22. vs バカ盛り
エレベーターが上に到着し、扉が開くと、机のディスプレイに釘付けなままのシモツキがいた。手元の紙に乱雑に書かれた文字は、読むことこそ難しいが、何が書いてあるかはなんとなくわかった。
選択肢だ。後ろから気配を消して覗き込む。ディスプレイの映像は倍速で流され、一手一手の間にシモツキのペンが凄まじい速さで動く。書き出された選択肢で紙には最早書くところは無かった。
(…次やった時はシモツキに軍配が上がりそうだな)
良いこととはいえないだろう。あれだけ大仰な啖呵を切ったのだから、あっさりと負けるようでは、アレは間違いだったと言える。やっと一人一人が歩き出したというのに。
(頼むぞカンナ、兄弟喧嘩じゃ済まなくなるからな)
ドライドを巻き込んでしまっている以上、カンナヅキはもう一人ではない。そしてシモツキの師匠にヘベルハスがついたことにより、彼らの勝敗は間接的にドライドとヘベルハスの順位をつけることになる。恐らく二人は気にはしないだろうが、万が一もいうこともある。その話が他の部隊に飛び火すればどんな噂が立つか想像も出来ない。
だが、これはどちらが勝っても言えることだ。問題はカンナヅキとドライドの同居が明るみに出ること。中尉からではないとはいえど、まだ騎士団に入ったばかりの新人をたれ込んだとしか見られないだろう。
どうしたものかと唸っていると、ガチャ、と扉を開けてミナヅキが仮眠室から出て来た。
「ふぁ…、あ、おはよう兄さん、お早い出勤ですね」
「おはよう。お前はお寝坊さんだな」
「あ、あはは、ちょっと寝れなくて…」
チラッとシモツキを見る。デカいイビキのクセは治っていないことに少し呆れつつ、時計を見てミナヅキに言った。
「飯でもどうだ?寝起きで食えないかもしれないが、時間としてはいいだろ」
「そうですね。丁度お腹が空いて眼が覚めたところですから。シモツキ、一緒にどう?」
「俺は隊長を待ってから行く。ちゃんと謝っとかねえと」
「お、偉いな、でも腹減ったらちゃんと食うんだぞ」
「わーってるよ、兄ィもさっさと行けって」
「へーへー」
ミナヅキを連れ、ヤヨイは執務室を出る。近くのエレベーターに乗り込み、騎士章をかざして、行き先を言う。エレベーターが音声を認識すると、食堂に向かって動き出した。
「今日のランチメニューは何だろな」
「ここのランチメニューって美味しいですよね、僕そうでもないと思ってたんですけど見直しました」
「最初はそう思うよなぁ。あ、俺が奢ってやるから、好きなだけ食っていいぞ」
「え?!そんな悪いです!」
「良いから、兄貴に甘えとけって。それにお前もこれから成長するんだから、食べなきゃダメだろ?」
「う…、じゃあ、お言葉に甘えて…」
まだ任務をこなしていないミナヅキに、成長するだけの食事をする為のクレジットはまだない。ヤヨイが入った時には人間至上主義もサイボーグ至上主義も動きが活発だったため、特別手当が手に余る程入ってきたものだが、今は二つとも比較的落ち着いている。加えて昨日のサイボーグ至上主義の動きを見るに、これから事が起きる可能性の方が高く、成長する為のエネルギーを確保するなら今のうちなのだ。ただでさえ危険な任務が増える事になるのだから、新米でも駆り出される事になるのは当然だろう。その被害を抑えるのも、上官である彼の役目だ。兄であることも加味すれば、その重要性はうなぎ登りだ。
食堂に到着すると、ある程度の賑わいはあったものの、まだ空席は多く見られた。入り口の両側に展示された今日の献立を見ながら、ミナヅキに尋ねる。
「何食べたい?」
「うーん、悩みますね。でも、まずはスペシャルランチセットで!」
(まずは…ね)
いくら飛ぶんだろう、とミナヅキの食欲を想像しながら自分はカレーの食券を購入。それからスペシャルランチセットの食券を購入すると、それをミナヅキに渡した。
「ありがとうございます!早速受け取りに行きましよう!」
頷いて、それぞれ違うカウンターに並び、料理を受け取る。カレーはすぐに出てくるので、スペシャルランチセットを受け取るミナヅキから見えやすい位置で、席を確保し、彼が来るのを待った。その間、少し周りを見渡してみると先程は気づかなかったが、バカ盛りメニューというのが壁に張り出されていた。
(なになに?制限時間20分で食べ切れたら代金お返しします! へぇ…、割といろいろあるな)
メニューを上から見下ろしていく。バカ盛りカレー(5kg)、海鮮丼(5kg)、天丼(4.5kg)、パスタ(5.5kg)、パフェ(3.5kg)。
ガタッ…!
