プロローグ②
オレンジ色に輝く夕焼けの情景が、まるで1枚の絵画のように七海の目に映った。
まだ手付かずの自然が多く残る鳳町の近隣には、大都市の美鷹からは既に失われた多くの景色が残されている。
町外れにある鳳町の象徴とも言える石着山に沈む夕日の情景もまさしくその一つで、鳳町に向かうローカル鉄道から西の空を眺めていた七海は、普段から見慣れたはずの景色に目を向けながら、いつもとはちょっと違った夕暮れの時間帯の趣を楽しんでいた。
椎名七海。15歳。
鳳町の籠目中学校に通うこの中学3年生の少女は、穏やかな性格を持つ、どこにでもいるような普通の少女と言っていいだろう。
ただ彼女の運命と言えばいいか、七海は今までに特異な出来事に多く巻き込まれてきた経歴があるのだが、それらの体験談は別の機会に説明することとしよう。
とにかく彼女はしみじみと夕日を眺めながら、その美しさにしばらくの間目を奪われていた。
彼女が在籍する籠目中学校には仲の良い2人の少女がいて、また妹の詩織の小さな友人との間でも特に仲の深い付き合いをしている。
今日はたまたま七海の家庭の用事で、彼女一人が隣町の三世鶏町に電車で出かけ、今はその帰りなわけだが、彼女はふと4人の顔を思い浮かべ、
「一緒だったら、もっとこの景色がキレイに見えたかもね〜。」
などと独り言をつぶやきながら、澄んだ笑顔を浮かべていた。
ふと彼女が車内に目を移すと、七海は混雑した車中に不似合いな人物の姿を見つけた。
会社帰りのビジネスマンや学校帰りの学生たちが占める電車の中で、七海が乗る車両の座席の隅に、一人の少年の姿を確認したのである。
年の頃は6歳前後であろうか?
小学校1年生程度に見えるその少年は、誰も大人の付き添いはいないらしく、独りで不安そうな表情を浮かべ、固まったように座席に座っている。
「あら、一人でお使いかな?」
こんな時間に一人で電車で出かけるなんて、いくらお家の人の言いつけだとしても、かなり勇気のいるだろうな・・・。
その生真面目そうな表情に好感を持った七海は、彼に気付かれないように、そっとこの小さな男の子のことを見守っていた。
どうしてあの男の子に惹かれるのかな?
そう言えば、どこかで見たことがあるような気もする・・・。
そして、それからものの5分も経った頃だろうか?
不意にこの幼い少年のもとに、小さなハプニングが降りかかってしまった。
電車がもうすぐ七海の目的地である鳳町の一つ前の駅に到着しようかという頃、動き始めた数名の客のうちの一人が、揺れた電車の勢いに押され、この少年と接触してしまったのである。
ぶつかったのはなんの変哲も無いビジネスマン風の男だったが、その拍子に少年は手に携えていた小さなカバンを落とし、その中身が床に散乱してしまった。
男は気付かずに電車の開閉口に向かってしまい、他の乗客も次の駅での昇降に気を取られ、この小さな男の子の災難を気にかけている者はいない。
少年は焦って散乱した荷を拾おうとするが、乗客たちの流れに上手く身動きが取れず、次第に焦りの表情が泣き顔の一歩手前まで変化していく。
業を煮やした七海は、自分の席を立ち少年に近付くと、彼に声をかけながら一緒に散乱した荷物を拾い集めた。
「大丈夫?」
七海の言葉に、少しほっとした表情を浮かべた少年がうなずく。
少年の表情が和らいだことに安堵した七海は、拾い集めたいくつかの小物を少年に手渡したが、この時七海はその中のに奇妙な物が混じっていることに気が付いた。
彼女が拾い集めた物は、ポピュラーなキャラクターのアクセサリーやお財布、メモ書きなど、ごくありふれた物がほとんどだったのだが、それらと一緒に、およそ小さな子どもが持つには似つかわしく無い奇妙なものがあったのである。
それは一見すると、ごく普通のアイテムショップなどで売られているストラップに見える。
しかしそのストラップに使われている鳥の羽根のようなものが、一般的なものとはかなり違った雰囲気を放っていた。
