奇譚「紅い妖女」
その日、俺はトマスのやつと喧嘩しちまいましてね。
ああ、トマスってのは俺の親友で、一緒に織物商をやってる相棒なんですけどね。
仕事のことで食い違いがあって。
本当は俺が悪いのに、奴があんまり頑固なもんだから、ついつい突っかかっちまったんです。
本心では俺が謝るべきだとは分かってたもんだから、どうにも居心地が悪くて。
だからですかねえ。
知らず知らずのうちに、俺の足は教会へと向かってました。
教会の名前ですか?
自宅の近所にある〈枯れ葉通り〉の教会ですよ。
何て言いましたっけ。
まあ、看板が出てるわけでもないし、名前まで覚えてませんね。
もう夜更けだったんですが、ちらりと窓から赤い人影が見えました。
ここいらの教会で赤って言ったら、修道女の服でしょ?
それで、そう言えばあそこの礼拝堂には告解室があったな、と思い出しました。
〈枯れ葉通り〉の教会にシスターなんていたっけな、とも考えましたけど。
まあ、ここいらの教会が当直役を融通し合うのはよくあることですし。
「こんばんは。遅くにすいません。懺悔したいことがあるんですが」
そう断って入っていくと、返事が聞こえました。
なんだか妙に色っぽい女の声で、どうぞお入り下さいってね。
俺は思わずどきりとしました。
声を聞いただけでも、その女が美人だって確信する声ってあるでしょ?
そのシスターはまさにそれでした。
若々しくてハリのある声に、甘ったるい感じの響きが混じっている感じで……いや、そんなことはどうでもいいですね。
俺は告解室に入って、あとはお定まりですよ。
まあ、彼女はいい人でした。
熱心に話を聞いてもらってるうちに、いつの間にか気持ちが軽くなっていました。
そしたら急にドキドキしてきましてね。
いやあ、無理もないですよ。
壁一枚隔てて、もしかすると凄い美人がいるかも知れないわけじゃないですか。
懺悔に来たんじゃなければ、どこのシスターなのか聞くのにって、少し悔しかったですね。
あんな色っぽい声で説法してもらえるなら、俺は毎日でも教会に通いますよ。
別れ際にお礼を言って、そのついでと言いますか。
いや、本当は良くないことなんですが。
隙間から手を入れて、そのシスターの手を握ったりなんかしましてね。
へへへ、まあ、いいじゃないですか。
ちょっとは役得もあった方が、信心も深くなるってもんですよ。
触れたのは一瞬でしたが、意外に毛深かったかな?
もしかすると、手じゃなくてマフラーか何かにでも触ったのかも知れませんけどね。
そしたら、そのシスターが、例の甘い声で。
「あら、いけない人。我らが神が見ておられますよ」
なんて、囁くんですよ。
たまにはシスターに叱られるのも悪くないって思いましたよ。
それで俺は、皆に自慢でもしてやろうかとニヤニヤしながら礼拝堂を出ました。
その時ちょうど、そこの教会の司祭さんが角灯持って、見回りしてるのに出くわしたわけです。
「ちょっとあなた。礼拝堂から出て来たように見えましたが」
「ああ、はい。懺悔したいことがありまして。
良いシスターがいらっしゃいますね。どちらの教会の方でしょうか?」
確かこんな感じの会話でした。
俺が答えると、司祭さんは驚いたみたいで。
「おお、まさか。あそこには誰もいませんよ」
そんなことを言うもんだから、俺は思わず笑っちまいましたよ。
いやいや、俺は邪なことは考えてませんよ、なんて弁解したりして。
でもね、どうやらそういう話じゃないらしいんです。
「あそこは今、閉鎖されているんですよ。
最近、礼拝堂に大きな落雷がありまして、安全が確認されるまで誰も入れなくなっているんです。
だからね、シスターなんているはずがありませんよ」