ヤヨイは勢いよく席から立ち上がり、眼を光らせた。
「バカ盛り….パフェ…!」
「兄さんお待たせしまし….、どうしたんですか?….バカ盛りメニュー?へぇ、代金返金なんですか…、ってもしや兄さん、食べる気じゃ…?」
「あぁ、食べる…食べるとも!糖分が!俺を呼んでいるッ!」
カレーを飲み干し、バカ盛りのカウンターに直行する。それを追うようにミナヅキもランチセットを飲み干してヤヨイの下に向かった。
「うぅ…味がわからなかったです…兄さん」
「バカ盛りパフェ、下さい」
「少々お時間いただきますね。お客様も何かご注文ですか?」
「おう、ミナヅキ、お前も食って良いぞ。食いきれなくても良いからな」
「え?う、うん。じゃあ海鮮丼で」
「はい、じゃあ後ほどお持ちしますので番号札をお持ちになってお席でお待ちください。その際に一緒にお時間計らせていただきますね」
「どうぞお好きに」
先程カレーとランチセットを飲み干したのが周りに見えていたのか、二人の動向は注目の的になっていた。バカ盛りメニューカウンターに並んだのを見て納得したものもいれば、賭け事を始めるものまで現れる始末である。
食べきれるか、食べ切れないか…。
誰もが期待しながら料理が来るのを待ちわびた。
「そういえば値段見てなかった。いくらだっけ?」
「さぁ…?僕も見てませんでした」
(こいつら、値段も見ずに選んだというのか…!)
(大した自信だぜ。食べきるつもりでいやがる)
バカ盛りに挑戦したの事のある者も少なくない。その彼らの殆どは、煮え湯を飲まされた者ばかりだ。
気をつけてね!という声が厨房から聞こえてくると、バカ盛り料理がその姿を現した。ヤヨイが感嘆の声を上げる。
フルーツやチョコレートソースで装飾された白い塔が、やってきた。台座を含めて1m以上あるだろうか、驚異的なバランスを維持してテーブルの上に乗せられた巨塔は、ヤヨイを見上げさせた。
ヤヨイは感嘆の声を上げながら上からじっくりと見下ろしていく。
(トップはバニラアイスか、クッキーも添えられてるな。それを支えているのが、ソフトクリームか。中にもスイーツが入っているんだろうな、当然。台からは生クリームで覆われていて上からはまず見えない、だが横から見る限り、まずはチョコブラウニー、それからフレークか…。?! いや!フレークじゃない…!コレは…)
「バナナチップス…だと…!」
ハッとして見上げる。途中突き刺さっているフルーツは、オレンジ、リンゴ、メロン、グレープフルーツと彩を見せているが、パフェならば当然入っているであろうバナナはどこにも見えない。つまり、このパフェのバナナは全て、後半、しかもかなりの終盤に集約されている。
(ナルホドなぁ、考えたな食堂係り。恐らくこの量なら腹で膨らむ前にバナナを片付けたいもんだが、全部下にあるとなると、重いぞコレは…)
だが、それでこそパフェ。
それでこそスイーツ。
腹が膨れる事が目的ではない。甘いものを取る事が目的ではない。
全てはそのエネルギー、甘味料も果糖も全て極まったそのカロリーに用がある。
ヤヨイはスプーンを両手で挟み、胸の前で構えた。準備万端、いつでも始める事ができる。
対して、海鮮丼。
「これって…」
もはや、ちらし寿司。どこからどう見ても、ちらし寿司。チラシ卵と刻み海苔、見える限りでは、イクラ、サーモン、マグロ、イカが入っているようだ。最後までちらし寿司と言うのも単調な味に口が飽きてしまいそうだが、果たしてどう解決してくれるのだろうか。
直径およそ50センチ、深さ20センチの桶に入った海鮮丼を前に、彼もまた、その手を合わせた。
食堂係りはストップウォッチを構え、二人に言った。
「制限時間は20分、お互いの協力は禁止です。それでは、ヨーイ、始め!」
がぷ!
