亡命
奇跡だと思った。
限りなく低い確率を掴み取った自分は幸運だったのだ。
「…一応、亡命…かな」
白衣はボロボロ、あちこちに火傷を負いながら、流れ着いた沿岸に仰向けに寝転がる。既に夜更けなだけあって、人の気配は無いものの、このままでは衰弱死しかねない。
(そこは…親切な人に拾ってもらえることを祈るしかないねぇ…)
半ば諦めながら目を閉じた彼は、不意に感じた人の気配に耳を澄ませた。
疲労で目を開ける気力はない。ひたひたと忍び寄る気配を感じながらも、彼は身を任せることにした。
次に目を覚ますと、見知らぬ天井がそこにあった。
辺りを見回せば、白い部屋に心電図、薬品の容器が吊り下げられたフック、その容器から伸びる点滴は自分の腕に刺さっている。
病院だろうか、身体を起こすと、ベッドにまたがるベッドテーブルに書き置きがあった。
『目が覚めたら呼び出しボタンを押すように』
人の手で書かれた丸みのある字だ。アンドロイドで生前の筆跡を再現するのは綿密なプログラムが必要になるため一般人ではあまりやらない。
ただし、騎士であれば話は別だ。こと戦闘においては、プログラムされたものよりも手ぐせの方が上手く行くことの方が多い。結局その手ぐせを再現すると筆跡の方にも繋がる。
自分が流れ着いたのがどの辺りかはわからないが、辺り一帯は既に真っ暗だった。あの時間に一人で出回っているとしたらよほど腕に自信があるか、無警戒な阿呆か、騎士の三択。そのうちこういった置き手紙をしそうなのは騎士くらいだ。
そんな予想を立てて、男はナースコールを押した。返事は若い女性、ただ、彼を連れてきた人ではないらしい。当人を呼んでくるとのことでしばらく待つことになった。
やることも無いが何かをするほどの気力はまだ無い。窓もないので目を閉じて頭を休める。視覚情報を切った方が頭は休まる。
数分で彼の部屋の扉はノックされた。はーい、と返事をすると、失礼しますの声とともに、アンドロイドが入ってきた。
黒い装束は身体のラインにそっているものの、女性らしい特徴は感じられない。また、顔もフルフェイスを更に頭蓋に密着させたような物で覆われており、顔はわからない。辛うじて声から女性ということはわかるが、それ以外は何一つ情報がない。
警戒されているのだろう。あれだけ大規模な侵攻をされた直後だ。警戒しない方がおかしい。
騎士であろうそのアンドロイドはベッドの横に立ち、こちらの顔を覗き込む。
「…顔色は悪くないね。痛むところは?」
普通の心配をされた事に、返答が一拍遅れた。
「あえて言うなら全身。けど、治療いただいたおかげでピンピンしてるよ」
「そっか、なら良かった。尋問は得意じゃないから端的に聞いちゃうんだけど、人間至上主義の人、だよね?」
ストレートに聞かれた言葉に、少し唸った。
「うーん、正確には、“だった”かな。僕は亡命希望者なんだ」
「………、」
今度は騎士が黙る。
「証明は…まぁ出来ないよね、信じてあげたいところだけど、今貴方にはスパイの容疑がかけられてる。残念だけど易々と信じられる状況じゃないんだ。ごめんね」
なぜ謝るのか男にはわからない。彼女が言っていることは至極当然の話で、ベッドに寝かされている時点でかなり温情を受けていると言っていい。
だと言うのに、信じられなくてごめんという。
やはり、と言うべきか、人間至上主義なんて捨ててきて良かったと思うのだった。
彼らの言うような魑魅魍魎が跋扈し、秩序が崩壊した国などでは無い。彼らは人の心を持ち、他人を思いやり、助ける余裕がある。
余裕がないのは人間至上主義側なのだ。
「大丈夫。もう既に助けられてるんだ。これ以上望むのは欲張りがすぎるってもんさ。一応、情報提供は出来るよ。信憑性はそちらで判断してもらって構わない。精度の良い嘘発見器もありそうだし、その辺を取り付けてもらっても良いよ。正直に言うと、僕はあちらにとってもいなくて良い存在だから、僕の価値を君たちに売りたい」
そう伝えると、悩むそぶりを少し見せてから、アンドロイドは言った。
「明日、今と同じような時間にもう一度お話を伺います。それまでゆっくり休んでてください。場所はこの部屋で行います。移動の必要はありません。出来る限りでいいので、話せる内容をまとめておいて貰えると助かります。何か必要なものはありますか?」
「そしたら、紙とペンを。まとめるのにメモを取りたい」
「わかりました。後で届けてもらいます」
情報提供が出来ると聞いてから、少し事務的な口調になったアンドロイドに、男も少し気が締まる。情報を受け取る準備をするのだろう。悩むそぶりに見えたあの仕草は、きっと彼女の上司と連絡をとっていたに違いない。
適当な予想をしながら、彼はアンドロイドを見送った。
さて、男も思考を切り替える。