そう言って、司祭さんは施錠を確認するために、慌てて礼拝堂にすっ飛んで行きました。
俺も司祭さんの後を追いました。
いや、本当に誰もいないのか気になりましたし、一人でいるのは何だか怖かったんですよ。
そしたら、さっきまで俺がいたはずの礼拝堂の扉は、しっかりと鎖と錠前がかかっていました。
外から灯りで照らしても、人っ子一人いません。
俺はもう怖くて仕方がありませんでした。
大慌てで〈泥炭通り〉まで引き返して、潰れるまで酒を飲んで寝ちまったわけです。
まあ、翌日は寝坊と二日酔いで酷い有様でした。
お察しの通り、相棒はカンカンでしたよ。
しかしねえ、今でも不思議に思うんですよね。
あの夜、俺と話してた赤い服の女は、いったい何者なんだろう、って。
(新興の絹織物商の副店長、ハンスの話)
☆
色とりどりの華やかなドレスを身につけた少女達が戯れ合いながら夕闇の中を駆けていく。
彼女達の身につけた金銀や宝石は、ドレスが翻る度に燭台の灯りを受けてきらきらと煌めいていた。
その姿は、さながら蝶のようだった。
アウレリア公爵家が夏と冬を過ごす、〈湖の城〉という名の湖畔の古城。
その庭園の一角には、広大な迷宮庭園が造られていた。
八月の星見の祭のために〈湖の城〉を訪れた周辺貴族の令嬢達は、園遊会が始まるまでのひとときをその迷宮で遊んで過ごしていたのだ。
「捕まえましてよ!」
「きゃあ! 待ち伏せなんて卑怯ですのよ!」
「これで全員でしょうか?」
少女達は辺りを見回し、人数を数える。
迷宮で追いかけっこをしていた少女のうち、一人の姿が見えない。
「どちらにいらっしゃるのかしら?」
「もしかして、まだ迷宮庭園の中に……?」
「いいえ、皆さんの後ろよ」
背後から声が響く。
少女達が一斉に振り返ると、白鳥の石像しか無かったはずのその場所に一人の少女がいた。
その少女はすらりと伸びたしなやかな肢体を青いドレスに包んでいた。
濃紺から水色までグラデーションをつけて幾重にも重なったフリルに銀糸で刺繍された星々が輝く。
それは湖面に映る星影のようにも薄雲の間から覗いた夜空のようにも見えた。
豊かな金髪を青いリボンでまとめあげ、そこにも同様の星の意匠の髪飾りが散りばめられている。
この青いドレスの少女は、この城の主アウレリア公爵の一人娘であるエーリカだった。
十一歳になったエーリカは、見る者に大輪の花が美しく開く前兆のようなものを感じさせた。
その顔立ちにはまだ少女らしい幼さが残っている反面、意志の強そうな瞳の中に大人びた雰囲気を宿している。
白鳥の石像の前で微笑むエーリカは、真夏だと言うのに汗一つかいていなかった。
色硝子で装飾された枝付き燭台の光に照らされたその姿は幻想のようだった。
そんなエーリカを見て、少女達はぞくりと畏怖に似た感覚を覚える。
「エーリカ様、いつの間に……?」
「そこは何度も調べたはずですのに!」
「どうやって誰にも気づかれずにお逃げになられましたの?」
驚かされた少女達は、エーリカを取り囲んで質問攻めにする。
対して、エーリカは底の知れない笑みを浮かべてするりとかわす。
「さあ、どうしてかしら。幸運なこともあるものですね」
「エーリカ様、はぐらかさないで教えてくださいませ」
「種明かししてしまっては、皆さんガッカリしてしまうのではないかしら?」
「もう、エーリカ様ったら」
エーリカはこれ以上誤摩化すのも限界かと考え、わざとらしく鉱石式時計に目を落とす。
「あら? もう星見が始まる時間ではないかしら。
皆さん、遊びはこのくらいにして、そろそろ戻りましょう」
「それは困るな。ようやく見つけたところなのに」
聞き慣れた声とともにイチイの生け垣が揺れ、背の高い二人の少年が姿を現す。
