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ハロルド・ニーベルハイムの手紙

 お久しぶり、元気かい?


 こちらの方は最高に順調だよ。

 順風満帆そのものさ。


 工房の方では職人の育成にも取りかかってるし、量産への目処も付きつつある。

 そろそろ周りの陶器業者はうちが何を作ろうとしてるのか勘付いて、真似しようとしてるところも出てきた。

 でも、まだ誰も砥石や酸化コバルトには辿り着けないみたい。

 十年の蓄積は伊達じゃないからね。

 そう易々と技術も素材も盗めっこないから、ひとまず安心ってもんだよ。

 

 ギルベルトの兄貴は父さんや師匠に連れ回されて、色んな人と顔を繋がされてる。

 本人は面倒臭がってるけど、事業が大きくなってくると、工房に籠ってばっかりもいられないからね。


 そうそう、頼まれていた物の試作品が出来たんで、同封しとくよ。

 今回も無茶な注文で苦労したよ。

 あんたには言うまでもないことだけれど、取り扱いには注意してくれよ。

 特に例のレンズは、あんた以外の人間が装備すると失明の危険があるから、絶対に貸し出し禁止な。


 長靴(ブーツ)のほうは、もうちょっと待っててくれないかな。

 素材の配置やら、呪文の組み込みやらのバランスに手間取ってるんだ。

 見せられる物が出来るまで、あと二か月はかかりそうだよ。

 

 寒くなってきたから、体調崩さないようにな。

 もし風邪なんか引いたら、セルゲイのおっさんのところのマズい栄養剤でも送ってやるよ。


 それじゃ、今回の報告はこの辺で。



      ☆



 アウレリア公爵領〈秋の宮殿〉。

 ノットリードで起こった一連の事件から三ヶ月が経ったある日のこと。

 ハロルド・ニーベルハイムからエーリカ・アウレリアの元へ一通の手紙が届いていた。


 これで通算二十通目。

 それらの内容は近況報告から作業進捗状況、同封された魔法道具の説明書きなど。

 何か変化や発見がある度に、逐一送られていた。

 ハロルドはマメな少年であった。


 今回も幾つかの試作品が届いていた。

 まずは、ギルベルトの工房で作られた磁器製のティーセット。

 そしてハロルドの作った特製の短杖(ワンド)や魔法道具。


 エーリカは机にそれらの品々を広げ、ひとつひとつ確認していく。

 

 まずは花が描かれた染付のティーセット。


 エーリカは、ティーカップの縁を指先でなぞる。

 理想的な薄さと滑らかさ。

 伝統的な絵柄と近代的な形状が調和した、見事なデザイン。

 エーリカの唇は自然に笑みの形になった。

 この出来ならば、きっと磁器の流行を巻き起こせることだろう。


 次に開封したのは、短杖の納められた小箱だ。


 込められた魔法は水晶塊(クリスタル・クラスター)

 ラベルを確認し、さっそく短杖をホルダーに格納する。

 滑石の杖頭に軸は山査子、芯材は大蛸(クラーケン)の軟甲骨。

 特に装飾は施されていない簡素な杖。

 比較的廉価に量産できる攻撃用の杖というリクエストに、ハロルドが答えを出してくれた品だった。


 そして、最後に小さな小箱を開ける。

 緩衝材に包まれて、小さな硝子壜が入っていた。

 壜に詰められた透明な液体の中には、緑色の丸い欠片が浮かんでいる。

 小型ゴーレム状態のティルナノグや金色猫のパリューグが物珍しそうに覗き込んでくる。


「それはなあに?」

「眼鏡代わりに瞳に直接装着して使うレンズなのよ」

『ほお、瞳に直接?』

「ええ」


 エーリカは前世で言うところのコンタクトレンズの再現を試みていた。

 視力矯正の必要があるわけではなく、別の用途のためである。


『かなり変わった品だな。魔力も感じる』

「杖に仕込む代わりに、レンズに魔眼の魔法が充塡してあるのよ」

 