自分が売れる情報を整理しなければならない。拠点の位置は第一として、今彼らが行なっている実験の内容、老人の目的、現在の進行度、老人の戦力とそれぞれの動向。
自分がわかっているのはそれくらいだろうか。小出しにしたところで、駆け引きは無意味だろう。さっさと自白剤を飲ませて仕舞えば解決するのだから、策謀を無意味に張り巡らせるよりも、情報は全て渡し、無価値になって解き放たれる確率を上げた方がいい。
囚人として扱われるとしても、今までよりはまだマシだろう。
アンドロイドの反応を見る限り、多少の縛りはあるが、少なくとも生を享受する事は出来そうだ。ただし、彼女の上司が冷徹でない場合に限るが…、それについては天に身を任せる他ない。
ヒトの国に産まれて三十数年、ここに来て天に祈ることになろうとは…。
ナースが持ってきた紙とペンを受け取り、先程考えていた『渡しても価値がありそうな情報』をまとめていく。思考に没頭するのも久々だったためか、男は夜更けまで手を動かしていた。
次の日。
アンドロイドの上司は突然やってきた。朝食を食べ終わって、渡せる情報の見直しでもしようかとゴソゴソしていたところ、顔を伏せたアンドロイドを連れて青年が入ってきた。余裕のある笑みを浮かべ、真っ黒な団服に身を包み、おはようと挨拶をしながら備え付けの椅子に座る。
動作は自然、駆動音も無い、アンドロイドではなく人間なのだろうか? いやだとしても…。
挨拶を返すのも忘れてジッとその顔を見てしまった。
端正な顔立ちも自然な動作もその一点からすると些細な事だった。
「ん? 男に見つめられる趣味はないぞ?」
「………、無防備過ぎやしないか」
「なんだ、俺の心配か。お構いなく、俺が一番強い」
ポケットに入っていた缶コーヒーを開けて呷る。それから机の上に並べられていた紙を横目に見て、ふーん、と声を漏らした。
「流石に海を越えるのは騎士団が不利だなぁ、サイゾウさん時みたく打ち上げてもらうか、折角先手取れるなら派手に奇襲掛けたいよな」
「…おじさんにそんな事聞かれても困るよ。はぁ、交渉とかそんな事させてもくれないか、世知辛いなぁ…」
「交渉? あぁ、亡命希望だったっけ。シャーロットさん伝えてないの?」
「うん、夜中に決まったから寝てるかなって」
「それもそうか。希望は通った、というか、通させたから、そこは心配しなくていい。二つ道を用意したから選んでくれ」
一つ、
「一般人にか紛れて細々と暮らしていくか」
二つ、
「カウンセラーとして騎士団で働くか」
どっちがいい?
軽く聞かれた男は目を回した。それから目頭を抑えながらうめく。
「情報量が多いよ…おじさんの脳みそは中古品なんだ、ちょっと加減してくれないかな…。ひとまず、お礼は言わせてもらうね、亡命を許してくれてありがとう。だけど不可解なんだけど、おじさんを騎士団に入れるメリットがあるのかい? 仮にも元敵国の人間だよ?」
青年はコーヒーを空にしたあと、上下を両手で挟み、軽く力を入れると、缶は一瞬でアルミの金属板へと姿を変えた。それから片手で握りしめた後、トリュフチョコレートでも作るように手で丸め始め、小さな丸い塊になった元アルミ缶を机の上に置いた。
一部始終を見ていた男はすでに答えを見せられたような気分になったが、言葉を待つ。
「んー、いろいろ理由はあるけど大きく分けて二つかな。一つは亡命して来たけど、経歴が経歴だし働き口をこちらで用意できなさそうだから、野垂れ死にしそうって事で、職業の斡旋して死なないようにしたいってのが一つ。
もう一つは、騎士団の人材不足かな。最近この国大人気なもんで、騎士の数が目減りしてるのよ。だから使えそうな人間は積極的に取り入れたいところなのさ。中でも足りないのが医療班、特にカウンセラー。傷は機械に任せときゃちょちょいと治せるが、心のケアは機械じゃどうにもならないだろ? 人間として生きて来たんなら、多少なりとも人生相談はのれんじゃ無いかってね」
理には適っている。確かに、亡命して来た彼にはも碌な経歴がない。働き口など皆無だろう。アルバイトも、人間の、しかも中年を雇うくらいなら、やる気のあるサイボーグを雇った方が金額に見合う。
一般人として生きていくのは、彼にとっては厳しいものがあるだろう。それであれば、監視の目が着いたとしても、騎士団の庇護下にあり、今まで同様の経験が活かせるならこれ以上の条件は無いと言っていい。
それゆえに、男は申し訳なさが先立った。
「それは…おじさんにとっては渡に船だけど…。その情報は対価として見合っているのかい? 無理難題を吹っ掛けられても応えられないよ?」
「んー、まぁ情報の粒度で言えば、ちょっと足りないくらいだろうな。こちらからも聞きたいことはあるから、あらかじめ書いておいてくれたコレに加えてその情報が手に入ればどっこい…って事にしよう」
これ以上の情報も持ってないだろ?
