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海猫ヶ浜

 文字通り海を渡るウミネコの声が優しく染み渡る浜辺の町『海猫ヶ浜』

 電車を降りた詩織たちはその清楚な風景に、思わず小さな感動のため息をついていた。


 駅のプラットホームで潮の香りがほんのりと漂う緩やかな風を受け、その光景は広がっていた。

 秋の柔らかな陽射しを受け、海岸沿いの小高い丘まで続く真っ白に輝く砂浜。それはまるで遠景からは精巧な海付きの箱庭のようにも見え、普段から山の景色しか知らない彼女たちを興味の象徴として手招きしているように見える。

 砂浜の傍には、まるで虹のラインのように防風林が伸び、その白と緑のコントラストがいっそう鮮やかに詩織の目に飛び込んでくる。

 防風林の背後には数十軒の建物が見えるが、海辺の情景の色合いがあまりにも見事なため、本来築年数の古い建築物の数々のはずが、なぜか1枚の風景画のために精巧に計算されたアイテムのように感じられる。

 

 あるいはこの光景はそこに住む者や海辺の住人にとっては当たり前のものなのかも知れないのだが、少なくてもここに初めて来た輝蘭や絵里子や真夢に対しては、絶景としての印象を植え付けたのである。


「うわ〜、キレイなところだね〜。」

 一番最初に声を上げたのは、意外にも過疎地である海猫ヶ浜での退屈さを一番に気にしていたはずの絵里子だった。


「でしょ?ここはとっても素敵な所なんだよ。」

 いつも絵里子に半ば揶揄のような言葉を並べられていた七海は、勝ち誇ったような表情で絵里子に応えた。

「本当に素敵な所ですね、ナミさん。こんな素敵な場所なら、もっと早く教えてくだされば良かったのに。」

挿絵(By みてみん)

「シオリちゃん!ここすごい!」


 絵里子のみならず、輝蘭からも真夢からも感嘆の声が上がったのだから、七海も詩織も気分はまんざらでも無い。別段自分たちが褒められているというわけでも無いのだが、それでも二人は非常に照れくさいような気がして、多少なりとも顔をニヤ付かせながら町までのバスに乗り込んだ。


「で、リコたちが泊まる民宿は、どんな所なの?」

 バスの車中、すっかり海猫ヶ浜に興味を高めた絵里子が七海に聞いた。

「どんなって言っても、ごく普通の民宿だよ。」

「普通って、あんな感じ?」


 ニヤけたように外を指した絵里子の指の彼方に七海が目をやると、そこには彼女の記憶には無い光景があった。バスから2kほど離れた小高い丘の上。一般に海猫ヶ浜の人からは『風の丘』と呼ばれている場所に、見慣れない建物があったのである。


 それは建築途中の一軒のホテルだった。建築中とは言えその外装はほとんど完成されていて、本来必要な工事車両などは見当たらない。おそらくオープン間近なのだろう、周辺には経営上の関係者と見られるスーツ姿の男性陣がせわしく歩き回る姿が見られ、ぽつぽつと歓迎の花輪が運び込まれる様子も見られる。

 ホテルはかなり巨大で、かなりの資本が動いているのだろうということは容易に彼女たちには想像できた。ざっと数えただけでも階層は10階以上あり、並ぶ窓の数も半端では無く、いかにも「最新鋭のリゾートホテル」といった様相だ。


「あんなホテル、前に来た時には無かったよね・・。」


 本来の七海の中にある海猫ヶ浜のイメージとは違った物が目に飛び込んできたことで、七海も多少戸惑った様子を見せたが、興味津々で彼女の応答を待っている絵里子の表情を見て、七海はすぐにため息をついたように彼女に返答した。


