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 彼女と別れてから、さらに季節が過ぎた。夏が終わり本格的な秋がきて、空が高くなった頃。僕はとうとう退院の日を迎えた。

 荷物をカバンにつめこんで、入院着を脱ぎ捨てる。久々に袖を通したシャツは、なんだか不格好に思えて。僕は何度も鏡の前で確かめた。


 何か月も過ごした部屋はがらんとしている。なんとなく寂しげで、僕のいた痕跡こんせきはひとつもない。まるで、この部屋だけ時が止まったかのようだ。

「こうしてみると信じられないわね。あんたが死にかけてたなんて」

 それは姉も同じだったようで。深いため息をつきながら言う。

「うん、そうだね。長い夢を見ていたようだよ」

 僕は目を閉じた。


 そうだ。もう、ここには何も残っていない。小さな欠片かけらさえも。

 あれは夢だったのだ。今まで見たなかで、いちばんやさしくて、愛おしい夢。

 僕はこの悲しみを越えて生きていけるだろうか。いや、越えてみせる。でなければ、彼女と別れた意味がない。いつか僕じゃない僕と結ばれ、彼女には幸せになってほしい。彼女から遠く隔たれた、このさいはての地で僕は祈ろう。


「帰ろうか、姉さん」

 車いすのうしろに立つ姉を仰いだら、車輪がきしんで音が鳴った。

「ええ、そうね。お父さんもお母さんも首を長くして待ってるわ」

 姉が車いすの向きを変えて、病室の出入り口へと押し出す。

「僕、重くない? 車いす押すの大変だろう」

「ばかね。よけいな心配をするんじゃないの。軽すぎて空気のかたまりを乗せているみたいよ。家に帰ったら、ご飯を食べないと許さないからね」

「うーん、やばいな。姉さんの料理はこわいからなあ」

 僕たちは軽口を交わしながら病室をあとにした。


「いよっ。相田、元気か? おはようさん!」

 姉が気を利かせて連絡してくれたらしく。エレベーターでロビーに下りたら、下川が待っていた。しかも大きな薔薇バラの花束を抱えている。

 体格のいいスーツ男が花束を持つ姿は、かなり目立っていて。ロビーを行き交う人々の視線を集めていた。

 僕はあ然とした。

 薔薇だ。真っ赤な薔薇だ。正真正銘の。

 香りの強い花は見舞いの花としてふさわしくない。そんな一般常識を忘れるんじゃないよ。

 僕は下川をにらむ。

「あらあら、大変ね。わたしは会計を済ませてくるから、どうぞごゆっくり」

 茶化すように言うと、姉は窓口のカウンターに向かって歩いていった。

 下川は涼しい顔で僕のところへやってきた。

「いやあ、すまん。こんな朝早くから押しかけて迷惑だったかな。会社に行く前に寄ったんだよ。友情に甘んじて許してくれ」

 と、車いすの僕に花束を押しつけてくる。

「受け取れるか!」

 僕は抵抗して花束を両腕でブロックした。

「お、おまえ! いったい何を考えてるんだ。僕は男なんだぞ。薔薇の花束なんか受けとれるかってんだ」

「あ、そっか。それもそうだな」

 下川は花束に一度、目を落としてから、僕の顔を見てニッと笑った。

「その花束は、おまえに渡すものじゃないんだ。彼女へのプレゼントさ。いい年をした男が手ぶらで女に会いに行くのは、かっこわるいだろ。だから俺が用意しておいたんだ」

「それ、どういう意味――」

「おまえの退院祝いは、こっちだよ」

 下川はスーツの上着の内ポケットに手をつっこむと、何かを取りだし僕の膝の上に並べた。

 それがなんなのか確認できたとたん、僕はハッと息をんだ。

「こ、これは……!」

 自分の目を疑った。あの夢の中で僕が撮った写真だったのだ。

「どうして、ここに……」

 一枚ずつ手にとって確かめる。

 まちがいない。通りのカフェも、街角のたばこ屋も、みんな写ってる。明らかに僕の写真だ。

 ――ということは……。

 震える手で最後の一枚をめくる。


 彼女がそこにいた。



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