表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

 手術を無事に終えたものの、その頃から僕の体力はみるみるうちに落ちていった。日を追うごとに鬱々(うつうつ)とした気分が大きくなり、何をするのも億劫おっくうになった。

 少し眠っては起きる。そんな日々が続く。何度目に起きたときだろうか。


「よう、調子はどうだ?」


 飄々(ひょうひょう)とした様子で、下川が病室に顔を出した。

 僕は力なくベッドの中から彼を迎える。


「なんだ。来たのか」

「おう。来てやったぞ」


 下川は僕を見ても、他の見舞客のように戸惑いの表情を見せなかった。


「よっこいせ」


 と、ベッドの下から丸いすを引っ張りだし腰を下ろす。そして、いろいろ話を聞かせてくれた。




 僕が抜けたあと、同僚の誰かがプロジェクトを引き継いだらしい。あれほど心配してたのに、リーダーの名前を聞いても、どういうわけか五分とたたないうちに忘れてしまった。

 下川がそっけなく言う。


「仕事のことなんか気にしないで、ゆっくり休めよ。長い休暇をもらったと思えばいいんだ。なあ、そうだろ?」


 下川の言葉に小さくうなずく。


「あ、ああ。そうだな」


 僕はひそかにシーツを握りしめた。




 おそらく下川は僕を安心させようとして、そう言ったのだろう。しかし、おまえなどいなくてもやっていける。おまえなんか要らないんだ。と宣告されたような気がした。


「そうするよ」


 座ったまま、しばらくぼんやりと時を過ごす。


「あ、これ」


 下川が急に声をあげた。


「カメラじゃないか。相田、おまえ写真を撮るのか? そのカメラ、デジタルじゃないよな」

「ん?」


 下川の目線をたどる。ベッドの横に置かれた棚の上の方へ向いていた。銀と黒のツートンカラーの物体がちらっと見えている。

 僕は思い出した。


「ああ。それ、銀塩カメラだよ。もとは親父のものだったんだ。古いだろ」

「へえ、親父さんの」

「何を思ったのか、この間持ってきて、そのまま置いていったんだよね。僕の写せる風景は、この病院の中だけしかないのにさ。笑っちゃうよな」

「少し見てもいいか?」


 興奮した面持ちで、下川が訊いてくる。


「かまわないよ」


 僕がそう言ったら、下川は立ち上がり、カメラをさっそく手にとった。




「ふうん。クロムシルバーの一眼レフか。かっこいいじゃん。レンズは標準か……」


 などと、ぶつぶつ言い始める。そして、ファインダーを覗き、具合を確かめるかのようにレンズを動かした。裏蓋を開けたり閉じたり、低速でシャッターを切る。ひいき目に見ても、確かな手つきだった。

 今度は僕が感心する番だった。


「下川、カメラやってたんだな。ずいぶん、さまになってるじゃないか」

「はは、まあね」


 下川は照れくさそうに笑った。


「実は高校では写真部だったんだ。そのとき覚えたんだよ」

「そうなんだ」

「そういうおまえは?」


 僕は頭をふる。ポツポツ話をした。


「思うように上手く撮れなくなったんだ。はじめは写すだけで楽しかったくせに、だんだん欲が出てきてさ。あれこれ悩んじまって。あとフィルム代とか現像代とか、金がかかるのもネックだった。受験でやめてしまった」

「そうか。もったいなかったな」


 僕は黙ってうなずく。

 カメラは陽の光を受けて、鈍い輝きを放っていた。


 そういえば、親父からカメラをもらった小学生の頃、将来カメラマンになるのだと夢見ていたっけ。雑誌などのコンクールにも出したりして。小さいながらも何回か入賞したことさえある。なのに、大人になった今は、病気になって取り残されたサラリーマンだ。



 ――今でも、昔みたいに写せるだろうか。



 なぜだか、ふと思った。ずっと忘れていた何かが、今まで気にもとめなかった何かが、ふつふつと目覚めたような気がした。

 窓の外を眺める。おだやかな中庭には緑が萌え、青い空が広がっている。なんてことのない風景だ。けど、この風景をカメラにおさめるのもいいかもしれない。



 下川が帰ったあとも、陽が傾くまで外を眺めた。淡い夕焼けがひっそりと包んでいく。たたずむ樹木の葉の間から、色あせた光が注ぎ。僕はカメラを向けて、空シャッターを切った。カシャッという乾いた音が、心地よく部屋に響いた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