雪銀の剣士2
私は右の長靴に充塡していた跳躍の呪文を起動し、飛び上がった。
あまり目立ちたくはないので、念のためフードで顔を隠しておく。
パニックの群衆を避け、屋根から屋根へと飛び移りながらゴーレムを追う。
ゴーレムはあっという間に建物の一・五倍ほどに成長していた。
進行方向は、依然として船着き場方面だ。
このまま進めば〈フラスコ通り〉を斜めに横断することになる。
ゴーレムを破壊すること自体は簡単だ。
しかし、破壊した後の石材が問題だ。
下手に壊すと、周囲に被害が及んでしまう。
ゴーレムが倒れても死傷者が出ないような広い空間が必要だ。
周囲を見渡すと、クラトヌーヌ川が目に入った。
川幅は二十メートル程。ちょうど通過している船舶もない。
少し遠いが、ゴーレムとの間に遮蔽物もなく、逃げ遅れた人もいない。
よし、作戦は決まった。
私は手袋から一本の短杖を引出す。
今回選んだのは突風の杖だ。
普通に使えば、成人男性一人分の重量を十メートル程度吹き飛ばす突風が発生する呪文。
この杖には、それが千回分充填されている。
突風の起点をゴーレムの前面に設定し、短杖拡張で呪文構成を弄る。
熱源のある辺りを狙って、超高密度に圧縮した空気を槍のように形成。
ゴーレム全体を覆う突風で川に押し込むイメージで、残りの充填回数を割り振る。
あのゴーレムは八十……いや、百トンくらいだろうか。
千回分まるごと使えば、充分足りるだろう。
私は杖を横一文字に振り抜き、呪文を起動させる。
「──吹き飛べ!」
景色が歪んで見えるほど圧縮された空気の塊が直撃し、巨大ゴーレムはなす術もなく突き飛ばされる。
川岸まで押し戻され、ぐらりと巨体が傾いだ瞬間、追加効果が起動した。
轟音とともに空気の槍がゴーレムの胸を貫き、大穴を空ける。
熱源として取り込まれていた円筒型石炭炉がゴーレムの背を突き破って川に落下。
動力を失ったことで、ゴーレムは巨体を維持することが出来ずにガラガラと崩れて行く。
(ふう、これで一安心かな?)
群衆の方を見ると、人化し、衛兵風に変装して避難誘導にあたっているパリューグが見えた。
ティルナノグは怪人サイズになって横転した馬車を起こしているようだった。
ぱっと見渡した感じ、パニックになった群衆による大きな被害は出ていないようだ。
私は手袋の機能で杖を突風から軟着陸に入れ替える。
杖を振り、ゆっくりと地面に降下しながら考える。
(とりあえず一件落着。あとは衛兵さんたちに任せるとして、二人と合流しなきゃ)
ティルナノグとパリューグの元へと進みかけた瞬間、後ろから悲鳴が上がった。
工房を振り返ると、もう一体の巨大な石のゴーレムが起き上がるのが見えた。
二体目のゴーレムには、どうやら最初のゴーレムとは別の命令が組み込まれていたらしい。
起き上がったゴーレムはくるりと回れ右すると、大通りを猛スピードで移動し始めた。
私はもう一度跳躍の呪文を使って、背の高い建物の屋根伝いに二体目を追う。
巨体なのに思いのほか身軽で、追いかけるだけでも精一杯だ。
(狙いが定まらない。何とかして動きを止めなきゃ。でも、金縛りはあんな大きなゴーレムには効かないだろうし、突風で倒したら建物に被害が……)
私が攻撃を躊躇していると、不意にゴーレムの体がガクンと揺れた。
ゴーレムの足が十字路に建てられていた銅像にぶつかり、その衝撃で足首が折れてしまったのだ。
よろけたゴーレムは、組み込まれた反射行動によって地面に手をつこうとする。
左側の手を振り下ろそうとした先に、逃げ遅れた小さな女の子の姿があった。
(危ない!)
とっさに私は水晶塊の杖を取り出す。
なりふり構わない攻撃を行おうとした矢先、ゴーレムの左肘から先が消失するのが見えた。
いや、消えてはいない。
いくつかの小さなパーツに切り刻まれたゴーレムの手は、女の子を避けるように転がっていた。
女の子の隣には、黒ずくめの人影が立っていた。
黒いマフラーで口元を隠した上から、更に黒いフード付きのマントを着ている。
どれだけ顔を見られたくないんだろう。
背の高さから見て、私と同年代くらいの少年だろうか。
手にはシンプルな造りの長剣。
まさか、あんな剣一本で巨大なゴーレムの腕を一瞬でバラバラにしたんだろうか。
ゴーレムは石畳の石材を取り込んで足首を再生させると、残った右腕を支えにゆっくりと立ち上がる。
不思議なことに、あの剣士に斬られた左手は再生していない。
これは、いったい何をしたんだろう?
