雪銀の剣士1
魔法学園都市リーンデースはイクテュエス大陸の中央部に位置している。
四王家のいずれの支配下にも属さない自由都市だが、文化的にはハーファンの強い影響下にある古い魔法の都でもある。
都市の南半分を蛇行しながら流れるクラトヌーヌ川は南のアルレスカ河に合流している。
北側に馬車で一時間程度のところにヴァルナリス河の流れるウィント伯爵領もある。
これらの水利条件のため、昔から交易が盛んな土地でもあった。
キャスケティア統治下における名は、第四の屍都アンヌンというらしい。
未だに死者蘇生の禁呪を地下深くに封印しているのだそうだ。
この穢れた土地を封印するために修道院が建てられ、修道竜騎士及び魔法使いが集められた。
この修道院こそが、現在まで続くリーンデースの教育機関の基礎となった。
本来リーンデースの魔法学園はイグニシアの修道竜騎士がハーファンの魔法を習熟するための教育機関だったのだ。
修道竜騎士たちのために、まず寄宿舎、礼拝堂、大講堂、竜のための大厩舎が作られた。
そして教師である魔法使いたちの需要に応じて、魔法図書館、幻獣博物館、魔法植物園、歴史博物館などの施設が追加されていった。
時は流れ、リーンデースは魔法だけに留まらず、各分野の優秀な人材のための教育機関となっていった。
授業には医術や錬金術、戦闘術などが組み込まれ、有力貴族の子弟が集まるようになった。
こうなると修道院時代の寄宿舎を改装した中央寮だけでは生徒が収まらなくなり、四つの寮が増設される。
人材の豊富さや流通の便のせいもあり、学園の周囲に他の学術機関も本部や支部をおき始めた。
オムニアフルウント錬金術研究所。
リーヴスラシル医術協会。
エセンティア魔法協会。
イグニシア王立竜種研究所、など。
更には彼らを商売相手にしようと考える各地の商会が集まり、今に至る。
学園関係者のみならず、学術機関などの職員や関係者の沢山の生活を賄う、巨大な都市の完成である。
本来なら排外的な風土であるハーファン文化圏において、例外的に多民族多文化の都市。
それがリーンデースという都市なのだ。
馬車の窓からは、暖かみのある色合いの街並みが続いているのが見えた。
石壁は蜜蝋色で、石瓦は灰色。
どちらの石もリーンデース周辺で採集される良質な石灰岩だ。
学舎も含め、都市内の建物のほとんどが同じ材質の石で作られている。
私と同年代くらいの少年少女が教材を購入している姿もあった。
きっと彼らもリーンデースの新入生に違いない。
私達の馬車はクラトヌーヌ川添いの道から工房の建ち並ぶ通りへと入っていく。
角を曲がると、ひときわ巨大なゴーレム工房が目を引いた。
ここが目的の場所、リーンデースにおける錬金術街〈フラスコ通り〉である。
『ふむ。アウレリアともノットリードともまた違った雰囲気だな。だが、やはり懐かしい匂いがする』
「それでエーリカ、錬金炉っていうのはどの店で売っているの?」
「待って、お兄様のお勧めの店が確か……」
店先にぶら下がっている看板を確かめて、緑地に金色の錬金炉が描かれた店に入る。
狭いが掃除の行き届いた趣味の良い店には、身なりの整った紳士然とした店主がいた。
彼は私の姿を見て、おおよその用件は分かったようだった。
「いらっしゃいませ。学生用なら丁度いいものが御座いますよ」
店主は手慣れた様子で五種類ほどの小型の錬金炉をカウンターに並べる。
どれも小型の水筒くらいのサイズだ。
私はそれぞれの説明を聞きながら、手に取ってしっくりくるものを選んでいく。
結局、使い慣れた大型錬金炉と同じ工房製のものを購入することにした。
「これを包んでいただけるかしら」
「かしこまりました。そうそう、新入生の方には予備の水晶フラスコを三個おつけしております」
「どうもありがとう」
購入した錬金炉とフラスコを受け取り、ティルナノグの持つ革鞄に入れる。
空間拡張の施された、移動式貯蔵庫である。
これは例の大海蛇討伐で大金が転がり込んできた際に、良い機会だと思って誂えた。
エドアルトお兄様の持っている空間拡張・軽量化併用型とは違うので、入れられる量には限度があるけどね。
私の革鞄を見て、店主はほうっと感嘆の声をあげた。
「空間拡張の魔法ですか。しかもトゥール家製とは、素晴らしいものをお持ちですね」
「ええ。たまたま購入できるご縁があって……」
空間拡張がらみの魔法道具は例外なく高価だ。
個人で所有しているのはよほどの資産家か、好事家か、先祖から受け継いだ幸運な相続者くらいだ。
あまりにも高価なので、空間拡張を使うくらいなら似たような効果の別の魔法で代用した方がいいとすら言われている。
私の所有物の中で言うと、例えば収納の手袋。
ハロルドに開発してもらった新装備の一つだ。
この手袋には拡張ではなく圧縮の魔法が使われており、短杖を平面化して収納することができる。
念じれば各指の隠しポケットに収納している短杖を取り出せる仕込みになっているのだ。
「またのお越しをお待ちしております」
店主は店の外まで出て、深々とお辞儀して私たちを見送った。
感じの良い店だった。
また何か必要なものがあったら来てもいいかも知れない。
そんなことを考えながら〈フラスコ通り〉に戻った。
馬車は帰してしまったので、帰りには辻馬車でも拾う必要がある。
近づいてきた馬車を止めようと手を挙げかけたその時、背後から何かが爆発したような轟音が響き渡った。
ティルナノグはとっさに私をかばうような姿勢をとる。
「何……?」
振り返ると、ゴーレム工房の建物の一部が崩れてもうもうと白い煙が噴き出ていた。
事故?
