奇譚「黒い怪人」
それは、私が大きな商談をまとめてノットリードに戻る航路でのことでした。
船旅は順調で、夜明け頃には港に着く予定でした。
何か、自分でも気づかない予感があったのでしょう。
どうにも寝付けなかった私は、夜風にでも当たろうと、一人で甲板に出ることにしました。
その夜は霧が深く、十歩も離れれば顔が見えなくなるほどでした。
夜空には星一つなく、明かりと言えばそこかしこに点いた角灯と、遠くにぼんやりと見える灯台の光くらいのものでした。
視界が悪いとは言え、そこは勝手知ったる自分の船ですからね。
遠い岸辺を示すオレンジ色の光をぼーっと眺めながら、のんびりと散歩していたわけです。
すると、不意に、私の目の前に、黒い大男が現れました。
元兵士なのか、四肢にはゴーレム造りの義肢をつけているようでした。
よほど顔を見られたくないのか、面甲をつけた上から黒い外套を目深に被っていました。
その男は、まるでつい先程海から這い上がってきたみたいに、ずぶぬれでした。
ぽた。
ぽた。
ぽた、と濡れて張り付いた外套から、甲板に雫が垂れています。
いえいえ、まさか、そんな格好ですから。
海から甲板まで這い上がって来れたはずは御座いませんよ。
だからこそ、なぜずぶ濡れなのかと、気味が悪く感じたのは言うまでもありません。
何より男の不気味な雰囲気に、私は肝を潰しました。
ぞっと背中の産毛が逆立つのを感じながら「おうい、あんた何者だい?」と声をかけたんです。
今思うと、なぜそんなことをしたのか。
きっと、その男がただの人間だということを早く確認したかったのかも知れません。
何か失敗して水を被っちまった、なんて笑い話を聞いて、早く安心したかったんです。
その時でした。
霧の中で、何か大きな物が揺れていました。
ゆらゆら、ゆらゆら。
揺れているそれは、帆柱の何倍も太くて、何か丸い大きな模様が見えました。
そこで、私ははっと気づきました。
そいつは大蛸の触手だったんです。
丸い模様は吸盤だったってわけです。
霧のせいで針路を間違えたんだか、それとも大蛸が棲家を離れて遠出して来たんだかは分かりません。
しかし、そいつがとんでもなく危険だってことはすぐに分かりました。
大蛸のせいで、知り合いの船も含めて、何隻もの船が海に引きずり込まれて沈んでましたからね。
まさか、自分の乗った船がその列の後ろに並ぶような不運に見舞われるなんて、思っても見ませんでしたが。
とにかく私は大急ぎで、船室に逃げ込もうと走ったわけです。
でも、もう数歩ってところで、はたと思い立ちまして。
あの黒尽くめの男の足音が、一歩も聞こえてこなかったんです。
「あんたも早くこっちに!」
そう叫んだんですが、振り返ってもそこにあの大男の姿はありません。
見回しても、甲板には誰もいませんでした。
まさか、あいつ、大蛸に捕まっちまったか。
そんな想像に、ぞっとしました。
捕まったのが船だって助かりやしないんですからね。
それが人じゃあ、もはや生きてはいないだろうと、こう思ったわけです。
波の間から、大蛸の薄気味悪く輝く大きな瞳が見えました。
こりゃあ、いよいよ私も危ない。
そう思っていたら、霧の向こうに、もっと恐ろしいモノが見えたんです。
それは、手でした。
白い霧の中に、触手の何倍も太い、黒い手の影が見えました。
いや、触手どころか、大蛸の胴よりも太かったかも知れません。
手だけでもその大きさですからね。
全体の大きさを想像して、ぞっとしましたよ。
船の何倍……いや、ノットリードの〈水の宮殿〉とどちらが大きいかと思うほどでした。
巨大な手が大蛸を攫むと、霧の海に、甲高い喇叭のような悲鳴が響きました。
大蛸の悲鳴なんて聞いたのは、私が初めてかも知れませんね。
大蛸は抵抗していましたが、全く歯が立ちませんでした。
大きさが桁違いですからね、象と鼠の喧嘩みたいなもんです。
その巨大な手は、そのまま軽々と大蛸を海の中へと引きずり込んで消えていきました。
手と大蛸が沈んでいった場所には、大きな渦ができました。
船が大きく揺れて、私は必死で辺りにしがみついて耐えていました。
