奇譚「死の少女」
あれは今夜みたいに霧の濃い夜だった。
俺がロブって名前の魔法使い崩れの男と組んで、盗みで食ってた頃のことさ。
その晩の獲物を物色しながら歩いていると、妙に目を引く娘に出くわしたんだ。
それは、ぞっとするほど綺麗な金髪の娘だった。
歳の頃は十四、五くらいかな。
飾り気の無い青い服を着ていたが、一目でお忍びのご令嬢だと分かった。
身なりは簡単に誤摩化せても、立ち居振る舞いとなると容易には変えられないからな。
その娘は、高級な怪物の素材を扱っている店の裏口から出て来たところだった。
すぐそばに黒塗りの箱馬車が待っていて、お供には頑丈そうな鞄を抱えた侍女が一人っきり。
ああ、そう言えば、足元には金色の猫がいたっけかなあ。
ちょうど夜警の歌の切り替わった直後だったから、九時頃かな。
そんな時間に、いいとこのご令嬢が、お供をたった一人だけ連れて、コソコソと箱馬車でお帰りだ。
さぞかし複雑な事情があったんだろうよ。
ついでに言うと、とびきり不用心だ。
親切な俺達は、すぐにこう思ったね。
その金目のものがたっぷり詰まった荷物を、是非ともお運びしましょう、ってな。
もちろん、行き先は娘の家じゃなくて、馴染みの故買屋だが。
俺達は「違い騙し」ってワザを好んで使ってた。
よくある引っ手繰りの手口でね。
まず俺が力づくで相手を突き飛ばし、獲物をぶん捕って逃げる。
そしたら、親切面で出て来たロブが「俺が追いかけるので、待っていて下さい」なんて言って走り出すんだ。
ロブがこのワザを使うときは、更に念が入っていた。
助け起こす時にちょっとした眩暈のまじないをかけちまうんだ。
こうすれば、大半の奴は追いかけてこないし、仮に追いかけて来ても簡単に撒けるってわけだ。
しばらく逃げて、首尾よく相方と合流した後は、笑いを堪えるのが大変だったよ。
でね、俺と相方は鞄の中身を拝見しようと人目につかない裏路地に回り込んだ。
鞄をこじ開けるのはちょいと手間だった。
どうも妙な細工がしてあったらしい。
しかし、なんとか解錠の魔法が効いてくれて、俺達は無事に中身とご対面することが出来た。
中にあったのはどれもこれもバカ高いモンばかり。
稀少な魔獣の骨肉や鱗。ほんのちょっぴりだが、幻獣の化石まで混じっていた。
月光鉱や黄昏石みたいな西では珍しい石もあった。
全部売りさばけば五、六年は遊んで暮らせるほどだ。
それで俺は浮かれて「やったな! あいつらの間抜け面が見てみたいぜ!」って、相方を見上げたんだ。
しかし、俺の笑顔はそのまま凍り付いちまったはずさ。
「そう、そんなにこの顔が見たかったの?」
そう答えたのは、俺を見下ろして薄笑いを浮かべた青い服の娘だった。
辺りを見回しても、どこにも相方の姿は見当たらない。
さっきまで、俺の目の前に居たはずなのに。
いや、そもそも、足音一つ、誰かの動いた気配一つなかったのに。
「あなたは何をお探しなのかしら? 私は鞄を探しているのよ」
透き通った声が、まるで人間じゃねえ、何か別のモノみたいに聞こえた。
悪寒が背中を通り抜けて、気づけば俺は悲鳴をあげていた。
俺は素っ転びそうになりながら、鞄を引っ掴んで逃げ出したよ。
そりゃもう逃げに逃げたさ。
ロブの行方も気になったが、下手うったヤツが悪いんだ。
こういう商売だからな。恨みっこなしさ。
俺は、無茶苦茶に逃げて逃げて、人っ子一人いない裏通りまで逃げ込んだ。
それで、ああ、これで一安心と胸をなで下ろしたよ。
そしたら人っ子一人いないはずの裏通りに、女が一人いたことに気がついたんだ。
こんな時間にここいらにいるのは娼婦かと思ってね。
あんなに肝の冷えた後だ。