 エーリカがハロルドにリクエストしたのは、魔眼仕込みのレンズであった。

 充填してある魔法は霊視の魔眼(グラムサイト)だ。

 翠玉(エメラルド)から削り出したレンズの上に直接霊視の魔眼(グラムサイト)の呪文を構築するのは至難の技である。

 しかし、ハロルドは熟練の職人でも難しいそれを、たったの三か月で完成させてしまった。


「本当は過去視(ウルズサイト)も仕込んでみたいけど、さすがにムリかなあ」

『注文すれば良い。あの赤毛の小倅の腕なら雑作もなかろう』

「いえ、主に資金面の問題がね……」


 エーリカは手を洗浄し、魔眼のレンズを左目に装着してみた。


 呪文を念じて軽く瞼を閉じると、眼球の上に魔法陣が展開される。

 通常の視界に、二重映しになるように魔法的な構造物の輪郭が浮き上がって見える。

 軽い目眩を感じるが、問題ない程度だろうとエーリカは判断した。


「この二つは使用結果を報告しなきゃね。

 さっそく合わせて試してみるわ。気をつけてね、二人とも」


 ホルダーから試作の短杖(ワンド)を取り出して、用心しながら振る。

 杖の軌道に沿って、絨毯の上に巨大な水晶塊(クリスタル・クラスター)が生成される。


 短杖拡張(ワンド・オルタレーション)を使ってもう一度。

 ハロルドは短杖作成の腕も上げたらしく、絹糸のように滑らかな魔力糸がするすると負担なく引き出せた。

 組み替えた魔法を、天井に向けて放つ。

 半径二メートルほどに展開された魔法陣から、ちらちらと雪のような水晶の小片が降ってきた。


「あら、綺麗」

『いつ見ても、見事な杖さばきだな』


 水晶塊(クリスタル・クラスター)は応用性に富んだ魔法だ。

 防壁や堡塁代わりに敷くことも、槍や砲弾代わりに撃ち出すこともできる。

 拡張効果を組み合わせれば、更に多様な使用法が考えられる。

 これならば杭の代わりに吸血鬼を貫くことも可能だろう。


 魔眼を通して、杖の作成者情報が映し出されていた。

 今はまだ魔眼のレンズで解析できる情報は少ない。

 だが、きっと六年後にはより完全な霊視の魔眼(グラムサイト)がレンズ上にも構築できているはずだ。


「どちらも思った以上の出来。さすが、ハロルドだわ」


 ハロルドには他にも何種類かの魔法道具の作成を依頼している。

 特殊な品ばかりだが、彼ならば期待に応えてくれるだろう。


 早急な吸血鬼対策が必要なエーリカにとって、ハロルドは心強い味方だった。

 エーリカは机に戻り、ハロルドへ感謝の手紙を書き綴った。



       ☆



 交易都市ノットリード。

 トゥルム短杖店の貯蔵庫(ヴンダーカンマー)にある作業机の上で、ハロルドは手紙を広げていた。


 それは先週末にアウレリアに送った連絡への返事だった。

 杖やレンズへの賞賛や更なる要望が、綺麗な筆跡で几帳面にしたためられている。


 試作品は想定していた以上の好感触を得て、ハロルドはニヤけていた。

 何度も真面目な顔に戻そうとするが、意志に反して勝手に口元が緩んでしまう。

 彼は上機嫌であった。


「おー、あのお姫様からの手紙かい? はあ〜、綺麗な字だなあ」

「ひっ」


 背後からの声に、ハロルドはびっくりして前につんのめりかける。

 体勢を立て直して振り向くと、そこにはやたらと機嫌の良さそうなギルベルトが立っていた。


 ハロルドはエーリカから来た手紙を大事そうに懐へとしまい込む。

 そんな様子をギルベルトはニヤニヤと見つめる。


「えー、隠しちゃうの? 俺も読みたいなあ」

「いいだろ、兄貴は。これは俺への手紙だしさ!」

「えー……、折角のアウレリアのお姫様とのコネだし。

 磁器事業の責任者としては、こういう貴重な人脈は大事にしときたいんだけど、どうよ?」

「うーん、そういう風に扱うのはちょっと……」


 アウレリア公爵家の愛娘であるエーリカは、いずれ連合王国の重要な地位につくことだろう。

 その幼さにも関わらず顔が広く、華やかで人目を惹く彼女は広告塔としても優良だ。


 しかし、ハロルドとしてはあまり商売事にエーリカを巻き込みたくはなかった。

 彼女は有能である反面、有能すぎて借りを返すのが難しいのだ。

 今だって、一生かかっても返せなさそうな恩を抱えているというのに。

 ハロルドの煩悶に気づくこともなく、ギルベルトはニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべる。


「ふうん。やっぱりねー。男の子としては、初恋の少女は守ってあげたいもんね〜」

「はぁ?! いきなり何言ってるのさ、兄貴!」


 初恋。

 思いもしなかった方向から投げ掛けられたギルベルトの言葉に、ハロルドは真っ赤になった。

 しかし、その反応はギルベルトの誤解を更に重ねることになる。

 