白煙の向こうを目を凝らしてよく見ると、灰色と蜜蝋色の巨大な何かが蠢く影が見えた。
巨大な人型のものが、建物に空いた穴からぬっと姿を現す。
あ、何があったか分かってしまった気がする。
『む、あれはゴーレムなのか?』
「やだ〜、あんなにでっかくなるの? 巨人みたいじゃな〜い!」
「生成時にサイズ設定を一桁間違えてしまったのね。稀によくある事故よ」
『稀なのによくあるのか……』
作成者が悪筆だった、作成者が数日寝ていない、などの些細な原因でサイズ設定ミスは容易に発生しうる。
熟練者でも時々やってしまう、ありがちなミスだ。
これだけならゴーレムが動かないだけで済むのだが、ときに不幸な偶然が重なることがある。
動力が高出力だったり、周囲に高熱を発する機構が存在した場合、サイズ設定ミスは巨大ゴーレムによる工房破壊事故に発展するのだ。
ここで終われば、笑い事で済むような事故だ。
ミスった人が給金から天井修理代金を引かれるくらいで丸く収まる。
厄介な行動パターンさえ組み込まれていなければ。
そう思った矢先、そのゴーレムが動いた。
ゴーレムが立ち上がると工房の壁が取り込まれ、足を踏み出せば石畳が剥がれて剥き出しの地面が現れる。
石材を巻き込んで、ゴーレムは更に肥大化していく。
その足取りは緩慢だがしっかりしていて、何かの目的があるようにも見えた。
進行方向の彼方には、クラトヌーヌ川の船着き場があったはずだ。
最短ルートを取るとしたら、〈フラスコ通り〉のいくつかの建物を通過することになる。
悪い予感が的中した。
どうやら既に詳細な行動パターンが組み込まれていたらしい。
ゴーレムはゆっくりと歩を進める。
〈フラスコ通り〉を走っていた馬車達は、大急ぎで方向転換し、ゴーレムから離れる方向へ全速力で逃げていく。
一歩。
停車していた不運な箱馬車が踏みつぶされ、奇跡的に助かった御者と馬車馬は脇目も振らず駆け去って行く。
また一歩。
街灯がメキメキと音を立ててひしゃげ、潰れた鉄屑へと姿を変える。
歩くたびにゴーレムは石材を取り込んで大きくなっていく。
暴走したゴーレムから逃れようとする人々で、通りは既にパニックとなっていた。
馬車を拾うどころではない。
これは思った以上に面倒な事態かもしれない。
「エーリカ、どうする?」
『俺たちが止めても構わないのだが……』
確かに、ティルナノグに頼めば、彼の巨体と怪力でゴーレムを止めるのは容易だ。
パリューグに頼めば、一瞬で核や動力を破壊することが出来る。
だが、二人とも白昼の往来で全力を発揮するには目立ちすぎる。
かと言って、衛兵が来るのを待っていたら、街が滅茶苦茶になってしまう。
さっきフラスコをオマケしてくれたお店も壊れてしまうだろう。
そんなのは困る。せっかく常連になるつもりだったのに。
ならば、地味で小回りが利く私がどうにかするべきだろう。
「私が止めてくるわ。あなたたちには、馬車や群衆のフォローをお願いしていい?」
そう言うと、二人とも特に反論することなくあっさりと頷いた。
二人に信頼されているのだと思うと、少し嬉しいような気がする。
むしろ、この程度一人でどうにかできなければ、これからの学園生活が不安だけどね。
私は収納の手袋に仕込んだ短杖を確認し、ゴーレムを見上げた。