女の柔らかさとあったかさが恋しくて、俺は「あんた、一晩いくらだい?」って声をかけた。
そうしたらその娼婦は「私は売り物では無いわ」って答えたのさ。
女がゆっくりと振り返ると、いつの間にか例の青い服の娘に変わっていた。
驚いたって、そりゃもう心臓が口から飛び出そうなくらい、驚いたよ。
俺は気が狂いそうになって、とうとう短杖を使っちまったんだ。
そいつは盗品の短杖で、用心の為にずっと身につけたもんだ。
死の腕の杖さ。
お守りのつもりだったから、本当に使うつもりはなかった。その瞬間まではね。
一回振っただけで俺の安物の手袋は破けちまって、虎の子の短杖も弾け飛んじまった。
だが、杖から放たれた黒い手は、確かにそいつを掴んだはずだった。
確実に、その娘は死んだはずだったんだ。
ところがさ、倒れないんだよ、その娘は。
それどころか、近寄って来るんだよ。
「ごめんなさい。既に死んでいる者は殺せないのよ。
大丈夫? 怪我をしなかったかしら。手を見せてくれる?」
そいつはそんな頭のおかしいことを言って、ニコリと笑いやがった。
恐ろしい笑顔だった。
今思い出しただけでも、びびって震えが止まらねえ。
ああ、ダメだ、コイツはきっと狂王の時代のバケモノだ。
死の魔法が効かないんだからな。
名前を口にするのも恐ろしい、不死のバケモノに違いない、と俺は思ったよ。
意識があったのはそこまでだ。
情けねえが、どうやら俺は気を失っちまったらしい。
だから、それから先のことは一個も覚えてねえ。
気がついたら朝になってて、路地裏に転がってた。
俺はもう、あんなおっかないのはコリゴリだ。
アレ以来すっかり盗みからは足を洗ったよ。
あ?
相方のロブってヤツはどうしたって?
どこにもいねえよ。
きっと、あの青い服の娘にあの世に連れてかれちまったんだ。
だからもう、二度と会うこともねえだろうさ。
可哀相になあ。
(とある港町のならず者、ダニロの話)
☆
秋の交易都市ノットリード。
進水式を三日後に控え、街中にはいつも以上に人が溢れていた。
今回建造された船は、ハーファンとトゥルムの協力で開発された新型巡洋艦である。
そのため、街行く人々の中には、ローブに長杖の人影が多く見られた。
その日、昼休憩をとるため貯蔵庫のドアを開けたハロルドは想定外の事態に直面していた。
薄汚く荒れきった部屋に似合わない高貴な人物が、二名も無断侵入していたのである。
「あー、お帰り、ハロルド」
「これはこれはオーギュスト殿下、ご機嫌麗しゅう存じます……」
侵入者の一人は長椅子に気怠げに座っている美貌の王子オーギュスト・イグニシアだ。
魔法学園の白い制服をラフに着崩し、リラックスした様子で気安くハロルドに手を振っている。
彼の足元では小型の金竜が幸せそうに寝こけていた。
もう一人はその横で辞書のように分厚い本を開いている黒髪短髪である。
こちらは魔法学園の制服を乱れ無く着こなして、ピンと張りつめた糸のような隙の無い佇まいだ。
「こいつが例のニーベルハイムの継嗣か」
鋭い視線に射抜かれて、ハロルドの笑顔はわずかに強ばる。
この、王子と比べても見劣りしない、鋭い印象の黒髪の美形は誰か。
一瞬だけ思考を巡らせ答えに辿り着いてから、ハロルドは問いかける。
「……あなたはハーファン公爵家のクラウス様ですね?」
「ほう、よく分かったな」
意外そうな顔をしたクラウスに、ハロルドは控えめに微笑み返す。
トゥルム老仕込みのハロルドの観察眼は頼りになる。
その上、実はエーリカの要望で魔法学園の学生リストを仕上げたばかりである。
間違うはずも無い。
「失礼しました。俺はニーベルハイム伯爵家のハロルドです。以後お見知り置きを」
