来航者の遺跡2
使いかけの過去視の杖と、短杖の反動を軽減するための錬金術師の革手袋の片方をクラウスに渡す。
そして、自分用に新品の短杖の封を切る。
「これがアウレリアの杖か、起動は?」
「念じて振るだけで使えます」
「意外に簡単そうだな。試してみても良いか?」
「ええ、どうぞ」
クラウスは慎重に短杖を振る。
無事に過去視の魔法が発動し、白色の魔法陣が彼の目に集束した。
クラウスは何度も瞬きしながら周りを見回す。
長い睫毛でぱさぱさと音がしそうな勢いだ。
「……これは便利だな。俺自身は全く魔力を消費していないのに、数分前のお前が見えた」
「時間が経ちすぎた出来事は過去視では追えなくなります。発動時に知りたい対象について念じておくと、優先的にその人物に関する出来事に焦点が合うはずです」
「俺はアンのことを考えながら探索すれば良いわけか」
「その通り。では行きましょう」
施設内のランプは星水晶の酸化が進んでいるせいか、光が弱い。
これでは大事な痕跡を見落としかねない。
鞄を探ってランプを取り出す。
「クラウス様、こちらのランプも持っていてください」
「うむ」
クラウスは自分の長杖にランプを結わえ付けた。
どうするのかなと思ってたら、彼は杖を掲げて高いところを照らせることを実演してくれた。
おおー、やるなあ。
……って、そんなところにアンがいるわけないでしょ。
まだ微妙に探索に未練があるよね? ダメですよ?
私たちは時折杖を振りつつ、二つのランプで帰り道を丹念に照らしながら進む。
「なんか、ぶつぶつ言ってる過去のお前が見えるぞ」
「からかわないでください」
「エーリカ……。お前、お化けとか幽霊が怖いのか?」
「クラウス様、妹君の探索に集中してください」
クラウスが面白そうにニヤついた視線を向けてくる。
ちょっと、困るんですけど。
だって、今の私は幼気な八歳児ですよ?
怖いものがあったっていいじゃないですか。
ああ、でも前世での実年齢からすると、いい歳してナニやってるのってお話しになって辛いね……、あはは。
「やけに辛気くさくて暗い目をしてるな……もっと八歳児らしい表情とかできないのか」
「もっと! 真面目に! 探してください!」
「お前、時々人生に対して諦めてるみたいな目をしてるよな……」
ええい、お前に言われたくないっ!!
クラウスのスチルなんて、好感度上がるまでほぼレイプ目だったんだよ!
って言いたいところをぐぐっと抑える。
クラウスだって時々小動物っぽい癖に、相手の弱みを握るとイジリにくるとは……!
これがいずれドSキャラになる片鱗なわけか!?
いやいや、今はアンの探索に集中しなきゃ!
「クラウス様、アン様の後ろ姿、見ました?」
「いや、まだアンに関する出来事は見えてこない。今のところお前ばかりが過去視に引っかかる」
「ちゃんと妹君のことを念じて発動してますか?」
「ああ、ちゃんと念じている。それなのにお前しか見えなくて迷惑だ」
こ、こいつ……!!
いやいやいや、こんな事に時間を割いてはいけない。
「本当にアンがいるのか? ここまで一度もあいつが通った痕跡がないぞ」
──あ、あれ?
今、何か、非常にマズいような気がしてきた。
「……ねえ、クラウス様、自動地図作成用に設置した呪符の場所を教えていただけます?」
「呪符だと? ああ、覚えている。この部屋ならば呪符は……」
クラウスは部屋の隅に走り寄って壁際を探った。
あ、何だか手間取ってる。
彼は何度も壁沿いを照らしながら歩き回った後、不可解そうな表情で戻ってきた。
「ない」
「本当にですか?」
「どういうことだ? 確かに俺はあの辺りに……おかしい、これは──」
彼は間違っていない。
私も、さほどはっきりと覚えているわけではないが、彼が探していた辺りで未使用呪符を見た覚えがある。
しかし、今、その呪符は存在しない。
──悪い予感が当たってしまった。
「この〈来航者の遺跡〉、部屋も通路も移動してるみたいです。おそらく魔法ではなく、機械式で」
その時、がたん、と不吉な音が聞こえた。
この遺跡のどこか遠い場所で鳴った音だ。
「機械式の迷宮か……!」
「大昔のアウレリアの民が利用していた盗賊避けの仕掛けの一種だと父から聞いた事はありますが、こんな大掛かりな建造物の機械式迷宮があるなんて、思いもしませんでした」
とてつもなく巨大な機構が動く音とともに、足下が不自然にぐらりと揺れる。
地震ではない。
今まさに、私とクラウスのいる部屋が動いたのだ。
「……お前は転送門の部屋から俺とアンが出て行ったのを見たんだったな」
「はい」
