日常から非日常へ
初ファンタジー、初異世界トリップ。
美少年との恋愛はなしですが女の子とのいちゃいちゃはありという、趣味をぶちこんだ作品。
ーーその日も平凡で、代わり映えしない一日だった。
一条市花は南山高校の三年A組のマスコット位置の、ごく普通の少女である。
緩く波打つ黒髪をポニーテールに束ねぴょこんと尻尾のように揺らし、ぱっちりと大きくはないけれど丸くてくりくりとした黒目がちな瞳と低身長、甘えたな性格とあどけない笑顔には愛嬌があり、周りから可愛がられていた。
人よりのんびりとした性格に、鬱陶しいと思われる事がなかった訳ではない。
寧ろ、中学時代は一部の女子に虐められていた。
だが市花は小動物のようなか弱い見た目とは裏腹に芯があり、精神的に強い少女だった。
彼女は虐めをスルーし、友人と過ごし、悔しがる女子にざまあみろと笑いながら中学を卒業したのである。
そんな市花ではあるが、高校では虐められることなく平和に暮らしていた。
多少クラスメートのキャラは濃いが、だからこそのんびりものの市花も受け入れられたのだろう。
高校三年間で一番大事な時期を、彼等と過ごせた事を素晴らしいことだと思う。
市花は代わり映えしない日常を、明るく愉快なクラスメートを、とても大事にしていた。
ーーだからこそ言える。
この事態は全くもって自分の本意ではないと。
「なに、これ……」
夕暮れに染まる放課後、友人と一緒に居残りをしていた筈の市花は目の前の光景に呆然としながら呟く。
先程まであった教室はなく、そこには鬱蒼とした深い森があった。
森というよりはジャングルにも似ていて、そこには秋の実りといった爽やかさは一切ない。
温い風が市花の頬を撫で、背中を嫌な汗が伝う。
明らかに可笑しい。
こんな森、学校付近にはなかった筈だ。
というより、それなりに都会に位置していた市花の町にはない。
うねる木や毒々しい色の花は見たことすらない。
都会人の市花は余り知らないが、日本の森とはこれ程までに不気味で異界的なものなのだろうか。
ここが日本ですらないのかもしれないという可能性も感じ始めた頃、ふと足音が聞こえてきた。
びくりと肩が跳ねあがる。
「誰かいるのか?」
「え?」
思わず反射的に身を縮ませて近くの木に隠れようとした瞬間、聞き覚えのある声に顔を上げる。
そこに、森に不釣り合いなブレザーが見えた。
寝癖なのか天然なのか、跳ねた茶髪に眼鏡をかけた大人しそうな顔の少年はこちらに気づいていない様子で辺りを見回している。
いつも読書をしていて、成績のいい優等生ポジションのクラスメートの姿に市花は思わず飛び付いた。
「うわっ!」
「皆本くん!」
いかにも文系な、細い体つきの皆本幸太がいきなり女子に飛び付かれて受け止めきれる筈もなく、二人は地面に倒れこむ。
幸太はなんだなんだと怯えた様子で自分に飛び付いた存在を確認すると目を丸くした。
ぎゅうぎゅうと背中にしがみつくのは、ふるふると揺れる黒髪ポニーテールが印象的な少女である。
「一条?」
「一人じゃなくて良かったぁ……」
「お前までここに?」
「ここどこなの?」
驚いたような表情の幸太に、不安から涙目になっていた市花が恐る恐るたずねる。
だが幸太は答えることなく首を振った。
「いや、俺達もまだ把握していない。
ただ、他のやつも来てないかと探してるだけで……」
「おれたち?」
「ああ。何人か同じクラスのやつが来ている。
というか、お前も含めて同じクラスの奴だけだ。
今のところ発見しているのはな」
「皆この森に?」
「ああ。……一条はここに来る前何してた?」
素直に教室で居残りをしていたと伝えれば、やはりそうかと返ってくる。
眉をしかめた幸太に市花は首を傾げた。