そりゃもう、大蛸の次はこの船に違いないと、そう思っていましたから。
でも、いつまで待っても、次の揺れはやって来ない。
私が恐る恐る目を開けると、もう霧は晴れていて、そこには大蛸も、巨大な黒い手もいませんでした。
こんな話をしても、信じてはもらえないでしょうね。
私の気が狂ってるんじゃないか、なんて思ったでしょう。
そう思うなら、どうぞうちの船の右舷の船べりをごらん下さいな。
船にしがみつこうと暴れた大蛸の吸盤の痕が、そこに残っていますから。
(老舗薬草店の店主、アルノーの話)
☆
季節は巡り、再び秋の訪れが近づいてきた頃。
エーリカはアウレリア公爵の公務に付き添う形で、交易都市ノットリードを訪れていた。
〈水の宮殿〉に到着し、今回滞在する部屋に荷物を置くと、すぐさまエーリカはトゥルム短杖店へと向かう。
お忍びだった前回の訪問とは異なり、今回は堂々と父に許可を取り、お目付役の侍女を連れての訪問だ。
そのため、残念ながらティルナノグは小型ゴーレムに、パリューグは猫に偽装した姿である。
一年ぶりのノットリード百貨街は相変わらず賑やかで、エーリカの足取りも軽い。
トゥルム短杖店には多くの人々がひしめいていた。
ハロルドの噂が広まり、近隣貴族のお得意先が日に日に増えているのだとエーリカは聞いていた。
それに伴って、接客担当の店員が二名増えている。栗毛の若い娘と、赤毛の青年だ。
短杖の修復の相談を侍女に任せ、エーリカは店の奥へと進んでいく。
貯蔵庫へと繋がる通路に飾られている磁器製の皿は、一年前よりも増えていた。
金継で修復された皿の隣には、ギルベルトの作った同じ柄の皿が並べられている。
それを見ただけで、トゥルム親子の現在の関係が伺えるようだった。
エーリカはノックをして貯蔵庫のドアを開ける。
貯蔵庫の中は、一年前よりも更に散らかっているようだった。
足の踏み場も無いほどの素材や錬金術道具の海の向こうには、読書に熱中している赤毛の少年がいた。
相変わらずの集中力で、ノックの音にも気づかなかったらしい。
「久しぶりね、ハロルド」
エーリカが呼びかけると、ハロルドはすぐさま振り返る。
一瞬だけ見えた真剣な表情はすぐに掻き消え、人懐っこそうな雰囲気がその顔に浮かんだ。
ハロルドは乱雑に転がった物体を器用に避けながら、エーリカに駆け寄る。
「エーリカ! もう着いたのかい!? 思ったよりも早かったじゃないか!」
「新しい航路が使えるようになったお陰よ。
最近は大蛸の被害もだいぶ減ったそうじゃない」
「あ〜、そういう話もあったっけ。それは良かった。とにかく会えて嬉しいよ!」
三ヶ月ほど前から、ノットリード近海の大蛸被害は減少傾向にあった。
大型大蛸の生息数そのものが減少しているのではないか、というのが専門家の見立てだ。
アウレリア・ノットリード・リーンデースの合同調査の結果、かつては危険海域に指定されていたいくつかの海域が、一般商船でも航行可能と判明した。
それらの海域は新航路に組み込まれ、大陸西方の海上流通は若干の効率向上を果たしていた。
そんな話をしていると、足元の小型ゴーレムが密かに胸を張って誇らしげなポーズをとっていた。
そう、大蛸の激減は、ティルナノグが原因なのである。
その目的は西北部における危険海域の縮小。
大型大蛸の増加は、近隣の祭壇が血啜りによって魔力垂れ流し状態にされているのが原因だ。
天使の力が回復しきっていない現在のパリューグには、汚染された祭壇の除去はリスクが大きい。
そのため、対症療法として、ティルナノグが大蛸をはじめとする祭壇の魔力を吸って大型化・凶暴化した魔獣を狩っているわけである。
「そう言えば、最近、ギルベルト兄貴の兄ちゃんたちが忙しそうにしてたっけなあ。
航路が安全になったら遠洋流通に参入する商会が増えたとかで、新規顧客がわんさかだって。
沈む船も減ったおかげで、保険業者の利益も上がってるらしくてさ」
「あら、そうなの」
「その代わり狩猟者達は商売上がったりだってさ」
「意外なところに弊害があったのね。だとすると、就職率に変化が……治安問題がいずれ……」
「え? エーリカ、何か言った?