このクラウス・ハーファンという少年は、東の旧王家の一員だ。
彼らは、土地と血族の象徴であり精神的支柱でもある。
この手の人物の扱いを間違ったら大事になるので、ハロルドも丁重になる。
「すまないな。オーギュストの悪巧みとは言え勝手に侵入してしまった」
「お二人ならばいつでも大歓迎ですよ」
クラウスの尊大さや見下しの無い温和な返事にハロルドは密かに安心した。
そう言えばエーリカが「案外いい人」なんて評価をしていた、と思い出す。
「歳は十三と聞いていたが……ずいぶん背が高いな」
「西北部の人間は背が高いらしいぜ、クラウス」
「ええ、殿下。それに俺は成長期が他人より早く来てしまったらしいのです」
オーギュストの説明に、ハロルドが控えめに補足をつけ足す。
クラウスは納得した様子で「そうか」と頷いた。
「それでは、俺はお茶を用意してきます。お待ち下さいね」
挨拶を終えたハロルドは無難な理由で、貯蔵庫から逃げ出すことに成功した。
すぐさま台所に逃げ込んで湯を沸かしながら、心の中で思いっきり叫ぶ。
(ハーファン公爵家だって!? また旧王家だと〜〜!?
どうしてそんなお偉いさん連中ばっかりが、俺の店に〜〜〜〜!?)
負担や気苦労が激増するのが王家や旧王家との縁である。
その上、今回はハーファンだ。
トゥルム一族曰く、ハーファン貴族は堅苦しく気位が高く格式を重んじて排外的とのことだ。
しかも真面目で理想主義で完璧主義。
巡洋艦の造船時もすったもんだの仕様変更に散々悩まされたとか。
(あのクラウスって人はマトモそうなヒトだけどさぁ……)
ハロルドは来年にはリーンデースの魔法学園に通うことを思い出す。
あそこは多様な文化と民族の集う都、古き魔法の都。
これしきのことで動揺してはあの憧れの学園ではやってけないだろう。
「むしろコネを作れる良い機会だよな。よし!」
ハロルドは水をかけられた犬のように萎縮してしまっていた心を奮い立たせた。
お湯が沸くと、いつも通りの手順で茶を入れる。
そして充分に蒸した頃合いにポットとティーセットを持って部屋に戻った。
「お待たせいたしました」
ハロルドは営業スマイルを浮かべて、そつなく給仕をこなす。
二人の座っている長椅子の前に低いテーブルを移動してからティーセットを並べる。
あとはハロルド自身が座るための椅子を持って来てから二人の向いに腰を下ろした。
「あー、いきなりで悪かったな、ハロルド。クラウスが進水式にどうしてもついて来いってうるさくてな」
「お前は勝手にひっついてきた付属物だろうが……」
「なるほど。それでお二方は短杖の購入で店へ寄った訳ですか? それとも別な御用で?」
「ああ、お前の貯蔵庫ならエーリカに会えるかと思ってね」
「残念でしたね、殿下。一昨日前のこの時間帯だったら、お嬢さんもいらっしゃったんですが」
ハロルドは控えめに微笑みながら答えると、オーギュストが大袈裟に落胆した。
「あ〜あ、エーリカもこっちに絶対来ているはずだと思ったんだけどなー」
「くく、読みが外れたな、オーギュスト」
心底がっかりそうなオーギュストを見て、クラウスが押さえ気味に笑う。
「うーん、なら今日は巡礼名所巡りとか? いや、例の窯の方かな?」
「さあ、分かりません。確か、どこかの視察を行う、とだけお聞きしてます」
「そうか、エーリカは視察か。また大変なことに首を突っ込まなければいいのだがな」
ハロルドはエーリカの居場所を知ってはいたが誤摩化した。
今頃エーリカはとんでもない用事で海に出ているのだ。
本日のエーリカの目的は、カルキノス大陸近海から北上して来た大海蛇の討伐。
大海蛇と言ったら大蛸以上の危険生物である。
しかも、討伐予定の標的は深淵の大蛇と呼ばれる超巨大海獣だとか。