ゴーレムは立ち上がると、攻撃者を探してキョロキョロと見回す。
攻撃に反応して、行動パターンが索敵用に変化しているのだろう。
しかし、その時には既に、不確定名黒フードは女の子を小脇に抱えて安全な場所まで離脱していた。
現れた時もそうだったけれど、びっくりするような俊足だ。
腰が抜けている女の子を母親らしき女性に押し付けると、黒フードは再びゴーレムに向かっていく。
彼は驚異的な脚力を駆使して、露店の棚からひさし、窓枠、屋根、そしてゴーレムの肩へとあっという間に駆け上がる。
ゴーレムはようやく彼の存在を確認し、残った右腕を振り上げた。
黒フードはゴーレムの手の下をかい潜り、軽々と二階の屋根へと飛び移る。
映画かゲームみたいな、とんでもない動きだ。
何かの魔法か能力を使っているのだろうか。
黒フードの剣士は大通りを挟んで反対側の建物の屋根の上を走っていく。
ゴーレムもまた、黒フードを追いかけて同じ方向へ走る。
おっと、いけない。私も追わなければ。
長靴の魔法効果を使って追いすがりながら、私はレンズに仕込んだ霊視の魔眼を起動した。
黒フードの剣士からは呪文の類いは感知されない。
長剣からも何の魔法情報も得られなかった。
しかし、切り落とされたゴーレムの左腕の付け根には異変が生じていた。
ゴーレムを駆動するための呪文などの魔法構造が、切断面を境に完全に破壊されているのだ。
(呪文もなしにあの身体能力。そして、魔眼で解析できない特殊な剣……と言うことは)
私はその謎の黒フード少年が、ルーカンラントの剣士だと推測した。
ルーカンラントの異能は、身体強化と治癒だ。
あの不思議な剣の特性は、ルーカンラントが精錬技術を独占している雪銀鉱に違いない。
雪銀鉱は接触した魔法や呪文を破壊する。
かつて北の剣士が東の魔法使いと争っていた頃には、雪銀鉱製の剣が猛威を揮ったという。
知識としては知っているが、秘密主義の北の剣士が実際に戦っている姿を見るのはこれが初めてだ。
入学前に貴重なものが見れたかも知れない。
黒フードの剣士は断続的に攻撃を加えながら、ゴーレムを誘導しているようだった。
進行方向には、噴水のある大きめの広場がある。
あそこなら存分に戦闘しても、周囲の建物には被害が及ばないだろう。
いい判断だ。開けた場所なら私も助太刀できるかも知れないし。
彼は屋根から木の枝を伝って着地し、広場の中央でゴーレムを待ち受ける。
広場は大混乱で、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
どうやら逃げ遅れた人はいないようだ。
私も広場に着地し、やや離れたところから杖を構えて動向を見守る。
ゴーレムが広場に踏み込んだ瞬間、黒フードは地面を蹴って肉薄した。
地を這うような低姿勢でゴーレムの足元に潜り込み、手にした剣を一閃させる。
彼はそのまま広場の入り口まで駆け抜け、静かに剣を鞘に納めた。
石材同士が擦れ、砕ける音。
切断されたゴーレムの足首が斜めにずれる。
その断面は、まるで鏡のように滑らかだった。
バランスを崩したゴーレムは噴水に向って倒れていく。
ゴーレムは残った右手で体を支えようとするが、今度は自重に耐えきれず腕が砕けてしまった。
もしかして、広場まで誘導している間につけた傷のせい?
ここまで先読みして攻撃していたのか。
倒れたゴーレムの頭部から腹部にかけて、大きなヒビが発生していた。
割れた胸部からは、もくもくと煙を吹き出している円筒型石炭炉が転げ落ちる。
石炭炉は噴水の中に水没し、燃焼を停止したようだった。
(もう安心かな。動力がなければ、あとは崩壊するだけだから……あれ?)