「うちの叔母さんの経営する民宿が、あんなすごいホテルなはず無いでしょ・・。」

「判ってるよ。冗談に決まってるじゃん!」


 隣でケラケラと笑う絵里子のほっぺをつねりながら、七海は改めて窓から見えるホテルに視線を向けた。

 七海が最後に海猫ヶ浜を訪れたのは、もう10年も前の話になる。

 もちろんあの時にはこんなホテルの姿は影も形も無く、風の丘の上にはキレイな白と紫色の海浜植物の群れが広がっていた。


 あれから月日が流れ、この静かな浜の町にも時代の波が静かに入り込んでいるのだろうということを考えると、七海の心にも特別な想いが生まれてくる。

「あんなのが出来るのなら、叔母さんの民宿にも、もうお客さんは入らなくなっちゃうね〜・・・。」


 七海はこの町を訪れる機会が少なかったとは言え、海猫ヶ浜のことが嫌いというわけでは無い。むしろこの静かな波音が聞こえてくる情景は大好きだ。きっと心は傷付くような事があったとしても、海猫ヶ浜の町は痛みを癒してくれる環境のはず。


 七海は心の底で、この町は永遠に変わらず、何かあった時にはきっと自分を優しく迎え入れてくれる所なのだと、なんとなくだがずっと思っていて、あのような最新のホテルのようなものができることに、複雑な想いを廻らせていた。


 やがてバスは小さな通りを抜け、彼女たちの目的地である民宿「はまなす」の前に止まった。そこでは七海と詩織の叔母が彼女たちを出迎え、七海たちは数日泊まることになるキレイな和室に通された。


「おばさん、お世話になりま〜す!」

「あら〜、みんな女の子だと華やかでいいねぇ!」


 この宿の女将である七海と詩織の叔母は、なかなか陽気で気さくな人物のようで、七海たち一行を暖かく迎え入れると、ジュースやお菓子で彼女たちをもてなした。

 この部屋から見える風景はオーシャンビューで海岸が間近に見え、開けた窓からは心地良い海風が静かに流れ込んでくる。

 しばらく世間話や海猫ヶ浜の観光スポットについて等でおしゃべりをしていた面々だったが、まずは浜辺にある岩場で釣りでもしようと詩織たちが動き出した頃、ホテルのことが少し気持ちに引っかかっていた七海が、思い切って叔母に質問した。


「ねえ、叔母さん。」

「なんだい?ナナミちゃん。」

「あの、最近ここに新しい建物できてるよね。」

「ああ、【フォルネウスホテル】のことかい?」

 叔母はやんわりとした笑顔で七海に応えた・・・。


 叔母の話によると、このホテルが着工されたのが約3年前のこと。この海猫ヶ浜には目立った産業は無く、中には民宿などで細々と生活している家も少なく無い。また巨大ホテルの建設により素朴な自然が失われるのではという心配もあったため、最初はホテル建設に反対する者が多かった。

 しかしホテル側から地元優先での雇用が約束された上に、観光地の開発が町の活性化につながるという考え方も次第に浸透し、ホテル建設は現在は住民には大きな期待を持って受け入れられているのだという。


「あのホテルが出来たら、もううちみたいな小さな民宿は廃業だけどね。」

「え?それじゃあ、叔母さんどうするの?」

「心配してくれるのかい?ナナちゃんは、相変わらず優しいねぇ。」

 心配そうに叔母の顔を見る七海の頭を、叔母が優しく撫でる。


「新しい観光の助成金が出ることになったし、おばちゃんもあのホテルで働くことになったから心配はいらないよ。さっきは廃業なんて言ったけど、あのホテルがお客さん呼んでくれるんなら、この町はもっと活気に溢れた場所になるからさぁ。ただねえ・・。」


 不意に叔母が奇妙な表情を見せた。

「あのホテルはもう来週ぐらいから本格的に営業始めるみたいなんだけどねぇ、ちょっと揉めてることがあるみたいなんだよ。」

「揉めてる?」


「ほら、ナナミちゃんも憶えてるだろ。例の【大権様】のとこ。」


「・・・・・・大権(だいごん)様?」


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