普通に考えて貴族令嬢が狩るような対象ではない。
しかしあのエーリカなら余裕だろう、ともハロルドは思っていた。
この計画はもちろん極秘である。
エーリカ曰く、近海漁業の視察のついでに偶然討伐することになったように装うのだとか。
「お前なら知っていると思ったんだけど、宛てが外れたな」
「お役に立てず申し訳ないです、殿下」
「気にするな、ハロルド。いきなり来たオーギュストが悪いんだ」
クラウスに諌められるとオーギュストは拗ねた様子で足元の金竜を抱き上げて顔を埋める。
呆れ気味の顔でオーギュストを流し見てから、クラウスはハロルドを見つめて口を開いた。
「まあ、俺としてはお前の顔が見てみたかったのもあるんだがな」
「へ? ええっと、俺のですか……?」
「ハロルド・ニーベルハイムは〈炎の魔剣〉から街を救った錬金術師だろう?」
クラウスの鋭い視線に射抜かれてハロルドは肉食獣の前の草食獣みたいな気持ちになった。
口元は笑っているが目が笑ってないのが余計に恐怖を煽る。
「あれは本当にたまたま……運が良かっただけですから」
これはハロルドの心からの言葉でもあった。
自分自身の才能には絶対の自信を持っているが、あの時は運命的な要素が揃っただけなのだ。
「お前が街を救ったことは違いない。ハーファンでも話題になっていたぞ」
「畏れ多いお話です」
「一年後には魔法学園だろう? 模擬戦の相手として楽しみにしておこう」
「いえ、残念なことに俺は短杖を行使出来ませんので、お相手は難しいかと」
「ほう、それは珍しいな。何故だ?」
クラウスの言葉に、ハロルドは困った顔をわざと造る。
阻害値ゼロであることは身の守りが薄いことと同義なので基本的に隠蔽しているのだ。
しかし相手は旧王家。
隠し立ては無礼に当るだろうとハロルドは口を開く。
「学園で錬金術も履修している方なら外部魔力に対する阻害が無いと言えばお分かりですよね?
これは俺が子供の時短杖を誤って使ってしまったときの傷跡です」
「……そうか、悪いことを聞いたな。忘れてくれ」
ハロルドが右手の傷跡をみせると、クラウスはなんとも申し訳無さそうな顔をした。
たしかに悪い人じゃ無さそうだなあ、と思いながらハロルドは困り顔のまま笑う。
「でもエーリカお嬢さんのご相手は時々なさっているんですよね?」
「ああ。だからお前の短杖の素晴らしい出来を知っている。故にお前と戦ってみたかった」
「それは勿体ないお言葉を……」
ハロルドは恭しく頭を垂れる。
錬金術を低く評価する魔法使い、それも総本山であるハーファン家が褒めてくれたのだ。
クラウスからの想定外の高評価にうっかり頬がだらしなく緩んでしまうのを隠すためでもあった。
そんな時、貯蔵庫のドアをノックする音が響いた。
三人の視線が一斉にドアに集まる。
「どうぞ……」
ハロルドがそう答えると、重厚なドアがゆっくりと開く。
すると灰色の髪の青年と金髪の青年がドアの向こうから現れた。
☆
その頃、ギルベルト・トゥルムは、トゥルム短杖店に小舟で向っていた。
ハロルドに最近雇用した人材を紹介するため、商談から抜けて来たのだ。
「噂に聞くハロルド様のところへですよね……」
「あー、まあ、そんなに固くならなくていいんだ、ロブ」
ギルベルトと同乗している彼はエーリカの紹介で工房で働くようになったロブという青年だ。
濃茶の髪をしたハーファン出身の平民である。
魔法の才能のおかげで、あっという間に工房でエース級の働きを見せていたのだ。
ロブは期待されて魔法学園に入学したが、悪質な貴族に目を付けられ半年で退学した過去を持つ。
そんな身の上では故郷には帰れず、放浪の果てに彼はノットリードの外れに流れ着いた。
