エーリカ・アウレリアの醜聞
夏休み最終日の魔法学園都市リーンデース。
ハーファンの生徒が所属する東寮の一室にて。
一足早く学園に着いた四人の少女達が、各々の鞄から荷物を取り出しながら噂話に華を咲かせていた。
「ねえねえ、皆様、お聞きになりまして? 今年の新入生について」
「あら、何のお話?」
「アウレリアで評判の、例の悪女が入学してくるそうですわよ」
事情通らしい少女が演技過剰気味な声で、態とらしく喋り始めた。
噂が好きな彼女の兄は、定期的に学園にいる妹に世間話を盛り込んだ手紙を送っているのだという。
当然、他の三人の少女達も楽しい醜聞話に加わった。
「まさか、当代きっての悪女だという噂の、あのアウレリア公爵令嬢かしら?」
「そのまさかよ。先程、先生がたが青い顔で話していたわ」
その一言で他の三人は「まあ、イヤだわ」と楽しそうに盛上がる。
「とんでもなく強欲な女なんですって」
「なんでも、西北部の倉庫街一区画を、まるごと買い上げたのだとか」
「大陸中から、あらゆる財宝をかき集めているのでしょう?」
「公爵閣下におねだりして、個人が持つには分不相応に高価な宝石を幾つも手に入れたんですって」
ジャラジャラと不相応な宝飾をつけて喜ぶ令嬢を皆が想像していた。
恥知らずに飾り立てて、みっともないに違いないと頷き合う。
「私も聞いたことがあるわ。人を人とも思わぬ専横ぶりだとか」
「何とかという天才錬金術師を、自分の専属のように扱き使っているんですってよ」
「トゥルム家の弱みを握って、物資や人材を湯水のように提供させていると聞いたことがあるわ」
「狩猟者ギルドに手を回して大海蛇討伐の手柄を全て自分の功績にしてしまったのですって」
噂話に盛上がりながらも、四人の少女達はてきぱきと荷物を解いていく。
ほどよい醜聞が作業の良い潤滑油になっているようだった。
「こんな噂もあるわよ。神を恐れぬ異教かぶれの瀆神者なのだとか」
「異教の逸話を蒐集しているのですって。大陸中どころか、あの穢らわしいギガンティアからも」
「落雷で破壊された教会を前に『汚染された場所が綺麗に焼き払われて安心した』などと呟いたそうよ」
「おおいやだ。もしかして、犯人はエーリカ・アウレリアなのではなくて?」
「しっ! 誰かに聞かれたら大変ですわよ!」
これまで聞き手に回っていた大人びた雰囲気の少女が、人差し指を口にあてて皆を見回す。
さすがに教会を破壊した犯人扱いは、少々度が過ぎる。
「それだけではないわ、エーリカ・アウレリアはとんでもなく淫奔な娘なのだとか」
「あのオーギュスト殿下を事あるごとに口説いているのですって」
「まあ、なんて身の程知らず! 王太子妃の座を狙っているのではなくて?」
オーギュストに憧れている令嬢が声を荒げる。
王太子妃になるのは彼に相応しい高潔な令嬢でなくてはいけないのに、と苛立った様子だ。
「あのクラウス様なんて、あの女に懸想していると言う噂があるんですのよ?」
「根も葉もない噂なのでしょう? ああ、クラウス様……おいたわしい」
「素性の知れぬ男を侍らせているという噂もありますわよ。顔を仮面で隠した大男や褐色肌の美青年を連れて、いかがわしい場所に出入りしているのを見た者がいますわ」
「ああ、穢らわしい! そんな毒婦が伝統ある魔法学園に入って来ると言うの?」
従兄弟の少年が新学期から入学する予定の令嬢は溜め息をついた。
オーギュストやクラウスですら危ういのだ。
同級生になってしまった無垢な少年がどうなるのか、心底心配になってしまう。
「母が母なら、娘も娘ね。ご存知かしら、彼女の母親も相当な悪女だったそうよ」
「あら、それは初耳だわ」
「アウレリア公爵閣下が揉み消したらしいから詳細は知らないけれど、毒蝶とよばれていたのですって」
「その毒蝶とやらのせいで死んだ伯爵令嬢がいたって、聞いたことがあるわ」
「エーリカ・アウレリアの淫奔も横暴も、母親譲りなのね」
「ただの甘やかされた我が侭娘ではなくて、生粋の悪女なのでしょうね。ああ、恐ろしいわ」