男は頷くしかなかった。
青年は紙を上から軽く眺めたあと、男に尋ねた。
「神ねぇ…。どのくらいできてるんだ?」
「…明確には答えられないな。僕がそれを見た時は、卵だった」
「卵…」
「あぁ、人がすっぽり入りそうな大きさだったよ。ミカグラ粒子を補給する管は繋がっていたけど、確かに卵だった。………、恐ろしい話だけどね、鼓動を感じたよ。中に何かがいることがわかる、明確な鼓動だった」
青年は少し考える素振りを見せた後、再度尋ねた。
「仮に、神が中にいるとして、どんな神だ?」
「人間至上主義は九割が一神教さ、恐らくはその神だろうね」
「あー、なんて言ったっけ」
「YHWH、エホバ、テトラグラマトン、呼び方は色々あるけど、結局のところ同じものを指してるよ。面倒だからYHWHで呼ぶけど、それ単体がどう言った姿かってのはわからないんだよね。一部で偶像崇拝が禁止されていたこともあって、聖人の絵や彫刻はよくあるけど、神そのものの姿形はまるでわからない。旧神の方がまだ絵が残ってるよ」
青年は首を傾げた。聞きなれない単語が多かったのだろう。宗教家や歴史が好きな者でなければ、こういった名称には疎いものである。
だが青年が気になったのは旧神の方らしい。男に対して質問を投げかけた。
「旧神? それも作るつもりなのか?」
「んー、それらしいものはもう作っただろうし、それはないだろうね。クロウ…えーと、多分情報はあると思うんだけど、触手みたいなのと戦ったことはあるかい?」
「ある、あいつが旧神?」
「厳密には違う。旧神は所謂ファンタジーなんだ。聖書のように歴史あるものではなくて、恐怖の体現が旧神に集約されてるものでね。言ってしまえば、彼は恐怖そのものを植え付けられた存在だと言える。ただ、彼は知識に乏しいから、その力の全てが出し切れてないんだろうね」
「…そいつぁ恐ろしい話だ。因みに、俺もその辺には疎いんだが、どんなもんなんだ? その旧神っていうのは」
男は言葉を選んだ。クロウと呼んだその触手の男は、正直な話、クラウディオ・ニッセンの陣営の中で最も危険な存在だった。
ポツリ、ポツリと言葉に直していく。
「旧神は別名旧支配者、外宇宙の存在。こちらの常識は一切通用しないし、彼らを理解することは出来ない。一目見るだけでその精神を蝕み、崩壊させる。並みの人間では出会っただけで人生が終わる、そんな存在だね」
「規模がデカすぎてむしろ想像つかん…。透明な触手しか使ってこねぇからいまいち要領が得られんな…」
「星の精の力かな。生物の生き血が好物らしいよ」
「吸血鬼か…」
「そんな可愛い見た目じゃないよ。もしかしたら本屋にあるかもしれないから、知識はあった方がいいかもね。彼がいつその知識を取り込んで使い始めるかわからないから」
青年はアンドロイドに目配せをした。
紙に書いてない情報だったが、これは有用なものが渡せたのでは?と男が考えていると、青年は腰を上げた。
「かなり有益な時間だった。この情報はうまく使うよ。それじゃ、最後に」
青年は男に手を差し出した。
「名前は?」
「オリバー・フィニクス」
「ヤヨイ・ミカグラだ。ようこそ騎士団へ、我々は貴方を歓迎する」
差し出された手を取った後で、その名前を聞いて、目を見開いた。
それから、くつくつと声を抑えて笑う。
「あぁ、確かに、僕みたいなおじさんが束になろうが、君には敵いそうもない」
「わかってもらえたようで何よりだ。それじゃ、傷がなおったら仕事を提供しよう。頼んだぜ」
「あぁ、期待以上はできないかもしれないけど、期待外れにはならないつもりさ。よろしくね」
オリバーはヤヨイとアンドロイドを見送って、ぼふ、とベッドに倒れ込んだ。駆け引きなどがなかった分、気持ちのすり減りは想定よりも少ない。それよりも、これからの未来に希望が持てたくらいだ。
そして、クラウディオからは想像つかないほどいい男だったヤヨイに、苦労してそうだなと同情もした。顔も良ければ気遣いも出来る。頭も回る。話していて悪いところが見つからなかった。言葉は少し粗野だったが、お互いの立場を考えれば、彼が言葉を丁寧にする必要など微塵もない。そんな男が、クラウディオの事で苦労をしているとなると、やはり、協力したくなるというもの。
最初の話からして、きっとオリバーのために無理やり話を通してくれたのだろう。そんな彼に少しでも恩返しをしなければ。
オリバーはまだ放り出せる情報がないか頭を動かしながらも、体を休めるために目を閉じた。