鋭い眼差しをした凛々しい黒髪の少年と、甘い微笑をたたえた中性的な美貌の金髪の少年だ。
突如現れた美しい二人の貴公子の姿に、エーリカを取り巻く令嬢たちはざわめく。
「御機嫌よう、麗しき姫君たち」
「寛いでいるところに押し掛けてしまってすまないな」
オーギュストとクラウスが彼女達に挨拶をすると、うっとりとした溜め息や囁きが始まった。
皆、大声で騒ぎ出すようなはしたない真似は控えてはいるが、俄に騒がしくなる。
「きゃ、きゃあ〜〜。オーギュスト殿下にクラウス様が、どうしてこんなところに」
「相変わらずお二人ともお美しい……」
二人が近寄ると、エーリカを取り囲んでいた少女達はさっと離れて場所を空けた。
エーリカはふと前世の世界に海を割った聖人の話があったことを思い出す。
クラウスとオーギュストがエーリカの両側から手を取ると、少女達から黄色い歓声が上がった。
「悪いな。少しこいつを借りていくぞ」
「私たちのことは気にせず、ゆっくり星見を楽しんで行ってくれ」
エーリカが二人に連れられて再び迷宮に戻って行ったので、少女達は後ろ髪を引かれつつも園遊会へ向った。
三人からある程度距離が離れたところで、黄色い声が一際高くなる。
「流石エーリカ様、未来の国王陛下と公爵閣下に取り合われるなんて!」
「なんて羨ましい! でも、エーリカ様くらいでないと、釣り合いませんわよね」
「三人並んでいらっしゃると、まるで絵画のようですわ」
「それにしてもエーリカ様はどちらがお好きなのかしら。気になりますのよ」
思う存分好き勝手なことを喋りながら少女達は園遊会の会場へ歩いて戻っていったのだった。
一方その頃、エーリカと二人は迷宮庭園を少し入ったところで再会を喜んでいた。
「お久しぶりです、オーギュスト様、クラウス様。先ほどは助かりました」
「今年の降臨祭以来だな。役に立ったようで何よりだぜ」
「何やら悪戯でもしていたようだな、エーリカ。自業自得だぞ」
そう言ってからクラウスは青い瞳でちらりとエーリカを見てから片方の眉を釣り上げる。
相変わらずエーリカに対して小言の多いクラウスだったが、エーリカは薄く微笑んで軽く受け流した。
オーギュストはきっちりと着込んでいた臙脂色の礼服の襟元を、暑さのためか着崩す。
肩より長く伸びた金髪を無造作に結っていることも手伝ってどことなく艶やかな雰囲気である。
一方、クラウスは夏だと言うのに一糸乱れぬ着こなしだった。
銀糸で刺繍の施された黒いローブを着込んで、汗一つ流していない。
「少し場所を移しましょうか。星が綺麗に見える場所があるんです」
エーリカを先頭に、三人は迷宮庭園を進んでいく。
そうして、しばらくすると三人は竜を象った石像の前に辿り着いた。
エーリカがその竜の巻角の部分を動かすと、どこかでギリギリ、ガタンと重い音が響く。
その音を聞いてクラウスは頬をぴくりと引き攣らせた。
あの〈来航者の遺跡〉の仕掛けが動いた音によく似ていたからだ。
「こ、この音は……」
「へえ、こんな仕掛けがあったのか」
石像の陰に敷かれていた石がずれ、地下へと続く階段が出現していた。
それは人工洞窟への入り口で、迷宮庭園の外や〈湖の城〉の地下まで繋がっている。
この庭園は地上の生垣と地下の人工洞窟により、二重の迷宮として造られていたのだ。
三人は隠し階段から人工洞窟へ降りて行く。
階段や通路には星水晶のランプが仕込まれていて、ほのかな青い光が洞窟を照らしている。
洞窟内部は海の魔獣や貝殻が意匠として施されていた。
見た目こそ不気味だが、夏なのにひんやりしていて過ごしやすい空間になっている。
「ふうん。ここを使って他の女の子たちを翻弄してたんだな?」
「うっ、バレてしまいましたか」
「魔法以外の機構があるとは予想していたが、こんな大仕掛けだったとはな」