さんざん悪女の噂話に興じながら、四人の令嬢はきっちりと荷解きと身支度を終えていた。
「ではみなさま、これから如何致します?」
「私達は街に出て買物を」
「あら、では私もご一緒してよろしいかしら」
「ええ、もちろんですわ」
「そう言えば聞きまして? 去年からリーンデースに出店している例の香水店の新作──」
彼女達の興味は香水やアクセサリーに移り、エーリカ・アウレリアのことは頭の片隅に追いやられていた。
かしましく笑い合いながら、令嬢たちは去って行く。
☆
魔法学園都市リーンデース。
学生たちは学園の敷地内に建てられた寮に住むことになっている。
出身に合わせた東西南北の寮と、奨学生である王の学徒が所属する中央寮だ。
私、エーリカ・アウレリアは入学式前日のうちに西寮女子棟の部屋に到着していた。
『荷物はこれで終わりか、エーリカよ』
「ええ」
鉄製の小型ゴーレムに偽装したティルナノグが最後の荷物を運び込む。
彼の身の丈ほどもある大きな革鞄だ。
同じくらいのサイズの鞄が幾つも詰み上がった部屋を、私はぐるりと見回す。
この部屋は、西寮最上階の角にある一人部屋だ。
造り付けの大きなクローゼット。
年期の入った天蓋付きのベッドや書き物机や長椅子。
備え付けの小さいが清潔な浴室には、バスタブとトイレ。
大部屋の生徒から妬まれそうな、いかにも大貴族特権の豪華な部屋だ。
でも一人部屋のお陰でティルナノグやパリューグとも気にせず会話できる。
ありがたいことだ。
「うふふ〜、いいわね。寮なんて狭苦しいだろうと思ってたら、広いじゃな〜い!」
『うむ、悪くはないな』
猫姿のパリューグは、早々に天蓋付きのベッドの上でだらしなく伸びていた。
一仕事を終えたティルナノグも長椅子に寝そべって一休み。
私も書き物机の前の椅子に座る。
「昔から上級貴族の子女のための部屋みたい。とても豪華よね」
前世の記憶を思い出したあの春から六年半。
ついに「リベル・モンストロルム〜幻の獣と冬の姫君〜」の物語がスタートするはずの日が来たのだ。
明日は王立魔法学園の入学式である。
「明日から一年間、神託から逃れるために気を抜かずに行くわ。二人にもこれまで以上に面倒ごとをお願いするかもしれないのだけれど……」
ここ数年、ティルナノグとパリューグにはどれだけお世話になったことか。
学園生活が始まったらもっと大変なことに巻き込んでしまうことだろう。
『気にするな。お前のためにやることを、俺が面倒に思うはずがなかろう』
「そうそう。妾もエーリカのためなら無理を厭わないわよ?」
「うん……ありがとう」
二人の優しさをしみじみ感じながら、私はこの六年の出来事を思い返す。
ヒロインや攻略対象の身辺情報の調査。
イクテュエス大陸全土における教会地下祭壇の汚染範囲調査。
西北部近海で異常増殖した大蛸の討伐。
パリューグの力が万全に回復してからは、イクテュエス大陸での汚染祭壇の浄化。
リーンデースの教員と生徒の身辺情報の調査。
リーンデース近隣地域の幻獣の調査。
カルキノス大陸にパリューグを渡航させて、カルキノス・イグニシア領における汚染祭壇の調査と浄化。
イクテュエス近海へ北上してきた大海蛇の大群の討伐。
調査、浄化、討伐のヘビーローテーション。
一人では到底不可能だっただろうハードワークを、ティルナノグやパリューグやハロルドは嫌な顔一つせず手伝ってくれた。
むしろ、丸投げさせてもらった案件も多い。
特に汚染された祭壇の対処などは私ではあまり役に立てないからね。
ブラック会社のダメ上司みたいな友人で大変申し訳ない。
優秀な仲間の尽力のお陰でなんとか切り抜けられましたよ。
お陰で大陸を覆っていた吸血鬼の企みは、おそらく滅茶苦茶になっているだろう。
いい気味である。
無辜のニンゲンをお手軽に祭壇のお供え物にされてたまるか。
まかり間違って吸血鬼ルートに突入してしまった場合、私もお供え物になりそうなので他人事では無い。
とは言え、このまま吸血鬼たちが大人しく引き下がってくれそうにもないので困ったことだ。