ゴーレムはまだわずかに動き、少しずつ再生を始めていた。
魔眼で確認すると、熱源を失ったのに、ゴーレムを構成する呪文はまだ機能しているのだ。
よく観察してみると、魔力を使った構造物が組み込まれているのが見えた。
私はぴんと来た。
あそこには噴水を動かすための魔力式ポンプがあるのだろう。
ゴーレムは霊脈からの魔力を受け取るための部品を飲み込んだに違いない。
核から新しい動力までの魔力の経路が完成すると、残りはあっという間だった。
噴水や石畳の石材を吸収して、ゴーレムは再び立ち上がる。
「危ない! まだ停止していないわ!」
ゴーレムの拳が振り下ろされ、もうもうと土煙が上がった。
少し遅れて、土煙の中から黒フードが飛び出してくる。
こちらに逃げて来た黒フードの剣士と視線が合う。
フードの陰から覗いていたのは、黒か青っぽい色合いの意志の強そうな瞳だった。
彼は左手で自分の脇腹を庇うような仕草をしている。
心なしか、動きが鈍っているようにも見えた。
「怪我をしたの?」
問いかけると黒フードは首を振った。
そして、何でもないと言うかのように姿勢を正す。
でも、肩を大きく上下させる辛そうな呼吸は、どう見ても怪我人のものだった。
「あなた……」
一瞬食い下がろうと思ってやめる。
彼自身が気にするなという態度なのだから従うべきだろう。
それに今はあのゴーレムをどうにかしなければいけない。
「別の動力を取り込んだのよ。核を狙って。多分、頭部のどこかにあるわ」
黒フードはゴーレムと私を見比べ、小さく頷いた。
不意に彼の瞼がすっと細められる。
研ぎ澄まされた刃を思わせる表情の残像を私の網膜に残して、黒フードは放たれた矢のようにゴーレムに向かっていく。
黒フードは攻撃をかい潜りながら、再びゴーレムの肩まで登ろうとしていた。
しかし、今度はなかなか上手くいかないようだ。
理由は足場となる建物が周囲にないことと、脇腹の怪我。
そして、ゴーレムの学習能力によるものだ。
再生したゴーレムは再生する前よりも脚が太く、腕も長くなっていた。
さらに、体表が幾分滑らかになっている。
そのせいで脚を狙った黒フードの剣は内側の呪文まで届かず、背後から狙っても腕に阻まれてしまっていた。
黒フードがすぐに負けそうなほどじゃないけれど、相性があまり良くない。
長期戦になって何か小さなミスをすれば、戦局は簡単にひっくり返る。
サポートが必要だ。
でも、どうするべきか?
黒フードを巻き込まないような、打ち合わせなしでも意図が伝わるような攻撃。
少し考えて、私は水晶塊の杖を構えた。
私はゴーレムが背を向けた瞬間を狙って杖を振った。
短杖拡張の能力を使って、大型の水晶柱をゴーレムの周囲に何本も生成する。
ゴーレムは水晶柱に囲まれ、移動することも腕を振り回すこともできないでいた。
私は動けないゴーレムの背に、三発の水晶塊を撃ち込む。
さて、あとは上手く連携してくれるといいけれど。
黒フードの剣士が、一瞬だけこちらを見たような気がした。
次の瞬間、彼の姿は私の視界から掻き消える。
水晶柱の一部が、キラキラと破片を舞い散らせて砕けた。
何者かが駆け上がったような軌跡を描いている。
ゴーレムの背の水晶塊が砕ける。
今度は私にも黒フードの剣士の姿が見えた。
両手持ちした長剣をゴーレムの後頭部に突き立て、ブレーキにすると同時に突進力を利用して抉るように斬り裂く。
頭部を真っ二つに割った後、彼は辛うじて繋がっていた左半分を蹴り崩した。
首の付け根に走った亀裂から、剥き出しの核が見えた。
黒フードもそれに気づいて、最後の一撃を加える。
彼が核を両断した瞬間、ゴーレムの巨体が崩壊を始めた。
水晶柱を巻き込んで砕きながら、ゴーレムに取り込まれていた石材が崩れ落ちていく。
暴走した巨大ゴーレムの最後はあっけないもので、あっというまに只の蜜蝋色の瓦礫になってしまった。
黒フードの剣士は、いつの間にかいなくなっていた。
おおっと。私もそろそろ身を隠さなくては。
衛兵が現場に到着しそうな頃合いだ。
さすがに三体目はいないだろうし、もし次があったとしても衛兵に任せておこう。
彼らが詳細を調べる頃には水晶塊も消滅しているから、特に証拠隠滅はいらないだろう。
「でも、無茶苦茶な人だったなあ、あの剣士……」
私も多少は手伝ったけど、ほぼ一人で巨大ゴーレムを制圧してしまった。
ルーカンラントの能力者だったから、アウレリア出身者と違ってゴーレムの扱いに慣れていないはずなのに。
純粋に戦闘能力が高いのだろうな。
ふと、彼の目を思い出す。
小さな女の子も助けてたし、悪い人では無さそうだった。
彼がリーンデースの住人なら、また会うことあるかもね。
そんなことを考えながら、幻獣たちと合流しようと辺りを見回す。
おや、視界の端に何か四角いものが落ちている。
「……本?」
すぐに拾い上げ、汚れを払う。
それは、赤革張りで金装丁の冊子本だった。