「みんなには秘密ですよ?」
神出鬼没のカラクリを二人に指摘されて、エーリカは恥ずかしそうに俯く。
その様子をクラウスが物珍しそうな顔で見つめた。
「エーリカ、お前も意外に子供らしいところがあるようだな」
「意外に、ってどういう意味ですか、クラウス様。私はまだ十一歳ですよ?」
「そう思うなら、もう少し子供らしくしていろ」
「ははは、同感だな。でも、それはクラウスが言っていい台詞じゃないぜ」
オーギュストが揶揄うと、クラウスは仏頂面でそっぽを向いた。
エーリカは振り返って二人のやりとりを眺めながら苦笑する。
三人が階段を上がると、迷宮庭園の外周にある獅子の石像の陰に出た。
ひび割れのように加工された石像の細工にエーリカがピンを差し込むと、歯車の音とともに地下へと続く階段は消える。
湖の岸辺には、船頭役の従僕を乗せた小舟が待っていた。
三人が乗り込むと、船頭は静かに櫂を動かして小舟を滑らせる。
水面には小さな星水晶の欠片を仕込んだ釣鐘草の花が浮かんでいた。
小舟が起こすさざ波がそれらの青い光を揺らし、湖面に作られた人工の星空はその形を変えていく。
頭上でも、いくつもの星が流れ、その度に向こう岸で歓声が上がる。
対岸は園遊会の会場になっていた。
燭台の照らす中で、色とりどりのドレスを着た貴婦人たちが踊っている。
「舟から眺める星空もいいものだな」
「ああ、静かなのは何よりだ。小煩い連中がいないのは良い」
「クラウスはもう少し愛想良くした方がいいぜ」
「俺は今のままで充分だ。これ以上の愛想が必要ならば、お前が代わりに振り撒いていろ」
オーギュストの言葉にクラウスが意地悪そうな顔を作ってワザとらしく返す。
剣呑な二人の会話を聞きながら、エーリカはふと気になった事を思い出す。
「そう言えば、お二人ともリーンデースでご用事があったハズではないのですか?」
「私は教授に個人指導を受けるはずだったんだけど、うん、まあ色々と」
「俺はお前の兄に呼び出されたんだが、いきなり不要になったと言われたぞ」
話の流れでクラウスはエドアルトの悪行に対する愚痴を吐き始める。
深夜労働に回復薬の過剰摂取など、過酷な労働を強いられているのだとか。
続いて、オーギュストは今年の降臨祭での対戦相手や、仔竜たちの成長について。
エーリカは流行の香水や水薬や磁器の話などの世間話をする。
「磁器と言えば、ノットリードの磁器像のことでエーリカに話があってなー」
「オーギュスト様、何のことでしょう?」
「おっと、もう誰が裏で糸を引いていたかは調べがついてるんだぞ?」
オーギュストは朗らかに微笑みながら手厳しく問いつめる。
一方、エーリカは顔色を変えずに必死に話題逸らしをして追及から逃げていった。
そんな攻防を呆れつつ聞いていたクラウスは、ふと思案顔になり口をはさむ。
「そうだ、ノットリードといえば、教会への破壊工作が多発していたそうだな」
「まだ人為的なものと決まったわけじゃないぜ。自然の落雷かもしれない」
「誤摩化すな。落雷で屋内や地下にあった祭壇だけが破壊されるものか」
話題が祭壇に関することに変わると、エーリカは密かに目を逸らす。
実は、この事件の実行犯はパリューグであった。
標的となったのは、穢された血啜りの祭壇だけである。
数年かけて取り戻した炎の能力を使って、ようやく汚染された祭壇を破壊することができたのだ。
天使が犯人だったなどという突拍子もない真相には、誰も辿り着いていない。
そのため、奇跡的な自然災害説や、敵国の呪術師による攻撃説、狂った錬金術師か魔法使いの暴挙説など、さまざまな憶測が飛び交っている。
「ろくでもないことをする輩もいたものだな」
「いや、悪いことばかりとも言えないらしいけどな」