頼る者もなく、苦しい生活を強いられた末、盗人に身を落としていたこともあったのだという。
そんな時に偶然エーリカに出会って身の上を話したところ、ギルベルトの工房に紹介されたのだ。
「分かっちゃいるつもりなんですが、伯爵家の方だって聞くと、ついつい」
「まあな、俺も魔法学園時代はおっかない貴族連中がたむろしてる所なんかゴメンだったよ。
でも、ハロルド坊ちゃんは別格さ。ほとんど平民同然の破格の庶民派で……ッ!?」
ロブと談笑していたギルベルトは、突然の悪寒に襲われた。
このまま先に進んでは危険だと、ギルベルトの本能が囁く。
この手の直感によって、ギルベルトは何度か窮地を免れた経験があった。
例えば、学園時代、同世代のいけ好かない上級貴族の集団に鉢合わせしそうになった時などである。
いきなり押し黙ったギルベルトに、ロブは心配そうに声をかける。
「なんだか急に顔色が悪くなりましたが、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。いや、大丈夫じゃないな。
……あれだ、このまま飲みに行っちまおうか」
「え? いいんですか?」
「まー、なんか、今日は日が悪い気がするし、坊ちゃんへの挨拶はもうちょっと先でもいいさ!
よぉおし、今日は飲もうぜ! 俺の奢りだ!」
ギルベルトたちの乗る小舟は、くるりと反転して飲み屋街の方へと舵をとる。
こうして、結果的にギルベルトは一つの厄介事に接触するのを免れたのであった。
☆
トゥルム短杖店の貯蔵庫は新たな客を迎えていた。
魔法使いエルリック・アクトリアスと錬金術師エドアルト・アウレリアである。
エルリックはあの事件から毎年、遺跡の事故現場に花を捧げるためこの土地を訪れていた。
今年は珍しく親友のエドアルトを伴っている。
「お邪魔します、ハロルド君。一年ぶりですね。ああ、オーギュスト殿下にクラウス君もこちらに?」
「お邪魔させて頂くよ。おや、奇遇だね。二人とも進水式のついでに来たのかい?」
ハロルドは営業スマイルを浮かべつつ、背中に悪い汗が流れるのを感じていた。
イグニシア王太子オーギュスト。
東の旧王家の長男クラウス。
西の旧王家の長男エドアルト。
そして、恐らくカルキノスの亡命貴族であろうエルリック。
揃いも揃って、高貴な出自の人物ばかりである。
年頃のご令嬢なら嬉しくて困る顔ぶれだろうが、ハロルドにとっては扱いに困る面子だ。
「エドアルト、お前はカルキノスに急ぎの用事があったんじゃないのか?」
「へー、ここから南方へ船旅なのか? 優雅でいいな、お兄様?」
クラウスとオーギュストが問うと、エルリックとエドアルトは困り顔で目を合わせる。
「いいえ、その、残念ながら、エドアルトの船出は延期になってしまったんですよ」
「カルキノス大陸の近海で異常発生した大海蛇が、ノットリード近隣の海域まで北上して来たらしくてね」
そんなことを話しながらエルリックとエドアルトは長椅子の近くに歩いて行く。
ハロルドは椅子から立ち上がって挨拶をする。
「ニーベルハイム伯爵家のハロルドと申します。よろしくお願いします!」
「ああ、ハロルド君。エーリカの兄のエドアルト・アウレリアだ、よろしくね?」
ハロルドはエドアルトから差し出された手を握る。
多忙なエドアルトに遭遇したのはこれが初めてであった。
「妹がお世話になっているようだね」
「こちらこそ、お嬢様にはいつもご贔屓にして頂いております」
「妹の良い友人になってくれてありがとう、ハロルド君。
そうそう、エーリカに君が送っているモノを時々こっそり調べさせて貰ってるんだけどね」