困ったことと言えば、ゲームに関連する人物の身元調査だ。
ヒロインのクロエに関して、まるで誰かが隠蔽してるかのようにまったく足跡が追えなかった。
未確認の攻略対象、クロードに関しても同様。
もう一人のブラドについてはかろうじて一般的に知られている情報を得ている。
エドアルトお兄さまやアクトリアス先生には何度も顔を合わせているものの、死亡フラグに関しては未だ不明のままである。
そう言えば、想定外の利益もあった。
危険な海獣を退治していたら、いつの間にか豊富な資産が貯まっていたのだ。
ああ、でも、それについては失敗もあった。
大海蛇退治の際に素材回収のルートから、私の身元がバレてしまったのだ。
その噂が広まった末、ついたあだ名が「深淵殺し」。
十四歳の女子の二つ名として、不適切感がハンパ無い。
そんな事を考えて、私はうっかり「はあ〜」と深い溜め息を漏らしてしまう。
『ふむ、疲れているようだな。では俺が荷解きを済ませよう』
「これだと足の踏み場もないものね〜。エーリカは休んでなさいな」
ティルナノグが私を気遣うと、パリューグもベッドから降りてくるりと回ってヒトの姿をとる。
手分けしててきぱきと荷物をクローゼットに仕舞ったり、普段使いの魔法道具やすぐ使いそうな小物をまとめたり。
面倒見のいい二人には、ついつい甘えてしまうのが私の悪い癖だ。
よしと気合いを入れて、私も手帳を手に立ち上がる。
「もー、怠けてればいいのに。この子ってこういうところがぜ〜んぜん変わらないわよね〜」
『いいではないか、エーリカらしい』
手帳と見比べながら手近な革鞄のラベルを確かめていく。
「これと、これに制服が入っているからクローゼットに、こっちの資料は……」
制服やドレス等の衣類はクローゼットへ。
錬金術関連の素材や杖の入った革鞄は書き物机の横に積んでおく。
置き所に迷ったが、資料も一旦はクローゼットへ移動した。
手分けしながら荷解きをしていくと、沢山あった荷物もどんどん片付いていく。
ある程度部屋が片付いたところで、パリューグは不思議そうな顔で私に尋ねて来た。
「ん、エーリカ。ちょっと聞いて良い?」
「なにかしら?」
「ここ、学園よね? 教科書なんかは無いの?」
『たしかに教科書になりそうなモノは一つも持って来ていないようだな』
死亡フラグ関係の資料を詰め込んでて教科書をすっかり忘れてた!?
……と言う訳ではない。
「ううん、明日の入学式の後に魔力審判っていう行事を行うらしいの。その結果を見て教科書が配布されるのよ」
魔力審判とは、魔力の質やら保持量やらを確かめるイベントらしい。
結果によっては履修できない授業もあるので、審判後に教科書が渡されるようになっているのだ。
「ああ〜、良かったわ。神託のことで頭がいっぱいで忘れてるのかと思った」
「あ、でも。ちょっと待って。もしかしたら」
ふと不安になって必須リストをもう一回確認する。
教科書を気にしなくて良いせいで、教材のチェックまでおろそかになっていた。
「授業用の小型錬金炉を忘れていたわ」
魔力の質とは関係のない、錬金術師の学生の必須教材である。
部屋に備え付けるための大型の炉はあるが、持ち運び可能な小さめの炉がなければ授業で使えない。
『ふむ、今から誂えるか。ちょうど荷物も片付いたことだしな』
「まだ明るいうちでよかったわ〜。むしろ買い物だけじゃ時間が余っちゃうかしら」
「そうね、錬金炉を購入したら、リーンデースを探索しましょうか」
用心のために二匹には霊視の魔眼除けの護符をつける。
これでそう簡単には星鉄鋼製のゴーレムや赤い首輪をつけた金色の猫の恐るべき正体がバレることはない。
ハロルド製ではなく、トゥルム造船商会の新兵器開発部門が試作した失敗作の流用品だ。
便利なので私も使いたいが、尋常じゃない量の魔力を消費するので、もっぱら幻獣専用である。
『不用心にしゃべったりするなよ、猫』
「ふ〜んだ、それくらいの空気は読めるわよ」
ひそひそと小声で仲良く喧嘩している相変わらずの二人を連れ、私はリーンデースの街に繰り出したのだった。