「そう、そう、そう言う反応が見たかったんだよ!」 

「そう言う反応って何のことさ」 

「なんかこう、金とかコネとかみたいな世間の汚い(しがらみ)から遠ざけて、大事にしたい訳でしょ?」

「違うって。俺とエーリカはなんて言うか……そう言うのじゃないってば!」

「え〜、そうなの?」

「なんだよ、兄貴。その目は」


 ギルベルトはハロルドの態度に、うんざりしたような雰囲気を感じ取る。

 じっとりと睨まれて、ギルベルトは早々に降参した。

 姿勢を正し、真面目な表情を作って向かいに腰掛ける。

 若者を弄って遊びたかっただけで、喧嘩をしたかったわけではないのである。


「すいませんでした。正直調子に乗ってました」

「兄貴ぃ、何がどうしたら、そんなおっさん臭い妄想しちゃうわけ?」

「おっさん臭い……」


 ハロルドの何気ない言葉に、ギルベルトは深いダメージを受ける。

 気を取り直して、ギルベルトは答えた。


「なんかね、お兄さんはね。

 初恋のお姫様にはもう王子様がいて、自分じゃダメなんだろうなあって挫けてる坊ちゃんに恋のアドバイスがしたかったの」

「え、全然意味分かんないんだけど」

「ほら、運命的に出会った美しいエーリカ嬢に淡い初恋とかするとするじゃん?」

「ええー」


 ハロルドの脳裏には、そこはかとなく加虐的(サディスティック)でいかにも上級貴族的なエーリカの顔立ちが思い浮かんだ。

 物静かそうでその実さり気なく攻撃的な彼女は、工具に例えるならばハンマーか万力だろうか。

 初恋相手としては、なかなか厳しく難しいセレクトだ。

 あんなの好きになったら、人生荊の道だろ、とハロルドは頬を引きつらせた。


「でもそんなお姫様の横には、完全無欠のオーギュスト殿下がいるじゃない?

 悔しいけどあいつの方がお似合いだぜ。ああ、叶わない恋って切ない、みたいな?」

「はあ」


 少女のように綺麗な、オーギュストの屈託の無い笑顔が浮かぶ。

 王族のくせにやたらと無防備で無邪気な言動のせいで調子が狂ってしまう。

 しかし、天使のような面の皮を一皮剥けば、その下には悪魔が潜んでいるような、そんな片鱗をハロルドは目撃していた。

 完全無欠とは一体何だろう、とハロルドは思った。


「オーギュスト殿下とエーリカお嬢さまなら、お似合いのカップルっぽくない?」

「あ〜、確かに、お似合いだけど」


 二人とも作り物めいた雰囲気の綺麗な外見をしている。

 着飾って並んでいる二人はとても絵になっていた。

 内面的にもある意味お似合いすぎて、できればお近づきになりたくないな、とハロルドは身震いする。


「そんな切ない甘酸っぱいことになってないかなって」

「妄想しちゃった訳ですか……」

「うん」

「残念だったね、兄貴。予想は大外れだよ」


 ギルベルトは、がっくりと項垂れる。

 