エドアルトは微笑んでいたが、ハロルドは値踏みされているような気分だった。
このエドアルトの何もかも見通すような澄んだ緑の瞳は、あのエーリカに良く似ている。
こんな人間に自分の作った短杖がじっとり調べられているかと思うとハロルドは気が遠くなった。
「君の仕事ぶりはとても丁寧で精巧だ。それでいて発想は奇抜。見ていて感心するよ」
「恐れ多いです」
「特に水晶塊は素晴らしい仕事だね。
シンプルで美しい呪文構成、そして、桁違いに強力だ」
「そんな、俺にはもったいないお言葉ですよ」
ハロルドがちらりと横を見ると、エルリックが街で買ってきた食べ物をオーギュストとクラウスに分けていた。
牛の第四胃煮込みをはさんだパンや生ニシンをはさんだパンだ。
クラウスとオーギュストの二人はどちらを食べるかで争っていた。
どうやらクラウスは生魚が苦手らしく、オーギュストが面白がって生ニシンを押し付けてようとしている。
呑気な三人が心底羨ましい、とハロルドは思った。
「しかし、意外だな、エドアルト。お前なら大海蛇退治くらい容易いんじゃないのか?」
「クラウス君、大海蛇なんて一個人がどうこうする魔獣ではないんだよ」
煮込みをはさんだパンを勝ち取ったクラウスが問うと、エドアルトは首を横に振った。
お宅の妹さんが個人で討伐するそうですよ、という言葉をハロルドは飲み込む。
「対巨大生物用の攻撃特化短杖でも持っていれば別だけどね。常時携帯するような物ではないし」
お宅の妹さんは常時携帯してるんですけどね、と思いながらもハロルドは黙秘していた。
クラウスはエドアルトの返答に満足したのかパンを齧り始める。
エドアルトのほうはくるりと部屋を見回していた。
「それにしてもハロルド君は、素敵な貯蔵庫を持ってるね、見学させてもらっても良いかな?」
「はい、お好きなだけどうぞ」
「ありがとう。何だか遺跡の宝物庫を開けるときのようで、わくわくするなあ」
ハロルドは戦々恐々としながら許可を出す。
エドアルトは室内をつかつかと歩き回ってから、作業台の上にあった短杖の一つをつまみ上げた。
「あれ? この杖は慈悲の死かな?」
「ええ、そうです」
「最後に使用したのは六時間前……物騒なものを使うお客さんがいるみたいだねえ」
「ええ、同感です」
さらりと真実を見破られてハロルドは焦ったが、内心の動揺を隠して頷いた。
この慈悲の死は、エーリカが治安の悪い場所に行く時に時々使用している物である。
エーリカ曰く「死ぬ前に死んでおく」らしいが、ハロルドにはそこまでする必要性が分からなかった。
「おや、そちらにあるのは場所変えの杖だね。けっこう使い込んでいるみたいだ」
「ええ、そのようですね」
「使い手は遺跡の探索者かな?」
「申し訳ありませんが、そこは個人情報ですので」
エドアルトは貯蔵庫に残されたエーリカ関連の杖を次々と言い当てていく。
作業机に散らばった素材の削りカスを見ただけで「船旅用の杖を作っていたようだね」「巨大生物用の攻撃用短杖か。実物が見たかったなあ」なんて言われた時は、このままエーリカの現在の居場所までも暴かれてしまうかもしれないと諦めかけた。
もういっそ自白してしまった方が楽ではないのか、と。
しかし根性が信条のハロルドは、ぐぐっと思いとどまる。
(言えない……この面子の前でエーリカが大海蛇狩りに行ってるなんて言えない!!)
哀れなハロルドは心の中で再び絶叫した。
エドアルトの追及は厳しかったが、大商人の弟子であるハロルドの口も当然堅い。
その日、ハロルドは相棒の秘密を決して漏らすことはなかった。
しかし後日「深淵殺し」という錬金術師の威名と正体が広まってしまい、結局のところ彼の苦労は水の泡となるのであった。