おっと、ごめんね。立ち話なんかさせちゃってさ。
どうぞ入って、その辺にでも座……れないな。ちょっと場所空けるね」
ハロルドは大急ぎで散らばった道具や素材を片付け、長椅子までの道を作る。
この長椅子は、以前エーリカが来た時にはなかったものだ。
来客を意識して買い足した長椅子の周りだけは、きちんと整頓がされているようだった。
エーリカが長椅子に座ると、その膝の上に金色の猫が素早く陣取る。
ハロルドもエーリカの向かいに椅子を運んで腰掛けた。
「あ、そうだ。お茶でも淹れてくるよ。ちょうど新しい茶葉があるんだ」
「悪いわね、ハロルド」
「いやいや、どうせ長話になりそうだからさ。
そういえば例の真っ黒な旦那は? 師匠のところに寄ってから来るのかな?」
「いえ、彼は他の用事があって」
エーリカは申し訳無さそうに微笑んだ。
今回は父公認での外出である。
お目付役を連れているので、黒尽くめの不審人物を連れ回すのが難しいのだ。
「そっか、残念だなあ。久しぶりに会えるかと思ったんだけど」
『……』
落胆するハロルドの背中を、ティルナノグがぽんぽんと撫でた。
その仕草を見たハロルドは思わず破顔する。
「このゴーレム、まるで慰めてくれてるみたいだなあ」
「そうなのよ。優しい子でしょう?」
「えー、何それ。自慢のつもりかよ。
しょんぼりした人間がいたら慰めるように組んだのはあんたでしょ?」
ハロルドのツッコミを、エーリカは薄く笑って受け流す。
ティルナノグはエーリカと目を合わせて肩をすくめ、その隣に腰掛けた。
その生物じみた動きに感嘆しながら、ハロルドはお茶を淹れるために退出する。
「……次は人型で来ましょうか。
ティルには短杖店で待っててもらって、後から合流すればいいわよね?」
エーリカが耳打ちすると、ティルナノグは無言で頷いた。
しばらくすると、新作のティーセットをトレイに乗せたハロルドが戻ってくる。
新作は金彩のみで葡萄の葉を描いた、豪奢でありながら落ち着いた雰囲気のデザインだった。
ハロルドが紅茶を淹れると、ベルガモットの香りが貯蔵庫に広がった。
その香りはどことなくアールグレイに似ていた。
エーリカは、この世界には正山小種もグレイ伯も存在しないのに、前世の世界と酷似したものが作られたことに感心する。
「さ〜て、何から話そうかな」
「まずはこの紅茶の話からっていうのはどう?」
「流石エーリカ、よくぞ聞いてくれた。
こいつはベル姐さんの協力でトゥルムの紅茶部門が開発したブレンドでね」
エーリカとハロルドは、紅茶の話に始まって、色々なことを話した。
その大半は手紙で連絡済みのことだったが、実際に会って喋るのは楽しいものだった。
ベルの店で作ったコバルトを使った青ガラスと銀の香水壜が好評で、ニーベルハイムの職人が大忙しなこと。
その影響で、この秋には青ガラスと銀のアクセサリが大流行の兆しを見せていること。
三日前にギルベルトがやっとベルにプロポーズしたこと。
何でも、イグニシアから取り寄せた珍しい薔薇を小舟五・六艘に満載して告白に臨んだとか。
自信満々で告ったにも関わらず、返事を保留されてしまったらしい。
返事待ちのギルベルトは不安で仕事が手に着かない有様だとか。
親方がそんな情けない有様なのに対し、磁器事業そのものは順調だ。
先日、一年ほどかけて焼き上げた自信作の染錦金襴手の食器類を、イグニシア王家に献上したこと。
春頃にはハーファン公爵家から青花のティーセットの発注が大量に舞い込んだこと。
ギルベルトの元相棒が見付かり、彼を責任者としてハーファン公爵領に出店することが決まったこと。
