私は、鎌田たちと同じ反応をした。信じなかったのである。もしあのとき、私が彼を止めていたら……。

 いや、私の責任ではない。あの日から、私は自分にそう言い聞かせている。他人の人生など、誰にも理解することはできない。それと同じように、他人の死もまた、誰にも理解することはできないのだ。篠倉の計画を、ただの狂気と笑うことは容易い。今でも私は、それを理解することができないでいた。理解する気もない。

「ほら……やっぱり私が正しかったんだよ……」

 私は、鏡の中の自分にそう語りかけた。篠倉は言った。もし自分が死んだら、この実験の結果を、代わりに伝えて欲しい、と。私は冗談と思い、適当に相槌を打ってしまった。

 私は、その約束を守らなかった。だが、後悔はしていない。彼の伝言に、いったい何の意味があると言うのだろう。おかしな嫌疑が、私に降り掛かるだけなのだ。そのことは、さきほどの鎌田たちの反応によって、証明済みである。

 全ては薮の中。私はその中に頭を突っ込んでいながら、何も見ることができなかった。

 私は鏡の中の自分を見つめる。青ざめた篠倉の顔がぼんやりと、浮かび上がったような気がした。

動機論です。ミステリよりもミステリ論という感じでしょうか。動機の特定というものは、個人的に不可能だと思っています。そのあたりの私見を述べた小説風エッセイですね。このネタについては、吉村昭『鉄橋』からヒントを得ました。新潮文庫版に収録された磯田光一さんの解説文を載せておきましょう。それが言いたいことの全てです。「ボクサーの死をめぐるこの小説は、構成の上からいえば謎解きの技法が用いられている。だがこの作品をたんなる謎解きから救っているのは、一つの死にたいする客観性をめざす意味づけと、客観性に還元できない主観の意味との裂け目を、作者自身が問うているからである。新聞報道は状況証拠をもとにして現実を推理する。しかしそうして意味づけられた"自殺"という断定は、死者の内面について何ごとも語ってはくれない。このとき吉村氏の関心が、死者の内的な孤独に向けられていったのは当然であろう」。



***The Next is:『生死は問わず、心のみぞ知る』

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