「アンを見たのは、最初の部屋のそれ一度きりか?」
「はい」
クラウスは眉間に皺を寄せた。
鋭い目が私を見つめる。
「俺が通った時と、お前が追いかけた時はおそらく同じ通路だった。だが、アンが通過した時、その通路は別の場所に繋がっていた」
「そうなりますね」
「そして今、また迷宮の仕掛けが起動して、俺たちは現在位置を喪失してしまった……ということだな、エーリカ」
「ええ。こうなると、転送門まで戻れる保証はありませんね」
アンを探索する手がかりを失い、〈春の宮殿〉に戻る術も失った。
ミイラ取りがミイラになる。
迷子探しのつもりが、とっくの昔に迷子になっていた。
今更それに気づくとは、何もかもが遅きに失してしまっていた。
「ずいぶん冷静だな、お前」
「そうですか? 騒いでどうにかなるなら騒ぎますわ、私」
「ふん、生意気だな」
今、一番心配なのはアンのことだ。
私たちはまだ二人でいるからいい。
小さな少女が、一人でこの薄暗い〈来航者の遺跡〉を彷徨っているのだ。
そのことを考えただけでも、心臓がぎゅっと縮むような感覚を覚える。
それに、万が一、彼女が既に古の悪霊に触れてしまっていたら──
いや、悲観的な考えは今は止めよう。
アンを探す事、元の場所に戻る事、この二つだけを考えなければ。
しかし、この探索にはもう手詰まりを感じる。
このまま夜が明けるのを待てば、父やハーファン公爵が気づいて、捜索隊を送って来ないだろうか?
──いや。
そうなってしまったら、アンは原作ゲーム通り死んでしまうだろう。
彼女との関係は変化しているので、六年後に私を殺しにくるような展開になるかどうかは分からない。
だけど、いくら死亡フラグが折れてたって、そんなのは嫌だ。
私に懐いていた幼い女の子の命を、諦めたくない。
「このまま下手に動くと、事態がますます悪化しそうだな」
「打つ手は、あるはずです。少し一緒に考えてみましょう、クラウス様」
床に革鞄を広げてみた。
今手元にあるもので何ができるか。取れる手段を確認しなきゃならない。
「お前、ほんとに沢山持ってきたな」
「何が起こるかわかりませんし、備えあれば憂いなしとも言いますからね」
現状を打開できるような魔法はないか。
私は杖の箱をひっくり返し、ラベルを確認していく。
「……脂の杖か。滑りを良くする魔法だな。相手の手にかけると滑って何もつかめなくなるし、足にかけると転びやすくなる。でもこんな迷宮で何に使うんだ。こんなニッチな魔法」
「急いでたので適当に詰め込んだのもあるんです!」
クラウスも物珍しそうに鞄を覗き込み、私と一緒に詰め込まれたアイテムを物色し始める。
「一発でこの状況を好転させてくれるような都合のいい杖は入っていないか。難しいところだな。せめて広域の探索魔法が有効だったら」
「用心深い祖先を怨む事にしますわ」
クラウスも丁寧にラベルを読み込んでいたが、なかなか妙案は浮かばないようだ。
でも、まだ諦められない。
根気強く革鞄を漁っていると、奥から星水晶のランプとは異なる弱い光が溢れた。
「これは、月光没食子インクですね」
「ああ、ハーファンでもよく使うものだ」
月光鉱という東のハーファン領特有の鉱物がある。
月の出とともに淡く輝き始め、月の入りとともにその輝きを失う。
雲が月を陰らせる時、月光鉱の光もまた同様に陰る。
そんな不思議な石である。
古来より東の魔法使いは月光鉱の性質を利用し、月に呼応して輝く特殊な没食子インクを作っていた。
「月が昇ったということは……おおよそ二十時過ぎか」
インク壜の中には、静かに浸みるような青みがかった黄色い光が揺らめいている。
星水晶のランプに比べてかなり弱い光だ。
今夜の夜空は曇っているのだろう。
「クラウス様、これは……」
星水晶のランプに覆いをかけて月光鉱の光を見つめていると、ある事に気がついた。
部屋の壁にもインクと同じ色の淡い光が輝いている。
しかも、インクと同じタイミングで明滅を繰り返していた。
「お前も気がついたか?」
「ええ、インクと同じように煌めいてますよね」
光の強弱は、おそらく月にかかった薄雲の流れに連動しているのだろう。
そんな天候だからこそ、気づく事ができた。
私はランプを革鞄にしまい、クラウスは杖の先ごとローブの袖で覆った。
強い光が遮断された事で、壁に描かれた文字の微かな光が強調され、浮かび上がってくる。
壁に描かれていたのは、三日月のマーク。
そして、マークの下には見慣れた筆跡の文字──
それは、この迷宮に挑んだ先輩探索者たちの残したメッセージ。
黄金の月の光に照らし出されて現れたのは、まさに一筋の光明だった。