また、エーリカがエドアルトから伝え聞いたエルリックの治療の経過を話すと、ハロルドも喜んだ。
ノットリードでは最初に〈炎の魔剣〉の危機を伝えたエルリックも英雄扱いなのだとか。
エーリカの指示で回復系の水薬をリーンデースに送ろうとしたところ、調合師のセルゲイ経由で周囲にバレてしまったらしい。
結局、〈百貨の街〉の各商会の連名で大量の水薬を送る形で落ち着いたのだとか。
〈炎の魔剣〉の話が出たことで、エーリカはあることを思い出した。
「あ! 例のノットリードの天使の噂話はどうなったの?」
「まだまだ一人歩きしてるよ。お守りがそこら中で売られてるの見かけなかった?」
「え……確かに見たけど、ノットリードの天使って、あんなイメージなの?」
エーリカはちらりと膝の上の猫を見下ろす。
売られていたお守りは、キーホルダーサイズの抽象度の高い曖昧なデザインのものがほとんどだった。
まさか、本物の天使が猫だとは誰も考えていない様子である。
噂の張本人はにゃーんとわざとらしく鳴いて目を逸らした。
「うちも噂に乗っておけばよかったって、兄貴が悔しがってたよ。
一応、噂の出所は俺達なわけだからさ」
「そうね……」
「出遅れたけど、うちも白磁製のお守り天使を作ろうかって話しが出ててさ」
噂が風化することを願っているエーリカは、ぎこちなく微笑み返した。
そんな彼女をみてハロルドはにやりと笑いながら付け足した。
「でさ、俺がいっそ本格的な磁器像を作ればって言ったんだ。
兄貴はあんたをモデルにしたがってたよ?」
「やめてください」
エーリカは一秒も間を置かず即答する。
表情は一瞬で消え失せ、硬質で陰鬱な生気のない目が刺すようにハロルドを見つめる。
ハロルドはその雰囲気に、思わずたじろいだ。
「え、え〜? いいじゃん。せっかく顔は美人なんだしさ」
「だったらオーギュスト様にすればいいわ。
ほら、綺麗な顔だし、私より確実に善良そうに見えるし」
「ダメダメ! 王太子殿下の顔じゃ、すぐバレちゃうでしょ?
あの人、噂の出所が誰か知ってるんだから、俺が締め上げられちゃうよ」
ロクでもない代替案を出してきたエーリカを、ハロルドは慌てて制止した。
いつの間にかエーリカの表情はハロルドの狼狽を楽しむようなものに変わっている。
相変わらず食えない相手だと心の中で毒づきながらも、ハロルドは思わず顔をほころばせてしまう。
エーリカは悪そうな顔でしばらく思案した後、やっぱり悪そうな顔で笑った。
彼女は優しい手つきで膝上の猫の喉を撫でながら、ハロルドに提案する。
「あとで肖像画を二枚ほど送るわ。それをモデルにするといいわよ」
「何かアテがある訳?」
「素晴らしい美人と美丈夫に知り合いがいるの。とても有名なんだけど、意外に顔は知られていないんですって」
「へえ? 相変わらず顔が広いんだね。
じゃあ、直接、兄貴の工房宛に送っておいてよ。
流行を逃さないうちに、急いで作りたいらしいから」
何か問題があれば、ギルベルト兄貴の方で弾いてくれるだろう。
ハロルドはそう考えて、丸投げすることにした。
肖像画が届く頃には、彼のプロポーズ騒動も落ち着いているに違いない。
二人の話題はその後、杖や新しい魔法道具に関することに移っていく。
しかし、この時ハロルドは忘れていた。
ギルベルトのプロポーズが成功したならば、更に大変なイベントが続くはずだということを。
☆
季節は巡り、初夏が訪れた。再び降臨祭の季節が近づいてくる。
イグニシアの〈伝令の島〉では、例年にも増して多くの天使像が飾られていた。