「馬鹿を言え。イグニシアの教会関係者やリーンデースの専門家が総出で、休む間もないそうじゃないか」
「まあな。でも、だからこそ私は羽根を伸ばせるわけだ」
祭壇が何者かによって汚染されていたという調査結果を受けて、祭壇ネットワークを再構築する計画が立てられていた。
この件はイグニシアの一部の要人だけが知っており、オーギュストもまたその一人である。
しかし、敢えて彼はその件を隠しておどけた振りをする。
実際のところ、オーギュストの師である教授も祭壇修復の件で大忙しだった。
本来ならば瞑想者の指導が行われるはずだったが、教授が学園にいないため有耶無耶になっていた。
そんなわけで、オーギュストはこれ幸いと西に遊びに来ているのであった。
「面倒な連中だ。調査にしても祭壇の再建にしても、東に依頼すれば良かろうに」
「そうは言っても、南にも教会にも、譲れないところがあるのさ」
言外に情報統制を匂わせるオーギュストの答えに、クラウスは面白くなさそうに舌打ちする。
教会が祭壇破壊事件の調査に非協力的なことはクラウスも薄々感じていたが、この回答はその決定的な裏付けと言えるだろう。
各地で頻発していた怪事件は、祭壇の破壊を境に鳴りを潜めていた。
吸血鬼の足取りも、ぷっつりと途切れてしまっている。
三年前から続いていたエドアルトの吸血鬼関連の調査は、実質上の手詰まりとなってしまったわけである。
お陰で想定外の暇を得られたエドアルトは〈来航者の遺跡〉の発掘計画を再開することができた。
現在は崩落箇所の安全性を確認するための準備段階で、実質上の足止めという状態にある。
クラウスも一旦は呼び出されたものの、調査にも発掘にも動きがなく、久しぶりに労働から解放されたという訳である。
エーリカは二人の話を聞きながら、ふと岸辺に目をやった。
そこにはこちらに向かって手を振っている人影が見えた。
遠目に分かった髪の色から、エーリカはよく見知った人物のことを思い出す。
エーリカは船頭を勤めていた従僕に舟を岸に寄せるように命じる。
舟が岸につくと、その人物は魔法の灯りの点った長杖を掲げて近づいて来た。
灰色の魔法使い、エルリック・アクトリアスである。
三年前の事故の怪我も癒えて、一見すると前と変わらぬように元気な姿であった。
修理された眼鏡もまた、いつも通りにズレている。
「げえっ、アクトリアス!?」
「あああ〜〜、あの、クラウス君、大変申し訳ないのですが、〈来航者の遺跡〉が崩壊しかねない事態が……」
後ずさりするクラウスに、エルリックは哀願しつつにじり寄る。
「おい待て、なぜ問題が起こるんだ。まだ小型ゴーレムによる調査の準備段階だろう?」
「ところがエドアルトが小型ゴーレムを送り込んでも大丈夫かどうか、強度を確認してくると言い残して……」
「あいつ、何のための無人探査だと思ってるんだ!?」
「こうなると、追いかけられるのはうちのチームではクラウス君くらいなんですよね。
もう鍵も発行済ですから、転送門で行きましょう?」
二人の会話は非常に剣呑なものだった。
しかし、心配要らないだろうとエーリカは楽観視していた。
問題の中心にいるのが、幾多もの危機を軽々乗り越えて来たエドアルトである。
その上、エルリックやクラウスも加わるのだから、どんなトラブルでも解決可能だろう、と。
〈来航者の遺跡〉にはまた大きな損傷が加わるかも知れないが。
「アクトリアス先生、お久しぶりです。ゆっくりお話したかったのに、残念です」
「申し訳ありません、エーリカさん! またの機会に是非……」
エルリックは手慣れた様子でクラウスを小脇に抱えて走り出す。
「ははは、いい恰好だな、クラウス!」
「くそっ、笑うな、オーギュスト!