「あー、うーん、そうだな。茶化して悪かったよ、坊ちゃん」

「……ていうかさ、兄貴いつもと違うだろ。むしろなんかあんたの方が浮かれてない?」

「え、俺なんて何時もこんなもんだよ」


 ハロルドの指摘に、ギルベルトはあからさまに目を泳がせていた。

 ああ、やっぱりこれは何かあったな、とハロルドは怪しむ。


「ん?」


 不意に、いつもと違う甘く良い香りがすることにハロルドは気がついた。


「珍しいね。兄貴が香水?」

「うっ、いや、これは……最近お偉いさんと会うことも多いから、身だしなみだよ。

 工房に泊まりがけで、なかなか帰れない日が続いてたからな」

「その割に、シャツは綺麗だよね」

「ううっ、まあ、俺は同じシャツ何着も持ってるからな」

「でもアイロンがパリッと利いてるし。さては兄貴……女が出来た?」

「ちょっ!? おまっ……!?」


 ハロルドはギルベルトの香水に意識を集中させる。

 つい最近、嗅いだことのある匂いだ。


「南国の花に、薔薇、ベルガモット、ライム、それに少しだけ丁字(クローブ)……これって〈皮剝人通り〉の店の新作の香水だよな」

「うっ、何故そこまでわかる!?」


 その香水屋は女性用の香水を中心に取り扱っているが、この新商品は珍しく男性向けだ。

 あの店には妙齢の女性は一人だけ。

 調香師のベル。

 長い赤毛をお下げにした、明るい緑の目の職人気質の女性。


「相手は調香師のベル姐ちゃん? そう言えば、姐ちゃんもだいぶ浮かれてたよね。

 柄にもなく新作に『恋人達の甘き調べ』なんて恥ずかしい名前つけちゃったりして」

「げっ、彼女、そんな名前にしてたのかっ!?」

「そうかー、兄貴と姐ちゃんって幼なじみだったっけ?」

「な、何故ソレをっ」

「だって同い年じゃん、あんたら」

「お、おう……バレバレかあ……坊ちゃんには隠し事出来ないねえ」 


 ハロルドを弄るつもりだったギルベルトは、むしろ自分が弄られる側に立っていることに焦りを覚える。


「ベル姐ちゃん、男っ気がないと思ったら十年も健気に兄貴を待ってたのか。

 で、兄貴の事業も軌道に乗ったから、大手を振って──」

「じゃ、じゃあな、坊ちゃん。ここに差し入れ置いとくよ。

 あんまり根を詰めないように頑張ってな!」


 ハロルドの言葉を大声で遮り、ギルベルトはそそくさと逃げるように部屋を出て行った。

 香水の甘い残り香だけが貯蔵庫に残される。


「まったく兄貴ったら……俺には恋だの愛だのしてる余裕なんてないっての」


 ハロルドは軽くため息を吐く。

 今は杖の組み上げが楽しいし学問が楽しい。

 惚れただの腫れただのは、十年くらい先で十分だ、と彼は思っていた。


 それにエーリカはちょっと恋愛対象として見れそうにない。

 ハロルドにとってはエーリカは、何より恩人だったのだ。

 

 ハロルドはもう数ヶ月経った今でもあの時の事を思い出す。

 冗談みたいな、あの絶望の瞬間を。


 あの時に、エーリカがいなかったら。

 オーギュストが、エーリカを探しに来ていなかったら。


 だから彼女へのこの恩は一生ものだった。

 もちろんハロルドはオーギュストにも恩を感じているが、いずれ国王になる彼には国益と言う形で尽くせば良い。


「さぁーて……今日こそは進展するかな」


 ハロルドは椅子に腰掛け直し、エーリカのための試作品作成に取りかかる。


 彼女の提案は興味深いものが多い。

 それはハロルドにとっても知的好奇心が満たせる楽しい課題となっていた。


 低価格で効果的な魔法を充填した杖は、思いつき次第に次々と試作を送っている。

 魔眼を仕込んだレンズは、この前ようやくプロトタイプが完成した。

 目下の難題は、魔法仕込みの長靴だ。


「しっかし、こんなもん何に使うのかね」


 ハロルドは結局、エーリカに詳細を聞いてはいない。

 話したい時、話しやすい時に言ってくれればいいと思って先送りにしたのだ。

 ただし、なにやら死ぬほど物騒で難解な事情だけがあることだけは知っていた。


 ハロルドはエーリカが絶望的な状況に落ち入ったら救うことが出来るような男になりたかった。

 自分が絶望に落ち入った時に彼女に助けてもらったように。

 エーリカ一人の力ではどうにもならない窮地が訪れたならば、その時こそ自分がエーリカを助ける番だと思っていた。


 それができて、ようやく自分は本当の意味で対等な相棒になれるのだ。


「まあいいか。注文の多いあんたのために作るだけさ」


 ハロルドは悩むのをやめ、作業を始めた。

 悩む暇があれば少しでも手を動かす、それが彼の信条なのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] この時点のハロルド君なら、主人公といい距離感の友人(もしくは相棒)になれそうな気がする。
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