「どうしたの?」
「俺は図書室、お前は教室、他の奴らもそれぞれ場所は違うが学校に残っていた。
やはり集団誘拐か? それとも……」
「おーい、皆本くん」
ぶつぶつと、考え出したら熱くなりやすい幸太が俯きながら呟いてる姿に市花はひとまず冷静になった。
この姿は、日常的によく見ている。
病的ともいえる程思考にのまれやすい幸太を止めるのは、彼の親友の役目だった。
そういえば、彼がいないなと辺りを見回す。
「旭くんは?」
「旭なら他の奴らと一緒だ。
他のクラスメートがいるかもしれないから探そうってのも旭の案だよ。
あいつはお人好しだからな」
「てことは、旭くん達は何人かで固まってこの森にいたんだね?」
「その通りだ。
ある程度こちらへ来る前と明らかにいた場所の違うクラスメートが何人かいたからこそ、もしかして他に来ているクラスメートがいるかもしれないという可能性に気づいたからな」
不思議と、市花の頭は冷静に働いていた。
一人じゃないという安心からかもしれない。
ちらりと見回した森の中は変わらず不気味で、早く他のクラスメートと合流したいと気持ちが逸る。
この際集団誘拐だろうがなんだろうが、今生きてさえいればそれでいいとすら思った。
危機感が足りてないなと自分に苦笑いしつつ、市花はゆっくり立ち上がる。
砂のついた深緑のチェック柄スカートを払えば、幸太も腰を上げた。
眼鏡の奥、切れ長の目が少し細められる。
「何にせよ、一条を見つけられて良かった。
お前は勝手に迷子になりそうだからな」
「否定できないのが悔しい」
市花は方向音痴だ。
それは自他ともに認めている程。
むうと口を尖らせる市花の頭をぽんぽんと撫でる幸太は最初よりほんの少し表情が柔らかい。
女の子の髪に触るの禁止っと毛を逆立てた猫のように威嚇し離れながら、市花は思考を緩めた。
元々、あまり考えるのは好きではない。
こう言うのは、幸太のように頭のいい人間がすべきことである。
「とりあえず、お前を見つけたから一旦戻ろう。
暗いから足元に気を付けろよ。
こんな所で怪我したら後が怖いからな」
「うん」
ブレザーのポケットに入れていたスマートフォンのライトを頼りに歩き始めると、市花はふと一緒にいた筈の友人を思い出した。
辺りを見回しながら幸太に話しかける。
「ねえ、夕紀知らない?」
「白石か。
いや、まだ見つけていないな。
一緒にいたのか?」
「うん。
……にしても、変な誘拐。
どうして全員バラバラなんだろ」
「それを言うならなんでA組なのかも気になるな。
……本当にお前が冷静で良かったよ。
泉谷や早瀬辺りは泣きわめいてうるさくてな」
うんざりと眉をしかめたクラスメートの名前に、所謂流行りものが好きなギャル系女子二人が頭に浮かび、市花は苦笑いした。
確かにあの二人は混乱し、泣きわめくタイプだ。
ぴょんぴょんと跳ねるように木の根に気を付けて歩きながら市花は口を開く。
「私はあんまり実感がなくて。
今のところ危険なこともないしね。
それより、今のところ何人ぐらいいるの?」
「お前を含めて十八人だ。
うちのクラスは二十五人。
残りは七人だな。
……本当に、不思議な状況だ」
「……異世界トリップだったりして?」
「ん?」
「んーん、なんでもない」
友人の白石夕紀辺りが聞いたら喜びそうな現象の名に、市花はまさかねと頭を振る。
流石にそれは非現実的すぎるだろう。
外国に拉致されて~の方がまだ現実的である。
それにしてもやはり、何故A組が拉致されたのか謎ではあるが。
可笑しいといえばもう全てが可笑しい。
とりあえず早く合流したい。
そこに夕紀がいることを、そしてその無事を祈りながら、市花は慣れない道を進むのだった。