先ずはヤヨイから、立ち上がって一口で天辺のバニラアイスを頬張る。その冷たさと甘みが口内を一気に支配する。開戦、その二文字が今ハッキリと刻まれた。口の中を処理しながら、渦巻き状に掛けられたチョコレートソースと、その螺旋で彩られたソフトクリームを睨む。純粋に、上から行くのも男らしいが。
(ここは敢えて、付け根から…!)
上へ、上へとスプーンを走らせる。螺旋の肌に雪崩を引き起こす。その内側に見えたのは、夥しい量の小豆だった。小豆だけではない、栗やわらび餅、白玉と言った和風のスイーツが軒を連ねていた。ソフトクリームに重ねて更に別の甘みが口の中一杯に広がっていく。優しい、素材を活かした人口甘味料を感じさせない甘みが、欲しくなる。
スプーンが螺旋の塔に突き立つ。やや上部から掘削されていく塔に、周囲は愕然としていた。
「あいつ…まだ一口も水を飲んでねぇぞ!」
「あの甘さに耐えられるってのか…!」
「いいや、あいつの顔を見ろ、明らかに楽しんでやがる。ソフトクリームと小豆達の甘さの違いを、楽しんでやがるんだ…!」
「しかも冷たいアイスばっか食ってやがるのにひるむ様子が一切ねえぞ、どうなってんだ!」
ものの五分程度で、その塔は、塔の形を成せなくなっていた。彼のスプーンは、その根本の生クリームの海に突入する。生クリームだけを頬張って一言。
「…良い」
その顔は、恍惚という言葉に尽きた。ここまで来ると、恐ろしさよりも応援する気が勝ってくる。歓声を聞きながら、ヤヨイは生クリームの海を攻略していく。時にはソフトクリームと混ぜながら、時には小豆と混ぜながら、最後の難関が姿を現わす。
フレークの代わりに敷き詰められたバナナチップスを前に、彼は一度スプーンを置いた。
まさか、と全員が息をのむ中、彼は食堂係りにこう言った。
「アイスクリームを、この上に乗せてくれ、チョコレートで頼む」
その一言に、全員が驚愕する。
「おかわりだとぉおおおおおおおお!!」
「あいつの胃袋イカれてんじゃねえのか!」
カウンターにいた別の食堂係りがアイスクリームディッシャーでまん丸のアイスクリームをバナナチップスの上へ重ねた。
そして彼はまた、スプーンを取り、振り下ろした。
ザクッ!ザクッ!とバナナチップスが割れる音が響くのと同時に、アイスクリームを巻き込んでいく。そして、大きく一口を頬張った。咀嚼する彼の口は止まる気配を見せず、その手もまた、動き続けている。
「……?」
周りの人間は微妙に感じる違和感に、徐々に気づいていく。
(なんだ…? 何か、何かが足りない…)
(わからねえ、何かが足りないことまではわかっているのに、なにが足りないのかがわからねぇ…)
その中で一人、ポツリとこぼした。
「ふやけてやがる…!」
全員が眼を見開いた。いくら細かく砕かれたバナナチップスと言えど、咀嚼すれば当然破砕音が響くはず。だのに、彼の口からはその音が聞こえない。まさか…、台座の底に全員が視線を刺す。
(あった…!溶けて溜まった、クリームが…下に!)
(こいつもしかして、さっきのアイスもこの為に…!)