それは作り物には感じられず、まるで本物の鳥の羽根を使ったような妙な生暖かさがあったのである。
七海はそのストラップに奇妙な違和感を持って、しばらくじっとそれを見つめていたが、ストラップを返して欲しそうに七海を見つめている少年の視線に気付き、慌ててそのストラップを少年の手に戻した。
「一人でお遣い?偉いね。」
七海は少年にニッコリと微笑むと、彼の隣の席に腰を下ろした。
「ありがとう、お姉ちゃん。」
少年もまた席に腰を下ろすと、七海に笑顔を返す。
「どこまで行くの?」
「え〜と・・・・・。」
少年は七海の問いへの返答に迷った様子を見せたが、ここで七海は、ふと彼の行為に小さな違和感を感じた。それは確信というような確かなものでは無いのだが、どこで降りるか忘れてしまったとか、言いたくないというようなものでは無く、まるで少年は最初から降りる場所を決めておらず、ただ目的も無く電車に乗り込んだような奇妙な印象を受けたのである。
「どこで降りるか判らないの?」
「・・・・・・・。」
七海の質問に、うつむいて返答しようとしない。
少年のことが少し心配になった七海は、彼に別の提案をした。
「どこで降りるか忘れちゃった?車掌さん呼ぼうか?」
「・・・・あのね!」
不意に少年は顔を上げると、思い詰めたように七海を見た。
「あの・・・人を探してるんだ。」
「人?お母さんとか?」
「ううん・・。」
そして少年は急に立ち上がると、まるで何かを決心したような表情で七海の前に立ち、彼女に先ほどの鳥の羽根が付いたストラップを差し出した。電車の振動に合わせ、細やかな羽毛が小刻みに震える。
「お願い、お姉ちゃん!ボクの町に来ないで!!」
「え?」
急に少年から発せられた意味不明の言葉に、七海は困惑の色を隠せない。
「お姉ちゃんを探してたんだ!」
「ちょ・・ちょっと待ってよ。」
七海は慌てて少年を制止しようとしたが、彼は興奮したように言葉を収めようとしない。少年は目に小さな涙を浮かべながら、周りの乗客を気にもせずに言葉を続けた。
「石着山のある方に向かえば、きっとお姉ちゃんに逢えるって信じてたから!」
「ちょっと待って!あなたの言ってること、よく意味が判んない・・・。」
するとその時、少年に信じられない不思議な事が起きた。彼の体がまるで霧のように、次第にその姿を消し始めたのである。よくよく七海が回りを見ると、乗客の中には奇妙な表情で七海を見ている者も少なくないが、その視線が幼い少年には向けられていない。
まるで乗客には初めから少年の姿が見えていないような、そんな印象が確信に近い形で七海の意識に働きかける。
「あなた・・・いったい!?」
「・・・お願い、お姉ちゃん。お姉ちゃんの夢から、とても怖いものが生まれようとしてるんだ。」
「夢?」
「うん。怖い夢。本当に怖い怖い夢。ボク知ってるよ!お姉ちゃん、もうすぐ海猫ヶ浜に来るんでしょ?」
「え・・?どうして知っているの?」
「海猫ヶ浜がボクの町!町は今は普通に平和そうに見えるけど、でもその裏では悪い夢がどんどんみんなを飲み込み始めている!」
少年は興奮して話をしているが、その姿は見るからに朧に薄れ、今にも消え入りそうになっている。
「確かにリコたちと海猫ヶ浜に旅行に行くことにはなっているけど、でも・・・。」
「お姉ちゃんが来たら、夢が本物になっちゃうんだ。」
やがて少年の姿は消え、あたりは静寂を一瞬だけ交え、後はいつもの日常の喧騒が戻ってきた。
今起きた事が現実か夢かを判別することも出来ないまま、呆けたように宙の一点を見つめる七海。
しかしその耳には、まるで消えた少年の名残りを思わせる小さな木霊が残っていて、木霊は少年の思いを強く彼女に伝えようとするかのように七海の心の中にまで最後の言葉を響かせていた。
「ボクの名前はハルキ・・・。きっと海猫ヶ浜のみんなを・・・救って・・。」