王城の広間では王妃アデライードが指揮を執り、降臨祭の飾り付けを行っている。
今年は伝統的な石造りの天使像に加えて、西北部で作られた磁器像も運び込まれていた。
ニーベルハイム家とトゥルム家の連名による献上品である。
「母上、東から飾り布が届きました。こちらに運ばせても大丈夫ですか?」
「あら、ありがとう、オーギュスト。もう少しで像の配置も決まるから、その後でお願いね」
勇壮な青年の姿の天使像をうっとりと眺めていたアデライードは、息子の呼びかけで我に返った。
オーギュストはそれが見慣れない質感であることに気づき、西北部からの献上品のことを思い出す。
「それが例の磁器像ですか? ……強そうな天使ですね」
「でしょう? 何だかアンリの若い頃の姿に似ていて、うっかり見とれてしまったわ」
「へえ? すると、父上に似せて作ったのかな」
オーギュストはアデライードの言葉に頷き、その天使像を見つめた。
若々しさと活力にみなぎる逞しい肉体。
溌剌とした爽やかな笑顔を讃えた、童顔めいた中に不敵さの垣間見える顔立ち。
確かにそれは、国王アンリに似ているように思えた。
しかし、実際のモデルは別に存在していた。
アンリやオーギュストの先祖にあたる、苛烈王ジャンである。
「もう一体の天使も素敵なのよ。見てごらんなさい」
アデライードは保護用の布に覆われた天使像を指し示す。
こちらは母上に似ていたりするのかな?
オーギュストはそんなことを考えながら布を捲り上げ、そして絶句した。
「こ、これは…………え?」
「ね? オーギュスト、あなたにそっくりでしょう?」
アデライードは満面の笑みで、オーギュストと天使像を交互に見つめる。
それは慈愛に満ちた清純な微笑を湛えた、美しい天使像だった。
確かに顔立ちはオーギュストに瓜二つである。
しかし、その体つきは明らかに女の子としてデザインされていた。
こちらは侵略王ギヨームがモデルになっていた。
だが、磁器制作者の誰もが、ギヨームの肖像画を見て少女だと思い込んでしまったわけである。
そしてオーギュストに酷似していることに、婚約や結婚などの一連の騒動で余裕が無かったギルベルトでは気がつけなかったのだ。
「自分の顔をこんな形で見ることになるとは、なんだか複雑な気分ですね……」
「とっても可愛いでしょう? ノットリードでは大人気のデザインだそうよ」
オーギュストの脳裏に一年半前の秋、〈水の宮殿〉で交わされた会話が去来する。
事件の事後処理をハロルドに丸投げした結果、天使出没の噂が流れていたなどという話があったはずだ。
(まさか、こんな形で意趣返しされるとはな……)
オーギュストは内心の動揺を笑顔で隠しながら、アデライードに頷く。
「素晴らしい出来映えに感動しました。
いずれ機会を作って、ノットリードの磁器工房に挨拶しておきたいですね」
「それは良い考えだわ。きっと職人たちも喜ぶことでしょう」
アデライードはオーギュストの提案に賛同し、訪問計画を後押しすることを約束する。
オーギュストは完璧な所作で一礼すると、足早に広間から退出した。
さて、西北部の磁器工房には、どんな形で釈明してもらおうか。
王城の回廊を歩きながら、オーギュストはそのことに関して頭を巡らせていた。
降臨祭で王城の広間に飾り付けられた磁器像は多くの人々の目に触れることになった。
その後、ギルベルトの磁器工房で作られた天使像はイグニシア貴族の間で大流行したのだった。
ギルベルトの磁器工房は、あくまでも天使のモデルは王太子殿下ではないという釈明に追われることになるのだが、モデルとなった人物は不明のままだったのだそうだ。




