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ツァトゥグァ

 それは、地の底から沸き上がるような一度の咆哮から始まった。その鳴き声はもちろん人間とは異質なものだったが、次第に数を増す無形の落し子どもの声とも違っている。

 絵里子はそれがフォルネウスの差し向ける新たな刺客かとも考えたが、意外なことに最も動揺しているのはフォルネウス自身で、彼は瞬との戦いを無視して呆然と魔方陣の中央を見つめ、恐怖に青ざめた表情を浮かべている。


「バカな・・・、あれは【ンカイ】の最下層に眠っているはずだ・・。七海の能力は、そんな深い所にまで届いてしまったのか・・?」


 フォルネウスの動揺は激しく、今この場から逃げ出しそうな程に腰が引けている。

 彼がさっきまでの高飛車な態度から一転したことに気付いた瞬は、争いの手を収めると不思議そうにフォルネウスの顔を見た。


「なんだよ・・。どうしたの?」

「私は・・・そこまでは望んではいない!ツァトゥグァまでが地上に這い出してしまったら、一掃どころじゃ無い!地上は全て使い物にならなくなってしまうぞ!」


「・・・ツァトゥグァ?」


 フォルネウスの口から出た『ツァトゥグァ』という言葉は、もちろん瞬にとっては初めて耳にした単語だった。しかし彼の異常なまでのうろたえぶりからも、それが【無形の落し子】すらも凌駕する驚異であることがはっきりと理解することが出来る。


「なんだよ!ツァトゥグァって!?」

「ツァトゥグァは・・・暗黒世界ンカイの最下層にある黄金の玉座に眠っていたはずの旧支配者だ!いくら七海の能力が優れているからといって、まさかそんな所まで届いてしまうとは・・・。」

「旧支配者?」

「ああ!【海のクトゥルー】や【炎のクトゥグァ】と同じ邪神だ!」


 そしてフォルネウスは瞬に背を向けるとその場から走り去ろうとしたが、次の瞬間、魔方陣の中央から巨大な手が現れ、ホテルの一画を勢い良く破壊した。瓦礫は逃げようとしたフォルネウスの頭上に降り注ぎ、彼の絶叫をだけを残し押しつぶしてしまった。しかし巨大な手はそれでも満足出来なかったらしく、新たな獲物を求めるように瞬や絵里子の頭上で掌を振り回している。

 それは、信じられない程に巨大な獣を思わせるものの前足だった。魔方陣の中央部分から浮かび上がった前足のみで優に数メートルの大きさがあるのだから、その本体の大きさはいかばかりのものだろうか?それは茶色の深い体毛に覆われ、先には鋼すら切り避ける程の凶悪で鋭い爪を携えている。


 四つの元素のうちの土に由来する旧支配者ツァトゥグァ。その性格は邪神の中では温和な方と言われているが、それでもそれは人間にとって生存の権利を脅かす存在以外の何ものでも無い。今正に太古より地球に巣食う邪神の一体が目覚め、地の底から人間の世界へ這い上がろうとしているのである。


 尋常ならざる状況の変化に、絵里子も詩織も七海を連れ出そうと必死だったが、彼女は絶叫を上げたままその場から離れようとせず、正に絶体絶命という言葉が相応しい瞬間だった。絵里子は平手で七海の頬を数度打ち付けたが、それでも彼女の正気は戻って来る気配が無い。


「ナミ!いい加減にしろよ!ナミ!」

 先程までは強気だった絵里子だが、七海の症状が一向に回復しないことに彼女の心は次第に折れ始める。

それは心のどこかに「もうナミと一緒に帰れないのでは?」といった漠然とした不安が膨らみ出したからで、いつの間にか絵里子の目には大きな涙の粒ができ、それが頬を伝って落ちていく・・・。


「ナミ・・・もういいよ・・一緒に帰ろ・・・。」


 気が付くと、絵里子は七海を強く抱きしめていた。


 彼女の七海との付き合いは詩織以外の他の誰よりも古いが、今に続く内容の濃さも一番だと絵里子は思っている。彼女たちを慕っている詩織と真夢の関係が、ちょうど小さかった頃の絵里子と七海の関係に似ていて、絵里子はあの頃の思い出を重ねながらいつも小さな二人組を見守っていた。

 七海が実の妹の詩織と同じぐらいに真夢への面倒見がいいのも、きっと彼女も同じ目で見ているからだろうと絵里子は思っている。

 彼女の存在は、絵里子にとって双子の姉妹。七海のいない世界など、絵里子には到底想像することは出来ない。


「ナミがいないと、困る奴がいっぱいいるんだよ!アンタのお父さんやお母さんとか!」

 いつも無邪気に絵里子を慕ってくれて、いらないお節介を妬いてくるナミ。

「シュンだって・・・キララだってそうさ!」

 大嫌いな怪談でも、絵里子が話すと耳を塞ぎながら、結局最後まで聞いてくれるナミ。

「マムだって・・・シオリなんか大泣きしちゃうぞ!」

 共に苦しい練習を超えて、一緒にバスケの優勝トロフィーを掲げたナミ。

「だけど・・・だけどさ・・・。」

 

 どんなに困った時でも、傍で必ず微笑んで待っていてくれる優しいナミ・・。 

 

「アンタがいないと一番困るのは・・・リコなんだから。」


             ☆


 絵里子がふと気が付くと、彼女の背中に優しく手を添える者がいた。振り向くと、そこには見たことの無い小さな男の子が彼女を見つめている。男の子は控えめにニッコリと微笑むと、恥ずかしそうにたどたどしい言葉でささやいた。


「プレゼント・・・お姉ちゃんに届いた?」

「・・・プレゼント?」


 小さな男の子は視線を下に向け、絵里子と目を合わせることすらためらっているように見える。絵里子はふと、この少年が以前に七海が電車で会った男の子のような気がして、彼に名前を尋ねた。


「アンタ・・もしかして晴樹?プレゼントって、ドリームキャッチャーのこと?」

 男の子はコクンと首を縦に振る。


「それなら、あれはもうナミが大事に持っているよ。」

「ううん、それだけじゃダメなんだ。」

「ダメ?何が?」

「プレゼントは中身を開かないと見えないよ。お姉ちゃんの悪い夢、きっと追い払ってあげて。」


 ・・・・・・!!

 男の子の言葉に、絵里子は急に閃いたことがあった。

 絵里子は急いで七海のポケットを探ると、そこから以前に彼女が手に入れたドリームキャッチャーを取り出す。それは数本の艶かしい鳥の羽と針金で出来た部品で装飾されていたが、絵里子はそれらを全てむしり取ると、その中央にあった輪状の装飾具を掌に乗せた。

 それは、細部まで精巧な技巧の施された黒と銀色の指輪だった。指輪は嵐の過ぎ去った海猫ヶ浜にかかる月の光を受け、美しくも妖しい光を仄かに放っている。


「これ、まさか・・・ソロモンの鍵!?」


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