ヤヨイが行ったアイスの追加は、ただのお代わりではない。バナナチップスなどの硬い食べ物を相手にする場合、その最大の敵となるのは、腹に溜まって膨らむ事でも、顎が疲れる事でもない。
圧倒的な咀嚼回数が敵なのだ。人の脳は咀嚼を繰り返す事で満腹中枢が刺激され、例え腹五分だったとしてもお腹が一杯だという信号を出す。コレを出されると、例え大食いだったとしても思うように腹に詰める事は困難を極める。
だが、その硬い食べ物を柔らかくする方法があるとしたらどうだろうか。
その答えは、彼が教えてくれるだろう。きっと、もうすぐに。
一方のミナヅキは勢い良くスプーンを突き刺し、大きく一口を頬張った。ん〜、と頬を綻ばせ、美味しそうに咀嚼していく。だが、次のスプーンが何かにぶつかった。首を傾げてチラシを少しどけると、何やら赤いものが見える。
もしや、と更にどけると、そのに広がっていたのは、マグロの切り身だった。
「二段積みだ…!」
嬉々として、周辺のちらし寿司を頬張ると、マグロだけでなく、ネギトロやカニ、シラスなどもちらほらとその姿を見せ始める。それが楽しみになってくる一方で、ミナヅキの口内ではある問題が起きていた。
「…飽きるなぁ」
やはり、一面にあるちらし寿司に口の中が飽きてくる。途中で水を口に含んで多少リフレッシュするが、冷水では落とせない魚の脂が口の中に残り、次のスプーンを阻害する。
「お茶貰えないですか、熱いの」
「お持ちできますよ、少々お待ち下さいね」
タイムを測っていた係りが別の係りを呼び、瞬間湯沸かし給湯機と湯呑み、粉末茶を持ってくる。ミナヅキは自分でお茶を用意すると、息を何度も吹きかけたあとでゆっくりと口をつけた。
口の中で固まっていた脂が喉の奥へ、お茶と一緒に運ばれていく。
「よし」
スプーンの速度が格段に上がる。ちらし寿司をあっという間に平らげ、二段目の姿を晒す。先ほど見えたものに加え、ウニやアナゴ、その他ミナヅキの眼では区別がつかない切り身がふんだんに乗った海鮮丼が姿を現わす。
やはり海鮮丼はこうでなくては、と醤油を回しかけながら、またスプーンですくっていく。だが、何故か口に運ぶ気にならない。見た目は凄く美味しそうなのに、何故か手が止まってしまう。
(やはりな)
(ここで止まることは誰もが知っている。歴代の大食らいも、一度ここで手が止まるのだ)
(さて、見ものだが…どうする、新入り)
何故手が止まったのか、簡単に言えば、一つの区切りがついてしまった、という事が大きな一因だ。
初めて海鮮丼を見た時、彼はちらし寿司しかないな、と思ってしまった。そして、ちらし寿司自体にもかなりの量があった。この二つが重なるとどういう事が起こるか。
脳が無意識に満足してしまうのだ。あれだけの量のちらし寿司を食べた。という区切りが、無意識の中で食事の終わりを示してしまったのだ。それからまた新しく同じ規模の量が出現しても、彼の中では食事は既に終了してしまっているため、彼の手が、口が、無言の抵抗を行っているのだ。
しかし、彼も一人の男、此処で足を止めるわけには行かない。
食べ過ぎだと思うなら、消費すればいい。
彼の心臓が動き出す。静かに、そのエネルギーを消費して行く。
(弦の強化、射程の増強、スコープ追加、炸裂矢及び鏃の強化、腕部脚部の鎧化…)
昨日の夜勤の時に見せてもらった黒騎士である兄の任務の様子から、今の自分にとって確実に必要になる事、あったほうがいいもの、今まで欲しかったが成長させられなかった事などを一気に行っていく。
そして、彼の身体はエネルギーを求め始めた。スプーンを持つ手が勝手に動く。大きく膨らんだ口が咀嚼を繰り返し、飲み込んだ。周囲の人間には彼が何をしたのかがわからない。数十秒、いや、1分くらいだろうか、虚空をみつめたまま固まったと思えば、突然目の色を変えて貪り始めたのだ。催眠術にでも掛かったのかと心配する者も現れる中、なおも彼の手は止まる様子を見せない。
(また満腹になる前に…!感じる前に決める…!)
桶を持ち上げて掻き込んでいく。ここまで食べられた事も驚きだが、彼の女性的な整った顔からは想像できない程の豪快さで桶が空になっていく。
野次馬たちはスパートをかけた二人を見守りながら、その早さに身を竦めた。
バケモノだ、誰かが思った。恐らくこの場にいる誰もがどこかしらで思っているだろう言葉が、今はもっともしっくりくる。
ヤヨイが、底に溜まったクリームを飲み干し、ミナヅキが最後の切り身を嚥下し、
「「ッシャァ!!」」
同時に空の器をテーブルに叩きつけた。係りが驚愕のタイムを告げる。
「12分…32秒…!」
歓声が湧く。食事に夢中になっていた二人は周りに響く拍手喝采野次馬の存在に初めて気づいた。
「いつの間にか、すごいことになってましたね」
「みたいだな。見世物のつもりはなかったんだけど」
「まだ何もしてないのに有名になりそう」
「大食らいでか。それはそれで面白いんじゃないか?話題性として」
「そんな話題性求めてないですよ」
ミナヅキは苦笑いしながら席を立った。それに合わせてヤヨイも席を立った。視線から逃げるように食堂のエレベーターに乗ったミナヅキに続いて、歓声に軽く手を振って応えながらヤヨイもエレベーターに乗り込んだ。