離せ、アクトリアス! 俺は自分で歩けるぞ!
大体お前は大怪我を負った身だろうが! 病み上がりが無理をするな!」
「クラウス様も大変ですね〜」
「エーリカ、なんだその他人事っぷりは〜〜!! お前の兄が原因なんだぞ〜〜!!」
慌ただしくエルリックに回収されていったクラウスを見送りながら、オーギュストは腹を抱えて笑う。
エーリカのほうは華奢そうな体型のわりに力のあるエルリックに感心していた。
「それにしても、アクトリアス先生って力持ちなんですね……」
「クラウスのやつも、心配するか悪態をつくか、どっちかにすればいいのに」
取り残された二人は顔を見合わせて笑う。
「くっくっく、天才魔法使いも楽じゃないなー」
「本当ですねー……あ、今大きな流れ星が」
遠くから聞こえて来た歓声で、エーリカの意識は空へと向いた。
年頃の子供らしく流れ星を見てはしゃぐエーリカを見つめ、オーギュストは静かに微笑む。
「可哀想に、せっかくエーリカと過ごせる貴重な時間を。
まあ、あいつが忙しいお陰で、私はお前を独り占めできる訳だが」
「えっ、何かおっしゃいました……?」
エーリカは振り返り、不思議そうな顔で小首を傾げた。
オーギュストはエーリカに手を伸ばし、何かを言いかけたが、続いて投げ掛けられた声によって遮られる。
「ご無礼をお詫びします、オーギュスト殿下。緊急のご連絡です」
岸辺にはいつの間にか一通の封筒を手にしたアウレリア公爵家の家令が立っていた。
家令の肩には白い小型竜が翼を休めている。
その白竜の目つきが師である教授のものに似ていることに気づき、オーギュストは猛烈に悪い予感を覚えた。
捺されている封蝋の印章が教授のものであることを確認し、予感は確信に変わる。
手紙の内容はノットリードの〈水の宮殿〉に借りた教授の部屋の地図と、出張先におけるオーギュスト向けのカリキュラムであった。
五つの古代言語の学習、三百年代の呪術の歴史、幻獣四種との感応訓練……期間こそ短く設定されていたものの、内容は超圧縮されたスパルタ訓練である。
オーギュストはたっぷり五拍ほど絶句してから手紙を懐に仕舞い込む。
「エーリカ、どうやら私も用事ができたみたいだ。
非常に名残惜しいんだが、これで失礼することになりそうだ……」
「えっ、オーギュスト様もですか?」
オーギュストは白竜を伴い、虚ろな瞳で〈湖の城〉へと戻って行く。
おそらくこのまま転送門で教授の元へ飛ぶことになるのだろうとエーリカは理解した。
「二人とも大変そう……」
多忙な友人たちに思いを馳せていると、園遊会の会場辺りから一際大きな歓声が聞こえてきた。
エーリカが空を見上げると、たくさんの星が流れ落ちて来るところだった。
それはまさに星の雨のようで、エーリカはしばし天体の作り出した美しい光景に見とれる。
「せっかくだし、みんなの無事でも祈っておこうかな」
これだけ流れ星があるのだから、運良く願いが叶うこともあるだろう。
そんなことを考えながら、エーリカは一人、流れる星に祈りを捧げるのだった。