悪夢を断ち切れ!
詩織は七海の悪夢については、その内容は彼女の話から把握はしていた。しかし相手は夢なのだから、詩織がどう頑張ってもどうにでもなるものでは無い。
だが詩織は、それでもあきらめることは出来なかった。もしかしたら七海とずっと一緒にいれば、一緒に眠っていれば、もしかしたら彼女の夢の中に入ることができるかも知れない。
詩織はそう考え、七海の隣で眠るという行為に至っていたのだった。
そして、人の想いは強いほどに心の深部まで手を差し伸べる。
目に見えぬもの。耳に聞こえぬものこそが、最も大きく不思議な恩恵を届けてくれる。
その夜に見た七海の夢は、いつものそれとは大きな違ったものになっていた。
いつもは暗い洞窟の中で、ただ黒いタール状の生物に飲み込まれて結末を迎えていた夢の筋書きに、大きな変化が現れていたのである。
途中までは同じだった。タール生物に追いかけられ、やがて捕まり飲み込まれそうになるところまでは。
しかし七海の視界が全て闇に覆われ、やがて耐え難い苦痛を感じ始めた時、誰かがしっかりと彼女の手を握り締めたのだ。
「ナッちゃん!しっかりするのだ!」
七海はその手の温もりを良く憶えていた。小さい頃から、彼女の知る一番長い時間、七海の手を占領し続けた、最も優しく、最も愛しいその手の温もりを。
その手は悪意に満ちた闇の中から七海をすくい上げると、彼女を助けるために手を引き、一緒に走り始めたのである。
「ナッちゃん!こっち!!」
そこにあったのは、七海を救うために必死に走る詩織の姿だった。
七海より注がれた愛情は詩織を満たし、再び七海の下に注がれる。
詩織の強い想いは越えられないはずの壁を乗り越え、それこそが七海の心に届いた確かな瞬間だったのである。
☆
しかしこの後、七海は夢の中で奇妙な光景を目撃することになった。詩織と共に逃げ延びた洞窟の最も深い場所で、とてもその場には似つかわしくないある物を発見してしまったのである。
それは赤い不明の材質に見事な金の細工が施された豪華な玉座で、とても普通の人間が座ることが出来ないほどに巨大で威厳に満ちている。
そしてその光景を最後に七海は夢から覚めたのだが、彼女の記憶の中には、その玉座に鎮座するものの姿がほとんど残ってはいなかった。
ただ、『それ』は多くの体毛に覆われていて、座るというよりは横たわった姿勢で七海を見下ろしていた印象が、彼女の中に残されているのみであった。




